男と女の関係

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 男と女の間に友情は成り立つか。

 リリーがそんな命題について考えていたのは、両手にかかる重力を忘れたかったからかもしれない。図書館からここまでの距離、両腕を突っ張って全身の重心をやや後ろに傾けて歩いている。そろそろ腕が疲れたし、何より腰が痛くなってきた。両手の荷物をどこかに置いて休憩したかったけれど、憎らしいくらい真っ直ぐな廊下には今のリリーが休めるような都合の良い台や椅子は置いていなかった。

 仕方なくリリーは一度立ち止まった。そして全身を揺すって両手の荷物を一瞬だけ宙に浮かす。その間に両手を適当な位置に置き換えて、そしてまた重い荷物を受け止めた。楽になったような気がする。気がするだけで、気休めでしかないと分かっているので、リリーはまたできるだけ早く歩き出した。こうして何度も立ち止まるよりは、早く仕事を終えてこの荷物を下ろしてしまった方が良い。

 そして歩いている間はこの厄介な荷物のことを考えない方が良い。リリーはそうして先ほどの命題をまた引っ張り出す。

 男と女の間に友情は成り立つか。

 彼女自身がそんな命題を思いついたわけではない。たまたま先ほどまで読んでいた小説に、そのようなことが書いてあっただけだ。それを読んでいた時に目の前にいたのは、リリーの恋人であるジェームズ・ポッターだった。だから、この命題の女という変数にリリーを当てはめても、男という変数部分にジェームズを入れることは難しい。友情が全くないとは言わないが、リリーと彼との間には友情とは違うものが常に混じる。次にリリーが考えたのはリーマスだ。しかし彼とリリーとの間は、正直男と女という区別が曖昧すぎると思う。そんなことリーマスに言ったら傷つくだろうから言わないけれど。そして次に考えたのはピーターと自分。しかしこれもまた困ってしまう。ピーターはどうも同い年の男の子という気がしないのだ。例えて言うなら可愛い弟。これも本人に言ったら傷つくだろうから言ったことはない。リリーは知っている。男の子は案外デリケートなのだ。

 ふむ、とリリーは年老いた教師のように漏らした。こんな風に思うのは自分だけなのだろうか、と。女同士の友情といえば、秘密のことを打ち明けあって、好きな人のことを話して。そうだとすれば、リリーにはアンナという友人がいる。しかし男と女の間の友情というのは、実際のところ何をすれば、また何が間にあれば良いのだろう。

 難しい顔をして廊下を歩いていたリリーは、ひとりだけ身近にいてもまだ考えていない男がいることを知っていた。彼は背が高く、最近急に大人びたように感じる、リリーの恋人の親友。今、廊下の角を曲がってリリーを見つけ、彼女に向かって軽く手を挙げた男だ。

「Hi、シリウス」

 リリーは両手の荷物のことを忘れて手を挙げ返そうとした。しかし体は荷物のことを覚えていたようで、手は荷物に引っ付いて離れなかった。シリウスは長い足を使ってリリーに歩み寄った。リリーは恋人と並ぶときも首を上げて恋人の顔を見上げたけれど、シリウスを見上げる時とは角度が違う。リリーが懸命に荷物を支えながら首を上げると、シリウスはにやりと笑って少し腰を折った。

「やぁ、リリー。重そうだな、持とうか」

 リリーが返事をする前に、シリウスはリリーの腕にある分厚い本の三分の一を既に奪っていた。リリーがようやく両腕で支えていた重い荷物は、シリウスの腕に持ち上げられるとまるで羽が生えたように軽く見えた。リリーは思わず大きく息をついた。手に残った一冊は両腕で抱えられる厚さで、先程まで突っ張っていた両腕をようやく曲げることができて、リリーは本当に安心した。

「お願い。マクゴナガル先生の研究室までね」

 少し身を屈めるシリウスを、リリーはジェームズにするくらいの首の角度で見上げてそう言った。断るなんて考えられない。ここまでひとりで良く運んだものだと思えた。

「O.K」

 シリウスはそう答えて屈めていた身を起こした。そして方向転換してリリーの隣に立つ。リリーが歩き出すと、シリウスは少し遅れてついてきた。

「ジェームズは練習なのか?」

 片腕に3冊の本を乗せて、それでも飄々としているシリウスはきっと、ジェームズがリリーと図書館へ行く姿を見送っていたのだろう。

「えぇ、雪が止んだからって引っ張っていかれちゃったのよ。私は図書室に置いてけぼり。そこをマダム・ピンスに見つかっちゃって、お使いを頼まれたの」

 折角の休日だったのに、と言ったリリーに、シリウスは隣で小さく笑った。

「ご愁傷様」

 シリウスもこんな事態が過去に何回も起きていることを知っている。ジェームズは恋人との時間を大切にしない男では決してなかったが、仲間を放ってクィディッチの練習をサボる男でもなかった。試合が近づいているのに少しでも一緒にいられた、リリーはそれだけで本当は満足していた。それでも拗ねているふりはしておくものだ。ジェームズが好きだからこそ、困らせてみたい。これも恋人の特権ではないか。

「全くだわ。きゃっ……」

 身軽になって気を抜いたのか、リリーは廊下の敷石に躓いて体を傾けた。両腕で本を抱えていたのもいけなかった。咄嗟に手が前にでなかったのだ。危ない、とリリーは思ったが、背後からさっとシリウスの腕が伸びて、リリーの腰にかかった。

「大丈夫か、リリー」

 シリウスは片腕に抱えた本はひとつも落とさず、さらに片腕でリリーの体を支えてくれていた。

「え、えぇ。ありがとう、シリウス」

 リリーはシリウスに支えられたまま体勢を整えて、両足をきちんと床に戻した。するとシリウスはリリーの腰からさっと腕を離して微笑んだ。

「どういたしまして。足は捻ってないよな」

 リリーは内心ドキドキしていたけれど、それを隠すためにその場でジャンプした。足はどこも痛まない。

「えぇ、大丈夫よ」

 答えて微笑んだリリーに、シリウスはそれは良かった、と言ってまた何事もなかったかのように歩き出した。リリーはそれを追いかけて、またシリウスの脇に並ぶ。シリウスの腕は、そういえば最初からリリー側だけ空いていた。

 リリーは考えた。わざと空けているのだろうか、それとも偶然だろうかと。それにしても、いくらシリウスが男の子で、リリーよりは背もずっと高く力があるといっても、リリーの体だって人並みだし、決して軽いとは言えないはずなのに。あんなに軽そうに、あっさりと支えられてしまってはドキドキして当然ではないか。

 シリウスはねぇ、格好良いよ。

まるで自画自賛するようにそう言ってのける恋人の顔を思い出す。そのたびにリリーは、あなたの方が優しいわと心の中で返すのだが、もしかしたらリリーが気付かなかっただけなのかもしれない。そこでふと、リリーは気付いてしまった。先に歩いていたはずのシリウスが、またリリーより少し遅れている。普通に歩けば足の長いシリウスの方が絶対に早いはずなのに。

「……ねぇ、シリウス。貴方が少し遅れて歩いているのは、さっきみたいに隣の人が転んだときに支えられるように、なの?」

 リリーは恐る恐る尋ねた。何故恐る恐るになったかと言うと、シリウスに自分の勘違いを白状しなければならなくなるかもしれないと、この時点で既に予感していたからだ。シリウスはリリーの方をちらりと見ると、特に何でもない様子で答えた。

「相手が女性で、腕を組めるほどの仲じゃあない場合は大体そうだな」

 リリーはあんぐりと口を開けた。すぐにはしたないと慌てて口を閉じたけれど、幸いリリーの間の抜けた顔はシリウスには見られていないようだった。リリーはしばらく唸ったあと、正直に打ち明けた。

「……ごめんなさい。私、貴方がそんなに紳士だとは思っていなかったわ」

 正直すぎるほど正直に言ったリリーに、シリウスは彼女の隣で吹き出した。もしかしたら怒られるかもしれない、と思ったリリーの考えは全くの杞憂だったようだ。シリウスは本当に楽しそうに笑っている。

「女には冷たそうに見える? それとも乱暴しそうか?」

 笑いながらシリウスはリリーに尋ねた。リリーは潔くすべて本音で話すことにしてそれに答えた。何を言っても今なら怒られそうにないと判断したからでもある。

「う〜ん。というよりは、女は目に入っていないっていう気がしていたわ。私はほら、ジェームズの恋人だから対応も少し違うのかなって」

 父親の死が新聞に載ってから、女子生徒の間ではシリウスが色っぽくなったと評判なのだが、その色で迫られた女子生徒がひとりもいないことを、リリーは知っている。確かにあれから何かシリウスは変わったけれど、相変わらず女子生徒の告白は受け入れていないし、ジェームズやリーマス、ピーターと一緒にいる姿しか見かけない。リリーから見たシリウスは昔から硬派で、女性をあまり信用していないように思えた。それは今でも変わっていない。

「俺としては、女性にはすべて優しくしてあげたいと思っているんだぜ? ただ、自分の身の安全も図りたいから、優しくする対象は絞らないといけない。分かるだろ?」

 それはブラック家の当主として、という意味もあるのだろうけれど、シリウスを追いかけている女子生徒の多さを把握しているリリーとしては、普通に頷いてあげたいところだった。あれなら普通に身の危険を感じるだろうと思うのだ。

「えぇ、勿論」

 リリーが答えると、シリウスは――女子生徒達曰く、色気のある笑顔で――微笑んで続けた。

「だから俺は一番安全なところで、自分に惚れそうにない相手には最大限優しくするようにしているわけだ。君はその筆頭。俺はジェームズから君を奪うつもりはないし、君の目はジェームズから離れそうにないからな」

 そうなのだ。シリウスに体を支えられるとドキドキするし、時折見せるシリウスの笑顔は色気のあるとても魅力的なものに思えるけれど、それは決して恋ではないし、これからも恋になることはないとリリーは知っている。そしてそんなリリーの気持ちを、シリウスは知っているのだ。

「良く分かったわ。でもその縛りで、私以外に貴方に優しくしてもらえる女性はいるのかしら」

 そう尋ねると、シリウスは肩を竦めた。

「さぁ、積極的に探したことはないからな。今のところ俺の目には入らない、ということだろう。だからこの手はもっぱら、リーマスが床と仲良くしないようにするために使われている」

 そう言ってシリウスは、先程リリーの体を支えるために使われた手をひらひらと振って見せた。そういえば、リーマスと並んで歩くときだってシリウスはリーマス側の手を空けているし、常にあの足の遅いリーマスの少し後ろを歩いているではないか。普通に歩けば、リーマスなんてものの数分で置いていかれてしまうはずなのに。

「貴方って、難儀な人ね」

 リリーは笑いを漏らしながらそう言った。そうするとシリウスは器用に片方の眉だけ上げて、悪戯っぽく微笑んだ。

「君だって俺を安全圏だと思っているだろ?」

 安全圏。つまりリリーを支える手も、笑いかける笑顔も、恋や欲を含まない。どんなに近くにいても、恋にはならない。しかし、気遣ってくれる気持ちは必ずあって、だからシリウスはリリーに優しいのだ。そしてシリウスに優しくされることは、くすぐったくてとても嬉しい。

「まぁ、そうね。でも、ジェームズを間に挟むとライバルかしら」

 リリーは少し挑戦的に言った。リリーとシリウスの間は友情だと言ってもいいけれど、それよりは少し複雑だ。それもこれも、あの帝王が間にいるせいだったけれど、2人とも帝王を排除してしまうことなんて考えられないのだから仕方ない。

「それはお互い様だな」

 お互い、ジェームズに惹かれていて、それはもうどうしようもないのだ。

 男と女の間に友情は成り立つか。

友人とだってライバル意識はあるし、反発することだってある。ただきっと、友人とは同士なのだ。リリーは思った。シリウスと自分とは同士だ、と。それはとてもリリーを満足させる答えだった。

「貴方と好き合う人は、ジェームズの嫉妬に耐えられる人か、それに気付かない人になるのかしら」

 今度はリリーが悪戯っぽくシリウスに言った。シリウスはその端正な顔を苦渋に顰めてから声を絞り出した。

「それは……、難儀だな」

 本当に。

「ご愁傷様」

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