金魚すくい



ひらひらとたゆたう君の浴衣の裾
尾の長い金魚のようで
思わず手を伸ばす
けれど薄い白膜を擦り抜けて逃げる赤い魚のように
するりと手の中から逃げて行った君の浴衣の裾
金魚すくいに負けた子供のように
悔しさで拗ねた顔を君から逸らす
君はくすりと笑って
逃げた金魚のようにひらひらと去って行った



 思いがけない誘いに思わず顔をほころばせ、期待を込めた視線を向けながらそれでも「え?」と聞き返す。
「小さい縁日なんだけど、どうかな? 知り合いの神社でやる秋祭りなんだ」
「金魚すくいある!?」
「ああ、もちろんあるよ」
「行くー♪」
突然車に乗った男に呼び止められ――例えそれが人畜無害そうな幼顔の男であっても、だ ――良い子のみんなは決して甘い誘いと車に乗ってはいけない。作務衣姿で胴着を片手に持ったまま、ご機嫌に両手を空に向けた少年、否少女の場合はたまたま知り合いであったが故の行動だ。
「じゃあ道場に休むって連絡入れるね♪。あ、浴衣取って来てもいい?」
「浴衣はうちにあるから。寒くなければそれをどうぞ」
「うん? 別に今でも似たような格好だし、全然平気だけど」
あまりの用意の良さになんで? と少女は男が開けてくれたドアからピスタチオ色の小型車に乗り込み、視線だけで男に問う。男は半苦笑しただけで車を出し、電話を先に、と促す。少女は頷いて自分の通う道場の主に電話を入れ、多少のお小言を適当に流して電話を切った。
「四季とデート?」
からかうような少女の言葉に幼顔で行動だけ見ると誘拐犯な男、四季はん? と漏らしてちらりと助手席の少女を見る。そしてその口元が逆に少女をからかうように笑った。
「ん〜、それでもいいけど? 神無は俺と高佳、どっちがいい?」
「え〜? それはちょっとずるい‥‥。穂と四季なら迷うことなく四季だけど、高佳とじゃ選べないよ〜。二人ともじゃ駄目?」
「天邪鬼だな、神無は。穂さんじゃなくて申し訳ないけど、高佳で我慢してね?」
「高佳で決まってるの? 四季の意地悪‥‥。まぁ、でも、四季の『お願い』なら乗ってあげる」
理由を語らない四季に、それでも見透かしたような笑みを向け、神無は『お願い』を快く承諾した。


 『お待たせ〜』と声をかけられ、急に周りの喧騒が耳に戻ってくる。夢から振り落とされたようにぼんやりとしながらああ、とかろうじて呟き、少年――青年、と言っても差し支えないが、一応高校生だ――は石段から腰を上げた。どうかした?と小首を傾げて立ち上がった彼を見上げる少女は白地に、袖や裾の下の方に何匹もの金魚を引き連れた浴衣を着ている。なんでもない、と彼が呟くと『見て見て〜』と少女は嬉しそうにくるんと一回りしてみせる。
「帯も金魚みたいになるように四季が結んでくれたの♪。あ、でも自分で着れないわけじゃないからね? 普通に着たら、四季が帯だけ結び直してくれたの」
「自分で着れるのか? すごいな」
「うん!友達の家でお茶と生け花と着付け習ったから♪。意外と大和撫子っしょ? 高佳のは四季? 浴衣も似合う♪」
意外でもないが、と少女の日常の大半を知らない少年、高佳は思いながら自分に対する賛辞に礼を言う。そして少女を促し、片手を差し出す。何気ない行動に、自分の中で湧き上がる違和感を抑えながら高佳は躊躇いなく握り返してくる少女、神無の手を包む。途端、あれ?と小首を傾げ、足は止めないながらも何か戸惑ったように神無が見上げてくる。
「高佳、今日なんか‥‥変?」
「‥‥そうか?」
「んにゅ‥‥?気のせい? あー、もう穂が封印強くしちゃったから良く分かんない! たまに錯覚とかあるし‥‥」
「‥‥? どうして?」
「夏の事とか色々ばれた‥‥。ついでに色々反抗したから封印甘過ぎたとか言って‥‥。これはこれで不便なんだけど、もう!」
「悪い、神無」
謝ると一瞬きょとん、とした顔で神無は高佳を見つめ、ようやく謝罪の意味を飲み込むと『高佳のせいじゃないよ!』とわたわたと付け加える。
「今日、穂さんじゃなくて悪い」
「‥‥。なにそれ? あたし高佳と一緒で嬉しいよ? それに、四季もおんなじ事言ってた! なんか、やっぱり『兄弟』だね」
笑い出した神無に妙な所で改めて『兄弟』を実感されて高佳は少し複雑な表情をした。二人は体こそ兄弟であるが、中身はそんな繋がりではない。まして外見ですら兄弟と思われる事は少ないのに‥‥。
「四季が高佳に軍資金渡しといたから何でも買わせろって〜♪。何買ってもらおうかな〜♪」
「! 四季から何か聞いたか?」
「ううん? でもなんかのバイト料って事でしょ? じゃなかったら自分で払うし」
「‥‥悪い」
「いいって♪。あと四季から後で写真って頼まれた♪」
「‥‥。本当に悪い‥‥」
そしておそらく今もその辺りに潜伏しているんじゃないかと思いながら‥‥、その辺は神無も笑うだけであえて突っ込んで来ない。『焼き増し頼んだから気にしないでいいよ〜?』と神無はのんきに言って何か見つけたのか、あっと声を上げる。そのまま走り去りそうに体の向きを変えた神無の手を、高佳は反射的に強く握った。
「った!」
「!! ‥‥悪い‥‥」
「ううん、へーき。やっぱり高佳おかしいよ?謝ってばっかり♪。綿あめ買って♪。白いのでいいから」
「‥‥ああ」
ぐいぐいと露店に向かって引っ張っていく神無に気付かれないように高佳は冷や汗を拭った。油断すれば全身を支配されかねない違和感と戦いながら、それでも何食わぬ顔で着色されていない白い綿あめを選んだ神無の代わりに代金を払う。綿あめをぺろぺろと舐めながらご満悦の神無の片手を取り、高佳は再び歩きだす。神社の境内自体の長さがさほど無く、並んだ露店もさほど数は無い。数件先に目的の店を見つけ、高佳はきゅっと気を張り詰めると同時に神無の手も強く握った。
「なに?」
「‥‥何があっても、俺が、守るから」
「? うん♪」
突然の言葉に一瞬のためらいを見せながらも無邪気な笑みで神無が頷く。その笑みに高佳は気をほぐされること無く、逆にさらに張り詰めた。そんなことには気付いているのかいないのか、神無は両脇の露天に気を引かれ、あちらこちらへ余所見をしながらふらふらと高佳に付いてくる。いつの間にか一心に目的の店を目指している事に気付いてはっと高佳は我に返った。その一瞬に緩んだ手からするりと神無の手が抜ける。
「高佳! 金魚すくい!!」
歓声を上げて神無が金魚柄の袖をなびかせ、一瞬高佳を振り返って金魚すくいの露店に向かって駆け出す。

――金魚が、逃げていく‥‥金魚すくいの薄い白膜から――

「‥‥駄目だ!!」
突然の大声に驚いた周囲の見物客達が一斉に、そして連れの声に驚いた神無が振り向きながらも勢いのまま走り続ける。高佳の伸ばされた片手が金魚柄の袖を掴む。が、先ほどまで握っていた手は緊張のためか汗ですべり、袖はするりと逃げていく。
「っ‥‥駄目だ!」
もう一度、今度は自分に向けて叫んで逆の手で袖を掴み、ぐいっと神無の体を引き寄せて小さな体を抱え上げる。その一瞬後、境内を照らしていた提灯の一つが先ほどまで神無がいた場所に落ちて来た。中の電球が石畳で割れる音に、息を呑んでいた見物客達が我に返ったようにざわつき始める。
「‥‥ありがと、高佳」
腕の中の神無の礼の言葉に、高佳もようやく安堵のため息を付いて神無を下ろした。振り返った神無が高佳を見上げ、金魚柄の袖を揺らしながらくすりっと笑う。
「今度は助けてくれたね? ありがと」
『‥‥ああ、今度は、やっと助けられた‥‥』
口を吐くのは自分ではない、自分の中にいた別人の声。神無がその言葉を向けたのもその人物だ。ふっと自分の中にいたその人物が抜けるのを感じ、ようやく本当の安堵を漏らすと神無の手がぐいっと胸倉を掴んできて高佳は思わず中腰と立ちの中間くらいの格好になってしまった。
「だからって! いくらなんでも電線で繋がってて普通単体で落ちてきそうに無い提灯まで自分で落とすこと無いだろ! ったく! 死霊より中途半端に力強い分、生霊の方が性質悪いったらありゃしないっ!」
「‥‥」
「そもそも生霊になるほど引きずるな!女々しいっ! 事故だろ!? あんたのせいじゃないじゃん! ある意味で彼女はあんたの身代わりに死んだようなもんでしょ!? だったら生かされたあんたが生きないでどうするっ! それが生かされた者の義務だろっ!」
「‥‥悪い‥‥」
「神無、もうとっくに『彼』抜けてるんだけど?」
「へ?‥‥。ごめん!?高佳ー! 高佳じゃなくて腑抜け生霊に説教してるつもりで‥‥。あーん!穂の馬鹿ぁー! みんな穂のせいだっ!」
神無は頭を抱えて此処に居ない人物に対する文句をはたから見ると集まった野次馬に向けて叫んでいる。そんな神無の様子を微笑ましげにビデオカメラで撮影しながら、ご苦労さん、と四季は弟の肩をぽんぽんと叩いて労う。
「初仕事成功おめでとう、高佳」
「‥‥(やっぱり付いて来てたか‥‥)」
「はっ‥‥四季が居るって事は‥‥。やー!? あたしが高佳説教してるとこも撮ってた!?」
「うん、神無に説教されてる高佳の表情がなんとも言えなかった‥‥」
「いやー!? 消して!? 鞍馬パパに見せないで!?」
「だーめ、こんなおもしろいお土産、もったいない。でも‥‥さすが、彼の事よく分かったね? 高佳の中に無理矢理入れるのに色々術とか施してあったんだけど」
うん‥‥と頷きながらも、神無は周りの野次馬を見渡して恥ずかしそうに四季と高佳を見上げて訴える。あはは〜、と四季は野次馬に向けて笑いながら、『じゃあそういう事で!』と神社の社務所に向けて走り出す。高佳も神無の手を掴んで兄の後を追ってその場を逃げ出した。社務所の玄関に勝手に逃げ込むと四季は何事も無かったかのように『良く分かったね?』と神無に話を振る。
「右目の封印、この前よりきつくなってるのに」
「うん、この浴衣着た時、重いなってまず思って。誰かの『思い』が言霊で『重い』になってるんだろうな、と。で、高佳に会った時にまず違和感感じて‥‥。普段綿あめはあんまり食べないんだけど、急に食べたくなったりとか‥‥。いつも食べるチョコバナナ無視して金魚すくいにやたら行きたくなったりしたから、この浴衣の誰かの『思い』に引っ張られてる気がした」
「そうか、彼の彼女に対する『思い』が、彼女の彼に対する『思い』もその浴衣に呼んでしまったんだね」
「うん、だから裾を掴まれた瞬間に彼女と彼の記憶が入ってきたんだ。十三年前、彼女は彼と此処に来てて、金魚すくいに行こうと走り出した彼女の頭上に、露店の取り付けミスでライトが落ちてきた。彼女は即死、白地の着物が金魚みたいに赤く染まって‥‥。これは彼が染めた浴衣なんでしょ?」
「そう、彼女を弔うためにその浴衣を作り上げた彼は逆にそれに囚われ、生霊となってしまった。それで、その生霊を高佳に入れて無念を晴らさせたってわけ。俺がやっても良かったんだけどね? 彼女役」
さすがに四季には小さいだろう、と自分にぴったりの浴衣を見下ろして神無は自分が呼ばれたわけに納得した。『ごめんね?』『すまない』と同時に謝る兄弟にやっぱり似てるな〜と言う言葉を心の中でだけ向けながら、ううん、と神無は首を振る。
「大丈夫、彼が失敗しても自分で避ける自信あったから♪。それにね、穂は嫌な物を見ないように、関わらないですむようにってあたしの力封印するけど、あたしはこの力と一緒に今まで生きてきた。高佳が高佳として此処に居るように、四季がこの力を使う道を選んだように、あたしはこの力を無かった事にはできない。だから、いつでも協力するよ?」
「‥‥うん、ありがとう、神無」
「ありがとう‥‥」
「でも報酬は要求するから! 今度は二人とデートね♪。で、ひらひらの尻尾の金魚すくって♪」
「OK♪金魚すくい名人のしーちゃんと呼ばれたこの俺に任せなさい!」
「‥‥(呼ばれたのか?‥‥)寮で飼うのか?」
「ううん、馨んち。水草だけ入った無駄にでかい水槽あるの」



ひらひらとたゆたう君の浴衣の裾
尾の長い金魚のようで
思わず手を伸ばす
薄い白膜を擦り抜けて逃げようとする赤い魚のように
逃がれようと抗う君の浴衣の裾
けれどお椀代わりの僕の腕に囚われた君
拗ねた顔で僕を振り返る大きな金魚に
僕はくすりと笑って‥‥

――今度は、もう逃がさないよ――


「そうだ! じゃーん!ムービーメールも送れる携帯!」
「あ、いーないーな! あたしもほしー!その機種!」
「そして穂さんのメールアドレス! 撮影開始っと‥‥。こんばんは、穂さん! お宅の大事な神無は預かってますよ、高佳も一緒です」
「穂〜、誘拐されちゃった♪。迎えに来てね〜♪」
「‥‥(いつの間にそういうことに?)」
「送信っと。やー、穂さんの反応が楽しみ♪。グッジョブ!神無!」
「だね♪四季♪」
「‥‥(反応云々はともかく‥‥すっかり四季の遊び道具にされてるし‥‥)」



金魚すくい
          終わり

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