遺された者達
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暗いテントの中で、ザードはランプの灯だけを頼りに魔術師から受け取った手紙を解読していた。とても長い手紙だった。そこにはゼファが突然前の隊を解散させた理由と、ゼファの決めた死への道のりが書かれていた。すべては二十年前、虐殺の火で滅びた村の復讐に燃えたゼファと、ひとりの女性との出会いから始まっていた。皮肉な運命。二十年の別離の時。そして再会の時と等しい死期。遺書と呼べるようなものではない。その手紙にはザードへ宛てた文句は一言もなく、ただゼファの生きてきたその道のりが、事実として書かれているだけだった。
読み終えた後、何故ゼファがこの手紙を自分に送ったのか、ザードは考えた。何故送る必要があったのか。ゼファは一体、自分の人生をこんな形で明かしてザードに何を伝えようとしたのだろう。
ごそごそと動く音で、ザードの思考は一旦途切れた。テントにはザードと亜精霊のフライナーしかいない。そのフライナーが、どこか居心地悪そうにしきりに身じろぎしている。ザードはまだ手紙に目を落としながら、フライナーの様子を感じ取って静かに尋ねた。
「どうした? フライナー。落ち着かないな」
ザードが呼びかけると、フライナーはすっと身を強張らせた。
「はっ……申し訳ありません、マスター」
主人の気を散らせてしまったことが分かったのか、フライナーは身を伏せて謝った。じっとしていようと努力しているようだが、尻尾の揺れる気配は相変わらずしている。特に興奮しているようではなさそうだが、そわそわとしている様子は変わらない。
「謝ることではないが、何か気になることがあるか?」
ザードはようやく手紙から目を離して、地面に伏せているフライナーを見た。フライナーは主人と目が合うと、珍しく決まり悪そうに眼を逸らした。
「その……魔術師という輩は、初めて見ましたので」
フライナーの答えに一瞬、どういうことだろうとザードは思った。魔術師が珍しい、それだけでフライナーが落ち着きをなくすとは思えなかった。しかしそこでふと、自分でも何かいつもとは別の、特殊な感覚に身を強張らせていることが分かった。ザードは目を瞑ってその感覚が何処からくるのかを探った。それはフライナーから感じるようでもあるが、もっと別の場所、テントの外から感じられるものでもあった。今日初めて感じるものだ。
ザードはその感覚が何から来るものなのか、分かったような気がした。確か先代がいたときにも、これよりは強くなくとも同じような感じを得ていたことを思い出したのだ。
「そうか。契約者以外の強い魔法の気配を感じるのは初めてのことだったな。気分が悪いか?」
それは魔法の気配だった。普段はほとんど魔力を持たない者の中にいるので、こんなに強く意識したことはない。ザードとは別の、強い力を感じることはこれが初めてなのだ。手紙を持って訪れた魔術師の魔力は、それなりに高いものなのだろう。ザードの問いかけに、フライナーはすぐに首を振った。ただいつもより明らかに戸惑い気味に。
「いいえ、そうではありません。ただ……気になるだけです」
気になるだけ、か。ザードは思った。それだけでも特別なことだ。何か気がかりな思いは、ザードも同じように感じていたのだから。
その気がかりの元へ会いに行こうと、ザードはテントを出た。フライナーを連れて魔術師にあてがったテントへと向かうと、その前にはエリオが腰を下ろしていて、丁度テントから出ようとしていた魔術師を睨みつけていた。
「魔術師さんよ、親切な奴から教わらなかったか? 妙な動きをしたら命はない、と」
エリオは剣を手にかけ、魔術師は身の丈よりも長い金属製の杖を持ったままだ。
「……夜に星を見るだけで、妙な動きと言われるとは思いませんでした」
「ここはあんたの価値観で物事が動く場所じゃねぇんだよ」
挑発はあくまでエリオの一方的なものだった。魔術師の方には、それに乗るような雰囲気は見られない。それは幸いなことだった。
「エリオ、聞き分けのない子どものようなことを言うな」
ザードが近づきながら間に入って言うと、エリオは悪戯が見つかった子どものように眉を寄せて下を向いた。
「頭領……起きていたのか」
「見張りが必要だと思うのなら交替だ。エリオ、テントに入って休め」
ザードが命令すると、エリオは俯いていた顔を上げて、奥歯を噛み締めて言った。
「本当にゼファからの手紙だったからって、易々とこいつを信用するな。顔も見せようとしない奴なんか……」
「信用しているわけではない。労をねぎらっただけだ。安心しろ」
そう言って宥めたけれど、エリオの顔は厳しいままだ。それでも渋々とエリオは立ち上がった。本当はもっと俊敏に動けるはずなのに、その巨体をのろのろと持ち上げて自分のテントへ向かって歩き出す。けれどザードの足元にフライナーの姿を見止めると、エリオは皮肉に笑った。
「……珍しく噛み付かねぇな、フライナー。魔術師が怖いか?」
「何だと?」
その挑発にフライナーの毛が逆立つ。平然としていた魔術師と違って、フライナーは挑発に乗りやすいのだ。
「よせ、二人とも」
ザードが溜息混じりに止めに入ると、エリオもフライナーもすぐに視線を逸らした。多少気が立っているだけで、二人とも本気ではないことくらい、ザードには分かっていた。
「……気ぃ抜くなよ」
立ち去るエリオはそれでもザードに耳打ちすることを忘れなかった。
「分かっている」
エリオの背がテントの中に消えるまで、ザードはその背を追っていた。ふと魔術師の方を見ると、小柄な魔術師もザードと同じようにエリオの背を追っていたようで、彼の消えたテントの方を向いて小さく呟いた。
「……どうやら、無駄に争いの種を蒔きに来ただけのようです。夜明け前には出ますので」
魔術師はそう言ってまだ白み始めるには早い夜空を見上げた。ザードもつられて空を見上げる。雲ひとつない乾いた風が吹く夜だ。明日も乾燥した晴天になるだろう。
「そこまで急がなくても良い。朝を食べてから出発しても……」
使いの礼になるようなことを何もしていないし、それくらいの食料はある。そう申し出たザードに、魔術師は平坦な声で答えた。
「いいえ、今日中にエリューザまで着きたいのです。私の足では、夜明け前に出なければ間に合わないでしょう」
星を見上げたままの姿勢で魔術師はそう言った。その空を見上げる首の角度。それを見てザードは妙な既視感を覚えた。同じように空を見上げている姿を、確かに見たことがある。
そうだ、その首の角度はゼファを思い起こさせる。彼も同じように夜空を見上げていた。ザードが先ほどしたようにこれからの天気を占うためでもあったけれど、彼が夜空を見上げる理由はもうひとつあった。星見だ。夜空に散らばる星を読み、時の流れと人の運命を知るのだとゼファは言っていた。
ゼファ。
ザードにとっては仲間であり、師であり、そして父親に一番近い人だった。その人が死んだ。望んだ通りに、望んだ人と共に。ゼファが自分の前から去る時、ザードは彼を引き留めはしなかった。引き留めても彼は逝ってしまっただろう。自分はそれを分かっていて送り出したのだ。
「……貴方の師匠だったと、手紙に書いてあった」
そしてこの小柄な魔術師もまた、自分の師を送り出したのだ。もう二度と戻らない――もう二度と戻ることを望まない――死出の旅へと。
「そうです。お師匠様はゼファという男性を二十年も待っておいででした。待ち続けてようやく得た死です。きっと、お師匠様は満足なさったことでしょう」
そうだ。あの、ザードへの言葉は何も書かれていなかった手紙からも分かる。ゼファは満足しただろう。自分で演出した人生の幕引きに。
「貴方は満足したのか? 師匠を失うことになって」
そして自分は、とザードは思った。ゼファの死を受け止められているのだろうか。あの遺言めいた文句ひとつない手紙で、自分を育て上げてくれた人がもうこの世にいないと認めることが。ザードの質問に、魔術師はつと顔をあげた。ザードはそのローブに隠れた目から、強い意志を感じた。
「満足はしません。しかし、邪魔することもできませんでした。あの方と共にあることがお師匠様の望みでした。例えそのために他の者を排しても。それが二十年間、お師匠様が生き続けた理由です。それに私も、いずれは一人で歩かなければなりませんでしたから」
その時、まだ地平線を薄く橙に照らすだけで頭さえ見せない太陽の光で、ローブから僅かに覗く魔術師の肌が桃のように色づいた。ザードは自分の意思とは関係なく、指先が引きつるのを感じた。それは衝動だ。積もりたての雪のような白いローブを、理由もないのに乱暴に剥ぎ取ってしまいたいという、そんな制御できない感情の高まりだった。
「亜精霊を連れておいでですね」
魔術師がそう言ってフライナーに手を伸ばした。その静かな声に、ザードの中で高まった一瞬の感情の揺れは一気に静まった。そしていつもならザード以外の人間には牙を剥くはずのフライナーは、やはり魔術師の持つ魔力が気になるのか、用心深く魔術師の手を睨みながらも頭を撫でる魔術師の手に噛み付こうとはしなかった。
「あぁ。どうした、フライナー。大人しいな」
ザード以外の魔法の力を感じるのが初めてだとしても、それが不快ならばフライナーは迷いなく噛み付いただろう。だが今は丁寧に撫でる魔術師の手を跳ね除けようともせず、ただ困ったように主人であるザードを見上げただけだった。まるでザードが先程感じた一瞬の感情のうねりを代わって表しているような顔だ。
「氷の香りがします……」
「氷の?」
呟かれた言葉を捉えて問い返すと、魔術師はさっとフライナーから手を引いた。
「いいえ、何でもありません。もう夜が明けます。エリオという方に、不快にさせて悪かったとお伝え下さい」
もう一度エリオの消えたテントに目をやってから、魔術師はそう言って頭を下げた。その言葉が上辺だけのものであるとしても、ここまで他人を気にする素振りを見せる魔術師は珍しいのではないか、とザードは思った。だから、エリオの言葉を忘れたわけではないけれど、ザードの方からも一応の気遣いをみせるつもりになれたのだ。
「魔術師はどの街でも警戒される。街に入ったら、目立つローブは脱がれた方が良い」
気遣い、というよりは余計なお世話だろうと理解してはいた。魔術師は傭兵がその剣に負うのと同じものをそのローブの色に負っている。その色に誇りを持つ魔術師であれば、警戒され、時に理不尽な迫害を受けても、ローブを脱ぐことはないだろう。
「……ありがとう。覚えておきます」
それを余計なお世話だと感じたにせよ、魔術師はザードに向かってまた小さく頭を下げた。そして朝日に向かってキャンプを出て行く魔術師の小さな後姿。歩く度に鳴る金属の触れ合うような音。一瞬、その身を引き止めたいと思った自分の動揺を、ザードは深く心に刻んだのだった。