温もりをあげたい
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「ポピー、君には先に話しておこうと思っての」
生徒を特別扱いしない。
傷の理由は聞かない。
ただし半端な状態で医務室から出さない。
医務室では静かに。
「人狼の少年を我が校に迎えようと思っておるのじゃ。勿論、これから先生方と話し合うつもりじゃが」
授業をサボるための口実にはさせない。
「晴れて入学となれば、君の協力が絶対に必要になるじゃろう」
医務室に突然現れた偉大な魔術師は、そう言ってポンフリーに微笑んだ。その提案を前代未聞だと言う教授もいるだろう。しかし彼女は何も言い返さなかった。ただひとつ、無言で頷いて見せると、校長は顔の皺を増やして微笑みを濃くした。この校長が言ったからには、その少年は必ずこの学校に来る事になるだろう。そう、ポンフリーは思った。
人狼。満月日にだけその姿を変え、人を襲う闇の眷族。しかし満月日以外の彼らは普通の人間と何ら変わりは無い。ただ月一度の変身が人々の恐怖心を煽り、人狼は魔法界でもマグルの世界でも異端視され続けている。そんな人狼が魔法学校に入学した前例など勿論無い。彼女も校医として人狼の世話をしたことなどなかったし、人生の中で人狼と接したことさえなかった。
新入生を迎えるにあたり、ホグワーツの教授陣は校長の発言のために頭を悩ませた。
人狼を入学させるなんて。
そんな中でもポンフリーは1人、教授たちの白熱する会議に出席せずに図書館へ通いつめていた。人狼に関して色々な資料を集めては、朝方から夕方まで熱心にそれを読んだ。
人狼が変身時には他の動物よりも人を狙うこと。
変身時には人としての理性を失うこと。
狼としての部分を抑制するための薬は昔から研究されているが、未だ成果はあげられていないこと。しかもその薬は自らを実験台にして、人狼自身が開発している場合が多いこと。
変身は非常に体力を消耗すること。
人狼は差別されていて、学ぶことも職に就くこともできないので、森の中で人を避けて暮らすことが普通であること。
ポンフリーはそんな事実を断片的に集めて、学んでいった。人狼は人ではない。それがポンフリーの知った、社会的な共通の認識だった。
さんざん騒いで、結局は彼女が思った通り、教授陣が折れ、人狼の少年はホグワーツへの入学許可証を手にすることになった。少年が入学するにあたって、教授陣は他の生徒達の安全を守るための防衛策を設けた。
今は廃墟となっている屋敷を、満月日に少年を隔離するための場とすること。
そこへの道は暴れ柳を植えて封鎖してしまうこと。
屋敷にはすべて魔法をかけて、狼が逃げ出さないようにすること。
混乱を避けるために、人狼の存在は他の生徒達、そしてその親達には秘密にすること。
他の生徒のため、他の人のため。
そうやって決められていって、人狼はその居場所を失って行ったのだ。
ポンフリーは毎月満月日に、他の生徒達に気付かれないように少年を連れて屋敷へ同行することになった。少年が部屋に入った後、彼女が外から鍵をかけて少年を隔離するためだった。少年が来る前に少しでも清潔にしておこうと考えた彼女は、ある穏やかな日差しの日に1人で屋敷へ向かった。
冷たい建物。少年が隔離される部屋には粗末なベッドと格子のはめられた窓。その入口は重い鉄の扉。狭く、暗い空間。この扱いが正当だと考える教授もいるのだろうと思うと、ポンフリーは同僚にさえ強い嫌悪感を覚えた。
他に何か方法が……。
そう考えても、その方法が浮かばない。彼女は、今度は自分に吐き気を覚えるほどの嫌悪感を持った。
ポンフリーが受け取った少年の書類には、家でも同じように満月日には地下室に閉じこもっていたということが書かれていた。両親と共に、町や村を追われる生活。事実が簡潔に書かれたその、ただの文字の羅列が死刑宣告と同じ重さで彼女の心に圧し掛かった。
一体どんな生徒が来るのかしら。
すさんでいるかもしれない。必要以上に怯えているかもしれない。寮生活で、彼は人狼である事を周囲に隠しながら暮らして行かなくてはいけないのだ。
心の病に特効薬などありはしない。
ダンブルドアは少年にただ家庭で暮らす以上の試練を与えたのかもしれない。学び、成長し、友人を作り、恋人を作り。そんな当たり前の生活が、彼に出来ない事を知った上でここに迎えた。少年がここで何を得、何を失うのか。ダンブルドアは残酷だと彼女は思う。
少年がここに来る前に色々と準備をしようと最初は思っていたが、ポンフリーは結局何も準備できないまま入学式を迎えることとなった。少年をこの学校に迎えた事が、本当に彼にとって良い事だったのか判断をつけられないまま。
そして迎えた入学の日。ポンフリーは組分けの間、教授陣の座るテーブルの末席にいた。同僚の女教授が取り仕切る組分けが次々と進み、その生徒達を見ていく。初めて親と遠く離れて不安げな子はいるけれど、どの生徒も血色の良い、健康そうな顔をしている。そのどれもが、これからの生活を想って輝いている。
「リーマス・J・ルーピン!」
マクゴナガル教授が呼んだその声を聞いて、彼女は身を乗り出さんばかりにして組分け帽子へと進む少年を見た。鳶色の髪、色素の薄い瞳。身長は平均的で、体が細い分だけ他の生徒より小さく、大人しそうな印象を受けた。すさんでいるようには見えない。少年は周囲から向けられる視線に萎縮して、視線を落としつつ高い椅子に座った。マクゴナガルがその少年の頭に組分け帽子を乗せると、組分け帽子はもぞもぞと口のような部分を動かした。
組分け帽子の声は被っている少年にしか聞こえない。ポンフリーが瞬きすることさえ忘れて少年を見つめていると、突然帽子を被せられた少年の顔色が、さっと青ざめた。
倒れる!
ポンフリーはそう思って椅子から立ち上がりかけた。しかし帽子が「グリフィンドール!」と叫ぶと、少年はすっと立ち上がって、何事も無かったようにして席に着いた。彼女は身震いした。今この場で彼の顔色の変化に気付いた者が何人いたことだろう。彼は一瞬にしてその動揺を自らの内に隠したのだ。
11歳の少年の精神ではないわ。
人狼として生きてきた彼にとっては当然の、なくてはならないという程度の精神力かもしれない。しかしこの学校の、彼女の生徒として、それは異常な反応だった。
まるで老齢しているかのよう。
入学式が終わり、生徒達は監督生に連れられて寮へ向かった。少年は部屋に着いたら自分の荷物と一緒に1通の手紙に気付くだろう。彼女は医務室に戻って彼を待つ事にした。満月日の彼の扱いについて、ここで校長から彼に説明があるのだ。
食事はさっききちんと摂っていたみたいね。
昨日が満月だったことは知っている。本に書いてあることが正しいのなら、変身後の彼の体力はひどく落ちているはずだ。
睡眠はどうかしら。
新入1日目はどの生徒も興奮して目が冴える傾向にある。少し考えて、彼女は棚からカップを取り出し、ホットチョコレートを作った。そこに睡眠薬を少量混ぜて。
ポンフリーがホットチョコレートを作り終えると、丁度コンコンと丁寧なノック音が聞こえた。
「どうぞ入っていらっしゃい」
校長やマクゴナガルだったらノックなどせずに姿を現すことを知っていたので、ポンフリーは迷わずそう答えた。
「失礼します」
案の定入って来たのは彼、リーマス・J・ルーピンだった。少し大きめのローブを着て、えんじ色のネクタイを締めていた。
「お座りなさい」
ポンフリーは椅子を指して言った。リーマスは少しきょろきょろと辺りを見回しながら、言われた通りに椅子に座った。その時ダンブルドアとマクゴナガルがそろって姿を現した。彼女はもう慣れているので驚く事はなかったが、リーマスには馴染みの無い現れ方だったらしい。肩が少し跳ね上がった。
「やぁ、ポピー。お邪魔するよ。リーマス・J・ルーピン。まずは入学おめでとう。そしてようこそ、ホグワーツへ」
ダンブルドアはそう言うと、リーマスの方へ手を伸ばした。手を差し出されたリーマスは、きょとんとしてその手を見つめるだけだった。
「握手を求めていらっしゃるのですよ、ルーピン」
マクゴナガルにぴしゃりと言われて、リーマスは戸惑いながらおずおずと手を差し出した。
握手を求められる事に戸惑うなんて。
触れただけで人狼になることなど無いのに、人々は触れることすら嫌がるのだ。そしてそれをリーマスは当然のことだと思ってしまっている。それがポンフリーには悲しかった。
ダンブルドアはリーマスが差し出した手を自ら握ると、軽く上下させて微笑んだ。それに安心したように、リーマスは顔をほころばせると丁寧に頭を下げた。
「あの……本当にありがとうございます。入学を許可していただいて」
放たれた声は柔らかく高い少年のもので、彼女は少しほっとした。年相応の少年に見えたからだ。
リーマスの言葉に、ダンブルドアは満足そうに白い長い髭を撫でた。
「君はこれからここで7年間様々なことを学ぶじゃろう。きっと優秀な生徒になる。のぉ、ミネルバ」
「それは本人の努力次第です」
しかめ面をしたまま、マクゴナガルは首も動かさないでそう言った。その彼女らしい様子にダンブルドアとポンフリーが苦笑する。
「ルーピン。君が入学する時、儂はここの先生方と約束をした。君には特別な措置をとるとしか伝えておたんかったが、満月日の君のことじゃ」
「はい」
ダンブルドアは暴れ柳の先にある屋敷のことをリーマスに話した。それを聞き終えたリーマスはほっと息をついた。
一体何に安心したのかしら。
そんな様子を見ていたポンフリーは訝しく思ってしまう。安心などしないで、むしろその扱いを不満に思ってしまって良いはずなのだ。それなのに。
しかしそれをこの少年に言うことはできないだろう、とポンフリーは分かっている。本当は分かりたくないのだけれど。
「あと、君のここでの生活は儂が保証しよう。ルーピン。儂を信じなさい」
「……はい」
「それでは君はゆっくりと休んで、明日からの生活を有意義に過ごさねばならん。ポピー、後は任せよう」
ダンブルドアは視線だけでマクゴナガルを促すと、2人は現れた時と同じようにして突然姿を消した。
残されたリーマスがポンフリーの方を戸惑ったように見る。彼女は優しく語りかけた。
「校医のポンフリーよ、ルーピン。満月日に貴方と一緒に屋敷へ行きます。授業が終わったら医務室へいらっしゃい」
「一緒に、ですか?」
「貴方が部屋に入ったら、私は外から鍵をかけて学校へ戻ります。朝方には鍵を開けてあげられるわ」
ポンフリーがそう説明すると、リーマスはまた安心したように小さく溜息をついた。それからしばらくポンフリーの顔色を伺って、ポンフリーが微笑むと自分もゆっくり笑ってから切り出した。
「あの……」
「何です?」
「次の満月の前に、その部屋を見せていただくわけにはいきませんか?」
「……何故?」
「あの……校長先生を疑っているわけではないんです。でも、部屋がもし壊れたりして、狼化した僕が外に出てしまったらって、不安なんです」
小さな微笑もすぐに消して俯いてしまったリーマスを見て、彼女は思った。
もしも何かが起きたら。そんなことを考えずにはいられない生活。この子の中に絶対という言葉は存在しないのだということを、ポンフリーは理解した。
「えぇ、いいでしょう。明日の夕食後にここにいらっしゃい。マクゴナガル先生には私が伝えておきます。今日はこれを飲んで、寮にお帰りなさい」
ポンフリーはそう言って、ホットチョコレートの入ったカップをリーマスに渡した。だがカップを受け取ろうとして伸ばされたリーマスの手が不自然に振れていることに気付くと、さっとカップを引き戻し、ポンフリーはリーマスの指先を掴んで服の袖を捲り上げた。
血の滲んだ包帯が目に入る。ポンフリーが何か言おうとする前に、リーマスが自分の手を引き戻し慌てて口を開いた。
「昨日満月で……僕、その、爪で引っかいてしまったんです。すぐにここへ来る準備をしたので、きちんと治している時間が無くて……」
ポンフリーは引き戻された腕を、今度は優しく掴んで無言でその包帯を取った。引っかいたという表現は軽すぎた。爪は深くリーマスの細い腕に食い込んだはずだ。痛みも相当なものだったろうに、ポンフリーは今までそれに気付かなかったのだ。
「リーマス。私はホグワーツの校医で、色々な生徒がここに来ます。私は生徒が傷を負ってここに来ても、その傷のわけを問うたりはしません。ですから、良い? 傷を負ったことを隠すのは止めなさい。私にだけは」
生徒を特別扱いしない。
でも、この子だけは。
「私を信じなさい、リーマス」
ポンフリーはそっと杖を振って痛々しい傷を治す。痕が少し残ってしまう傷もあるが、血の滲んだ傷を見られるよりはましだろう。低学年の風呂は大浴場だ。誰にも肌を見られずに済むことは難しい。
傷を手当てすると、ポンフリーは再びリーマスにカップを渡した。リーマスは黙ってそれを飲み干し、曖昧に微笑んで医務室を出て行った。きっと今は信じることはできないだろう。
それでもいつかは。
そう思って、ポンフリーは欠け始めた月を見上げた。
どんな生徒であれ、傷ついて訪れる者には癒しと愛情を。
それも惜しみなく。
リーマス少年はポンフリーが思った通り、この学校で様々な経験をした。親友と呼べる友を得て、そして人狼であることを彼らに知られてしまう。しかし、親友達はそんなリーマスを受け入れ、彼らは本当に素晴らしい時を過ごした。笑い、怒り、悲しみ、そういった感情を得てリーマスは卒業した。
そしてその後の悲劇。彼女はその知らせを聞いた時、学校を抜け出してでもリーマスに会いに行ってやりたいと思った。ここで得た親友達を、リーマスは一度に失った。悲しみ死んでしまうのではないかと思った。強く、でも繊細なリーマスを、抱きしめてやりたいと思った。
それも、いま叶う。
周囲の状況は相変わらず暗いけれども、リーマスは生き続けた。たった1人残された親友の子どもを守るために。
医務室の扉をノックする音に、ポンフリーは自然と微笑んだ。
「どうぞ」
入ってきた青年には疲れの色が濃い。初めてここに来たときと同じ、満月日の後なのだ。そして、12年分の苦悩の重み。
「お久しぶりです、マダム」
かすれる声は昔とは違っていたけれども、その瞳の、穏やかな強さを秘めた輝きは変わっていない。ポンフリーは微笑んで両腕を広げた。荷物を置いて、青年はポンフリーに近づき、少しかがんで彼女を抱きしめた。彼女も青年の背に腕を回す。細い体。白髪の増えた鳶色の髪。他人の手を取る事にさえ戸惑っていた少年は、彼女の前にはもういなかった。
「必ずまたここで会えると思っていましたよ、リーマス」
喜びの溢れるポンフリーの言葉に、リーマスは微笑んだ。
「またお世話になります」
「えぇ、勿論ですよ。ここにいる限り、栄養失調だなんて許しませんからね、ルーピン先生」
はにかんだように笑うリーマスの顔に、昔、友を得た時に見せてくれたその笑顔が重なった。
リーマスが人を信じることを知ったあの時、彼女も知ったのだ。
この子だけはと思ったその理由。
貴方の母親になりたかったと言ったら、貴方は笑うかしら。