カカオの花束

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 その日、図書室の一角で彼らはひとつの机を占領していた。ピーターの前には天文学のレポートが、リーマスの前には薬学についての参考図書が置かれている。シリウスは妖精学についての事典を一定の間隔で読み、頁を捲っていた。

 当たり前だけれども図書室の中は静かだ。怖い司書がいるせいでもあるし、それぞれが目の前のものに集中しているせいでもある。いや、できれば集中したいのだと思ってピーター達は目の前のものに噛り付いているのだけれど、爆弾魔がそれを許さない状況というのが今の状況だ。一種の緊張状態に置かれている図書室の一角は、他の生徒は見ることも嫌う様子で近づかないし、視線も寄越さない。懸命だ、とシリウスは考える。爆弾を投げられてから逃げるより、先に爆弾の届かない場所に行ってしまう方がどんなに利巧だろう。

 シリウスが先ほどからページを捲っている四版本サイズの妖精学事典と違って、向かい合っているジェームズ・ポッターの広げている事典の何と大きなことか! 一枚が画用紙並みの厚さの図鑑を、ジェームズは周囲を不条理な緊張状態に陥れるほどの真剣さでもって睨みつけている。すでに図鑑の中ほどまで読み進めているジェームズは、司書の耳には届かない程度の音量で爆弾を投げる予告動作をした。

「僕はさ、特別なものが贈りたいわけだよ。何故なら……」

 この言葉を黙って続けさせると――あるいはこの爆弾を黙って投げさせると――長い。滅茶苦茶長くなる、と本能で悟ったシリウスは絶妙なタイミングで口を挟んだ。

「リリーが好きだから、だろ」

 あらゆる言葉を尽くして語り、この一角に賞賛の嵐という災厄を振りまこうと息巻いていたジェームズは、それを一言でしっかりとせき止めてしまったシリウスの手腕に驚嘆しつつも不満を隠せなかった。投げようとした爆弾を口の中に詰め込まれて、うっかり飲み下してしまったような気分だ。

「そう。彼女が好きで好きでたまらないから、それを表すものをあげたいわけ」

 好きで好きでたまらない、という言葉はジェームズの言いたかった言葉たちよりも大層短かった。黙って話を聞きながら、ピーターとリーマスはシリウスの操縦に感謝した。できれば彼らだって、ジェームズを殴って止めるなんて手段はとりたくないからだ。

「君の心意気は買うよ。でもリリーの好みも考えに入れることをお勧めするね。“特別に”貴重だからといって、魔蝕花はどうかと思う」

 魔蝕花。太陽の光や水分よりも、魔法使いの与える魔法を食べることを好む花だ。与える魔法によって、白い6枚の花弁は色を変える。なるほど確かに美しく、珍しい花だ。けれど育てている魔法使いの力を際限なく食い尽くすため、第一級の危険魔法植物に分類されている。ちなみにジェームズが見ている図鑑はあと数十頁ほどその第一級危険魔法植物の分類が続く。

「……見ていただけだよ。いくらあげたくても、手に入らないものがあるってことくらい僕はよくよく理解しているんだから」

 ふてくされるジェームズに、ついでに言わせてもらえば、いくら綺麗だからといってそんな危険な植物をあげたいと思う君もどうかと思う、とシリウスは言ってやりたかった。だが無駄だ。この議論を長く続けるメリットは、少なくともシリウスの側にはない。

「分かっているよ、そうカリカリするな」

 こういう時は自分の言い分をぐっと呑み込んで宥めるに限る。そしてシリウスのとった行動に、ピーターも加勢するようにしてついてきた。

「ねぇ、ジェームズ。プレゼントの参考にするなら、こっちの図鑑の方が良いと思うよ。その……、多分きちんと手に入る花が載っているから」

 ピーターがおずおずと差し出したのは、マグルの本屋でも売っていそうなごく普通の植物図鑑だった。ジェームズはピーターの差し出す図鑑と、いま自分の持っている図鑑とを見比べて、黙って手元にあった大きな図鑑を閉じた。

「ありがとう、ピーター。君の言う通りだ。こっちは止めて、そっちにする」

 ジェームズが危険な事典を手放した瞬間に、シリウスはその大型本を奪い取って元の棚に戻してしまった。ジェームズは本の行方を未練がましく眺めていたけれど、ピーターの心配そうな視線が何とか立ち上がって追いかけることを諦めさせてくれたようだ。

「……それにしても迂闊だった。何故もっと早く気づかなかったんだろう」

 あまり気の乗らない様子で図鑑を捲りつつ、ジェームズはそう言って溜息をついた。

「今まで縁がなかったからだろう」
「シリウスったら! ジェームズ、まだ時間は2週間もあるよ。考える時間も、手配する時間もあるじゃあないか」

 宥めるリーマスに、ジェームズはにっこりと笑って答えた。不穏だ。晴れやかな笑顔なのに、どうしてこんなにも不穏なのだろう。

「そうだね、リーマス。普通に花屋で選んで買う時間くらいは十二分にある。でももう少し時間をとることができれば、品種改良くらいはできたんじゃあないかな」

 我らが帝王はあくまでも特別なものにこだわりたいらしい。

「……来年、来年頑張りなよ、ね? ジェームズ」

 正直、ジェームズが植物の品種改良を進めて、まともな状態で留まることを想像するほうが難しい。一体どんな凶悪な植物が生まれてしまうのだろう。世界のためにも、できれば来年までには忘れてくれているといいのだが。

「でも折角付き合って初めてのバレンタインなのに……」

 ぶちぶちと不満を漏らしながら、見るともなしに植物図鑑を捲るジェームズに、シリウスはあてつけるようにして大きな溜息をついた。親友からひとつまともな忠告をさせてもらうなら、とシリウスは前置きして言った。

「最初は無難さを装っておいた方が可愛げがあると思うぞ、ジェームズ」

 世間一般的な処世術のようなことを口にしただけだが、ジェームズはその言葉に大きく反応した。眼鏡の奥の瞳をめいっぱい大きくして、パチパチと二回瞬きした。

「……なるほど、目から鱗だよ、シリウス。ボロボロ落ちた気分だ」

 君がもう少し常識的でありさえすれば、そこまで感動するような提案ではないことが分かると思う、とシリウスは心の中で応えた。けれど感動に水を注すこともあるまいと、口ではとりあえず別のことを言ってみる。

「ボロボロは痛そうだな」

 鱗は硬いものだし。

「何、たいした事はないよ。目が落ちるわけじゃあない」

 それはまぁ、確かに。

「僕は他人の忠告を無下にする人間ではないからね。君の言う通り、最初は可愛さを演出しよう」

 どうやらジェームズは、シリウスの言った“可愛げ”という言葉にいたく魅了されたらしい。髪の毛がうきうきしている。それでは可愛い花を選ばなくてはね、と今度は意気揚々と植物図鑑を捲り始めたジェームズに、3人はとりあえず安堵の息を漏らした。当日までの間に帝王の気が変わりませんように。

 ジェームズが大人しくまともな植物図鑑を見だしたので、3人もそれぞれ手元の資料に戻った。ただリーマスはもう薬学の参考書を読んでしまったため、持ってきていた新聞を取り出した。今日は朝読む時間がなかったのだ。

「……わぁ」

 がさがさと新聞を広げたリーマスの目に、最初に飛び込んできた記事というか、広告があった。

「どうしたの? リーマス」
「何か面白い記事があったか?」

 思わず感激を声に出してしまったことが恥ずかしかったのか、リーマスはちょっと頬を赤くして新聞をみんなの見えるところに広げて指差した。

「ハニーデュークスがね、新作を出すんだって。バレンタインが近いから、花の形をしたチョコレートみたいだよ」
「へぇ、お菓子かぁ」

 どれどれと皆で新聞を覗き込む。そこには確かにハニーデュークスの広告が載っていた。薔薇や百合、マーガレットなど様々な花の形をしたチョコレートが綺麗に並んでいる。味は甘みに差があるものの、みなチョコレートの味らしい。特別なのは香りだ。食べた瞬間に口の中に広がるのはチョコレートとは違った甘さの花の香りらしい。ふうん、とシリウスが漏らした。

「それもいいかもしれないぞ、ジェームズ。リリーだって勿論甘いものは好きだし、花とセットで贈ったらどうだ?」

 シリウスの提案に、ジェームズは先程鱗をボロボロ落とした目をきらきら輝かせた。まだ鱗が落ちそうだ。

「なるほど、可愛げを添えるわけだね?」
「……別にそこまで可愛げにこだわる必要もないが……」

 方向性を間違えているわけではないので、いいのだけれど。

「でも、確かに可愛いよ。可愛くておいしいならリリーも喜ぶだろうなぁ」

 そう言って、新聞記事を眺めながらリーマスはほわんと微笑んだ。それはジェームズの投げる爆弾とは全く性質の違う、けれど確かに周囲に影響を及ぼす爆弾だった。しかも3人同時に直撃を受けたのだから、結構大型である。

 リーマスは無類のお菓子好きというわけではない。元々大食いではないから、食べる量だって他の年頃の男子と変わらない。ちょっと少ないくらいだ。けれど多くの子どもの例に漏れず、リーマスだっておいしいお菓子は大好きだ。中でもチョコレートは気分を盛り上げてくれるのだという。食べたら幸せな気分になるのだそうだ。

 ジェームズ達だって、おいしいお菓子を食べれば幸せな気分になる。幸せな気分になれば笑顔が多くなって当然だ。だがしかし。彼らにとってリーマスの笑顔は特別だ。

 広告を見ただけでそんな顔をされたら、無条件に買ってやりたくなるではないか。


 っつうか、買うだろ。
 買っちゃうよね。
 しかも大量に。


勿論、リーマスは決して3人に強請ったわけではない。爆弾は無意識に投げているのだ。けれども無意識の爆弾は唐突で避けようがないし、気付いていたとしても3人は避けなかっただろう。ふと爆弾の衝撃から我に返ってみると、全く同じ瞬間に我に返った残りの2人と目が合った。リーマス以外の3人は、お互いの顔を見て一斉に顔をしかめた。3人は揃って同じ顔をしていたのだ。そしてその顔を見ただけで、被弾した3人が同じ考えを抱いたことは明白だった。


 親馬鹿ばっかりかよ。


「どうしたの? 皆、変な顔をしているよ」


「「「なんでもないよ」」」


 親馬鹿上等。さすがに男同士で花束は添えられないだろうけれど、大切な友のためであればチョコレートくらい用意しましょう。しかも3人別々に、彼が気にしないですむような言い訳もばっちり考えて。それでも彼が気にするのならば、皆で一緒に食べてしまえばいいのだ。


 14日はカカオの花咲くお茶会が予定された。
 時間はしっかり空けておいて、準備も怠るべからず。


 親馬鹿達は目線を合わせてしっかりと頷き合った。

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