Chapter 5 : 門出の森
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その森には王家の墓が数年前に移されて、神の娘と広く讃えられた王妃が眠っていた。そして王宮でも数少ない人間しか知ることはないけれど、憂いの王と呼ばれた先王とその唯一の家臣もこの森で永遠の安らぎを得ている。
父王は外交的にも内政的にも一応、独裁的だったとされる先王からこの国を救った解放王ということになっている。けれど教育係でありフォリンの宰相でもあるサフォムから聞くところによると、先王は確かに独裁ではあったけれど、国を食い散らす悪王ではなかったそうだ。それも、先王が死んでから分かったことだけれども。
打算ばかりの政略結婚かと見られた叔母たちの嫁ぎ先も、実は外交のことだけではなく、相手を見ての縁談だったそうで、叔母達の中で先王の死後フォリンに戻ってきた人は一人だけだった。今では他国に十数人の従兄弟がいる。祖母は現在、老将軍とともにフォリンの南にある王家の別邸に隠棲している。
南の大国ミディクに対する北の大国フォリン。その名声をこの国に与えたのはひとえに宰相サフォムの手腕だと父王は笑う。彼の心には義兄王を殺したことに対する呵責のようなものがいつまでも残っていて、そのおかげ、と言ってはいけないのかもしれないけれど、次の王は息子にも娘にも譲らず、六人いる甥の中から一人を選び世継ぎとすることをすでに決めていた。その一人も、もうすでに決まったようなもので、今年の冬から正式にフォリン王の養子になっているのだ。
そして今は花も咲き乱れる春。第一大陸シュビットの長い冬が終わり、短いながらも多くの変化をもたらす恵みの時期になっていた。旅立ちには都合の良すぎる時期。暖かさとともに心を躍らせる何かが空気中を飛来して、避けて歩くことは難しい。
父王にそう漏らすと、では旅に出て来いと言われた。あっさりと。だから昨日の時点できっぱりと決めた。旅立ちは明日だ、と。そして昨日のうちにこっそりと準備をして、亡き母と、憂いの王と呼ばれた先王に会いに来たのだ。
「アゼル」
そう、自分と同じ名前を持つ、会ったことのない父の義兄に。ただし同じ名前、と言ってもアゼルというのは正式な名前ではない。正式な名前はアルファード=ウィルス=フォリン。アゼルというのは身内だけで使われる愛称のようなものだ。主に彼の父親がそう呼びたがったために、今ではアルファードと呼ばれても素直に反応できないくらいに慣れてしまっている。
「セライド小父さん、来てくださったんですか」
呼びかけられて振り返ると、そこには美しい黒髪のエルフが立っていた。父ウィザーズの親友で、この森の管理者でもあるセライドだ。彼と父の交友のおかげで、フォリンでは人とエルフの交流が活発になり、今ではそれが他国にも広まっている。森を大切にし、自然と共に生きる術に長けたエルフ。そして彼らにない独自の技術と知恵を持つ人間。フォリンが大国へと発展した要因のひとつはエルフの知恵を取り入れたことにもある。セライドの故郷である迷いの森はまだ人が住めるほどの回復は見せていない。だからこそ人もエルフも知るのだ。創造は簡単なものではないということと、破壊は軽いものではないということを。
「他にまともに見送りが出来る者がいないだろう?」
そう言って苦笑したセライドは、アゼルが子どもの頃から艶やかな黒髪と白い肌を保っている。エルフの寿命は長いのだ、ということを実感するのは父でありセライドの親友でもあるウィザーズが、「セイは最初に出会ったときのままだ」という言葉を聞いた時だ。二人が出会ってからもう十八年は経っているはず。
いずれはウィザーズの方が先に死ぬ。それを見越して父はこの森の管理人を親友であるセライドに頼んだのだろう。
「父上とレミアのこと、よろしくお願いします」
けれどとりあえずまだ、父がこの森で母と共に眠る日が来るには遠い。母に良く似た外見に育った可愛い娘を置いて死ぬには、父はまだまだ若いのだ。
「ウィズのことはともかく、レミアまでは正直面倒を見きれん。あのお転婆は、お前が出て行ったことを知れば追いかけると言ってきかないだろうな」
母は美しく、そして少し幼さを残した穏やかな性格の人だった。その点、アゼルは母の性格に似たのだろうと思うし、他人からもそう言われる。けれどレミアは外見だけを母から受け継いで、性格はまるっきり父に似た。それをサフォムは毎日のように嘆いている。
「そこをなんとか引き止めて下さい。レミアまで城を出たら、僕が父上に恨まれます」
何せ性格はどうであれ、父にとってレミアは美しい妻と同様に彼の癒し的存在なのだから。多くの父親にとって娘がそうであると同じく。
「気をつけて、という言葉は必要ないだろうな。お前には頼もしい旅の仲間がいる」
セライドの言葉に、アゼルは無言でにこりと笑って見せた。人ならざるものの声を聴くことができる。それがフォリン国王とその子どもが開花させた新しい能力だ。人々はその能力をまるで神のように扱うけれど、アゼルは多くの友を得られる便利な能力程度にしか思っていない。父もそうだろう。セライドも、最近ではそう思えるようになってきたらしい。
「アトレさんに言付けはありませんか?」
第二大陸にいるダークエルフの友人の名前を挙げられると、セライドは端正な顔を素直に顰めた。
「奴には何もない。ヤージェに、体を大切にするように伝えてくれ。アトレ似の子どもは絶対に産むな、と」
アトレに似たところで、大らかで良い性格になるのではないかな、とアゼルは思ったけれど、ここは神妙に頷いて答えるにとどめておいた。皮肉はこの人の愛情の裏返しだと理解していたから。
「分かりました」
神妙さを装いながらも口元が緩むことを隠せないアゼルに気付きつつも、セライドは年長者の余裕でそれを無視することに決めたようだ。そんなセライドに、アゼルの頬はますます緩んでしまうのだが、それは邪気のない笑みで隠すことにした。
「行ってきます」
アゼルは袋ひとつにまとめた荷物を持って、セライドに告げた。セライドがそれに応えて頷くのを見届けると、アゼルは歩き出した。
足取りは軽い。風が楽しげな笑いを振りまきながら、彼の周りで踊っている。その風に撫でられて、森の木々が揺れて葉が擦れた。
行くの? アゼル。
どっちに行くの?
陽気に風が問うと、つられて葉も尋ねてくる。セライドの言った、アゼルの頼もしい旅の仲間達だ。
「まずはアトレさんの所だよ。それから先は、まぁ、後から考えよう」
これから未知の土地へ行くという時に、その土地の自然ほど頼りになる旅の仲間はいない。旅の始まりにうかれたように踊る風に触発されたのか、高く飛んでいた鳥がするりと降りてきてアゼルのすぐ上を滑って先導しだした。
いいところを教えてあげる。
たくさん教えてあげる。
彼らが「たくさん」と言うのだったら、それはもう「たくさん」なのだろうな、とアゼルは笑った。これは当分戻ってこれそうにもない。
「じゃあ、全部行ってみようか。レミアが退屈しないように、全部見て、全部話してあげないとね。もちろん、運んでくれるだろう?」
勿論だ、と笑いを含んだ言葉で皆が返してくる。届けてあげる。妹のレミアにも、父のウィザーズにも。そして森に眠り、今は自然に溶け込んだ母レンヌには届けなくても伝わるだろう。もしかしたら今は穏やかに眠るだけの、自分と同じ名前を持つ伯父にも伝わるかもしれない。
「行ってきます」
もう一度、アゼルは誰にともなくそう告げた。森は旅立つアゼルを見送って、そしてまた、帰ってきたアゼルを迎えてくれるのだろう。
風が花の香りを運んできた。アゼルはそれを胸いっぱいに吸い込んで、何の不安も持たず、希望と好奇心だけを抱いて故郷を後にした。