僕らの祝日
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グリフィンドール寮の4人部屋で、シリウスとリーマス、そしてピーターは暖炉の前に陣取って分厚い絨毯の上にクッションを置いて座っていた。深夜0時を過ぎたらもう11月だという日の午後。この午後は授業を終えたすべてのホグワーツの生徒達が浮き足立つ。入ってきたばかりの1年生にとっては入学式以降初めてのパーティが夜に控えているのだ。
シリウスはシルクハットを脇において胡坐をかき、自分の前には乳鉢を二個置いて、片方に少し焦げ臭い塊を入れてはすり潰す作業をしていた。ピーターはシリウスの手伝いをすることもできず、自分の頭につけられた白い兎の耳を引っ張って、時折位置を調整するという作業を繰り返していた。リーマスは昨晩の満月時にプロングス達と遊びすぎたのか、暖炉の熱に心地よさそうにこくりこくりと船を漕いでいた。
こりこりとシリウスが乳鉢を使って薬をすり潰している音と、暖炉の薪が燃える音、そして勢いよく船を漕ぐリーマスが時折後ろにひっくり返りそうになって慌てて目を覚ます、そんな小さな音しかしない。これから学校中に嵐を引き起こす最悪のメンバーがそろっているというのに、何と静かなのだろうか。最も、これから嵐を起こそうとしているメンバーだからこそ、今は静かにエネルギーを溜めている、ともとれるのだろうけれど。
ピーターはそんなことを考えながら欠伸を噛み殺した。目の前でリーマスの頭がこくりこくりと上下しているのを見ていると、つられて自分も眠くなってしまう。それに、シリウスが几帳面に乳鉢をする音も一定の間隔でピーターの目蓋を重くするのだ。ピーターはとろりと溶けてしまうような感覚で目を閉じかけた。心地よい眠りの誘い。けれどピーターの中の、まだ起きている心のどこかは、こんなまったりとした時間が長続きしないことを警告のように訴えていた。
そう、この和やかな空気が落ちる暖炉の前には、ジェームズ・ポッターがいない。ただひとつだけ天蓋のしっかり閉められたベッドの中で、時折ベッドの軋む音がしていただけだ。ジェームズがそこに閉じこもって数分しか経っていない。けれど数分で十分だった。
その時、一際大きな音を立ててベッドが軋むと、ピーターの心が警告していた通りの騒ぎがやってきた。
「シリウス! シリウス、僕はびっくりだよ! そりゃあ、もう林檎を素手でスライスできるくらいびっくりだ!」
ジェームズが閉じられた天蓋を引きちぎる勢いで開けると、ベッドの上から飛び降りて叫んだ。その声に、あらかじめ警告を受けていたにも関わらずピーターは飛び上がり、船を漕いでいたリーマスもぱっちりと目を開けた。シリウスだけが1人平然と乳鉢をかき回し続けていた。そして興奮しきった相棒に、あまりに理性的で冷静なコメントを返す。
「そりゃあ、確かにびっくりだな。スライス? 素手で林檎を割れるっていうなら、できないことはないかもしれないが、スライス? ジェームズ、それは何かの呪いか?」
ピーターなどシリウスの言葉を聞いてからようやく、素手で林檎をスライスすることは確かに難しい、というか呪いでもかかっていなければ無理だなということに思い当たった。シリウスってば、本当に冷静だな、と。
「ちょっと驚きを表現してみただけじゃあないか、そんなに真剣にとらないでくれ」
ジェームズはシリウスのあまりの冷静さが不満だったようで、ふてくされたようにズボンの尻に取り付けた長い尻尾を掴んでくるくると回した。
「君を相手にするなら、あらゆる可能性を考えられるようにならないとな。普通なら冗談で切り捨てて良いようなことも、君だったらありえるという気になる」
「それは……褒めてくれているのかい? シリウス」
ふてくされていた顔をぱっと輝かせて、ジェームズはシリウスの背を尻尾で叩く。褒めてなんていないけれど、馬鹿にしているわけでもない。ようは単に得体が知れないと言っているだけなのだけれど、それをジェームズに察しろというのは無理な話だ。シリウスは乳鉢の中身を吹き飛ばさない程度に控えめな溜息をついた。
「実際、素手で林檎をスライスできたら褒めてやるよ、ジェームズ」
「それは何だかとても素敵そうだから、頑張ってみちゃおうかな」
ジェームズは髪をうきうきとさせて尻尾を振った。けれど正直、これ以上そんな手品か魔物的な能力は身につけて欲しくないとピーターは思う。魔法使いであっても、非常識であっても、せめて人間でいて欲しいと。
「ねぇ……それで、何がびっくりだったの? ジェームズ」
ピーターはすっかり吹き飛んでしまった眠気に未練を覚えつつも尋ねた。ちなみにリーマスはジェームズが飛び出してきたときの衝撃から立ち直って――そう、立ち直ったのだとピーターは思う――また倒れそうな勢いで船を漕ぎ始めていた。
「それだ! 君達だってびっくりだろう? 僕がこんなに猫耳の似合う男だったなんて! ついでに尻尾も!」
「えぇっと……」
力強く、そして期待に満ちた目でそう主張されて、今まであえて目を逸らそうとしていたジェームズの姿を、ピーターはようやくまじまじと見つめた。
全体は紫色の、それだけでも悪趣味な印象を与えるシャツとズボン。眼鏡とあちこちに跳ねた髪の毛はいつもと同じだけれど、その頭にはやはり紫色の三角耳が。そして先ほどから掴んで振り回している紫色の長い尻尾。もちろん三角耳も尻尾も生えてきたわけではなくて、ただ取り付けただけなのはピーターやリーマスと同じだ。
さてその珍妙な姿を似合う、と言ってしまって良いのかどうか。言えばジェームズは喜ぶだろうけれど、本当にそれで良いのか、とピーターは思ってしまうのだ。
「無理に同意しなくていいぞ、ピーター。リーマス、君も眠いなら今のうちに寝ておけ」
ジェームズらしいよね、という無難な答えに落ち着こうとしていたピーターに助け舟を出したのは、先ほどから冷静さを貫いているシリウスだ。
「そうさ! 無理は体に毒だからね!」
「うん……」
目をキラキラさせて言ったジェームズに、何か違うような、と首を傾げつつもピーターはお言葉に甘えて無理をせずに頷いた。リーマスも頷いたが、同時に船を漕いでいたので勢いあまって前に倒れかけた。それをシリウスが腕を伸ばして支える。
「ほら、眠りねずみ君。俺にもたれて良いから、決行の時間には起きていてくれよ」
シリウスは苦笑しつつも腕で優しくリーマスを自分の背に寄りかからせた。リーマスはぼんやりしながらシリウスの腕が導くままに体を傾ける。
「うん……ありがと……」
リーマスはもそもそと答えると、シリウスの背にずるりと寄りかかり、身を丸めてまた眠りについた。その姿はパッドフットに寄りかかって丸くなる銀色の狼そのものだった。ピーターは昨晩のことを思い出して思わず微笑んだ。見ると、ジェームズもシリウスも口元に優しい笑みを浮かべていて、ピーターはますます笑みを深めたのだけれど、すぐに今日のことに思い当たってジェームズに尋ねた。
「そもそもどうして今回の衣装は“Alice’s Adventures in Wonderland”なの? ハロウィンなんだから、もう少し怖い格好の方が良かったんじゃあないかな?」
ピーターは自分の頭につけられた白い兎の耳をいじりながらそう言った。ジェームズの衣装が紫色のチェシャ猫ならば、ピーターの衣装は丁寧に懐中時計まで持った白兎。そしてシリウスの衣装は気違い帽子屋で、リーマスは眠りねずみなのだった。肝心のアリスがいないけれど、ジェームズが自分にはアリスの衣装が似合うと言って出てくる姿を想像すると――これが結構簡単に想像できるのだ!――動物三匹と帽子屋の選択でまだ良かったと思うべきなのだろう。
「怖いじゃあないか。僕なんかほら」
そう言ってジェームズは自分の尻尾を引っ掴むと、その先っぽを誰もいない自分の隣に向かってビシッと突き出した。それから左手を腰に当ててふんぞり返ると、裏声を使って叫んだ。
「首を切っておしまい!」
まるで嘆きのマートルのような気味悪い声だとシリウスもピーターも思ったけれど、本当に女王様気分になっているジェームズには怖くて言えなかった。当のジェームズは、自分の演技に満足したように微笑むと、今度は尻尾を突きつけていた方向にぱっと移動して、透明マントを首から下だけまとってニヤニヤ笑った。うきうきと跳ねる髪の毛と一緒に、悪趣味な色の耳もまたぴょこんと跳ねた。それからジェームズはぱっとまとっていた透明マントを下に落とす。そしてまた尻尾を掴んで、今度は尻尾の先をマイクのように口元に持ってきて片膝をついた。
「女王様! 首がありません!」
言うが早いか、ジェームズは下に落ちていた透明マントを再びまとって頭だけになった。その素早い変わり身をピーターは目を閉じないように努力して見届けた。
「ってね? ほら、ホラーだ」
首だけを宙に浮かしながら、一人三役を見事に演じたジェームズはにっこりと笑って首を傾げた。いや、首はないのだから頭を傾けたと言うべきだろうか。ジェームズのあちこちに跳ねた髪の間から覗く猫の耳を眺めていると、ホラーというよりはシュールさを目いっぱい感じたピーターだったが、それは言わずにおいたほうがよさそうだった。
「う、うん、確かにね。でも、僕らはどうなの?」
ピーターの言いたいことを言わずにおくという気遣いを、ジェームズ御大が持ち合わせているはずもなく。ジェームズは頭を傾げた状態であっけらかんと言ってのけた。
「君達はまぁ、僕のついでのようなものだよ。やはりテーマは一貫していないといけないからさ。何なら皆でやろうか? 首だけ透明マントから出して、並んで歩いていたらそれはそれで恐ろしいだろうからね」
そうか僕らはついででおまけなんだ、とピーターがいじけてしまう前にシリウスの冷静な声が響いた。
「ようは、メインは悪戯であって格好はどうでも良いんだろう? でも去年と同じ格好だけはしたくない、と」
「そういうこと。でもこの猫耳と尻尾はクセになりそうだね。リーマスも可愛いなぁ。まさに眠りねずみ」
ジェームズがニコニコしながらすっかり眠りこけているリーマスの髪に手を伸ばすと、シリウスがその手をぴしゃりと遮った。
「こら、ジェームズ。ちょっかい出すなよ。夜は長いんだぞ。途中、睡眠不足で倒れられたらどうするんだ」
実際短い時間で深い眠りに就いてしまったリーマスの様子を見ていると、シリウスの言うようなこともありそうだ。
「担架代わりに棺でも用意しておいて、吸血鬼一味に路線変更しようか」
いざとなったらリーマスを棺に入れて運べるよ、とジェームズは続けて言う。でも吸血鬼の格好はホグワーツの制服とさほど変わらないから少しつまらないだろうけれどね、と。
「そんな時間があればな。……よし、できたぞ。ワライ茸をすり潰して作った“特製・今日はちょっと大胆に口が裂けるくらい笑っちゃう”薬だ」
「その名前は……」
どうなのだろうか。そう思ったピーターは同意を求めるようにしてジェームズを見上げたけれど、ジェームズはシリウスの方だけを向いていて、ピーターの物言いたげな視線には気付かなかった。ジェームズはただシリウスの肩に手を置いて、感慨深げにこう言ったのだった。
「シリウス、やるね……さすが僕の相棒だ」
こういうとき、ピーターは改めて実感するのだ。ジェームズとシリウスは特別で、自分はあらゆる意味で平凡なのだということを。そして平凡でいられることに、ちょっと安心するのもこんな時だ。一歩間違えれば変人と言われかねない特別よりも、常識人として生きられる平凡の方が絶対に堅実だと思えるからだ。
「まぁな。今日の主役は俺達ではなく、ちょっと大胆になったジャック・オ・ランタン達だ」
変人と紙一重の天才シリウスは、その同類にして相棒ジェームズの賞賛を満足そうに受けながら薬を二つの瓶に分けて蓋を閉めつつそう言った。その台詞に常識人ピーターは心の中で繰り返した。だから、それは正直どうなのだろうか。
「あぁ……何て魅力的なんだろうね。きっとその笑い声は数日間ホグワーツの住人達の耳に残って消えないに違いない」
それは否定しないけれど、できれば僕らの耳には残って欲しくないとピーターはしみじみ思う。今日は耳栓をして付いていった方が自分のためかもしれない。
シリウスが二つ目の瓶の蓋を閉め、シリウスとジェームズが今日の手順を簡単におさらいすると、丁度寮内が騒がしくなってきた。これから思い思いの格好をして、全職員と生徒が食堂へ集まるのだ。
「リーマス、時間だ」
シリウスが自分の背にもたれていたリーマスを軽くゆすって起こす。
「起きられるかい? それともアレかな、起きていられるかい? と聞いたほうがいいかな」
ジェームズが目を擦りながらも身を起こしたリーマスを覗き込みながらそう声をかける。
「うん。大丈夫だよ、ジェームズ。ありがとう、シリウス。すっきりしたよ」
本当にすっきりとした顔をしているリーマスにどういたしまして、とシリウスはおどけて頭を下げた。片手に持っているシルクハットのおかげで、彼だけ見れば気違い帽子屋というよりも夜会に出てきた上品で金持ちの紳士のように見えた。
「辛かったら言ってね?」
ピーターが言うと、リーマスはありがとう、と言って微笑んだ。
「本当に大丈夫だよ。それより、準備を全部任せてごめんね」
それを言うならピーターだって殆ど準備は手伝っていないのだけれど。ピーターはリーマスに便乗して、ジェームズやシリウスに向かって申し訳なさそうな顔をしてみる。すると頭につけた飾り物の耳まで申し訳なさそうに垂れ下がったような気がした。
「何の。これは僕らの楽しみだもの」
ジェームズが言うと、シリウスはシルクハットを頭に乗せて頷いた。
「年々厳しくなるホグワーツ教員達の目をいかにして掻い潜って、今日という日に相応しいこの行為を成功させられるか」
「腕の見せ所だね」
眠気の治まったリーマスが、少し興奮した様子でそう言った。
「あとは逃げ足のね」
ピーターが真面目に付け加えると、リーマスは確かにと深く頷いて、シリウスとジェームズはお互いににやりと笑った。
「準備は良いかな? 諸君。今年もいただくものはいただきつつ、僕らの日を大いに盛り上げよう」
ジェームズがまるで神聖な宣誓でもするかのようにして、片手を目の高さに上げてそう言った。ぴんと立った耳と尻尾。真面目な顔をしようとしてもついCheshire cat の本性が顔に出てしまう。それは爆発する前の静かな興奮を抱えたピーター達も同じだった。
『Trick and treat!』
そして彼らはそれを実行した。結局、ちょっと大胆に笑うジャック・オ・ランタンの笑い声はホグワーツの住人すべての耳を数日間支配したことをこの夜の成果として付け加えておこう。だがピーターの心配した通り、彼らの耳にもその声はしっかりと焼き付いて、彼らに睡眠不足という名の苦いお菓子を提供してくれたのだった。