暑い日の僕ら

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 ジェームズ・ポッターの頭の中と、その鞄の中は同じくらいカオスだ。彼の相棒であり親友、そして魂の双子でもあるシリウス・ブラックがそのことを知ったのは、彼らが知り合ってすぐのことだった。すでに列車の中と前代未聞の組分けの儀式でジェームズの頭の中がカオスであることは確定した。シリウスがなって一日も経たないうちにやはり親友になるのをやめようか、と本気で思ったことは、ご機嫌なジェームズには一生言わないで置くべきだろう。


 そして組分け後の食事と、上級生に連れられての各寮への移動。慣れない場所での一日は、まだ親離れも完全ではない一年生にとって大きな疲労感をもたらすもので、各自が部屋に入るとそのままベッドへ倒れこんだのも無理はない話しだった。

 翌朝までぐっすりと眠りに就いた彼らは、目覚めの時間にはすっきりとした頭で起き出した。すぐに開始される授業の合間を縫って、昨日できなかった荷物の整理を行うことは、これからのホグワーツでの生活を有意義なものとするために必要なことだった。いくら新入生の中でも突出していたからといって、ジェームズやシリウスだって荷物の整理くらい普通にする。まずはダイアゴンで揃えた教科書の類を整理しておかなくてはこれからの授業に差し障りがあるだろう。それから着替えの類も必要だ。

 シリウスは大きめのトランクをひとつ。ジェームズはシリウスのものより小ぶりのトランクをひとつと、手提げサイズのトランクをひとつ持ってきていた。二人は授業の空き時間を利用してそれぞれ自分のトランクを空けにかかっていた。シリウスの荷物はさほど多くない。元々あまり物を必要としない性格だからだ。反対にジェームズの荷物は多い。呆れるくらいに。いやいや、いっそ恐ろしいくらいに。

 ジェームズのトランクには圧縮の魔法がかけられていたのだろう。二つのトランクからはその見た目からは想像もできないほど、次から次へと出るわ出るわ。洋服はなければ困る。下着だってあって当然だけれど、それをベッドの上に放り出したままなのはどうだろうか。

 シリウスは自分のトランクを開けて几帳面に整理しながら、隣のベッドの様子を伺っていた。ジェームズ・ポッターはとりあえず早急に中身を全て出してしまわないと気がすまない様子で、二つのトランクから交互に何かを引っ張り出してはベッドの上――時には下に――荷物を鬼のように放り投げている。

 天井に当たりそうなくらい高く放り投げられては落ちる靴、タオル、櫛に眼鏡ケースなど生活用品はシリウスだって持って来ているし、持ってくるなとは言えないけれど。

 折れた羽ペン。くしゃくしゃに丸められた羊皮紙。使い古された銀のコップと揃いのスプーン。壊れた赤色の風見鶏。どうみてもただのガラクタとしか思えない、正体不明の物体の数々。出てこなくてもいいものばかりが、止める間もなく出るわ出るわ。

 あの、ジェームズさん。そろそろ打ち止めにしませんか?
 というか、してくれません?

そう声をかけることも憚れるくらいの勢いで、ジェームズの手はトランクの中から荷物を出し続ける。シリウスはちょっと泣きたくなった。ジェームズのご両親は、きちんと彼の荷物をチェックしてから彼を送り出してくれたのだろうか。折角持ってきたジェームズには悪いが、この4人部屋でそんなに多くのガラクタを置いておく場所はない。早々にトランクの中に戻してもらわなくては。

 シリウスが断固とした態度でもってそれを言い出そうとした時、ジェームズはこれまでの物より一層奇妙な物をトランクの中から引っ張り出して放り投げた。

 ぽとり、とジェームズのすぐ側に落ちたそれは南米の土産屋に置いてありそうな大雑把な作りの仮面だった。厚い唇は裂けそうなくらい左右に引かれ、瞼もないまん丸のギョロ目と口から垂れる長すぎる舌。木彫りの仮面は愛嬌がある、と言えなくもなかったが、言いたくない、とシリウスは素直に思った。

「……ジェームズ、その仮面は持ってくる必要があったのか?」

 いや、実際は仮面以外のものにもその疑問をぶつけてやりたかったのだが、それを言い始めたら多分長い言い争いになるだろうと考えてぐっと我慢した。

「ん? あぁ、これ?」

 ジェームズはたまたま自分の近くに落ちた仮面を掴んで、とても無邪気に笑いながらそれをシリウスに向かって突き出した。その勢いに、シリウスは思わずジェームズから不気味な仮面を受け取ってしまう。近くで見ると一層不気味だが、ジェームズはそう思わないらしい。間違えてホグワーツ入学前の友人を連れて来てしまったよ、というくらい親しげな笑みを仮面に向けて言った。

「だって、彼が一緒に行きたいって言ったんだよ。僕としては拒む理由は何ひとつないからね。そのままトランクの中に丁重にお迎えしただけ」

 実際に仮面がそう言ったわけではないのだろうな、とシリウスは考えた。だって、もし本当に口にしたというのだったら、この仮面は見た目通り呪われているとしか思えない。仮面を目の高さに持ち上げてみてからシリウスは考えた。ジェームズは丁重にトランクへお迎えしたく思ったのかもしれないけれど、自分だったら――。

「俺だったら、この顔だけで拒む理由になりそうだけれど……」

 親友の気分を害さない程度に小さく呟かれたシリウスの言葉は、親友ではなく仮面自身に聞き咎められて反撃を受ける破目になった。


『言ってくれるじゃねぇか、青二才が』


 ベロンチョ。と目の前で長い舌が動いた。有り得ない動きを見てすぐさま、いや、ちょっと待て、とシリウスは冷静に考えた。全てが木彫りの仮面だ。長い舌だって木製だから、そんなに柔らかく動くはずがない。目の錯覚だ。ついでに言うなら幻聴だって聞こえたけれど、多分慣れないホグワーツの生活で――そんな可愛い神経はしていないと知っていたけれど――早くも自分は疲れているのだ。

 必死になって自分に言い聞かせるシリウスの努力を、脇から無邪気に崩してかかったのはジェームズだ。

「わぁ。随分長い付き合いなのに、僕、君が喋れるなんて知らなかったな」

 いや、できれば一生知りたくなかったのだよ、そんなこと。シリウスがそう思ったとしてももう遅い。未知の世界への扉は開かれたのだ。

「の、呪われ……」

 ている、なのか呪われそうなのか。分からないまま言いかけた言葉は、途中で舌の長い彼(推定)にさらわれる。

『安心しろ、対象以外は呪わない』

 それって素直に安心できない。一体誰ならば対象から逃れ、また一体誰ならばその対象となるのだ? 基準を明確にしてもらわなくては。

「そうだよねぇ、安心しなよ、シリウス。誰かまわず呪うような人じゃあないからさ、彼(仮)は」

 能天気に笑ったジェームズは、事態の深刻さを全く理解していない、というか理解することはなから放棄している。

「……というか、何故そんなに信頼しちゃっているわけ? ジェームズさん、こちら様とは初会話のはずでは?」
「今まで僕らの間に会話なんて必要なかったんだよ」

 ではずっとそうであれば良かっただろうに。シリウスがそれを指摘してやる時間はなかった。すぐさまジェームズと呪いの仮面の彼(勝手に断定)は意気投合して、シリウスが口を挟む間もなく盛り上がってしまったのだ。

 それがカオス以外の何であっただろう。彼は東南アジアである魔法使いを呪い殺すように作られて、けれどその相手は呪い殺すよりも先に死んでしまい、結局呪いの仮面としての仕事を完了しないまま、人の手を渡り、五百年ほど前にポッター家に流れ着いたそうだ。元々意思らしきものを持ってはいたが、作られた当時の禍々しいまでの恨みの念はとうに消え、喋ることもできなくなっていたのだそうだが、ホグワーツの濃い魔法の気配に影響を受けて、こうして喋ることができるようになったとか。

『ここは居心地が良い。昔のパワーが戻ってくるようだ……』

 うっとりと仮面が告げれば、長い舌がヒクヒクと不気味に動く。シリウスは背筋が寒くなった。

「いわば魔法の温泉に浸かっているようなものなんだね」

 ジェームズは感心したように頷いているが、うっかり温泉効果で療治しては駄目なのではなかろうか。昔の力を取り戻して一体何をしようというのだ、この不気味仮面は。

 シリウスは悪戯好きではあるが、悪戯として片付けられるような混乱以外は好かない。このまま彼をホグワーツに置いておいたら、その好まざる方向へ事態が進んでいきそうな気がした。しかしいま本人(?)のいる前でジェームズを説得することはできなかった。ホグワーツに来ることができて喜んでいる様子の仮面を、実家に持って帰れとジェームズに進言することは。それこそ呪われそうだ。

 丁度いい具合に――少なくともその時はそう思った――次の授業へ行く時間になった。ジェームズは仮面その他の荷物を広げたままの状態で、シリウスと共に部屋を出た。シリウスは仮面から離れたことをいいことに、貴重な授業の一時間を費やし、さらに羊皮紙を二十枚以上消費してジェームズを説得した。とにかくあの仮面はもう一度トランクに厳重にしまって、クリスマス休暇にでも家へ持って帰れ。さもなくばこの授業が終わり次第マクゴナガルの元へあれを持っていって、封印でもなんでもしてもらえ、と。

 勿論どちらの提案に対しても、ジェームズは渋った。けれどシリウスは仮面と僕と、どちらを大切にするつもりだとか、シリウス・ブラック一生のお願いだ、とごり押ししてようやく、仮面は授業後にトランクにしまってクリスマス休暇には家に持って帰り、そのまま二度とホグワーツには持ってこないという約束を取り付けたのだ。


「ジェームズって、やっぱり昔からジェームズなんだね」

 ね、とリーマスとピーターは顔を見合わせて楽しそうに笑いあう。大変微笑ましい光景だな、と思うシリウスは何をしていたかというと、ジェームズ・ポッターがクィディッチの練習で不在の間、退屈していたリーマスとピーターに昔懐かしいお話をしてあげていたというわけなのだ。なんせ珍しくじっとしていても暑い日だから、他に気を紛らわせるものがないとやっていられなかった。

「そうだな、残念ながら。そしてさらに残念なことがある」

 リーマスとピーターは笑い合っている間にも、微笑ましいと思いつつも眉ひとつ動かさなかったシリウスは続けて語った。

「何?」
「この話は僕がジェームズを説得して、万々歳。Happy End……ではないってことだ」

 リーマスとピーターが目を見張った。

「……え?」

 そして二人の理解が追いつく前に、シリウスは爆弾を撒き散らした。

「僕達が授業から帰ると、その仮面はもうジェームズのベッドの上にはなかったんだ」

 思わぬ話の結末に、シリウスが予想していた通り、リーマスとピーターの顔はさっと青ざめた。その場の空気が2・3度冷えた感じもした。2・3度違えば随分涼しい。シリウスは自分の選択が間違っていなかったことを確信して満足気だった。

「え……ええっ!」
「う、嘘!」

 これを嘘で片付けられれば、本当に救われるのはシリウスだろう。けれどどうせ救われないなら道連れを望むというのは人間のエゴだろうか。

「本当だ」
「何それ! いつもの“ジェームズ・ポッターに関するちょっと面白い話”じゃあなかったの?」

 リーマスが微かに声を震わせながら尋ねるので、シリウスは沈痛そうな面持ちで首を横に振った。

「本当に残念だが、今日の話は“ジェームズが持ち込んだちょっと怖いホグワーツの怪談”というオチだったんだ。怖いだろ?」
「怖いよ! 僕、もう夜の悪戯には参加したくない!」

 ピーターが言うのを聞いて、それはちょっと困るな、とシリウスは思った。でもすぐに、まぁ、いいかと考え直した。

「大丈夫だ。ちょっとホグワーツ内をうろちょろしているかもしれないが、対象とならない限り呪われることはない……はずだから」

 だからその対象というのはどういう条件下でなるものなのだ。それが分からなければ、逃れられるかどうかも分からないではないか。というのは2年前にシリウスも散々悩んだ。

「ぜ、全然慰めになってないよ、シリウス!」

 どんな内容であれ、秘密を共有する仲間がいるのは精神的な支えだ。蒼白になっているピーターの顔を見て、正直なところシリウスは慰められている。だからシリウスは素直に言った。

「すまん、最初からあまり慰めるつもりはないんだ」

 狙いはむしろ自分が慰められて、おまけにちょっと涼しくなることだったから。そして夜の悪戯にはどうせ引っ張ってでも連れて行くのだから。

「しかも全然謝っていないし!」

 リーマスとピーターが何を言おうと、シリウスは涼しい顔だった。そうやって涼しい顔をしていれば、二人の怒りの矛先は、そもそもの原因であるジェームズに向かうことを知っていたからだ。

 案の定、恐怖の原因をホグワーツに放った罪で、クィディッチから戻ったジェームズは二人に散々非難された。

「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。ほら、彼がいなくなってから2年経つけれど、別に誰も呪われたりしていないから」

 ジェームズにしてみれば二人を安心させようとしての言葉だったのだけれど、シリウスの語りがよほど上手かったのか、二人はその言葉に無責任だ、と言って益々怒った。

「これ以上は止めてよね!」

 微かに涙目のリーマスに言われたものだから、次の年からジェームズの荷物は半減した。暑い日を涼しくすることから、ジェームズの要らない荷物を減らすところまで、すべてはシリウスの計画の内だったと知ったら、3人は怒るだろう。


「でも語ったのは真実だけだし」


 そうやって暑かった一日は、シリウスだけが涼しい顔。

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