種蒔く人
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2人の教師が廊下ですれ違うことなど別段珍しいことではない。広いホグワーツ内といえど、授業が終わるのは同じ時間だし、講義の行われる教室は校内でそれほど離れてはいないからだ。
その冬の日は丁度最終授業が終わった時間で、これから食事に向かう学生達で廊下はいっぱいだった。あちこちで身長の異なる学生達がわらわらと群れを成して動いている。そんな中目立つのが、廊下を歩く女生徒を呼び止める男子生徒の姿だ。2人は食堂へと向かう流れからちょっとだけ出て、周りの目を気にしながら短い話をする。双方微かに頬を染めて話す姿が、廊下のあちこちに点在している様子は、この時期ならではのものだろう。
「毎年のことながら、微笑ましい光景ですね」
授業を終えて研究室へ戻る際、同じく研究室へ戻ろうとしていた同僚を見つけて、ミネルバ・マクゴナガルは呟いた。周りには微笑ましくとも、本人達にとっては真剣勝負のようなもので。そのせいでこの時期になると生徒は授業に身が入らなくなる。それを毎年のことながら快く思っていないセブルス・スネイプは、ミネルバの言葉に足を止めて答えた。
「くだらない」
心の底からそう思っている彼の言葉は、そっけないうえに無愛想だ。ミネルバだって愛想のいい答えを期待していたわけではないから、セブルスの対応にはちょっと眉を上げただけでやり過ごした。
さて、いつもならばこの2人の会話はこれで終わり、変身術女教授と薬学教授は役に立たない会話をしてしまったと思いつつ別れておしまいのはずだった。しかしそんないつも通りの展開から逸脱した一歩を踏み出したのは、意外なことに眉間に皴を寄せている薬学教授の方だった。
「……そう言えば、貴女はあの囚人のパートナーを務めたことがありましたな」
そんな昔話を持ち出すなんて、彼らしくない。くだらないと卑下しつつも、彼だってこの熱に浮かされているのではないか、とミネルバは鋭く思考を巡らせた。
「“元”囚人ですよ、スネイプ先生」
蒔くには丁度良い種を見つけたような気がして、眼鏡の奥でミネルバの瞳がきらりと光った。いつものならばその光に警戒心を強めるべきのセブルスは、今日に限ってミネルバの目を見てはいなかった。彼が見ていたのは学生時代の小さな思い出。
「まったく趣味を疑う光景でした」
セブルスが力を込めてそう言ったのを、ミネルバは微笑みながら聞いていた。見つけた種を拾って、それが本当に蒔くに相応しいかどうかを検分する。種が悪ければ、土がどんなに良くても芽は出ない。
「そうかしら? けれど、貴方がそんな昔のことを覚えていらっしゃるなんて、意外ですね。もしかして嫉妬していらした?」
ミネルバの言葉に、過去の思い出を見ることを止めたセブルスは慌てて首を振った。
「馬鹿馬鹿しい」
そう答えた後にようやくミネルバの顔を見て、セブルス・スネイプは後悔した。しかし先には立たないからこそ後悔なのであって、セブルスは今日に限ってすぐに立ち去らなかった自分を呪った。少し青ざめた顔になったセブルスに対して、ミネルバの瞳はますます輝きを増す。どうやらこの種、蒔けばとても良い実りをもたらしてくれそうだ。少なくとも、ミネルバにとっては良い実りを。
「若いシリウス・ブラックはエスコートもリードも完璧でしたよ。今でもそうでしょうけれどね」
青ざめた年下の同僚教授を見上げる形で、ミネルバは猫のような笑みを見せつつそう言った。年上の女教授のその言葉に、セブルスは再び記憶の中のダンス・パーティを思い出して不機嫌になった。女教授は背の低い方ではないけれど、当時のシリウス・ブラックはもうすでに大人の体つきで。エスコートとリードが完璧だったとは思わないけれど、確かに絵にはなる形に納まっていたのだろう。だが、だからどうだというのだ。そんなことは自分に関係ないではないか。そうやってセブルスは自分を叱咤する。
「……何がおっしゃりたいのか、分かりませんな」
セブルスがそう答えると、その答えはミネルバに見透かされていて、彼女はすぐに返答した。
「分からないならそれでも結構」
結構ですとも、とミネルバは心の中で繰り返す。だって、この種を蒔く時期と蒔く場所はミネルバが良く知っている。時期は今すぐ、場所はミネルバとセブルスの立っている丁度間の場所が適当だ。そしてミネルバは正しく考えたことを行動に移すことに戸惑いはない女性なのだ。だから彼女は素早く種を蒔いた。
「私は貴方と踊ったことがないので比べることはできませんけれど。スネイプ“教授”、“元囚人”のシリウス・ブラックに貴方が劣るなどということはきっとありえないのでしょうね?」
笑い皺を深くしながら、ミネルバは眉間にくっきりとした縦線を刻んでいるセブルスを見上げつつ言った。
「エスコートからダンスまで」
とどめを刺すようにしてミネルバがそう付け加えると、薬学教授の眉間に浮かんだ縦線のちょっと斜め上あたりに、今度はうっすら青筋が浮かんで見えた。セブルス・スネイプは不機嫌なだけではなく明らかに怒っていた。ミネルバ・マクゴナガルはそれにとても満足した。ミネルバが満足した様子を見せると、セブルスはさらに青筋を太くしたけれど、何も言い返さなかった。
そうやって種は蒔かれた。ミネルバは実らない種を無闇に蒔く女性ではなく、セブルスは実る見込みのないと思われる種をわざわざ刈り取るような男性ではなかった。つまり、双方の認識は西と東、北と南といったように全く逆の方向を向いていたわけだ。
最終的に種は実ったのか、実らなかったのか。その結果を、何の罪もない――少なくともこの件に関しては――ホグワーツの生徒達が目撃することになる。
「踊れるのはワルツだけかしら、スネイプ教授」
深い緑の上品なドレスローブを着て、いつもきっちりとまとめている髪を下ろした女教授は正面にいる黒髪の薬学教授に微笑んで言った。薬学教授は相変わらずの黒い――しかしいつもと多少デザインが違うためこれも多分ドレスローブなのだろう――格好のまま、踊るに相応しい程度に女教授の腰に手を回したまま応えた。
「貴女に合わせているだけですが? 早いステップは苦手かと」
目を剥く生徒達を尻目に、優雅にワルツを踊るのは変身術の女教授と薬学教授。前者はともかくとして、後者が女性の手をとってダンスを踊るなんて天地がひっくり返ったってありえないと誰もが踏んでいたのに。本来ならば頬を赤く染めて、断崖から飛び降りる決心で誘った相手とぎこちない距離をとりながら踊るはずのパーティ。生徒達の視線はどうしてもパートナーよりも2人の教授に向いてしまい、自然と顔は青ざめる。嬉しそうにしているのはダンブルドア校長くらいなものだった。
まるで埋まっていることが分かっていて避けたはずの地雷を、わざわざ掘り出して投げつけられたような。そんな理不尽さの漂う空気の中、ただ当人達は周りの迷惑など気にもせずに踊り続けていた。小さく交わされる皮肉の応酬も、今日はお互い気に障ることもなく。ミネルバは始終上機嫌。それに付き合って、セブルスも毒気を抜かれたように穏やかだった。
ミネルバの思惑通り、種は小さな芽を出したのだ。それがやがて花咲き、実るかどうかは、ミネルバも知らない。