空回りの恋

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 自由な校風が売りの私立桔梗高校。私はそこに通う二年、花園 蛍子(はなぞの けいこ)。新学期が始まってから今日で二ヶ月経つ。まだ梅雨入りには早いけれども少しずつ夏に近づいている、そんな風が吹いている。A組はHRが終わって、生徒がばらばらと部活動へと散って行く。桔梗高校は部活動絶対加入であるし、どの部も伝統を持っているので生徒は放課後、全員何かしらの部活動に勤しんでいる。私は調理部に入っているけれど、今日は活動日ではないのでゆっくりしていた。日直の仕事を終わらせようと日誌を取り出すと、クラスメイトに名前を呼ばれた。

「何?」
「蛍子、お迎え」

 頬を赤くしながらそう報告すると、クラスメイトは部活に逃げて行った。なんのことやらと教室の入口を見ると、見知った顔が。

「花、行ける?」

 黒いさらさらの髪に、夏服のワイシャツを綺麗に着こなしている。橘 光(たちばな ひかる)。私の中学時代からの友人だ。細い脚に灰色のスラックスを纏っている光は教室に入って来る。

「あ、うん。ちょっと待って。日誌書いちゃうから」
「うん」

 光に言われて気付いた。今日はあの日だ。私は日誌を取り出して急いで書き出す。今日は快晴。日誌には独創性もなにもない渦巻き太陽の絵が描かれた。

 光は私の前の席に座ってじっと私を待っている。色白の、細い腕。短く切りそろえられた髪は黒く、綺麗だった。

 光は私の中学時代からの友人だ。幼い頃体の弱かった光は、実は私より一級上なのだけれど、学校に入るのを一年遅らせたため今は私と同級生。もう体は大丈夫だと言うけれど、細く色白の容姿はサナトリウムの少年のよう。人見知りも激しいので、友人と呼べる友人は私だけだろう。それでも光は人気者だ。成績も優秀だし、容姿も良い。僻んでいるわけではないけれど、私の髪も光のように綺麗な黒だったら良いと思う。わざわざ髪を茶色く染める人もいるけれど、私はそんな人達の気が知れない。こんなに純粋に美しい色を変えてしまうなんて。

「はい、終わり。職員室寄っても良い?」
「勿論」

 私達は立ち上がるとそろって教室を出る。廊下はとても静かだった。ほとんどの生徒は部活動に行ってしまっているから、放課後本校舎には人がいなくなる。私達は階段を降りて一階の職員室に向かった。担任の机に日誌を置いて職員室を出ると、印刷室から見知った顔が出てきた。向こうも私達に気付いて紙の束を抱えた方と反対の手を軽く挙げる。

「やあ、花園君。光も、これから行くのか?」

 光と同じ綺麗な黒髪、整った顔。光と違うのは眼鏡をかけていることくらい。橘 勇(たちばな ゆう)。光の双子の兄だ。学年が違うのは光が一年遅れたせい。光は少し幼い感じを受けるけれど、彼はとても理知的な顔をしている。学校でも人気の生徒会副会長だ。光と友達にならなければ、こんなに近くで話す事もなかっただろう。そう、彼は私の憧れの人。私だけではない。この学校の女生徒の半数は彼に憧れているだろう。容姿も抜群なのに頭も良い。そして優しく洗練された物腰。剣道部の主将でもある先輩は、いつも背筋を伸ばした姿勢で堂々と歩いている。良いところなんて、挙げ出したらきりがないくらい。

「うん。勇、それは?」

 先輩の前で、私は上手く喋れなくなる。光はそれを知っているのでさりげなく会話をフォローしてくれる。

 先輩は抱えた紙の束にちらりと視線を向けたあと、穏やかに笑った。

「秋の文化祭の資料だ。そろそろ準備しないと夏休みはすぐだから」

 先輩にとっては高校で最後の文化祭になる。私にとっても、先輩と過ごすことの出来る最後の文化祭。

 気付くと光がこちらを見て笑っていた。考えている事が丸分かりだったらしい。私は赤くなる顔を先輩から隠して、こっそり光の腕の肉を摘んでやった。軽い悲鳴が上がったけれど知るものか。

 私達は一階の職員室から再び二階へ上がると西にある生徒会室へ向かった。多分その間全員同じことを考えていたのだろう。

 今日は生徒会長がいるのか。

 勿論生徒会役員会なのだからいて当然なのだけれど、新学期が始まってから彼が黙って生徒会室の椅子に座っていた回数は二回だけ。その二回も午後の授業をサボって寝ていただけなのだ。放浪癖のある生徒会長は放課後になるとふらふらと他の部活動を回っては、冷やかしたり友情出演だと言って邪魔をしているのが常だ。橘先輩は生徒会長のいない生徒会室に入ると大きく溜息をついてから、一階に降りて校内放送を使って生徒会長を呼び出す。脅し文句は様々で、しかしどの言葉でも会長は慌てて生徒会室へ戻ってくる。羨ましいことに、私を抜かして他三人は幼馴染なのだ。

「だからあいつの弱みは良く知っているよ」

 ある時そう言った橘先輩は、どこか楽しそうだった。

 さて私達は問題の生徒会室の前に立った。先頭の橘先輩がゆっくりと引き戸を開ける。西に傾いた日はまだ昼間のように眩しかった。一瞬目が眩む。まるで部屋の中に光が閉じ込められていて、それが溢れてきたかのような光の氾濫。

 目が慣れると、背の高い橘二人の体の隙間から生徒会室を覗く。珍しい事もあるものだ。生徒会長はしっかり自分の席に座っていた。双子の橘と比べて、幾分茶色の髪が西日に照らされている。猫背なので小さく見える体は、立ってみると本当は光よりも高いことを私は知っている。

「一、仕事始めるぞ」

 橘先輩は持っていた紙束を机に置くと、会長に呼びかけた。しかし呼びかけられても普段の猫背をさらに酷くして、会長宮野 一(みやの はじめ)は手に持っている何かを一心に見つめていた。

「ちょっと待ってくれ。光に好かれる男になるための心構えを学んでいる最中だ」

 そう言った生徒会長の手元を覗くと、彼は“本当はタカなのにヒヨコだと思っているあなたへ”を必死に読んでいた。私は思わず頭を押さえる。同じように呆れたような溜息をついたのは橘先輩だ。先輩は会長と話すとき、普段とは全く違った口調で嵐のように皮肉の言葉を並べ立てる。私はこちらの先輩の方が、実は好きだ。何も自分があんな皮肉を言われたいわけではないし、先輩は何があっても私に皮肉など言わないだろうけれど、何となく新鮮なのだ。一歳しか違わない先輩もまだ子供なのだ、と思えるこの時が好きなのかもしれない。

「お前、自分が内気だと思っているのか? 去年の生徒会選挙で宣伝のために気球を飛ばして空からチラシを配ったお前が?」

 このエピソードはもう一つの業績と共に、桔梗高校の伝説と化している。宮野 一は桔梗高校最凶の男だと評判だ.

 先輩の皮肉に会長は口を尖らせて反抗した.

「……脳内で内容を反転させているんだ。つまり俺はヒヨコなのにタカのふりをして頑張っている小心者の生徒会長なんだ。あぁ、本当は気弱な俺を、勇はいつもいじめるんだ。さぁ、そろそろ鬱になってきたぞ。ここはひとつ仕事はなしにして屋上にでも逃避行か?」

 生徒会長は芝居がかった調子でそう言い終わるなり、椅子に乗り上げて更に机を飛び越えようとする。

「逃がすか」

 行儀の悪いその行動を、橘先輩が会長の襟首を掴んで引きとめる。首が絞まったのだろう、カエルが潰れたような声が会長の口から発せられた。どさりと席に戻った会長はしばらく咳き込む。橘先輩は慣れた手つきで――これは本当に慣れてしまったのだけれど――懐から玩具の手錠を取り出すと、素早く会長の手と自分の手とを繋いだ。会長は苦虫を潰したような表情でその手錠をしばらく見つめると、急にキッと顔を上げて橘先輩の手を両手で握る。そして真剣な表情で言った。

「勇……、光を俺にくれ」
「いいぜ」

 さらりと言ってのけた橘先輩に私は驚いた。しかし何故か悔しそうにしている会長に気付いて、先ほどの会話をもう一度反芻してみる。「脳内で内容を反転させている」なるほど、そう言う事か。

「くそ……引っかからなかったか」

 でも……。
 と私は思う。

「でも、今のは素直にもらってしまえば良かったのでは……?」

 私が呟くと三人は沈黙した。


「……花ちゃん!」


 突然会長が叫ぶ。私は三十センチほど飛びあがった。

「は、はい!」
「どうしてそれを早く言ってくれなかったんだ。俺は一生の不覚を取った! 勇から光を奪う絶好の機会だったのに!」
「花園君に絡むな」

 バシッと橘先輩の手が会長の後頭部を直撃する。こうしているとまるで漫才コンビだ。くすりと笑った私の隣で光も口を押さえて笑っている。

 もう分かっただろうと思う。会長は光が好きで、それはそれは猛烈なアタックをいつも仕掛けてくるのだ。その度に兄である橘先輩が光を守るために会長を迎え撃つ。この奇妙な三角関係――そう言って良いのかは謎だけれど――が成立してしまう原因がある。会長の想いが光に届かないわけ。

「さ、そろそろ始めるぞ。今年の文化祭についてだが……」

 そう取りしきろうとした橘先輩の語尾をさらって、会長が呟く。

「文化祭ねぇ……。そうだ、去年の文化祭は劇が最高だったろう? 光。特に俺のハ……」

 ムレットと続けようとした会長の言葉を遮って、光は頬を赤らめながらこう言った。

「そう、特に勇のロミオが格好良かった!」

 ゴン、と凄まじい音がした。会長が額を盛大に机にぶつけたのだ。

「……光、お前のかぐや姫も最高だったよ」
「勇……」

 会長の想いが届かないわけ、そして私が橘先輩へ告白することに踏み込めない理由。

「勇がロミオなら僕がジュリエットを演れれば良かったのに……」
「仕方ないだろう、学年が違うんだから。拗ねるなよ、光。僕だってお前がジュリエットだったらと思ったよ」
「ほんと?」
「あぁ、勿論」

 二人の間に見えないハートマークが飛び交っているような。いや、チョコレートを溶かすよりも甘い匂いが教室中に充満しているような。会長が砂を噴いて死にかけているような、そんな雰囲気。

 光はブラザーコンプレックスなのだ。しかもかなり重度の。それが会長の想いが光に届かないわけ。そして先輩のシスコンぶりが会長を遠ざけるためのただの演技なのか、それとも本気なのか。それが私の告白を止める理由。

 え? 光の性別? それは勿論女よ。シャツにスラックスなのは会長のせい。いや、会長のおかげと言った方が良いのだろうか。光が入学するに当たって、彼女は幼馴染にこんな我が侭を言った。

「勇と同じ服で登校したい」

 勿論冗談半分だったのだろう。実際ブラコンの彼女が、制服が男物と女物で違ったからといって、兄と違う学校へ通うことは有り得なかったのだから。しかし歴代最凶と評される男はあの手この手を使って生徒会会長に当選した挙句に、想い人のために校則を変えてしまったのだ。つまり男女ともに制服は二種類の中から自由に選択できるようにしてしまったのだ。勿論男が女子の制服を着られる訳がなく、男子生徒からはかなりの反対意見が出たが、女子生徒は大歓迎。冬場はスカートで登校しなくて良くなったのだから。女子の歓迎を受けてしまったら、強く反発できる男子生徒がいるだろうか。会長はこう言った。


「美しい女子生徒諸君の美脚を拝めないから反対だと言える男子生徒は名乗りをあげ給え! 良いか! 何も男子生徒がスカートを履いてはいけないという法律はない! 遠慮なくスカートで登校したまえ。その上でスカートの重要性を僕の前で説いて、女生徒がスカートでなくてはならない納得のいく答えを出せるのなら、僕は会長を辞してこの校則も無効にしよう!」


 この条件を満たす男子生徒は未だに現れず、桔梗高校には光のように男子生徒用の制服を着て登校してくる女生徒が各学年に二十名はいる。

 偉そうに演説をした会長が、実はたった一人の想い人の我が侭を叶えるためにもっともらしい理由を並べ立てたのだと知ったら、ここの男子生徒は何と言うだろう。

「光ぅ」
「何? 一」
「週末二人で映画行かない?」
「あ、ゴメン。もう勇と約束しているんだ。三人で行こうか」

 しかし、それだけのことをやってのけた会長の、当の想い人がこんな状態だと知れば、返って同情してくれるかもしれない。


 桔梗高校生徒会執行部会長 宮野 一。
 想い人のために校則を変えた男。
 彼の愛はいつも空回り。


 私の恋はというと?


「どうせなら四人で行けば良い。花園君、週末空いてる?」

 光が私を見て笑っている。お兄さんを取られて嫌じゃあないの? と訊いた私に彼女が答えた答え。

「花なら良いよ。二人とも大好きだから」

 とりあえず妹の許可は出ているし、後は私の覚悟だけ。

「えぇ、勿論です」

 さて、この恋どうなることやら。


「よし、隙を見て光と二人きりになってやる!」
「そういう事は口に出すものじゃあないだろ」

 帰りながら漫才を続ける二人の後を、私と光が追いかける。

「光、宮野先輩のこと嫌いなの?」

 こっそり訊いた私に、彼女は向日葵のように笑って答えた。

「ううん、大好き」
「え?」


 恋は噛み合っているのに、空回りしているのはきっと大きすぎる気持ちのせい。


 これはこれで幸せな関係なのかな、と私は笑った。

Special

■この作品は100Hitを踏んでくださった拓海様へ捧げさせていただきます.