密室談義
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カタカタ、カタ、カタカタカカカ。
カタ、カタカタ、カタタタ、カタカタ、タン。
「なぁ」
「おう」
カタカタ、タン。カタカタカタ、カタ、カタ。
「今ここ、密室だな」
カカッ。
新年早々、冬季休業後に提出するレポートを打ち込んでいた西川 守――極一般的な大学生――は、食事用の卓袱台の上にノートパソコンを広げた友人――こちらは一般的とは口が裂けても言えない大学生――真壁 直人の言葉に思わず手を止めて振り返った。友人は真剣にノートパソコンの画面を見詰めて、指を動かしていた。守は聞き違えたかと思ったが、一応ぼそりと答えを返してやった。
「……いや、玄関、鍵掛けてないだろ」
カタカタ。直人は指を動かし続けている。そして本当に真剣な様子で、口を開く。
「お前が便所行ってる間に俺が掛けた」
確かに守は数分前に用足しに立った。だがその間にそんな行動を友人が起こしているとは、想像もしなかった。
「……何で」
守の素朴な疑問に対する直人の答えは実に簡潔だった。
「密室にしたかったから」
守は何も言わずに、自分のデスクトップ画面に向き直った。正直言って、混乱していた。しかし指は正確にキーを打つ。レポートは行数を増していく。このレポートは新年早々の提出日に間に合いそうだ。無事このまま生きていられたら、提出も無事済むだろう。そして極普通の大学生なら、まず今すぐ自宅で死ぬことはないはずだ。
カタカタカタ、タタタタ。タン。タン。
「……なぁ」
「おう」
タタタン。タカタン。カカカ、カタ。
「お前書いてんの、レポートだよな」
直人は確かに一緒にレポートをやろうと言ってこの部屋に来た。同じ課題でもないのに、一緒にやる必要性はないと守は思ったが、どうせ終わったらそのまま飲むつもりなのだろうと思って友人を迎え入れた。それが数時間前のことだ。普通の大学生らしく年賀状を出す気力もなかった守は、丁度良いからと訪問してきた友人に律儀に新年の挨拶をした。そして御節もお雑煮もない寂しい学生二人はそのままレポート書きに突入したのだ。少なくとも守はずっとレポートを打っていたし、背を向けていた直人もキーボードの音は止んでいなかった。
直人はようやく顔を上げて、守の顔を見ると口の両端をあげてニヤリと笑った。いや、にんまりの方が正確な表現かもしれない。
「いや」
不敵に笑うとまた視線を落としてキーボードを叩き始める。守は思った。きっと今は無理に何か考えないで、お茶の一杯でも飲んだほうが良い。そして天井を見上げて溜息。しばらくあ〜、とかう〜、とか言ってから守はお茶を入れに流しに立った。するとようやく単語が口から出た。
「……あのさ」
何があのさ、でその続きはどうなるのか守には分からなかった。続ける言葉もなく、守はただお湯を沸かしてお茶を入れるための作業を続ける。すると直人のキーボードを打つ手がここにきて止まった。こういう時は覚悟をした方が良い。次にくる台詞は常人には毒にしかならない。
「密室。平仮名で書くと“みっしつ”か。こっちの方が密って感じだよな」
くすくす笑いながら言った直人にそれってどういう感じだよ、と守は心の中でつっこんだ。詳しく話されても困るのであえて言葉にはしなかったのだ。
「……頼むから、小説書くなら黙ってやってくれ。こっちも邪魔しないから」
二人分のお茶を入れて、守は一つを直人のノートパソコンの横に置いた。そしてそのまま通り過ぎて自分のパソコンに向かい合おうと思った。直人はすぐにお茶に手をつけて、一口飲むと脇を通り過ぎた守の背に向かって一言。
「……密室殺人……。今俺がここでお前を殺したら、密室殺人だな」
その瞬間、守は直人の幻影が背後でペンを構えてまさに今突きたてようとしている姿をはっきりと感じた。ペンは剣よりも強し。その言葉に笑えない日が来るとは。今、奴に背後をとらせるのは危険だと判断した守は、直人の前に胡坐をかいてお茶を飲んだ。直人の手は止まっていて、気違い帽子屋のような瞳で笑っていた。きっと本人にとってはとても楽しい――そして守にとってはとてもマッドな――想像が頭の中で飛び回っているのだろう。
「……あのさ、妄想中悪いんだが、お前が殺した後もこの密室を保ったまま外に出ないと、密室殺人は成立しないぞ」
直人の顔から笑みが消える。手元のお茶を口に運ぶが、中を飲むまでには至らない。数秒その姿勢のまま静止してから、直人は言った。
「……後から鍵を入れる?」
「郵便受け玄関についてないから無理」
何のための疑問符か、判断の付けづらい質問に守は家主として速攻で答える。直人は沈黙してお茶を一口飲んだ。その手は湯飲みを持ったまま先ほどと同じように宙に静止する。
「俺が殺した後、俺も死ぬ?」
「密室だけど、何の謎もないだろ」
「いや、俺も殺されたように偽装して、さぁ、犯人は誰でしょう」
「誰だよ」
ゴクリ。直人はお茶を飲んだ。守も飲む。少し温くなってきてしまった。直人はあぁ、そうだ、という顔で嬉しそうに言った。
「松井?」
「何で」
と言うより、誰だ、松井って。今度は守だけがお茶を飲む。直人はまた静止してしまった。
「屋根裏から隣の部屋に行く」
「屋根裏ないから。それに隣の部屋に行って、どうやって外に出るんだよ。同じだろ、それ」
最後に二人でゴクリ、とお茶を飲む。直人の顔から笑みは消えている。守はしばらく真剣に悩んだ。目の前にあるのは地雷だと思うのだが、その地雷を踏むべきだろうか。守はもうお茶の入っていない湯飲みの底を覗いて言った。
「……ネタにつまってんだな?」
静かに言うと、直人が胡坐をかいたまま飛び上がった。なるほど、起爆スイッチと実際の爆発部分に少し距離がある地雷のようだ。
「うわっ! 禁句だ! 受験生に滑る発言するのと同じだぞ、それ! 俺に死ねって言うんだな!」
直人は震える指先を守に突きつけて、涙目になりながら叫んだ。
「今時滑るって言っただけでビビる受験生いねぇよ」
そして何も泣くことはないだろう。直人は急に大人しくなってぼそりと呟いた。
「……どこでもドア……」
あ〜、と守は天井を見上げた。
「……ドラえもんって、殺人兵器だったんだな」
守が認めると、直人はぱっと顔を輝かせて立ち上がった。そして握り拳を作るとこう宣言した。
「よし、作ろう。実際に作れれば小説中に出しても本格を名乗れるはずだ」
守は適当に拍手をした。
「はい、話はまとまったな。じゃあお前は家に帰ってじっくりドラえもんを製作してくれ」
守は飲み終わった湯飲みを二つ持って流しへ向かうことにした。早く片付けてレポートを完成させなければ。しかし直人の湯飲みに手を伸ばしたときに、その手を直人に掴まれた。
「駄目だ」
「何で」
「応募の締め切りが明日の消印までだから」
守は慌てた。ここで逃げ切らないと、命に関わる気がする。
「ちょっと待て。肝心のトリックがなくて、今日のうちに書き終わるわけないだろう」
直人が沈黙した。手を掴まれて、頭を下げられると井戸から出て来たとき丁度の貞子のようだ。多分、殺される。
「……心中しようか」
「俺を巻き込むな。とりあえず窓開けようぜ。密室だなんて考えるからつまるんだよ」
止められるかと思ったが、直人はあっさり守の手を放した。守は窓を開けようと立ち上がる。その時直人はニヤリと笑って一言。
「……そうだな。思いつけばいつでも実行可能だし」
蛇に睨まれた蛙の心境だ。本当に泣きたいのはこっちの方だ、と守は思った。
「……何で対象が俺なの?」
「友情の証? いや……今年はほら、未年だろ?」
止むを得ず推理小説家志望の人間と友人になってしまったあなた。
不用意に密室状況を作って二人きりになってはいけません。
特に今年は。