DUAL Icalusu  U

飛びたいイカロスの翼

 うだるような残暑に溢れ出す汗を拭きながら少年は何処に行こうか考える。このまま帰るには早い時間だが、かと言って今日に限って何処かに遊びに行くような連れもいない。
やっぱりあそこしかねぇか‥‥。
クーラーもないのにそこはかとなく涼しく、三時を過ぎても着けばリアルタイムにおやつも出てくる便利な場所‥‥。
「う〜んしかしオリジナリティに欠けるというかマンネリ化してるというか‥‥」
ぶつくさ言いながら歩いていると突然目の前で人がうずくまっていた。紺色が主の浴衣らしき和服。どうやら帯の感じからして女性のようだ。
「大丈夫?彼女。具合でも悪‥‥」
「悪かったな、彼女じゃなくて」
「はっ‥‥?」
肩にかけた手を払うように彼女、もとい彼は顔を上げた。色白で体つきも華奢。顔も女だと言われれば大いに頷けるが荒っぽい口調を放つ声ははっきりと男性の物と分かる。
「悪いけど肩貸して。日射病になる‥‥」
「いいけど、別に‥‥。じゃあ今は日射病じゃねぇの?」
「単なる心臓発作」
あっさりと言って彼は少年の肩に身を預ける。ああ、心臓発作‥‥とそののりで流しそうになってはっ!?と少年は彼の方を見やる。ぐったりと垂れた首からしゃらっと軽い音を立てて銀色のピルケースが姿を現した。
おいおい‥‥もしかしてとんでもない重病人を拾っちまったのか‥‥?。
「とりあえずお前家何処だよ‥‥。っておい!寝んな!」
もしかしたら気絶したのかもしれないが‥‥。とりあえず目を伏せ、寝息らしき安らかな息遣いだったので少年は勝手に寝ているものと判断を下した。重くはないがこのまま自分の家に連れて行くにはちょっと遠すぎる。やはりあそこか‥‥と主人あるじのため息を想像して自分もため息をつきながら彼はそこに向かった。


 「もう、闇野さん大変だよぉ」
とぼやきながら少女はかりんとう入り蜂蜜をカップに入れてお湯を注ぐとすぐさまかき混ぜる。闇野が大変らしく少女――大堂寺まゆらもそれに忙しそうだったので少年、光太郎は勝手にポットから紅茶を注いだ。
「はい、ロキ君。少しのど楽になるよ」
「ありがと‥‥まゆら」
「ロキ君が季節はずれの風邪引いた上に光太郎君まで病人拾って来て〜看護士さんじゃないんだから‥‥」
「それじゃあまるでボクが馬鹿みたいじゃないか‥‥」
「夏風邪は馬鹿がひくってか?。でも風邪流行ってんだぜ、しらねぇの?」
「風邪のマイブームなんてどうでもいいの!。私のマイブームはミステリー!!な事だもん♪」
どうしたわけ?と盛り上がってる繭良を尻目に小声でロキに尋ねるが返ってきたのはさぁ、と気のない返事。半分咳き込みながら蜂蜜を飲んでいるのでのどが痛く、それどころではなかったのだろう。
「最近ひましてるからじゃない?。目立ってまゆら好みの事件とか起きないしね」
「ああ、なーるほどね」
「光太郎さん、お目覚めになりましたよ、彼」
「悪い悪い、人が来たから安心しちゃったみたいでさ。あそこなんであの時間人通りないかな‥‥。君が通りかからなかったら日射病で二次災害だったぜ‥‥。あ、感謝してるよ、ほんと。ありがとな」
「‥‥」
妙に気さくなんだが‥‥やっぱり着物も帯も女物のような気がする。繭良とロキも気付いたのか三人供妙な視線で彼に注目する事になってしまった。
「あ、自己紹介まだだ‥‥。俺、時雨 石蕗しぐれ つわぶき。よろしく♪」
「(いや、そういうことじゃないんだけど‥‥)ボクは此処の主人あるじでロキ。ちなみに風邪ひきだからお兄さんあんまり近付かない方がいいかも」
「風邪!?。風邪はいかんな‥‥。うっかりと肺炎なんかになったりしたら命が危ない‥‥。俺体弱いから油断するとふっといっちゃうんだよな‥‥」
「(今は全然そんな風には見えないけどね‥‥?)私、大堂寺繭良です。よろしく♪石蕗さん。お名前変わってますね?石蕗って確かお花の名前‥‥、女の人みたい。着物も」
「!!」
何故そこをずばっと突っ込む!?とロキ、光太郎が横で驚きのポーズを取り青ざめるがそう言われてみればそうですねぇ?と闇野が後押し。心配された彼、石蕗の反応はと言えば先ほどと変わらず気さくな笑顔で「やっぱり分かったか〜」と照れた真似。
「姉貴のなんだよな、これ」
「まさか女装趣味とか?。そんなわけないですよね〜?」
「(だからやめろ!?突っ込むな繭良!)」
「違う違う。俺滅多に外出ないから自分の着物ふくないんだよね。親父の借りると片幅がなくて様になんないし。んで、唯一サイズが合ってあんまり不自然でないのがこれ。似合ってる?♪大堂寺さん」
「はい〜♪とってもお似合いです♪」
なんだか嫌な会話になってるな‥‥と思いながら光太郎は先ほど担いだ石蕗の腕を思い出した。年齢不詳だがそれにしたって光太郎と同じか上くらい。なのにその腕は多分女性の繭良よりも華奢で肩幅も繭良と大して変わらないのではないだろうか。病弱で家から出られないと言う話を体で裏付けしているような‥‥。
「えーとこちらが闇野さん。あ、そうだ君は?少年」
「垣ノ内光太郎」
「おう!光太郎君。ほんとにありがとな♪拾ってくれて」
「光太郎でいいよ‥‥石蕗サン」
「じゃあ俺も石蕗でいいよ。君と大堂寺さんは高校生か‥‥。いいねぇ若くて♪」
「そう言う石蕗さんはおいくつなんですか?」
「俺?、俺はね、えーと今十九だから、今年で二十歳かな?」
‥‥見えない。ってーかその年と外見で高校生を若いというな‥‥。
と光太郎は思ったがその年になってみないとなかなか分からない物だ‥‥。十分若いじゃないですか、と言う繭良に石蕗が礼を言っていると誰かのくしゃみ。誰かって彼しかしないわけだが‥‥。
「大丈夫ですか!?ロキ様」
「ああ、うん大丈夫」
「毛布一枚でそんなとこいるからよ!。あ、やだ‥‥闇野さん!熱ありますよ!」
「大丈夫だよ。此処は探偵社だよ?。探偵のボクがいなくてどうするんだよ」
「どうせ人なんかこねぇだろ?。まぁ来たら俺が代わりにやっとくから寝てろって♪」
「探偵?」
珍しく真顔な、しかし好奇心を含めた表情で石蕗が聞く。その顔に少々驚きながらああ、うんと答えてロキは少し咳き込んだ。
「此処は燕雀探偵社、んでボクが此処の探偵。御用の時はいつでもどうぞ」
「そして第一助手のまゆらちゃんです♪」
「あれ?私が第一じゃないんですか?」
「ちょっと待て!俺が三って事か!?」
「いいね♪探偵」
と石蕗はすぐに破顔する。病魔が逃げ出すような笑みで。しかしあの一瞬の真顔の隅に、確実に彼を蝕む死の影を、ロキは目にしてしまったような気がしていた。
「俺が憧れる者第二位だよ♪」
「え?じゃあ第一位は?♪」
「大怪盗。これぞ男のロマン♪」
「(何処が‥‥?)それじゃあボクの敵だよ‥‥石蕗サン」
「あはは♪そうだな。じゃあ敵は退散するよ。長居して悪かったね、名探偵君。ちゃんと御礼に来るからお兄さんが近寄れるように風邪ちゃんと直しておくように!。甘くみると死ぬからな?風邪は。じゃあまた」
「(何でこの人が言うと説得力ないかな‥‥)努力しときますよ、お兄さん」
笑いながら――何故かふわふわしと感じさせる足取りで――石蕗が出て行くと闇野はロキを抱え上げベッドへ強制送還を謀る。ロキの方もすっかりと抵抗する気力を失っていた。繭良は残った毛布をたたんでいる。持ちやすくしてから運ぶつもりなのだろう。
「なんか石蕗さんて変わってるねぇ。あんなに存在感あったのにいなくなったらそれもふっと消えちゃうの」
「ああ、なんか変な人だったよなぁ‥‥」
「‥‥。ねぇ!?石蕗さん帰り道分かるのかしら!?」
「あっ!何か気になると思ったらそれだ!。やべ‥‥完全に寝てたから多分分かんねぇぞ!?。俺送ってくる!」
「あ、光太郎君!ついでに名前の由来聞いといてね♪」
「‥‥言う事はそれだけか!」
言い返しながらも光太郎は鞄を掴み、玄関を飛び出した。左右を見回すと右の道にぼーっと立っている――ようにしか見えなかった――石蕗の姿を見つける。
「石蕗サン!」
「あっ光太郎」
気付いて振り返った石蕗の笑みが妙に優しく見えて一瞬光太郎はドキッと足を止めた。けれど気がつくと少し気の抜けたようなさっきの破顔だった。
「石蕗でいいって言ったじゃん。でも良かった。この辺全然来た事なくてさ、探偵社の方に戻ろうと思ってたんだよ」
「やっぱり‥‥。家何処?」
「三丁目の方」
「あ、じゃあ俺と同じ方角だ。こっちだよ」
と光太郎はあれ?と笑っている石蕗を連れて逆方向に歩き出した。まったくどっちが年上か分からない程の危なっかしさだ‥‥。大体この危なっかしさで、しかも一人で一体何処へ行っていたのだろう。
「あ、そうだ。大堂寺がさ、名前の由来聞いといてくれってさ。よっぽど気になってるんだな、あいつ」
「名前?。ああ、おかしな話だよ。親父がね、姉貴に良く似てたから名前も似せようって良く確かめもせず石蕗で届け出出しちまって、後で男だって知ったらしいんだ。まぁ石蕗ならともかく姉貴と逆だったらまずかったな‥‥」
「何でそんな間違いするのか分かんねぇけど‥‥。お姉さんの名前は?」
椿つばき。で俺が石蕗」
「‥‥確かにやばいわ‥‥」
「だろ〜?。その名前でがっこ行ってたら間違いなく苛められてたよなぁ」
と石蕗は冗談っぽく笑うがその女顔ならそうでなくても十分苛められたかもしれない。似ていると言っていた姉の顔がその横顔から十分想像できる。
「学校言ってねぇの?石蕗は」
「うん。家からほとんど出ないって言ったろ?」
「まぁ、行かなくて正解だな。先公も親もうるせぇし‥‥。もっとも、俺は今親元にはいねぇんだけどな。でも本とか読めねぇとヒマじゃねぇ?」
「読めるよ。読み書きは椿が学校で習ったのそっくりそのまま教えてくれた。他のも大体高校レベルまではできるかな。椿頭いいし教えるのもうまかったからな」
「それを理解できるって事は石蕗もじゃん‥‥。なんで高校レベルなんだ?。大学は家から出て行ってるとか?。あ、それかもう卒業して嫁に‥‥」
「‥‥。椿は死んだんだ。高校卒業を目前にして、うちに高見舞台ってのがあるんだけどね、そこから落ちて死んだ。親父の後を追ったとか、事故だとか警察は勝手に言ってたとけど俺はそうは思わない」
微笑をうっすらと残したまますっと細めた目は、笑っているようには見えなかった。静かな怒り。それはすなわち‥‥。
「ごめ‥‥石蕗‥‥」
「え?。ああ‥‥気にするなって。こっちこそごめんな、変な話して」
「なぁ、それこそロキに相談したらどうだ?。あいつガキだけど結構探偵としてはすごいんだぜ」
「『俺も一目置いてる』ってわけだ。いいね、羨ましいなぁそういうの」
「?‥‥」
「ああ、うち此処。送ってくれてありがとな。寄ってく?」
時雨と表札のついた大きな門に光太郎は一瞬唖然とした。そういえばこの辺りに時雨とかいう旧家があるのは何処かで聞いていた。そんな珍しい姓は近所に五万といるわけではなかろう。そのまま呆然としていると腕を掴まれてさっさと中に連れ去られる。
「ただいま。琴さん、友達連れて来たからお茶出して〜。光太郎、冷たい抹茶飲む?」
「あ、うん、もらう」
「琴さん抹茶二つ。俺の部屋に運んで」
「はいはい、分かりました、坊ちゃま」
置くから老女の返事が聞こえると石蕗はさっさと下駄を脱ぎ捨て、素足のまますたすた廊下を歩いて行く。慌てて光太郎も上がって走って行くと狭い階段を上がっていく石蕗の後姿に追い付く。一階建ての平屋に見えたが二階なんてあるのだろうか?。
「ストップ、光太郎。そこで待ってて。俺部屋着に着替えるから」
「‥‥何で?。男同士なのに‥‥」
「男の着替え見たいのか?お前」
「んな事言って、実は女なんじゃねぇの?」
「あら?分かった?」
「!!なっ‥‥」
突然見知らぬ女性の声が聞こえて光太郎は思わず上を見上げた。けれどそこから覗いているのは石蕗の笑顔だけ。
「なーんてな。今の椿の声真似。びっくりした?」
「‥‥した‥‥」
「待ってて、すぐ着替えるから」
しかし‥‥驚いた‥‥。声真似であんなに女みたいな声出せるもんなのか?。まぁ試してみる気もないけど‥‥。
衣擦れの音。着替えを取るためか少し歩く音。ぼーっと待っているとやがて上がって来ていいよ、と声が掛かる。階段を上りきるといきなり頭は部屋の真中にあった。屋根裏を改造した部屋なのだ。壁には何枚もの、何種類もの白い羽を描いた絵が飾られている。そして上には南の空を向いた窓。夜はさぞかし綺麗な星空が見れるのだろう。
「すげぇ!」
「ありがと。俺がヒマしないように親父が改造してくれた部屋なんだ」
「へぇ、いい親父さんなんだ」
「‥‥まぁ、父親としてはね。自分が心臓弱いせいで俺も椿も心臓病抱えてたからって負い目もあったみたいだ。でも多分、夫としてはあんまり良くなかっただろうな‥‥」
どうして?と聞こうとして光太郎は言葉を引っ込めた。少し呆れ顔ながら、石蕗の笑みは妙に寂しげだったから、つらい事なのかもしれない‥‥。
「俺と椿はね、五日しか誕生日が違わないんだ、同じ年で」
「同じ年‥‥?。時間がずれて生まれた双子とか?」
「ぶー、はずれ。俺ね、親父の妾の子なの。つまり本妻が身篭るのとほぼ同時に他所の女も身篭らせてたってわけ‥‥」
「なっ‥‥。それで五日違い‥‥?」
「そういうこと。最も、椿の母親は早くに死んじまってさ、俺と椿は誰にも気兼ねする事無く姉弟として育ったよ。まぁでも、椿はかろうじて学校に通えてたけど俺はドクターストップって違いはあったけどな」
「じゃあ椿さんが学校に行ってる間ずっと一人で?」
うん、と頷く表情には翳りはない。慣れきった、けれどだからと言ってその馴れにすさんだ様子は見せない。本気で、大丈夫、その痛みすら知らないのだろう。
「でも学校が終われば椿が帰ってくるし、椿の友達も遊びに来てくれたし寂しくなかったよ。それに、この絵を見てれば待ってるのなんて全然苦じゃなかった」
「絵‥‥?」
言われて改めて光太郎は壁を見やった。ほぼ壁一面、キャンパスの青と白に埋め尽くされている。空と羽、いや、海と羽だろうか?。ほら、と石蕗が持ち上げる絵は、中央の深い蒼の中に黒い人型のようなものが見える。
「ギリシャ神話のイカロスだよ。知ってる?」
「ああ、羽を腕につけて飛んだあれだろ?。でも落ちたんだよな、太陽に近付きすぎて。あの歌ずっと馬鹿だなと思って聞いてたんだ。俺ならもっとうまく飛んで、もっと長く飛んでいたのに」
「俺もそう思う。でも椿はムキになって言い返してきたな‥‥。『太陽に焦がれるイカロスの気持ち、私は分かる。イカロスは馬鹿なんかじゃない!』って。でもその話事態おかしいんだ。イカロスは空を飛べたわけがないのに‥‥」
「何でだよ。羽つけりゃ同じように飛べるだろ?」
「駄目なんだよ、光太郎。イカロスみたいに腕に羽を付けても天使みたいに背中に羽を付けても人間が人間であって、何か別の付加要素がない限り絶対人間は空を飛べないんだ。鳥が飛べるのはね、胸筋が異常発達しているからってのが一つ。翼で飛ぶのにはものすごく力がいるからね。人間の四十倍程の筋肉がそこだけであるって話だよ」
四十倍‥‥という姿をざっと光太郎は頭の中で想像してみた。重量上げのマッチョなお兄さん方でもまだ足りないだろう。気分が悪いので想像は中断する事にする。
「それと二つ目。鳥は人間に比べて体重に占める骨の重みがすごく軽いんだ。例え鳥並の筋力があっても骨がある限り人間は飛べない。別の力が翼を動かさない限りは。でも体格的にも飛ぶには不都合が多すぎるからね。人間は絶対翼では飛べないよ」
「なんだ、つまんね。ちょっとあこがれてたのにな、翼を広げて空を飛ぶのって。鳥にでも生まれ変わんない限り無理って事か‥‥」
そういうこと、と笑って石蕗は壁にもたれた。けれど、イカロスが飛べないと断言していたわりにその表情には影がある。まるで、「ほんとはそんなの信じてない」とでも言いたげに‥‥。
「‥‥?。うわっ!何だ携帯か‥‥。大堂寺?‥‥。ちょっと悪い、石蕗」
「じゃあ電話してる間にさっとシャワー浴びてくるな。汗かいてやっぱ気持ち悪い」
「ん。あ、大堂寺か?。なんだよ、いきなり」
話し出す光太郎に笑みを向けながら石蕗は着替えを手に下へ降りて行く。電波が悪いらしいので光太郎は窓の下に立った。そしてようやく繭良の声が聞こえてくる。
『もしもーし、光太郎君?』
「聞こえてるよ。だから何だって‥‥」
『えへへ〜♪私今何処にいると思う?』
「あ?なんだよいきなり‥‥。ロキの家だろ?」
『ぶぶ〜っなんと石蕗さんのおうちの前なのでーす♪。ごめんくださいーい!』
「あっ?‥‥。おいちょっと待て!?なんだそれー!」
「あ、誰か出て来た‥‥」という声が聞こえて来て「またね♪光太郎君♪」と言って繭良は一方的に電話を切った。またねじゃねー!!という光太郎の絶叫は繭良には聞こえなかっただろう。
「‥‥なんだか分からんがとりあえず阻止だ!!」
と光太郎は慣れぬ足取りで階段を駆け下りて行く。手入れの行き届き過ぎた廊下で引っくり返ったりなど色々あったが多分二、三分程で入って来た玄関を見つけられたと思う。そしてにこにこと琴さんの後から入って来る繭良の姿も‥‥。
「‥‥大堂寺!?」
「あ、光太郎君わざわざお出迎え?。ありがとう♪」
「いや‥‥それは激しく違う‥‥」
「ぼっちゃまがピルケースをお忘れになったそうで、わざわざ届けていただいたんです。ささ、どうぞお二階の方に。あ、ぼっちゃまは?」
「石蕗ならシャワーを浴びに‥‥」
「あら、まぁ‥‥バスタオルの準備がまだ出来てませんでしたのに‥‥」
と琴さんが和室に入りタンスからバスタオルを引っ張り出すと何処かでインターフォンの音。すぐそこの玄関ではないようなので裏口か何処かだろうか。
「あらあら‥‥」
「‥‥、持ってきますよ、バスタオル」
「左様ですか?。ではすみませんがお願いします」
とバスタオルを渡されたのは繭良。言い出したのは光太郎なのに‥‥。しばらく二人で固まっていると左奥で石蕗の声。
「琴さーん、悪いけどバスタオルー」
「‥‥どうする?」
「俺が行くか?」
「‥‥まぁドアの前に置いとくかするから」
繭良が駆けて行くと光太郎は一人ぼーっと廊下で待っているハメに陥る。まぁ追いかけて行くのも馬鹿らしいので別に構わないのだが。
しっかし、琴さんそんなにもうろくしてるようには見えなかったけど‥‥。いや、それにしても石蕗の奴、命に関わるような物どうやって置いて来たんだ?。俺が運んだ時はちゃんと首に掛かってたのに。
「き‥‥きゃあー!!」
「!?」
程なくして繭良の奇声、もとい悲鳴。察しはついたので一つため息をついて光太郎は繭良を回収すべく風呂場に向かう。
「だから俺が行くって‥‥」
「大丈夫?大堂寺さん」
「光太郎君‥‥石蕗さんが‥‥女の人になっちゃった〜‥‥」
と半泣きの繭良の声。光太郎は呆然と立ち尽くしたままその音が耳を通過して行くのを感じていた。確かに、バスタオル一枚巻いた石蕗の胸にくっきりと‥‥。
「‥‥光太郎!後ろ向く!」
「うわっ!はい!」
「もう、レディの裸をじろじろ見るんじゃない!。着替えてくるから大堂寺さん見ててね!」
「‥‥」
後ろでパタンと戸が閉まるとようやく光太郎は繭良に視線を落とした。よほどショックが強かったのかまだえぐえぐ泣いている。光太郎をもまだ呆然としていたのでそれを気遣う気力もない。
「今‥‥胸あったよな?‥‥石蕗」
「うん‥‥」
「女、だったのか‥‥?」
「‥‥うん‥‥」
「やれやれ、こんなに早くばれちゃうとはね‥‥。やっぱりシャワーは後にすれば良かった‥‥」
そういう問題なのかと思いつつ‥‥やはり声は女声だ、と冷静に思ってしまう。なんとなく後ろを向いたまま馬鹿みたいに突っ立っているともういいよ?と顔を覗き込まれる。
「!!」
「騙しててごめんね〜。私本当は石蕗じゃなくて姉の椿の方なの」
「‥‥椿、さん‥‥?」
「石蕗さんじゃなくて椿さん?。つまり男の人の振りしてた女の人?。どうしてそんなややこしい事‥‥」
「あー、それはね‥‥」
「!!なっ‥‥」
肩にかけられていた石蕗、もとい椿の手が離れる。首に掛かる圧迫感とともに自分の体が後ろに仰け反ったからだと知るのはもっと先の話。思わず掴んだ相手の手首が細く、女である事は分かったが予想以上の力に自分の腕の力が抜けて行く。
「光太郎君!」
「光太郎!。葉月さん駄目、光太郎は俺の友達なの」
「石蕗‥‥。私の石蕗を奪う奴は私が許さない!」
「葉月さん!。ほら、俺此処にいるでしょ?」
「石蕗?。ああ、でも私は貴方が死んだ所も見たし、貴方のお葬式にも‥‥」
「あれは椿、姉さんだよ。さ、部屋にもどろ、葉月さん。光太郎は、俺の友達。もう二度としないでね?。分かった?葉月さん」
頷く中年の女性の肩を叩き、椿はその肩を回して方向転換させる。そして咳き込む光太郎の背中を撫でていた繭良を呼んでそっと耳打ちした。
「ごめん、光太郎見てて。すぐ琴さんに来てもらうから」
「あ、はい」
「ごめんね‥‥こんな事に」
「いえっ。光太郎君も怒ってないですよ、多分‥‥」
「うん、ありがと」
礼を言いつつも椿は何処か寂しげだった。この後訪れる別れに憂いているような‥‥。
 「これで良し、っと‥‥」
首に包帯を巻くなんて少し大げさな気はしていたが手の跡はくっきりだし爪の食い込んだところが出血していたのですっかり動転した琴さんはその場に倒れてしまった。結局光太郎の手当ては椿が戻って来るまで先延ばしにされてしまった。
「きつくない?。首だからきついと息苦しいでしょう?」
「ん‥‥平気。ありがと椿サン」
「椿でいいよ。あ、それとも怒ってるの?」
ぐっと顔を近付けられて光太郎はその倍後ずさった。男だと思っていたから正視できたその美貌、女と分かった今、そしてあの魅惑的セミヌードの後にそんなUPは精神的に酷だ‥‥。
「あっ‥‥やっぱり怒ってる‥‥」
「そんな!ひどいじゃない!光太郎君!」
「ばっ馬鹿!誤解だ!。怒ってなんかねぇよ‥‥。ただちょっとびっくりしただけ‥‥」
「☆♪。はは〜ん♪さては光太郎君、照れてるでしょ?」
「なっなんだよ大堂寺!」
「きゃ〜ん♪ミステリー!。やっぱり光太郎君も男の子だったのね♪。大丈夫、まゆらちゃんはばっちり光太郎君の事応援するから!」
誤解すんな!照れなくてもいいじゃない♪と馬鹿なじゃれあいをしているが、傍観する椿の遠目から見ても明らかに光太郎の頬は紅潮していた。ただ椿はそれを自分に対する照れとは認識しなかったようだが。
「仲良いね、二人とも。付き合ってるの?」
『‥‥』
「(どうしたらそういう認識になるんだ‥‥)断じて違う!こんなミステリー女!」
「(椿さんてば天然?)今光太郎君フリーですよ?椿さん。多分ね」
「何でお前が断言すんだよ!勝手に決めんな!」
「だって相手がいるなら学校帰りにロキ君のとこに寄るわけないじゃない」
よけーなお世話だ、とまた口論。手前のテーブルに乗せた顔を斜めに傾け、優しい笑みで椿はそれを見守る。懐かしい物でも見るような、眩しさに眩んだような仕草で目を細めて‥‥。
「じゃあ、狙っちゃおうかな、光太郎の事」
「!!。‥‥俺が年下だからって冗談はなしだぜ、椿、サン‥‥」
「椿!。冗談じゃないよ。だって光太郎ぶっきらぼうな振りしてるけど、中はすごく優しいし、顔立ちだって綺麗。髪さらさらだしまつげも割と長いし、肌も、唇も‥‥」
「っ‥‥」
頬に触れていた細い指先が唇に止まり、光太郎は自分でも恥ずかしいくらいに赤面したまま硬直した。心臓だけが嘘のようにどんどん加速して行く。自分がもし心臓病だったら多分、発作で死んでいるだろうと思うくらいに。それを破ったのはおずおずとかけられた繭良の声。
「あの〜まゆらちゃんお邪魔のようなので退散します〜。光太郎君、食べられてもいいけど食べちゃ駄目よ?」
「だから誤解だ!大堂寺!!。こんなんでごまかそうったって無駄だからな!石蕗!‥‥。じゃないつば‥‥き‥‥。どういう事だかちゃんと説明しろよ!」
「ちぇ〜駄目か〜。じゃあ改めて自己紹介ね。私、時雨 椿。それから此処にいるのが時雨 石蕗」
「!」
すっと椿は胸元にかけた手を、左右に開く。見ちゃ駄目!と止めようとした繭良の手が半端な所で止まる。ふっくらとした胸の輪郭に挟まれて、縦に一本の傷跡。いや‥‥手術の縫合の痕‥‥?。
「石蕗は此処にいるの。椿わたしと一緒に。だから今までのは半分嘘で半分ほんと。この中にあるのは石蕗の心臓、私は石蕗と半分こなの」
「‥‥じゃあ、俺にした話は椿と石蕗、二人逆だったのか?」
「ううん、半分までほんと。違うのは、あの日卒業式に出るために家に帰ったのが石蕗で、死ぬのが私だったって事」
「!、どうして?」
「?、?‥‥」
「光太郎には話さなきゃだね‥‥。葉月さんがあんな事しちゃったし‥‥。座って、お茶入れてくる」
と椿が席を立つと繭良が何の事?と尋ねてくる。まぁ自分に説明させるつもりなのだろうとくんで光太郎は先程椿が話してくれた事を繭良にかいつまんで説明してやる。そうしていると椿が茶碗を三つ盆に載せて戻って来た。
「はい、熱いのでごめんね。琴さんが起きてくれたら冷たいのできるのに」
「わー♪私抹茶好きですよ♪。お作法の方はちょっと‥‥だけど」
「どうぞ、私も作法にはこだわらない方だから」
というが光太郎は気になったので姿勢を正して茶碗を手に取る。それに椿が感嘆をもらしたようだがそれは無視して話を促した。
「まず葉月さんの事説明しとくね。彼女ああ見えて石蕗の母親なの。石蕗を産んだのが十六だったから、今年三十六かな?‥‥」
『え!?』
「あはは♪君らとあんまり年変わんないね。まぁ、そんなだから石蕗が生まれても弟が出来たような感覚だったみたい。私もいたし、私達の母親代わりは琴さんで、葉月さんは姉代わりだった。あんまり家にいる事もなかったし、私も石蕗も未だに『お母さん』って呼んだ事ないの」
「なんか‥‥それはそれで私寂しい気がするんですけど‥‥」
「うーん、もうこれが常識だから良く分かんない。葉月さんね、今正常じゃないの。それは二人も分かったでしょ?」
顔を見合わせて二人は頷いた。はっきりと認めていいのか分からないが彼女の精神状態が異常な事は二人にも分かっていた。
「私の高校の卒業式の前、私達二人は揃って体調崩して入院してて、まぁ式くらいだったら大丈夫だからって私は家に帰る事になったの。でも、石蕗は何も言わず笑いながら本当は自分も行きたいって顔してた‥‥。だからね、私思ったの。石蕗は私と一緒に勉強してた。高校の卒業証書だってちゃんともらえるくらいに。だから、私達は入れ替わった‥‥」
「え!?。そんな入れ替われる程似てたんですか??」
「まぁ、琴さんにはばれちゃうかなとは思ったんだけど、部屋に戻ってずっと寝てればいいって言って。学校の方は私の友人に協力頼んだしね。石蕗はずっとパジャマか入院着か私の着物かだったから女の子の服とか男の子の服とかいう概念がなかったのよね。わたし女物の制服なのにひとの卒業式なのに嬉しそうだった‥‥。そんな石蕗だもの‥‥。自分から夜中に高見舞台に行って落ちるなんて‥‥絶対ありえない‥‥」
「でも、石蕗は高見台が落ちて、死んだんだろ?。事故にしろ殺人にしろ」
「‥‥。正確には脳死状態で運ばれて来た、私のいた病院に。私達ね、臓器の殆どがお互いに適合してたの、双子みたいに。そして、私達は二人とも、これを持ってた」
「!それは‥‥」
黄色い、最近ではもう見慣れたカード。臓器提供の意思を示したドナーカードだ。
「それじゃ、その手術の痕‥‥」
「私を石蕗と勘違いした医師達はろくに確かめもせず心臓移植を勧めた。石蕗より私の方がいくらか心臓が丈夫だったから。私は何も知らされず麻酔をかけられて、私の心臓は石蕗の心臓に変えられてしまった」
「!患者の取り違え‥‥医療ミスか‥‥」
「後でそれを知った葉月さんは心を病んでしまった。だって移植にOKしたのは母親の葉月さんだったんだもの‥‥。だから私は石蕗になる事にしたの。葉月さんのために‥‥」
養母のために、養母が最後の一槌を与えてしまった弟のために、弟になりきった。自分と母の罪悪感を和らげるためのように‥‥。
「葉月さん未だに怯えてるの、つわぶきがいなくなる事。だからあんな行動とっちゃって‥‥最近は来る人もなかったから治まったのかと思ってちょっと油断してた。ごめんね、光太郎」
「いいよ‥‥気にしてない。たいした事じゃなかったし、気にすんなよ椿」
「‥‥うん、ありがと」
「私達の前では『石蕗』さんじゃなくて『椿』さんでいいんですからね!椿さん」
「‥‥うん、ありがと、大堂寺さん」
「まゆらでいいですよ♪」
一瞬表情を止め、「じゃあまゆらちゃん」と言い換え、椿は笑った。本当に嬉しそうな表情に、光太郎は何故か内心で安心していた。はっとそれに気付いたがでも、原因を探ろうとは思わない。椿が言ったように悪ぶっていても自分の本質は結局‥‥極度のお人好しだ‥‥。
「ねぇ、二人とも今日は夕飯付き合ってくれる?」
「え?」
「えー♪いいんですか♪。わぁ♪椿さんとお夕飯♪。でも迷惑じゃないですか?」
「こっちは全然。こんな大人数久しぶりだからほんとお願いしたいくらい」
「わぁ♪じゃあ遠慮なく頂いてきます♪。じゃあパパに連絡しとこ♪」
「光太郎は?」
瞳の奥に不安を押し殺した視線‥‥。卑怯だと思うのは自分のエゴか‥‥。けれど、自分にそんな苦しげな視線を向けるのは卑怯だ、断れるわけがないではないか。
「いいよ。俺外食多いから誰も気にしねぇし」
「良かった♪」
心底安心した笑み、純真に人を慕ってその機嫌を窺う仔猫のような愛らしい仕草。二十歳って言ってたよな‥‥と光太郎は相手の年齢を頭の中で確認する。
椿はきっと寂しいんだ、自分の支えだったつわぶき失って。健康とはいえなかったにしても体がさらに悪くなって一年以上もあの部屋に弟と同じように閉じこもって。椿が俺を求めるのは同じような寂しさを感じて、でも多分俺の方が傷が浅いのを察して、支えを求めてる。それだけだ‥‥。俺には、自分が支えどころか杖になれるかも分からないのに‥‥。


 翌日、ロキの探偵社に行くとやはりまっさきに首の包帯の事を尋ねられた。まぁそうだろうとは思っていたがとにかく繭良の意見も交え、昨日のことをロキと闇野に話す。
「ふーん、やっぱりお姉さんだったのきゃ」
「あれ?感動少なーい。しかもやっぱりって?」
「元々高い声を押し殺して低くしたような話方だったもん。それに喉仏、あのくらいの年ならないわけないだろ。観察力が足りないな、相変わらず」
「ああ、そうか‥‥気付かなかったな」
「闇野君も分かってただろ?ね?」
「え?‥‥あ、いや、はい‥‥女の方だという事は分かってましたよ‥‥」
闇野にしては珍しい動揺ぶりだ。それに心なしか頬が赤い。繭良の「闇野さんどうしたの?」という問いに毛布で丸まったロキが枯れた声で「昨日からおかしいんだ」と返事している。ん〜と闇野を観察していた光太郎は不意に思いついて笑みを浮かべた。
「おい、昨日さ、ピルケースの忘れ物に気付いたのお前だろ?」
「え?‥‥は、はい、どうしてですか?」
「あんな物椿が自分ではずすとは思えなかったんだよな、自分の命に関わる物だぜ?。だとしたら椿を部屋に運んだお前がペンダントと勘違いして寝るのに邪魔だろうとはずした。ついでに‥‥」
ごにょごにょごにょっとこの先は耳打ちになる。繭良は首をかしげているがロキは闇野の赤面具合から内容を悟ったようだ。
「そ、そこまでは‥‥。でも確かにそうです‥‥はい」
「当たり♪。俺の推理もなかなかだろう?」
「それで、夕飯食べて帰って来たの?」
「うん、だけど夕飯の時がすごかった‥‥。珍しい事らしいんだけど同居してる叔父さん、あ、お父さんの弟さんなんですって。が一緒でぐだぐだ文句言われちゃった〜。やれ遺産狙いだ、謝礼狙いだどーのこーのって。関係ないわよ、まったく」
「でもそれよりひどかったのは椿が毒舌でその三倍言い返してた事だよな‥‥。あの親父最後はぐーの根も出ねぇでやんの」
「そうよね‥‥椿さんあれで日頃のストレス発散してる感じだった‥‥」
二人で思い出してため息をついていると携帯の発信音。持っているのはその二人だけなのでどっちだ?どっちだ?と探していると光太郎の物だったらしい。画面には見知らぬ番号。公衆電話か‥‥?。
「もしもし?」
『‥‥っ、光太郎?』
「椿!?泣いてんのか!?どうした!」
『光太郎‥‥葉月さんが‥‥』
「葉月さんがどうした!?。ああ、もう!今何処だ!そっち行く!」
『警察署‥‥。今から琴さんとタクシーで家に帰るから‥‥』
「警察‥‥?。分かった!すぐ家の方に行く!」
うん、と椿の同意の声がしたのを最後にすぐさま光太郎は電話を切った。あのまま電話口で泣かれるのも嫌だ。それにすぐさま飛び出したかった‥‥。まぁ会話のはしを拾って心配げに見ている三人がいるので実行は出来なかったが。
「椿さん、泣いてたの?光太郎君」
「警察って言ってたね‥‥。ボクも出ようか?」
「駄目ですよ!ロキ様。まだ無理です‥‥」
「事件かどうかは分かんねぇ。事故かもしれないし。とりあえず詳しい事が分かったら連絡する」
「光太郎君!私も行く!」
「お前が残ってねーと電話が‥‥」
女同士の方がいいかもよ?と言うロキの後押しに光太郎は言葉を詰まらせる。繭良の場合大部分好奇心だけのような気がするし、ロキの後押しにしてもこれを機会に繭良の溜まりに溜まったミステリー心を発散させんとする意図が感じられるが、まぁ、たいした距離じゃない。走って戻って来る事もできる。分かった、と言うわりに後ろへの気遣いは無しに光太郎は屋敷を飛び出した。
 時雨家の門の前には警官が二人。彫像のように直立不動だったが声をかけると視線が二人へと向かった。
「君達は?」
「時雨椿さんの‥‥もごっ」
「石蕗サンの友人なんだけど、来て欲しいって言われたから来たんだけど何があったわけ?」
「ああ、ちょっとね‥‥。お手伝いさんを」
片方が中に入って行くが片方はその場に残る。事故じゃないな、と目配せすると繭良も重々しく頷く。二、三分待たされていると琴さんの下駄の音が聞こえてくる。
「ああ、垣ノ内さん大堂寺さん、良く来て下さいました‥‥。さ、中へ」
「何があったんですか?」
「‥‥奥様がお亡くなりに‥‥。坊ちゃまも発作を起こされて‥‥」
「え!?。大丈夫なんですか?病院は?」
「今お部屋でお休みに。お茶、お部屋に運びますから」
と琴さんは顔を伏せて足早に立ち去る。はっきり確認したわけではないが泣いていたようだ。何となく繭良と視線を合わせた光太郎はそうしていても仕方ないと椿の部屋に向かった。昨日と違って階段の上は閉じられていた。まぁ開けていて寝ている時に落ちてはたまらないか。
「椿、入ってもいいか?」
「光太郎‥‥?。ごめん、今開ける」
すっと扉が開いて上着を羽織った椿が部屋の中に迎え入れてくれた。発作と泣いたせいなのか昨日よりずっとやつれて見えた。繭良の気遣う声に答える笑みにも力がない。
「葉月さんが亡くなったって、琴さんが言ってましたけど‥‥?」
「うん‥‥。朝起こしに行ったら障子が真っ赤に染まってて葉月さんが‥‥」
「斬殺か?」
「うん、うちの家宝の『時雨』って日本刀がなくなってた。それに、叔父さんが何処にも‥‥」
「!じゃあ叔父さんが!?」
「そう警察は言ってるわ。でも、虚勢を張るだけで人を殺すなんて度胸のない人よ‥‥。信じられない‥‥」
そう言って椿はきゅっと胸元を掴んだ。発作ではないようだが顔色が良くない。横になるよう肩に手をかけると気付いた椿が見上げて微笑む。
「ありがと。でも光太郎達が来てくれたら少し落ち着いた」
「休めよ。俺今日泊まってやっから、ずっと此処にいる」
「あら?光太郎君は下!。椿さんには私が付いてるから大丈夫よ♪」
「!何でお前いちいち絡むんだよ!帰れ!」
「光太郎君と二人っきりなんて別の意味で椿さんが心配だわ‥‥まゆらちゃん」
「!‥‥べ、別に俺はそんなつもりじゃ‥‥」
ただ純粋に心配だった。一人でこの部屋に残すのが。殺人犯が潜んでいるかも分からぬのに。しかし、今ので昨日のを思い出し、一気に赤面してしまった。と、自分に肩を抱かれたままの椿がくすくす笑い出す。
「二人とも泊まって。光太郎は下ね?」
「別にいーけど‥‥」
「じゃ私一階家に帰って着替え取って来るね。ついでにロキ君とこ寄ってから戻って来るから」
「ああ、そうだな」
「ゆっくり休んでくださいね、椿さん」
「ありがと、まゆらちゃん。じゃあそうさせてもらう」
「元気になったら夜遊んじゃいましょ♪」
うん、と頷く椿に笑みを向け、繭良は身を翻して下りて行った。光太郎は椿を寝かせようと腕を下ろすが逆に椿の体は起き上がって仔猫がじゃれるように自然な仕草で光太郎の胸に顔を埋めた。
「!!椿!?」
「こうしててもいい?光太郎。すごく、安心するの」
「まぁ、別にいいけど‥‥」
照れながらそっと組んだ手を椿の背に落とす。肩を掴んでいた手がゆるりとずり落ちた。いつの間にか柔らかい寝息。よほど疲れていたに違いないが。頬を掠る髪がくすぐったくて光太郎は思わず紅潮した頬を逸らした。
 繭良に付き合わされて遊んでいたせいかすっかり眠気が引いてしまった。階下の和室をあてがわれて布団に入ったが一向に眠気を感じない。と、上から人が降りて来る足音に光太郎は上半身を起こして慣れぬ寝巻きに手間取りながら障子を開けた。それに気付いて白い人影も足を止める。
「光太郎?」
「椿‥‥?。どうしたんだよ、もう三時になるぜ?」
「光太郎こそ、明日学校じゃないの?。私は寝付けなくて‥‥高見舞台に行こうかと思ってたの。まゆらちゃんぐっすり眠ってるし」
「あいつ‥‥。危ねぇから中にいろよ」
「ん、じゃあ中にいる」
にこっと笑うと出し抜けに椿は光太郎に飛びついた。突然の事に光太郎は引っくり返ってしたたかに腰を打った。犯人である椿は無責任にくすくす笑っているが。
「‥‥つばき〜‥‥」
「‥‥たくない」
「何?」
「死にたくないよ、私‥‥。まだ生きたいの‥‥」
「‥‥大丈夫だよ、椿は」
「でも!石蕗も葉月さんも死んじゃった‥‥。次は私よ‥‥。もし誰の手にかかる事もなくても私の、石蕗の心臓は!」
胸に沈めた顔が鳴き声を上げている。けれどむっとした顔で光太郎は椿の体を押し返し、椿の体を床に倒して唇をふさいだ。
「!」
「やめろよ‥‥。俺がいる!。お前は死なせない!。死ぬなんて陰気な事言ってるとほんとに死ぬぞ!。それ以上言ったら張り倒すからな!」
「‥‥。もう押し倒されてるんだけど‥‥」
「え‥‥。あ!別に俺はその‥‥そんなつもりは‥‥」
「光太郎はやっぱりお日様だね」
光太郎が慌てて飛びのくと椿はにこっと笑って言う。そして身を起こすと光太郎の頭に腕をまわし、そっと口付けした。くしゃくしゃと撫でられる髪が熱くなった頬を掠める。しばらくその髪を堪能するとようやく椿は光太郎を解放した。まぁ、首に腕を絡めて半分ぶら下がっているが‥‥。
「髪さらさらね♪。何かいいシャンプー使ってる?」
「‥‥お前の行動パターンはおかしいって事にようやく気付いたよ、俺は‥‥。なんなんだよさっきから‥‥」
「だって、光太郎が元気くれたんでしょ?」
「?」
「光太郎はお日様なの。きらきら眩しくて、私に元気をくれる‥‥。だから、私は今夜はずっと此処にいる」
「勝手に決めんな‥‥上戻れよお前は!」
やだ、と椿は光太郎の胸に顔を沈める。子供なんだかからかって楽しんでいるのかまるで分からん‥‥と光太郎は心の中で愚痴る。それでも、もしからかわれているのであってもこのまま騙されていたいような気もする‥‥。
 五時だ‥‥と自分の布団の中に潜り込んでいた椿が勝手に携帯を取って言う。そしてごそごそと布団を抜け出し始める。何?と声をかけるとにこっと笑み。まぁ良く寝ぼけずにいられるものだと思いながら光太郎は返事を待った。
「朝日見に行くの♪高見舞台に」
「‥‥朝っぱらから酔狂な奴だな、まったく‥‥」
「寝てていいよ、光太郎」
「行くよ。物騒な親父が出てきたらどうするんだ」
携帯はいいか、と寝巻きだけで布団を抜け出す。大きめのやぐらという感じだが、やぐらのように骨組みだけの姿ではなくちゃんと壁もついている。外側にはしご、そして側面に扉。これは何だろう?。
「椿、あの扉は?」
「ああ、エレベータがついてるの。って言っても手動かつ人力だから普通には動かないわ。着物着たお客さんを上まで運んだりとか、舞台の演出に使うの」
「どうやって?」
「天井部分が上の床になってるの。だから下に下ろしておいて役者を上に乗せて上げるのよ。他にも中からつっかえ棒をはずすとどんでん返しの床版みたいになって役者が消えるとか。普段は上がりっぱなしになってるからはしごからね」
言うが早いか椿は寝巻きのままさっさとはしごを上がって行く。精神衛生上困るので光太郎は椿が上に上がってからはしごを上る。上がり切ると退屈していたのか椿がくるくると回っていた。何だ?‥‥と不信そうに見ると気付いて少し恥ずかしげに笑う。
「日本舞踊やってたの、昔。体調悪くなってドクターストップ」
「ああ、言われてみれば‥‥。っと、これが例のエレベータか。少しずれてんな」
「そう?。昨日の朝は何ともなかったと思うけど」
「案外この中に隠れてたりしてな。日はまだ出てないか」
策に手をかけ、光太郎淡く光る空を見る。家々の屋根、ビル、色々な物に阻まれてもう顔を出しているかもしれない朝日は此処からでは見えない。
「海で初日の出って風にはいかないか。全然見えねーでやんの」
「でも、石蕗は朝を待たずに死んだ。私は此処で朝日が出るのを待ってられる。それってすごく嬉しい」
「そうだな。俺も、こんなに早起きしたの久しぶりだ」
朝の冷えた風が秋を感じさせる。その風に酔っていると隣で笑っていた椿がはっと表情を変えた。
「光太郎危ない!」
「え?、うわぁ!」
「そうかその血が欲しいか『時雨』よ。ならば二人ともお前に吸わせてやろう!」
「叔父さん!?」
「くそ‥‥ほんとにあのエレベータに隠れてやがったんだな‥‥。椿!あのエレベータに逃げて天井ふさげ!。俺ならどうにかして逃げられるから!」
「‥‥分かった」
日本刀相手に丸腰、それが最善の策だろう。子供や下手なドラマのように駄々をこねるわけでもなく椿はエレベータ、舞台中央に向けて動き出す。光太郎は相手を引き付ける為柵に寄るが椿が足を止めた。相手がまったく引かず、中央に行くのは難しいらしい。
「ちっ‥‥椿!こっち来い!」
「!うん‥‥」
「この高さなら落ちても死なない。下は芝生だ。一、二、三で先に飛べ」
「駄目!一人ずつじゃ残った方が危ないわ」
「分かった。一緒に飛び降りるぞ。一、二、三!!」
「逃がすか!」
敵に背を向けると決めた時点で多少斬られる事は考えていた。けれど相手の動きが人間離れして速い。やばいっ‥‥そう感じて柵を乗り越えながら後ろを振り返った。飛び散る血、そして背中に雪崩れ込む椿の体‥‥。
「つば‥‥うわぁ!!」
飛び出す力が下へ落ちる力へと変わる。二階ほどの高さだったので椿の体を抱えて地面に足を付くのが精一杯だ。それでもバランスを崩して足をひねり、地面に倒れる。追い討ちをかけて舞台上の殺人鬼も柵を超えようとしている。
「冗談じゃねぇ!。殺させねぇぞ‥‥」
立ち上がろうともがくが足とぐったりした椿の体が重い。殺人気の足音‥‥。せめて、と椿を庇って腕に抱く。その頭上で耳を突く金属音。
「っ‥‥?」
「妖刀『時雨』、その刀身からこぼれる雫は血を洗い流し、決して刃こぼれして朽ちる事無く新たな血を求める。そして、これがかつても『時雨』を打ち破ったとされる名刀『氷雨』だ!」
「ロキ!?」
「くっ‥‥貴様何処でそれを‥‥。いや恐れる事はない『時雨』!今こそ積年の恨み晴らそうぞ!」
「馬鹿だね、破る事が出来ないから『天敵』と言うんだよ。今度は封印なんて生易しい事は言わない。消えろ」
自分の頭身よりも長い刀を操るロキの方が圧倒的に不利に思われた。けれど刀同士が交わった瞬間時雨の刀身が氷雨に触れた部分から一気に凍ったように見えた。しかし次の瞬間にはただの刀身が中を舞っていた。
なんだ‥‥今の‥‥。
「うわぁ!」
「お見事です〜♪ロキ様♪」
「(いたのかこいつ‥‥)椿!大丈夫か?」
「お姉さんボクだよ、分かる?」
「あら‥‥お姉さんだって知ってたの?。性格たち悪いな‥‥君も」
「意識はあるね‥‥。闇野君、救急箱借りに行って。ボクは救急車を呼んで刑事さん達叩き起こして来る」
はい!と闇野が駆け出しロキも続く。光太郎は置いてくなよ‥‥とちらりと倒れている殺人鬼に目を向け、その視線を椿の背に向けた。飛び降り様だったので致命傷は避けられたようだ。しかし出血がひどい。
「ごめんな、椿。守るなんて、偉そうな事言ったのに‥‥」
「いいの‥‥私は光太郎が守ってくれようとしたの分かってるから。それにね、私のお日様が死んじゃうくらいなら自分が死んだ方がいいって‥‥」
「張り倒すって言っただろ!。絶対死ぬなよ‥‥。絶対だからな!」
「石蕗も叔父さんが突き落としたのね‥‥。同じ場所で‥‥」
「やめろ!。置いてかれた奴の気持ち、お前なら分かるだろ?‥‥。生きろよ‥‥、椿‥‥」
「イカロスが飛べようが飛べまいが、私はどっちでも良かったの‥‥」
え?と聞き返して覗き込む。椿の目は、涙のせいか何処か遠くを見ているように思えた。まだ上がらない太陽に向かって行く、イカロスを追うように。
「ただイカロスは飛べる事を信じて大地を蹴った。そのまま落ちたとしても構わなかった。だって、そうでないとあの歌が成り立たないんだもの。『勇気、一つを供にして』って‥‥。あの歌を知らなかったら、私は光太郎の身代わりに飛び出す事も、石蕗の死んだ高見舞台から飛び降りる事も出来なかった」
「もういい、なんでもいいから‥‥置いてくなよ‥‥。俺はお前の事あい‥‥」
すっと伸ばされた手が指先が唇に止まる。しーっ、そう言って椿は微笑んだ。今までで一番綺麗な笑み‥‥。
「駄目。その言葉、私にはもったいなさ過ぎる。いつか会う私よりも素敵な人のために今は飲み込んで」
「そんな奴‥‥いらない」
「じゃあ次に会う時のために取っておいてね。私が眠って、またもし目が覚めたら、何処かで光太郎に会えたら言ってね、約束」
「それならお前も約束しろ!死ぬな椿!」
「‥‥イカロスの翼は、太陽に近付き過ぎると溶けて、イカロスは死んじゃうんだね‥‥」
「そんな事‥‥。椿?」
こと、ともたれた頭は動かない。眠っているようにも、人形のようにも思えた。嘘だろ‥‥?と呟くとふっとその体が軽くなる。つられたように顔を上げると白い着物の男らしき人間が椿のもう一つの体を抱えていて、愛しそうに髪に口付けした。
「石蕗‥‥。てめぇも姉貴の体の中で生きてたんだろ!?。お前だって死にたくなかったんだろ!。だったら椿を連れてくな!。返して‥‥返してくれよ‥‥」
男はそのまま無言で光太郎に背を向けた。けれど思い直したように振り返って唇を開いた。声は聞こえなかった。けれど、『椿は誰にも渡さない』と言ったように、光太郎には思えた。


 「光太郎君も泣くかと思った‥‥」
焼香を終えてぐすぐすと泣いている繭良にほら、とロキからハンカチが差し出される。それを受け取りながら繭良がそう呟いた。
「好きだったんでしょ?椿さんの事」
「‥‥超度級シスコンの弟がいる女は駄目だ」
「はっ?」
「それにイカロスじゃ駄目なんだ。溶けて落ちちまうらしいからな。俺には向日葵みたいなのがお似合いなのかもな」
「つまり太陽を追いかけて見つめてる子ね。イカロスみたいに大胆なのは駄目ってわけだ」
「何げにケンカ売ってんのか?お前‥‥」
間に合わなくてごめんね、とロキは言った。
「でも、光太郎さんにはお似合いだと思いますよ、向日葵みたいな方」
「見つけなきゃなんねぇけどな」
「おや、意外と身近にいるかもしれませんよ?。向日葵は何処にいても太陽を追いかけてますから」
「‥‥そうかもな」
けれど間に合おうが間に合うまいが、海は愛しいイカロスをその手にいだくために腕を伸ばしただろう。それが太陽と、イカロスと海の運命。今はイカロスは、その優しい腕に静かに沈み行き、眠りに身を委ねている。
 PRESENTED BY AIR☆SKY

あとぐぁき
VOL.Uは光ちゃんの恋と失恋〜♪。これで私は光ちゃんFANからブラックリスト犯の烙印を押されるハメになるでしょう(恐怖!)はぁ〜♪でも光ちゃん久々の出演(でもちょい役)で今回は当てられたわぁ♪(しかもタイムリーだし)そして今回も明日は仕事〜(る〜(泣))まぁあんまり長々と書いてても仕方ないのでこのくらいに。‥‥いつも人様に差し上げる物でも気にせず長々書いてるのにおかしいって?。フフッUにご注目♪Tもそして‥‥ですわ♪。では♪あでゅ〜♪。

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