ようこそ、青学王国へー2nd day

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 夜はほとんどを神殿の屋上で風に抱かれて過ごし、明け方に誰にも見咎められないよう部屋へ戻ったフジが、その日初めて会ったのは部屋まで朝食を運んできてくれた侍女の一人だった。その四十代半ばと思われる女性から、食事の後にイヌイが来て今日の予定を話すはずだという説明を受けてフジは分かりましたと頷いた。

 朝食は冷たい水と、もっちりとしたパン。それから食べやすく、かつ綺麗に盛られた生野菜と果物だった。昨晩からずっと起きていたわりに、お腹は空いていない。けれど朝食を運んできた侍女が背後で見ている手前、何も口にせず下げてもらうのは戸惑われた。気の進まないまま、のろのろと食事をしていると、食後に来ると言っていたイヌイが食べ終わるよりも先に来てしまった。

 食べ終わるまで隣の部屋で待つというイヌイに、ゆっくりどうぞと言われても言葉通りには甘えられない。フジは慌てて残りの食べ物を口に詰め込んだ。最後はほとんど水で流し込むような形になってしまったが、何とか皿を空にして立ち上がる。隣室への扉を開けると、昨日王宮内の位置関係を示して教えてもらった机を前に、イヌイが長い足を組んで座っていた。フジが部屋に顔を出すと、イヌイは立ち上がって腰を折る。

「おはようございます。巫女様」

 イヌイは昨日と同様に、オオイシやテヅカのような騎士が着ている服よりも幾分長めの上着を羽織っていた。

「おはようございます。イヌイ様」

 フジも頭を下げて朝の挨拶を交わした。お互い顔を上げると、イヌイが長い足で大きく一歩動いて、フジに向かって椅子を引いてみせる。

「昨晩は良く眠れましたか?」

 座れということだろうなと判断して、フジは素直に椅子の前に回り、膝を折ると同時に前に出された椅子にそのまま腰掛けた。座った頭の斜め上からかけられた言葉には、咄嗟に体が強ばってしまう。

「それは……正直、あまり」

 実はほとんど寝ずに屋上にいたのだが、流石にそこまで正直には言えない。けれど疲れた顔は隠しきれないと、明け方に鏡を見て思ったのでそこは誤魔化すことなく答えた。するとやはりイヌイもフジの表情に疲れを読み取ったのか、たいして意外な様子も見せずに頷いて言った。

「そうですか。体は環境の変化に敏感ですからね、無理もありません。本日の午前中はごゆっくりお休みください」

 素直にありがたい言葉だった。これで、午前からすぐに人に会ったり、仕事の話をされるとなると簡単に参ってしまっていただろう。そんな甘えたでは困ると自分でも思うけれど、昨日今日の決意ですぐに強くはなれない。朝、おはようの挨拶を交わす長巫女の姿を見ることができないことが、こんなに堪えると思わなかったのだ。

 覚悟して出てきたつもりなのに……情けないなぁ。

 自嘲したそばから鼻の奥がツンとなって、フジはそれを乗り越えるために曲がりかけた背筋を伸ばして、逆ににっこりと笑ってみせた。

「お気遣い、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 顔を上げて答えると、イヌイは頷いて向かいの席に移動した。そしてテーブルの上に置いてあったノートを手に取ると、あるページを開いてから話し出す。

「午後からですが、商人を呼んでいますので、新しい巫女服の生地を選んでいただきます」

 事務的に告げられた言葉は、手にしたノートに書いてあるものをそのまま読んだものなのだろうか。

「巫女服の?」

 フジがきき間違いかと思って繰り返すと、イヌイは中指で眼鏡を押し上げ、やはりノートを見たまま淡々と続けた。

「はい。陛下から巫女様への贈り物です。五着ほど作りますが、一着は急いで仕立て、明日の夜、宴の際に着ていただくことになります」

 イヌイの言葉にフジは目を白黒させた。神殿においてきたフジの着替えは今日の午前中には青嵐の神殿から届くはずで、成長と共に作り替えることはあっても常に三着の巫女服で済ませてきたものだ。それ以上を欲しいと思ったことはなかったし、まだ十分に着られるそれらの服以外に新しいものを作るなんて考えたことはなかった。

「五着も? あの……元々巫女はそんなに自分のものというのを持ちませんし、せめて三着ぐらいでも」

 フジの考えとしては三着でも多い、というか今までの服で十分なのだが、陛下からの贈り物と言われてはきっぱりいりませんとも言えない。受け取るのが礼儀というものなのだろうから。しかしやはり贈り物としては一着ぐらいで十分だと思うのだが、とまごついたフジの様子を見て、イヌイが柔らかく言葉を継いだ。

「遠慮なさることはありませんよ。この青学の巫女としてお迎えしたのですから、相応の贈り物をしたいと陛下はお考えです。今回はサクノ姫様の新しい服も仕立てる予定でしたので、ご一緒に選んでいただければ、姫も喜ばれるでしょう」

 言葉は柔らかいが、中身としてはやはり五着しっかり受け取らなくてはならないということだろう。どうする、と考えてどうできるものでもないとフジは理解した。

「……はい。それではお言葉に甘えさせていただきます」

 葛藤の末に絞り出した答えに、イヌイはよくできましたと言わんばかりの口元で頷いた。

「ところで、採寸はしても大丈夫なのかい?」

 突然口調を変えたイヌイに、フジは一瞬戸惑って言葉の意味を呑み込むのに時間がかかった。朝食の片付けをしていた侍女が、神殿から十分に遠ざかったことをイヌイは自分の顕現武器鏡烏によって知ったのだろう。それでフジが打ち解けやすいように口調を変えてくれたに違いない。そういったことをまず呑み込んでから、フジは自分の体を確認するように視線を落とした。

「丈とかは平気だけど……胸の周りとかも測らないといけないのかな?」

 神殿では事情を知っている長巫女が巫女服の手配をしてくれていたから、採寸をされたことはない。そもそも同じ型の巫女服を、いくつか違った大きさで作ってもらって、巫女達はそれを自分に合うように裾上げしたり、腰帯で調整したりして着ていたのだ。自分にだけ特別な、というのはあり得ないことだった。

「肩幅と腰周りは必要だろうね。胸囲は……どうだろう」

 自分で測る分には問題ないだろうが、職人相手に胸周りを測られたらさすがにボロが出るような気がする。

「予備の巫女服を渡して、これと同じくらいっていうのじゃあ駄目? そんなに身長も伸びてないし、太ったつもりもないから平気だと思うんだけど」

 多少の大きさの違いなら帯で誤魔化せるはずだし、とフジは答えた。実際、巫女服は刺繍の違いは多少あっても、型に大きな違いはもたせないというのが習いなのだ。その提案にイヌイが頷いたので、フジはほっと胸を撫で下ろした。

「あぁ、それならいいかもね。ところで純粋な興味なんだけど」

 そんな様子を見ていたのか見ていなかったのか、どこか上の空、という感じでイヌイはノートに挟んでいたペンの頭でテーブルをとんとんと突いた。

「何?」

 フジが首を傾げて問うと、イヌイの手が止まる。テーブルを突いていた手をすっと持ち上げ、ペンの先でフジを指す。正確には、フジの首よりやや下の方を。

「その胸って、いったい何を詰めているんだい」

 眼鏡を光らせながら、その奥にあるイヌイの視線がペン先とともに向いたのは、先程ほっと撫で下ろしたフジの胸元だった。成長には個人差があるとはいえ、十五の女子の胸が真っ平らでは不審がられるということで、長巫女とも相談の上、十二歳くらいからフジは胸に詰め物をしている。丁寧に、一年ごとにさりげなく詰め物の量を調節しているのだ。

「……何って、布だよ。巻いて止めているの」

 不自然に大きくならないようにと、これでも慎重に吟味した上での詰め物なのだが、見た目おかしいだろうか。フジは不安になって自分の胸元を見下ろした。ずれたりはしていないようだが、と思ったがイヌイの関心は別のところにあったらしい。手にしたノートに何やら書き込みながら、彼は自分の知的欲求――というべきか単なる好奇心――を満たすために次の質問を繰り出してきた。

「じゃあ、触ったら案外硬い?」

 布自体は柔らかいものを使っているが、結局固定するために背中を通してぐるっと巻いているのだから谷間はないし、ある程度硬いだろうな、とフジは思うが。当然想像の域は出ない。

「女の子の胸がどれくらい柔らかいものかしらないけど、多分比べれば硬いんじゃないかな」
「なるほど」

 触ってみたいのだろうか、と思ったフジを前にして、イヌイは熱心にノートにメモをとる。触らせてくれ、とは言わない辺りこれでも好奇心を抑えている方なのだろう。フジも好奇心は旺盛な方だという自覚はあるから、人のことをとやかく言えないが。それにしたって――。

「……それってメモするほどのこと?」

 逆光眼鏡以外はまともなのかと思っていたが――質問にも的確に答えてくれるし――そうでもないのかもしれない。あんまり熱心にメモをとるものだから、フジは呆れたような声を出してしまったが、イヌイはそんなこと気にならない様子で素早くメモを取り終えると満足そうに眼鏡を持ち上げてから次の質問に移った。

「結構重要だよ、今のは。じゃあ、その布の量は決まっているわけだ」

 こんな調子で本当の女の子に胸のサイズを聞いたりしてないだろうな、といらない心配をしつつ、フジの方は別に胸のサイズを聞かれたところでどうってことはないのでそのまま答えた。

「そりゃあね。突然胸が大きくなっても不審でしょう?」

 下手に大きいと余計に見られるからボロも出やすいだろうし、と続けると、イヌイはそこもメモをしてからパタンとノートを閉じて頷いた。

「それは確かに」

 やけに実感のこもった返事に聞こえたのは、フジの気のせいだろうか。そこでフジは自分のささやかな胸元を見下ろし、素直に疑問に思ったことを口にした。

「大きいと、やっぱり見ちゃうもの?」

 背の高いイヌイを見上げて問うと、昨日からずっとフジの疑問に淀みなく答えていたイヌイが初めて言葉に詰まった様子を見せた。

「どうしたの?」

 フジとしては、一般的な同じ年頃の男子としての心理を知りたいが故の疑問だったのだが、イヌイはそうとらなかったのだろうか。身長が高いのに憧れると同程度の感情が、胸のない男子として胸のある女子に興味を持つという感情にあるのでは、と考察したわけなのだけれど。

「いやぁ……話題を振ったのは確かに俺だけど、ずいぶん直球で返すよね」

 そんなにおかしなことを言ったつもりはなかったのだけれど、なんだかすごくダメージを受けている様子なのでフジは慌てて言い添えた。

「答えたくなかったら……」

 別に重要な問いでもないのだから答えなくてもいい、と言おうと思ったのだけれど、フジの言葉を予測したイヌイは一瞬で立ち直って首を横に振った。それでも幾分言いにくそうに咳払いをしてから、イヌイはフジの疑問に答える。

「正直言えば、俺の場合大抵の女性より背が高いから、視線を合わせようと思ったら自然と目に入るよ。大きさには関係なくね」

 言われてフジは思い出してみた。並んでみた限りでは、確かにイヌイはテヅカよりも背が高いようだった。女の子でイヌイに並ぶくらいの身長の子は少ないだろう。するとイヌイは相手を見て会話をしようと思ったら、自然と首が下を向き、相手の体を上から見下ろす形になる。相手も顔を上げている状態で、視線は確かにそれで交差するが、男にはない女の胸の膨らみは、鼻をかすめてその延長線上にあるわけで。

「あ、なるほど……」

 確かに自然と目に入ってしまうのだろう。反らそうと思ったら視線まで反らすことになるから返って失礼なのだ。

 見ているというよりは、目に入る、なんだ。

 フジがあっさりと納得したら納得したで、イヌイはまたちょっと脱力したようだ。癖なのか、ずれてもいない眼鏡に手をかけて位置を調整しながら、幾分げっそりとした様子でぼそりと漏らした。

「その質問、是非テヅカにもしてみて欲しいな」
「テヅカに?」

 何故テヅカなのだろうと不思議に思って首を傾げるフジに、イヌイは手にしたノートを撫でながら心を込めて答えた。

「どう答えるのか、すごく興味がある」

 すごくのところを強調して言ったイヌイに、本当に色々なところに興味を持つ男なんだな、とフジはただただ感心した。


 フジは言葉に甘えて、午前中は神殿の中だけで過ごした。神殿内の鈴や、風見板を見て回り、勤めに必要なものが揃っていることを確認したり、それから少しうつらうつらと眠ったりした。予定していた通り、午前中に神殿からの荷物が届き、その中に自分で入れたものではない荷物がひとつ混じっていて、フジは不思議に思いながらもその荷物を開けた。

 入っていたのは短い手紙と、つげの櫛だった。手紙には長巫女の字で、飛燕の他に、長巫女がフジの姉であるユミコ姫にフジを神殿に連れて行く際に手渡されたものだということが記してあった。

 姉様が……。

 年の離れた姉だったということは知っている。フジが生まれて一年も経たずに長巫女に預けられた時、既に十歳になっていたはずだ。結局、一度も会わぬまま災厄に巻き込まれて亡くなってしまった。

『飛燕とその紋は、その子にとって特別なものだから』

 そう言って手渡されたという櫛には、上を向いた三日月の紋が入っていた。姉であるユミコにも、風の神力があったのだ、と長巫女は書いていた。十歳という年齢以上に大人びた人だったという。風の神力が、ユミコに他の誰も知り得ないことを教えていたのかもしれない、と。

 僕にとって、特別なもの……。

 だが、特別なというわりには見たことのない紋だった。飛燕の鍔に刻まれていた紋は、こんな月の紋ではなかったはずだ。確か、何かの花の文様だったと思う。そして撫子をかたどったカオン王家の紋とも違う。

 今はよく分からないけれど、機会があれば調べてみることもできるよね。

 確かイヌイが、王宮には図書館があるようなことを言っていた。仕事をこなせるようになるまでは難しいかもしれないが、元々さほど厳しい業務があるような役目ではない。日の仕事の流れが掴めれば、時間を取ることもできるだろう。フジはそう思って、その櫛と長巫女の手紙をもう一度包み直し、長櫃の下の方に大切にしまった。


 昼過ぎに、再びイヌイが神殿を訪れた。フジは送られてきた巫女服のうちのひとつに着替えた上で、もうひとつを仕立て屋に貸し出すために準備していた。準備ができたところで、そういえばやはり一言言っておかなければ、と昨晩考えたことを思い出して、フジの準備が終わるのを待っていたイヌイを見上げた。

「そうだ、イヌイ。一晩考えてみたんだけれど、あれってやっぱり変だよ」
「アレって?」

 聞き返されて、思わず言葉に詰まる。あまり、自分で繰り返して言いたいことではないのだが。だがあれで分かってくれというのも無理な話だ。フジはちょっと視線を下げつつ、もごもごと説明した。

「だから、テヅカが僕に一目惚れしたって噂を流して、僕の身の安全を図るっていう、アレ」

 言うと、あぁ、そのことね、という風にイヌイは頷いた。それからぱっと手元にノートを取り出して、ページを開き、ペンを構える。

「どこが変?」

 どこが変かと言われれば、そもそもテヅカがフジに一目惚れした、というその噂自体が変だと思うけれど、それが大前提というなら否定しにくい。だからフジが考えたのはその後のことだ。何でもメモを取ろうという姿勢のイヌイにちょっと及び腰になりはしたが、早々にこれがイヌイという人なのだと割り切ってしまった方が良さそうだった。フジは諦めも含め、息を継いでから答える。

「だって、僕が宴に出てしまえば、それですむことじゃあない?」

 それを思いついた時は、何故イヌイのような頭の良い人がこんな簡単なことに気づかなかったのだろう、と思った。物事を複雑に考えすぎなのではないか、と。だからこの答えを出したとき、フジはちょっと得意だった。簡単で、とてもすっきりとした答えだと思えたからだ。イヌイだって、これを聞いたら「なんでそんなことを見逃していたのか」と思うに違いないと、そう考えていたのだが。

「……すまない、それで何が解決するのかわからないんだが」

 フジの予想に反して、イヌイの表情は困惑を隠しきれない様子だった。メモを取ろうとしていた手を動かすこともできず、フジが何故そんな答えに辿り着き、そんなに得意げなのか分からないという顔をしている。

「だから、宴で一目見れば、それで十分でしょう? わざわざ神殿まで来て、もう一度会おうなんて皆思わないよ。そんなに何回も見たいと思うようなものじゃないもの」

 ね、解決。と、満面の笑みで手を合わせたフジに、イヌイはにっこり微笑み返して首を傾げた。同意するなら首を縦に振るところなのに、何故横に傾げるのだろう、とフジもつられて首を傾げた。しばらく二人で首を傾げたまま向き合っていたのだが、やがてイヌイが呻きながら天井を見上げ、しばらくして今度は下を向いたと思ったら、溜息をつきながら右の中指で眼鏡を持ち上げて答えた。

「……あぁ……それは認識不足、かな」

 溜息とともに自分の考えを否定されて、フジは口を尖らせた。

「どこが?」
「……どこが、ねぇ……? なんか、この手の無自覚は一人で十分っていうか……。何でいつもいつも、俺に説得する役が回ってくるのかってちょっと愚痴りたくなるよね」

 イヌイは呟きながら一瞬遠くに視線を投げて、それからまた溜息をついた。

「イヌイ?」

 考えを否定されて愚痴りたいのは自分の方だ、とフジは言いたかったが、遠い目をしながら愚痴っていたイヌイが突然顔を上げたので、びくりとして口を噤んでしまった。するとイヌイは、ちょっと腰の引けたフジにぐいと一歩大きく迫り、四角い眼鏡を光らせながら強い口調で話し出した。

「一目では足りないと思う男の方が断然多いよ。フジ、女性ばかりの神殿にいたおかげで今まであまり機会がなかったのかもしれないけれどね、大事なことだから自覚してもらえるかな」

 午前中は胸元に向けたペンの先を、午後はフジの顔に向けてイヌイが放った言葉は短かった。


「君は綺麗だよ」


 何故かどの角度でも白く光ってその奥が見えない不思議眼鏡をかけたイヌイが、「今日は天気だよ」と言うのと同じトーンで言うものだから、フジとしてはその言葉をどう解釈していいのか分からなかった。ぱちぱちと二回ほど瞬きをして、何かの具合で眼鏡の奥が見えないかな、とやってみたけれど結局見えたところでイヌイの表情は読めない気がして、とりあえずイヌイの表情や眼鏡について考えるのは止めにした。考えるのは発せられた言葉の意味についてだけに絞った、その結果として、

「……馬鹿にしてる?」

 という結論に達したのだが、イヌイはフジの出した結果に眉ひとつ動かさず首だけを捻って返した。

「そういう風に聞こえた?」

 いや、そういう風に聞こえたかと問われれば、別にそんな気はしなかった。かといって、真面目な賞賛だったのかと問われれば、そんな気もしなかったと答えるしかないだろう。あまりにあっさりと言われてしまったので、その言葉に込められた感情を計ることができなかったのだ。とりあえずそれが賞賛だったのだとしても、フジはこう答えることしかできない。

「…………嬉しくない」

 自分は女の子ではないわけだから、”綺麗”は褒め言葉として適当ではない、とフジには思える。それにそんな言葉をもらえるほど、自分の容姿に自信があるというわけでもないのだ。そもそも”男らしく見える”方が、フジにとっては嬉しいことなのだから、今のように”女として”綺麗だと言われてもそれを素直に喜ぶことはできない。しかも事情を知っているイヌイから出た言葉と考えると余計に複雑だ。つまり男と知っていてなお”綺麗”だとイヌイは言っているのだ。

「うん、でも事実だから認めなさい」

 さらにそんな駄目押しまでくれるイヌイに、フジは恨みがましい目を向けて尋ねた。

「……どれくらいお世辞が入ってるの?」

 微かな希望を込めてのフジの問いに、イヌイはそんな希望もばっさり切り捨てるような答えを返した。

「二パーセントくらいかな」
「二パーセント……」

 少なくて、細かい。聞かない方がよかった、とフジは撃沈した。がっくりと肩を落として脱力したフジを見て、イヌイは苦笑しながらも言い含めるように追い打ちを忘れない。

「自惚れろとは言わないけれどね、自覚はしなさい。君は、できれば末永くお付き合いただきたいと男が思うような、綺麗な女性だよ。少なくとも、外見はね。そして、少なくとも表面上は、それを裏切る言動は謹んでもらう。青学の風巫女として、品位は保ってもらわないと」

 反論したいことはたくさんあるような気がしたが、どれも言葉にはならなかった。

「それは……陛下にご迷惑をかけるようなことはしないけど……」

 ただ静かなイヌイの勢いに押される形でもごもごとフジが答えると、イヌイは口の両端を持ち上げて実にスマートに微笑んだ。

「それは良かった。というわけで、君が宴に出るより先に牽制する必要があったわけ。ちなみに、国内だけではなく国外もね」

 青嵐の神殿に入っていたフジに、氷帝と六角から面会の申し出がきていたことは、長巫女に説明されていたので知っている。結局どちらとも面会しないまま青学に来てしまったが、それをフジの事情のせいとは言わずに、テヅカの急な申し出のせいだとしてしまったということだろうか。自分はそんなつもりでこの話を受けたわけではないが、フジの頭の回らないところで、テヅカやイヌイ、そしてリュウザキ女王は様々な配慮を短時間でやってのけたらしい。

 そして氷帝と六角の申し出があることを知っていながら、なお”一目惚れした”という身勝手ともいえる理由で巫女を連れてきてしまうという行為が外交的に致命傷とならないだけの何かが、テヅカにはあるということなのだろうか。フジは自分の考えの及ばないところで展開されていた駆け引きを垣間みて、ただ呆然とすることしかできなかった。

「噂の張本人がテヅカっていうのは、結構な意味があってのことだっていうこと」

 イヌイがフジの考えを肯定するように、悪戯っぽくそう言った。

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