Top Secert Garden
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穴だけになった片耳に、届くはずのない君の声が届くようになったのは、僕を含めた家族全員が、ようやく君の死を受け入れることができた後のことだった。
最も、僕の場合は君の“死”を受け入れるというより、この自分が半分しかないような空虚に慣れた頃というべきだろう。この空虚は、もう何があろうとも埋まらないのだ、ということを僕はようやく自覚できた。君が死んで、5年の歳月が過ぎ経ったある日、突然に。
失った片耳が再生することのないように、冷たい土の下に埋まった君の体は、再び魂を持って立ち上がることなどできない。それをようやく理解した。どんなに待っても、君の体を抱きしめることはできない。どんなに望んでも、君が僕を抱きしめることはもう二度とない。鏡に向かって笑ってみても、君と向かい合って笑い合うこととは違う。
僕らは十分に分かっていた。いくら同じところがあっても、似ていても、別の肉体を持って生まれたからには、僕らは別個の人間で、夜のうちに君がベッドに潜り込んでいることはもうない。打てば響くように「フレッド」と呼んだ僕の声に、「ジョージ」と言い返してくれる。そんな経験をすることは、もうできないのだ。
それを自覚するのに5年かかった。それまで、フラーと結婚したビルや、仕事の忙しいチャーリーに支えてもらってなんとか運営していた店を、僕はようやく自分の手だけでやっていくことができるようになった。5年の間に、ビルとフラーの間には子どもができ、ホグワーツを卒業したハリーと妹のジニーが結婚した。ちょっと遅れたロンとハーマイオニーの結婚式も、去年ようやく行われ、勿論僕も参加した。
時は流れて、君を知らない子ども達が、店の商品を買って行く。ここ5年新作の発表されないこの店の商品だけど、子ども達は毎年新しい顔ぶれがやってくるから、まだなんとかもっているのだろう。
僕は埋まらない空虚を抱えながら、それを抱えて生きていくことにちょっとした幸福を感じていた。だって、この空虚は君の居場所。君がいなくなったことを、僕だけはいつも、いつまでも想って生きている。その証のような気がしていたから。
こんな感じ方は、自分達が別個の人間だと分かっていたという言葉に反するのではないか、と他人は指摘するだろうか。でも僕の中では何の矛盾もない。僕らは別個の人間だった。けれど同時に僕らの精神はお互いを共有していた。共有している部分があった。ちょうどORのベン図を描いたときのようだ。僕と君、ORした時に重なりあった部分は、重複カウントしているという理由で一度マイナスされる。僕らはその重複部分をマイナスすることを許さないできた。でも、君が死んで、強制的に重複部分はマイナスされた。僕が感じる空虚は、元々理屈には合わない計算違いの部分。他人には決して理解できないこの空虚を、抱えられる自分に僕はちょっと陶酔した。それが僕の5年間。
空虚な部分は広がることはないけれど、埋まることも決してない。
体の内に抱えた空虚を、僕は花を店に飾ることによって周囲から隠した。時折訪ねて、様子見にくる父さん母さんや、パーシーなんかは、この花を君への追悼の意味だと思っているらしい。それまで店に花を飾ったことはなかったし、興味もなかったから。でも僕はその間違いを指摘しようとは思わなかった。
花は確かに僕の中の空虚が痛むのを慰めてくれた。けれどカウンターに飾られた切花はすぐに枯れてしまう。枯れた花を捨てながら、僕は空虚と一緒に、この痛みもまた決して治まることのないものだと知る。新しい花を飾り、枯れた花を捨てるたびに僕はその痛みを思い知り、痛みが永遠に続くことを願う。自虐的、とは自分でも思う。けれど僕は、他に方法を知らなかった。
君がいなくなったこの世界で、それでも生きていかなければならないのだという事実を受け入れて過ごすために見つけ出した、5年という歳月をかけて編み出した方法が、花を飾るなんて、そんなものであったことに拍子抜けしているのは、他の誰でもない僕自身なのだ。
そして君がいなくなって6年目。自虐も1年絶えず続けられれば痛みに慣れる。どうしても埋まらない空虚を隠すため。そんな理由付けをしなくても、花を買って店に飾ることがすっかり習慣化してしまった、そんな10月の最後の日に、それまで何の音沙汰もなかった君が、突然僕の耳元で言ったのだ。
「もっと派手な花がいい」
穴だけになった片耳に、直接囁きかけるような声だった。それでいて、遠慮なんてものは微塵も感じられず、自分の要求をはっきりと告げる。そう、君の話し方はいつもこんな感じだった。
「え?」
それでも思わず聞き返してしまったのは、音がなくなったような6年を過ごすうちに、君の声を僕が忘れかけていたからだろうか。そうだとしたら、とても恥ずかしい。僕だけはいつも、君を想っている。その証であったはずの空虚が、生きていた君の姿を呑みこんでしまったのだとしたら、とても情けない。
恥じ入る僕の気も知らない調子で、君は明るく笑った。
「そんな大人しい花、俺には似合わない。違うか? ジョージ」
問われて僕は、抱えている花束を見た。今日買ってきた花は白いかすみ草の花束。そうだ。こんな大人しい花、フレッドには似合わない。もっと華やかで、一輪がとても大きな、ちょっと騒がしいくらいに感じられる花束の方が、彼には似合っている。
そして10月最後の日。悪戯好きの子ども達のための夜にも、大人しい花は相応しくない。けれど、僕が選んでくる花は、今日だけではなくいつも、こんな自己主張の少ない花だったような気がする。
「今日が何の日か、まさか忘れてしまったわけじゃあないよな」
忘れてしまえるわけがない。僕は一人でこの日を5回も経験した。今夜で6回目になるはずだった。それまでずっと、一晩中君とはしゃぎ回っていたこの日。
「……忘れるものか。今夜はMischief Night。僕らが主役の日だ」
10月31日。
「そう、僕ら二人が主役の日だ」
お菓子を求めて戸口を叩く子ども達と共に、ジャック・オ・ランタンを手にした死者が夜の街をさ迷い歩く。
「戻ってくるのが遅いだろう? もっと早く来て欲しかった。この日は二人でいなければいけない日だったのに、僕は5年もひとりだった」
僕の手から、買ってきたかすみ草の花束が滑り落ちた。それと同時に、目からは涙が溢れる。
「ごめん、辛かった?」
そんな一言では片付けられない。
「辛かった」
けれど、吐き出すならその言葉しか思い浮かばない。
「笑えなかった?」
「笑えるわけがない」
「ジョージ」
君のその呼びかけがなくて。
「……フレッド。君がいなくて、笑えるわけがない」
だって、僕らはいつだって“笑い合って”きたのに。それなのに、何故ひとりで笑えるだろう。
「どうして6年もかかったんだ。どうしてすぐに会いに来てくれなかった。僕がどんな思いをしたか……」
泣きながらの訴えに、フレッドが沈黙を挟んだりしたから、僕は不安になる。声しか聞こえない状態では、君がいつまた去ってしまっても、僕には分からない。僕は情けない声でフレッドを呼んだ。すると、フレッドは沈黙の代わりに真面目な声で
「ごめんな、ジョージ」
と言った。
「謝るなよ」
そんな言葉をくれるくらいなら、沈黙の方が良かった。君は自分が死ぬかもしれないと知っていた。でもそれは、あの場の誰もが心の隅においておかなければいけない考えだった。あの戦いの場では、フレッドではなく僕が死んでいた可能性だってあった。死はあの場を駆け巡っていたのだ。誰がその裾に触れてもおかしくない状況で、でも僕らは皆“死ぬ気はなかった”。だからフレッドが死んでしまったことを恨む気持ちはあっても、死んでしまったフレッドを恨む気持ちはないのだ。
だから、謝罪なんていらない。僕の言った意味を分かっていながら、でもフレッドはもう一度僕に謝った。
「ごめん、本当はもっと早く来れたんだ。でも、来れなかった」
どっちなんだ、と僕は声にならない声で喘ぐ。
「時間を置かないと、君は俺に会ったら死んでしまいそうだったから。俺の後を追おうと思うような気がしたから」
僕の右の頬を伝った涙が、床に落ちた。僕は呆然と、フレッドの言った言葉を心の中で反芻した。ひとりだった5年間を思い出し、僕は自分の中にしっかりと固まった空虚を強く意識した。
「……あぁ……そう、そうか。そうだったかもしれない」
この空虚が固まらないうちに、この空虚と共に生きる決意ができる前に彼が僕の元に来ていたら、僕はそう――彼を追って死ぬことを選択しただろう。その一線を越えることは、境界が曖昧になっていた僕には簡単すぎる選択だっただろうから。
すると、僕の中にはっきりと形を作った空虚は、死と僕との境界線を明確にしたものだと考えるべきなのだろうか。そんな考えを肯定するように、フレッドが厳かに言った。
「俺は死んだ。そして君は生きる」
僕はそれにやはり厳かな気持ちで答えた。
「君は死んだ。そして僕も死ぬ。いずれは……必ず」
この身に“死”を抱えているのは、どの人間だって同じことだ。ただそれを強く意識する人と、全く意識しない人がいる。僕はフレッドを失い、それを空虚という形で自分の中に認めたことで、イコール彼の死も自分の死も、深く意識することになったのだ。
「そうだ。でも、君は明日を生きる。明後日、明々後日も」
「この空虚を抱えながら?」
いずれ来る死を身のうちに抱えながら? そう問うと、フレッドは僕の言葉を否定した。
「その空虚は、抱えるべきじゃあない。だって、君は空虚と一緒に悪戯心を失くしてしまった。ねぇ、6年も新作が出ないなんて、経営者としては失格だ」
でもこの空虚は死であり、そして――。
「この空虚は、君のせいだ。悪戯心だって、君が持っていってしまった。追いかけられない場所へ」
決して埋まらないものだからこそ空虚なのだ、と僕は主張した。けれど、フレッドの考えは僕とは少し違っていたのだ。
「うん。だから、悪戯をしにきたんだよ」
いつの間にか、目の前に懐かしい姿がジャック・オ・ランタンを持って立っていた。どんなに良く似ていても、自分の影ではない。その証拠に、僕にはない片耳が、目の前の人物には確かにあった。
「悪戯を? 君が、僕に?」
涙で霞みそうになる視界を確保するために、僕は腕で乱暴に目元を拭った。一瞬瞑った瞼。再び開けると、探す必要もなく君が真正面に立っている。確かに、僕の双子の兄弟が悪戯な顔をして。
「違う。俺は君にいつだって真実しか与えない。僕らが騙すのは、僕ら以外の人達さ」
「どういうことか、分からない」
全く、予想もしなかったフレッドの言葉に、僕は呆然と呟く。二人でいた頃よりずっと鈍くなってしまった僕の頭に、君は困ったように笑って、手にしていたジャック・オ・ランタンをカウンターへ置いた。
「それも空虚のせいかな? なら……俺がそれを埋めるよ、ジョージ」
そう言って、フレッドは僕の方へ一歩踏み出した。
「君が?」
それからフレッドは身を屈めて、僕が落とした花束を拾う。
「元々、そのための場所だったんだろう? 君は、俺を待っていたんだ」
そこで初めて僕は理解した。空虚は僕が生きるために必要な、死との境界線を描いた。そこまではフレッドの考えも僕と同じだったのだ。けれど、そこから先が違っていた。僕はその空虚を死だと理解した。生きている限りは決して埋まることのないものだと。フレッドの考えはこうだ。空虚が死なら、埋められる。“死”でなら、その空虚は埋まるのだ。
「……あぁ、そうだ。待っていた。この広がることのない空虚は、君の形をしているんだ」
死んだフレッドでなら、この空虚を埋めることができる。
「知っていたよ。だから……」
これからは、共に生きよう。そう言って、満面の笑みでフレッドが差し出した花束を、僕は受け取った。その時、確かに僕の手は、フレッドの手に触れたのだ。
時折、ジョージがまるでフレッドのように振舞うことがあるのだ。そう親友に打ち明けられたのは、お互いの妻が買い物に出かけ、女の買い物に最後まで付き合う気力のなかった2人が、カフェで一休みしている間のことだった。最も、弟であるロナルド・ウィズリーにだって“ジョージの振舞うフレッド”がどれほど“本物のジョージと違うのか”は、はっきりと分からないらしい。親兄弟でさえ騙せてしまうほど、ウィズリーの双子はよく似ていたから。
けれど長く付き合えばジョージ、フレッドというように見分けられていたのだから、二2はやはり違う人間であると分かっていたはずなのだ。けれど、その言葉にできない微妙な、けれど絶対的な感覚が、狂ってしまうことがあるのだそうだ。ジョージのはずなのに、フレッドだと判断してしまうようなことが。そしてそれは周囲の勘違いなどではなく、ジョージ自身が意識していることなのだという。
「……大丈夫なの?」
思わず紙コップのコーヒーを握りつぶしてしまいそうになりながら、ハリーは親友に尋ねた。ロンは手元のカフェ・オ・レに視線を落として、何か別のものと一緒にコップを持ち上げて中を飲み込んだ。
「うん。本当に、本当に時々なんだよ。医者も大丈夫だって言っているし。何より本人は健康そのものだし、それ以外におかしなところはないもない。一人暮らしするにも支障はないんだ」
でも、とロンはコップを置いて続ける。
「今までに、ほんの数回だけさ。時々、ほんの少しの間だけ、自分で……自分がどっちだかわかんなくなるんだって、ジョージは言っていた」
自分がどちらか分からなくなる、と弟には言ったけれど、正確なところは違う。俺は自分が“誰なのか”わからなくなるのだ。だって、俺はジョージではない。ジャック・オ・ランタンを持って現れた夜以降、毎夜フレッドが僕のところへやってくるようになって、彼が喜びそうな花を店に飾るようになって、俺の中のフレッドは死して生き返った。
俺達は二つの肉体に分かれていた魂を、ようやくひとつの体に収めることができるようになったのだ。唯一足りないのは、ジョージの失われた片耳だけ。それだって、何の障害にもならない。魂を半分失うことに比べたら、片耳がないことくらいなんだというのだろう。俺達はまったく、立派な一人の人間。
2人で一人の、悪戯好きな魔法使いだった。
そしてそんな悪戯好きの魔法使いが経営する店は、悪戯好きの子ども達の心を掴んで離さない。カウンターに華やかな印象の花を飾り、毎年10月31日には早めに店じまいをする。その日の夜は、閉じられた店の前にジャック・オ・ランタンが掲げられ、店の中から2人分の話し声が聞こえる。
『Trick or Treat!』