恋愛 課外 授業
 四季と別れると馨は穂と手を繋いで歩くのも嫌だったのでとりあえず手の届く範囲にいるうちはそのまま歩く事にした。さすがに街中ではビデオカメラを閉じ、人込みに紛れた高佳の頭を目印に進んでいく。穂も人込みで二人が良く見えない事に苛立ちつつも、とりあえず大人しくついて行く。

「穂さぁ、鬼になんか恨みでもあるのか? 高佳の事ずいぶん目の敵にしてるけど‥‥」
「‥‥あるさっ! 語るも嫌な恨みの数々がっ! 馨君こそ、神無までどうしてあの鬼の肩を持つのさ!」
「お前ほど鬼に偏見はない!(きっぱり)それに‥‥高佳が鬼になった理由を知っちまったから‥‥かな」
「鬼になるようなヤツにまともな理由なんかないっ!!」
「‥‥よっぽど恨みあるのな、お前」

前述の通り、馨は今まで穂が『嫌い』と言う人間を見た事がない、いや無かった。偏見も無い人間だと思っていたし、その穂が『鬼』と言うだけでそこまで高佳の事を嫌うとは‥‥よほどの事があったのだろう。そして高佳は穂が恨みを持つ『鬼』とはかけ離れて紳士的なので余計に反発しているのだろう。まぁ、高佳が『鬼』になったわけを聞けば態度も変わるのかもしれないが‥‥。

――それは俺の言うべき事じゃないな‥‥――

高佳は穂に嫌われてもなんとも思わないかもしれないし、高佳は何ともないように『鬼』になった理由を語ったが‥‥普通の人間なら間違い無く傷を抉る行為だ。それを勝手に、自分が語っていいわけが無い。そう思って傍らの穂を勝手に怒らせておくと神無達はすでに駅に着いて切符を買っている。乗り遅れたら元も子も無いので馨は少し早足に券売機に近付き、二人と入れ替わりに切符を買い、隣の穂にも下りる駅名を教えてやった。二人が改札を抜け、ホームに上がる階段を上がっていく。昼とはいえ、日曜。人込みは途絶える事が無いが、ちょうどホームに滑り込んで来た電車に乗る人間はそんなにいなかった。逆に上りの電車は込み合っている。神無と高佳が電車に乗り込むのを確認して、二人も一つ隣の車両に乗り込んだ。神無と高佳は並んで横向きの席に座る。穂がそれを見張るように姿が確認でき、なおかつ向こうからは見えないように立つので馨もそれに倣った。電車の中ではさすがにビデオカメラはまわせない。しばらくスピーカーから漏れるたわいない二人の話し――主に神無が学校や友達の事を話し、高佳がそれに頷いている――に耳を傾け、馨はぼーっと窓の景色を目で追った。普段ならあり得ない時間に起きたので少々眠い。帰ったら寝よう、と思っていると神無の声が途切れる。あれ?と思って向き直ると穂がなにやら慌てた様子で僅かに身を乗り出しかけている。

「神無! そんな所で寝ちゃダメっ!危ないから!」
「危ないのはお前だ、見つかんぞ」
「でもっ!」

見やると神無が少しとろんとした目をこすっている。『眠いのか?』と高佳に問われ、ううん、と首を振るがその動きが少し緩慢だ。高佳がちょっと神無の頭を撫で、すぐに離す。その後もしばらくうとうとしながら、必死に何か話そうとしていた神無だが、しばらくすると完全に目を閉じ、高佳の方に凭れかかった。気付いた高佳が片腕をあげ、そっと神無の肩を抱き寄せる。

「神無! そんな天使みたいな無邪気な顔して寝ちゃダメ! 君はもっと小悪魔な感じだからっ! 鬼!手を離せっ!」
「お前‥‥さりげなく惨い事言ってるな‥‥」

――まぁ、黙ってれば確かに天使‥‥――

と柄にでも無いが、素直な感想を思い浮かべ、馨は預かったカメラを取り出した。電車の中の人は少ない。こちらに目を向けている人間もいないし、一枚くらい高佳の父親のために撮っておこう、と言い訳して馨はシャッターを切った。いつもこのくらい大人しけりゃ可愛いのに‥‥とため息をつきながら、馨は今にも飛び出しそうな穂を引き摺り戻して椅子に座り込んだ。

 名前を呼ばれ、数度肩を揺すられて神無はようやく目を覚ます。ん‥‥? と目をこすりながらうめくと『もうすぐ駅だ』と上から声が降ってくる。事態を理解してああ、と神無はようやく体を起こした。

「ごめん、高佳‥‥。寝てた‥‥」
「いい、十数分くらいだ。良く寝てなかったのか?」
「昨日ちょっと疲れた‥‥」

お弁当を作るのに少し早起きした事もあったが、それを言うと高佳に気を使わせると思って神無は飲み込んだ。高佳が足元に置いた荷物をまとめて膝の上に上げたので、神無も膝の上のマンボウを抱き寄せ、ケーキとぬいぐるみ類の入った袋を片手に通す。程なくして電車は駅のホームに滑り込んだ。この付近の住人は電車などあまり使わないのだろう。ましてこの時間だ、下りたのはほんの数人だった。五分も歩けば家へと帰り着く。それはちょっともったいない気がして、神無は少し歩調を落としたが、それでも一、二分伸びたくらいで家に着いてしまった。高佳に玄関先まで風呂敷包みを運んでもらい、見送るために再び表へ出る。お茶を入れると引きとめても良かったが、お昼の後にケーキも食べたし、これ以上の飲食は返って迷惑だろう。家の前の道路まで出ると神無は少し深呼吸して、高佳の長身を見上げた。

「今日はどうもありがとう♪高佳。すごく楽しかった」
「ああ」

小さく頷いた高佳が少し戸惑ったように言葉を切る。それでも腰を屈めて自分と目線を合わせるので『なに?』と神無は小首を傾げた。

「どうして、俺を誘ったんだ?」
「!」

高佳の問いに神無は少し目線を落とす。それを聞かれるのは至極当然の事だと思う。けれど、当初の理由は今日の楽しい思い出を裏切る気がして‥‥喉の奥につかえる。

「‥‥言わなきゃ、ダメ? すっごい自分勝手な理由‥‥。でも、今の気持ちは全然違う! ほんとにほんとに‥‥楽しかったの‥‥。だから‥‥」

神無の言葉を遮るように高佳は自分の胸元に手を伸ばして、上着のポケットを少し摘んだ。離れて見ていた四季があっ‥‥、と呟いて役に立たなくなったスピーカーを外すがそこまでは高佳も神無も知らない。また小首を傾げている神無に向き直り、高佳は口元に微笑を浮かべた。

「本当に楽しかったなら、後にしこりを残さないためにも話してしまったらどうだ?」
「! ‥‥ほんとは、穂を‥‥あたしの封印をしてくれた神様だけど今は人間の、その人を誘ったの‥‥。でも昨日好きな人とデートで別の水族館に行くって‥‥。それは別に全然構わないの! あたしはその人も、その人の好きな人も大好きだから! でも‥‥別の人に車で連れてってもらうから一緒に来るか‥‥なんて言うから‥‥」
「‥‥、その別の人に自分を任せっきりにするんだと思ったのか?」
「それも思ったけど、その人はそんなつもりないんだってのも分かってた! でも、でも好きな人とのデートに妹みたいにしか思ってないあたしを連れてくなんておかしいでしょ!? 好きな人にも失礼だし、あたしだってそんなの嬉しくない! だから怒って帰って来たの‥‥。穂じゃないなら‥‥馨でも四季でも高佳でも誰でも良かったんだ! だから高佳を誘ったの、ごめんなさい‥‥」
「別に、謝る事じゃない。俺は気にしてない」
「でもね、あたし高佳の事も大好きだから‥‥。穂とは違う『好き』だけど、それは嘘じゃない。今日一緒に行ってくれたのが高佳でほんとに良かった‥‥。ほんとに‥‥楽しかったの‥‥」

堪えきれずに神無は泣き出す。泣いたら高佳は怒るよりも困るだろうと思ったけれど、涙は止まらない。高佳はそのどちらもせずに屈めた腰を戻し、泣き出した神無をそっと抱き寄せて優しく肩を叩く。その様に少し離れた場所で怒りの気が上がるのに気付いてくすっと笑いながら、高佳は少し頭を下げてかろうじて神無に聞こえる程度の小声で囁いた。

「その人は、神無を心配してずっと追いかけて来ていた」
「えっ!? 何処!?」
「しっ、そのまま気付かない振りで。大事な『妹』が、鬼と二人きりなんて心配だったんだろう」
「高佳は!」
「分かってる。でも、その人から見たら俺はただの『鬼』だろう? 今度は、その人と行けるといいな」
「‥‥うん、ありがとう‥‥。高佳も! 今度は高佳から誘って? これに懲りてなかったらね」

自分の胸から顔を上げて笑顔で言う神無に少し意外そうな視線を向け、高佳はしばらくしてやっと微笑を浮かべて頷いた。神無がちょっと屈んで、と手招きするので高佳が腰を屈めるとその首に腕を回し、可愛らしく唇を頬に当てた。

「!(『○×△□!!!?』声にならない声を上げる穂)」
「どうもありがとう♪高佳」

もう一度礼を言って神無は腕を離し、その手を横に振る。それに別れの挨拶を返し、高佳は帰途に着くべく歩き出した。しばらく行った角に隠れた人影は見えない。けれどそこにいるであろう人物は、高佳にはもう分かっていた。神無が家に戻ったのを確認し、その角に差しかかった所で向きを変え、『四季』と兄の名を呼ぶ。

「帰りも乗せてってくれるんだろう?」
「あ、やっぱりばれてた?」
「‥‥太刀守先輩までいたんですか‥‥?」
「あはは‥‥いや、色々と、成り行きで‥‥」
「!」

きっ! と敵意に満ちた視線に気付きつつ、軽く流して高佳は穂に会釈した。そんな事はやはり気にしない兄が『一体いつから気付いてたんだ?』と少し不満げに弟に問い掛ける。

「結構自信あったのにな‥‥」
「お前がやりそうな事くらい察しが付く、だから何処かにいるのかもな、とは思っていたが‥‥。ペンギンビーチで、彼が見えたから」
「!(がんっ! よりによって見つかったのは僕!?)」
「差し出がましいですが、今度は一緒に行ってあげて下さい。俺は代理だったみたいですし」
「言われなくてもっ!むぐっ‥‥」
「あー、もー大人気無いぞ、穂。そもそもお前が悪い」

馨のとどめに『そうなんだけどさ‥‥』と再び穂は撃沈モード。それは気にしていないのか、それとも気にしない振りをしているのか四季がキーを引っ掛けた指で自分の車を指差し、『送ってきます?穂さん』と問い掛ける。

「いいっす、いいっす、こいつ専用アッシーいるんで。ついでに俺もしばらく時間潰してからじゃねーと帰れねぇ‥‥」
「そう? じゃあ後で写真焼き増しとビデオダビングするから、楽しみにしててね。今日は付き合ってくれてありがとう、太刀守君。穂さんもありがとうございます」
「失礼します」

手を振る馨に高佳が几帳面に頭を下げ、四季に『なんでそんな格好してるんだ?』と問いかけながら車に向かって歩いて行く。馨も撃沈モードの穂を車の邪魔にならない所まで下がらせ、アッシーこと、隠岐を呼ぶようにせっついた。


 知り合いの少女から『お土産持ってくからおやつは待っててね(^3^)-☆Chu!!』という可愛らしいメールを受け取った隠岐は少し複雑な顔をして、主人にそのメールの送り主と内容を伝える。しかし、昨日帰って来た時から妙に落ち込んでいる主人は生返事を返しただけで何の反応もない。多分伝言すら伝わっていないだろう。隠岐は嘆息して、少女が到着すれば分かる事だ、とお湯の準備だけ始めた。お土産の中身が分からないのでそれによって緑茶か紅茶かに変わる。沸いたお湯を電気ポットに移し、相変わらず事務所の椅子に座って落ち込んでいる主人をわき目に、隠岐は事務所内の掃除を始めた。大して人が訪れる事もないが、客商売である以上見た目はやはり重要だ。そうしてメールが入ってから三十分程経つと、事務所の呼び鈴が鳴った。仕事の客である事はまずあり得ない。扉を開くと、作務衣姿の一応そんな格好でも少女が肩に胴着を担ぎ、袋を持った片手をひょいっと上げて挨拶する。

「こんにちは!隠岐さん」
「ああ、いらっしゃい、神無君。‥‥一昨日はずいぶんな災難だったようで、友達にも後でお詫びを言っておいてくれ」
「え? ああ、隠岐さんもう知ってたの?」
「君達を帰した後に徹夜でポスターを作らせたそうだ‥‥。昨日それを渡すように呼び出されて‥‥友達の分も。まぁ、中へどうぞ」
「うん。あ、これお土産、くるみの樹っていうロールケーキなの」

神無は隠岐にお土産を手渡し、その後に続いて事務所の中へ入る。と、いつもは「いらっしゃい♪」と笑いかけてくる穂が事務所の椅子に座って膝を抱え、下を向いてしまっている。どうしたの?という視線を察して隠岐がさぁ‥‥? と首を傾げる。

「昨日、奥様に呼ばれた後に迎えに行った時からあの調子で。太刀守君と二人で何処かに出かけていたようなんだが‥‥」
「‥‥はぁーん‥‥。なんだ、馨も一緒だったんだぁ」
「何か思い当たる事が?」
「うん♪ばっちり☆。穂はあたしが何とかしとくから、ミルクティがいいな♪」

ちゃっかり飲み物のリクエストをすると神無は穂に歩み寄って行く。隠岐はロールケーキを持って一旦キッチンのある三階に上がって行った。隣に立っても穂はこちらに気付かない、よっぽどの重傷(?)らしい。神無はくすっと笑ってシャットアウトしていた気配を元に戻し、穂の名を呼んだ。

「! か、神無っ!? いつもの!?」
「いつものって何さ‥‥昨日がいつもと違うみたいじゃん‥‥」
「ごめん! 僕が悪かった!イロイロと‥‥。神無の気の済むまで謝るから、だから鬼となんか付き合っちゃダメー!!」
「!」

いきなり復活すると穂はぎゅーっと神無の体を抱き締めた。その行動に『うーん‥‥親子‥‥』と感心しながらも、予想以上の効果に神無はご満悦で笑った。当てつけのつもりではあったが、まさか付いて来ているなんて夢にも思っていなかった。高佳のおかげでもう怒ってもいないが、穂が優しいならしばらくこのままでもいいかな、と意地悪に思ったりもする。

「何で怒ったか、ちゃんと分かってるの?穂」

膝の上に乗ったまま、頭を離して見上げると穂は困惑した顔で言葉に詰まる。神無が演技ながら怒った顔をしているのでなおさらだ。

「う‥‥。だから、隠岐に君を任せて小夜子さんと二人で水族館を楽しむと、思ったわけでしょ‥‥? でも僕は‥‥」
「五十点。そんなつもりで言ったんじゃないんでしょ? でもそう聞こえた、今度から気を付けなよ? それから、好きな人とのデートに『妹』を連れてくなんて失礼じゃない? 小夜子さんなら笑って許してくれると思うけど、あたしに変な気遣いさせないで!」
「! そっか‥‥ごめんね、神無‥‥。どうもありがとう」

今度はそっと、優しく抱き締められる。それに少し照れながら、けれど穂に気付かれないように神無は穂の胸の中でくすっと笑った。もう、好きな人(さよこさん)の事になるとダメダメなんだから‥‥と心の中で呟いて、ほんの少し笑顔に寂しさを混ぜ合わせる‥‥。

「それでね!神無。この埋め合わせは絶対するから、だからもうあの鬼とは‥‥」
「それとこれとは別問題♪。高佳の事鬼鬼言うな♪穂だって似たような者じゃん♪」
「全っ然似てない! あっちは鬼!僕は違う! あれがどんな物か、君に分からないわけないだろう!? なのにどうして!」
「高佳は『人間』だよ、穂も人間。二人共何も変わらないし、どっちもあたしは好き。だから高佳の事悪く言わないで!」
「君は鬼を、ヤツらの業の深さを知らないから‥‥」
「知ってるよ‥‥。じいちゃんも鬼を祓った事あるもん、鬼の怖さを知るためって言って一緒に連れてかれた。だから鬼の怖さも、業の深さもこの目で見て知ってる。でも、そいつとも穂が知ってるヤツとも高佳は違うって事も知ってる」

何も分かってない‥‥と穂がいつもは見せない、厳しい顔で神無を見下ろす。けれど神無もちゃんと分かってる、分かってないのは穂だ、と睨み返す。三階から切ったロールケーキと紅茶のカップとポットをトレイにのせて降りて来た隠岐が、膝に乗せたまま、乗ったままで睨みあっている二人を見てしばし停止する。が、何事も目にしていないような態度で穂の机にトレイを乗せた。

「どうぞ」
「! あ、ありがとう‥‥隠岐」
「神無君も、こちらに来て椅子に」
「うん! ありがとう、隠岐さん」

隠岐がいつもは馨が占領する椅子を穂の向かいに引き寄せ、神無を呼ぶと神無も何事もなかったように穂の膝から飛び降り、椅子に腰掛けてミルクティのカップに手を伸ばす。穂も普通にロールケーキの皿に手を伸ばすので何があったんだ、とは余計に聞き辛くなったので隠岐はその疑問を胸の中に押し込めた。

「あれ? 隠岐さん食べないの?」
「‥‥」
「隠岐、せっかく買って来てくれたのに、神無に悪いでしょ? 一口でいいから食べたら?」
「しかし‥‥」
「はい♪口開けて〜隠岐♪」
「穂様、分かっててやっているでしょう‥‥。!!」

フォークにロールケーキを一欠けら刺して穂は立ち上がり、後ずさる隠岐を追いかけて話している隙に口の中にフォークを押し込む。瞬間、隠岐が口元を押さえ、長身を曲げて屈み込んだ。それをしばらく見守って『はい、お茶ね〜♪』と穂は自分のために用意されたお茶を隠岐に手渡す。それをぐいっと飲み干すと隠岐はようやく立ち上がり、カップを戻しながらいつもは見せないちょっと弱気な顔を穂に向けた。

「だから‥‥食べないよりこちらの方がよほど失礼でしょう?穂様‥‥」
「‥‥。隠岐さん‥‥甘い物苦手だったの‥‥?」
「苦手も苦手♪。角砂糖の一個でも入ったコーヒーはまったく飲めません♪。一口でも口に入ったらこの通り♪」
「じゃあ何であんなおいしいお菓子作れるの?」
「あれはレシピがいいから‥‥。菓子類ならレシピ通りに作れば大抵の物は失敗しない」
「甘い匂いがダメで作ってる時もマスクしてるんだよ♪」

今まで洋食しか習った事がなかったからそんな姿で料理している隠岐は見た事がない‥‥。じゃあ是非バレンタインデーに教えを請うてみよう! と神無が変な決心をしていると変な事を教えないで下さい‥‥と隠岐が力なく反論する。

「いいじゃん?事実だよ?」
「私をだしにして何かごまかそうとしてませんか‥‥?穂様」
「‥‥。そんな事はない!決して!!」
「‥‥(怪しい‥‥)」
「あたしがね〜、昨日男の人とデートしてたから怒ってるんだよ、穂は」
「!! 男の人って‥‥そりゃあ、普通の人なら神無の自由だし、僕だって口出しする気はないけど! 相手は人間外じゃないか!」

人間だもん、と神無はつーんと顔を逸らす。二人の話しはまったくの平行線だ。隠岐は相手が人間だとか人間でないとか普通に話す二人にすでに付いて行けず、はぁ‥‥と戸惑いながら相槌を返した。まぁ人間、人間外の話しを除いて考えれば、穂の理不尽な言動に怒った神無が別の人物と二人で水族館に出かけた、と言ったところか。ならば穂に怒る権利はないのではないだろうか?

「しかも別人みたいに可愛い格好して!カラーコンタクトまでしちゃって! どういう事!?」
「えー?妬いてるのー?穂♪。あ、隠岐さん見た?穂ママに貰った服。ポスターじゃない方」
「ああ、あれか‥‥。確かに可愛かった」
「え? 母さんに貰った? ポスター? 何の話‥‥?」
「やはり昨日人の話を聞いてなかったんですね‥‥穂様。一昨日、神無君とその友達二人を奥様が柔らかく言えば一方的に招待して、荒く言えば誘拐して新店舗の服を着せて宣伝用のポスターを作ったそうですよ。昨日呼ばれた用件の一つはそのポスターと私用写真の数々を自慢するためです」
「ええー!? じゃあつまり‥‥昨日の格好はうちの母親が主原因‥‥? うわー‥‥ごめんなさい、うちの暴走母がご迷惑かけたようで‥‥。お友達にも心からごめんなさい‥‥」

深々と穂が頭を下げる前で隠岐が出来あがったポスターを神無に差し出す。丸められた三本のうちの一本を少し開いて中を見、『うわー‥‥』と苦笑して神無はすぐにそれを戻した。

「私用写真の方は焼き増してポスターと一緒にお父さんに届けると言っていたが‥‥?」
「あ、それ叔父貴の事。叔父貴の娘だって勘違いしてるみたい、穂ママ」
「しかも叔父さんまで巻き込んでるの‥‥? ごめんなさい‥‥良く言っときます‥‥」
「いや、叔父貴は巻き込まれてるって言うか‥‥。穂も知らないんだ‥‥じゃあいい‥‥」
「? 何を?」
「今は下手に近付かない方がよろしいかと‥‥穂様。用件の二つ目は達成されてませんから‥‥」

『何の話し?』と穂が首を傾げるが、いやいや、と隠岐は首を振って言葉を濁す。その様子に神無が思い当たって『はぁーん‥‥』と意地悪笑いを浮かべる。穂母に蒔いておいた種が見事に芽を出してくれたらしい。それに気付いた穂が『何なの!?』と追い詰められたように隠岐に迫る。

「これを言ってしまっていいんでしょうか‥‥、衝撃はかなり大きいと思いますが‥‥」
「あの母親に限ってろくな事はしないって覚悟は出来てるから言って! 神無怖いしっ!」
「‥‥新店舗の、ゴスロリ、と言うのですか? その服を穂様用にデザインさせたから採寸したいと‥‥。しかも自分の分もお揃いで作って記念写真を撮るんだと、それはもう大はしゃぎで‥‥。デザイン画を見ましたがスカートです」
「‥‥(←声も出せない衝撃)な、なんで止めて来ないのっ!?隠岐!!」
「無茶を言わないで下さい、自分が巻き込まれないようにするので精一杯です。穂様は奥様似ですからまだなんとか‥‥」
「なるかーっ!! ああ‥‥何処かに姿をくらまして‥‥ムリだ‥‥絶対‥‥(ガタガタ)あのさ‥‥ちょい聞くのも怖いけど‥‥まさか、神無?」

にっこり天使のような笑顔を浮かべ、神無は力いっぱい頷いた。やっぱり小悪魔キャラ‥‥とか呟きながらがっくりと穂は膝をついた。『楽しみだなぁ、穂ママとおそろの穂♪』と神無が無邪気に手を合わせてうきうきと喜んでいる。その様子に打ちひしがれながら、穂はある事を思い出してはっと顔を上げた。そして自分の机の脇に待機させて置いたぬいぐるみを持ち上げ、神無の前に置いた。

「神無! はい!お土産の等身大皇帝ペンギン!」
「わぁ♪皇帝ペンギン!? ありがとー♪穂♪」
「で、物は相談なんだけど‥‥」
「ところで、何であたしがペンギン好きだって知ってるのかな?穂‥‥」
「そ、それは小夜子さんが‥‥言ってたかなーっと‥‥。あー!何っ!? 携帯なんか取り出しちゃって何事!?」
「うん、ちょっと小夜子さんに確認の電話なんて入れちゃおうかな☆っと思って♪」

おたおた、おろおろしながら『馨君だったかも〜!』と穂が苦し紛れに言うと『あ、そう』と軽く言って神無は電話先を変える。馨に限って味方してくれるとは思えない‥‥、と穂が頭を抱えると神無は宛先を消し、携帯電話を閉じる。

「穂って、つくづく確信犯にはなれないよね〜。高佳の事知ってる時点で尾けて来てたのばれてるっての。これもH水族館で買ったんじゃないんでしょ?」
「はうっ! ご、ごめんなさい‥‥。でも尾けてたってのはちょっと誤解かな〜? 僕いきなり呼び出されてわけ分かんないまま連れ回されてたし」
「この皇帝ペンギンはありがたく貰っといてあげる♪。だからストーキングの件はチャラね♪」
「人を変質者みたいに‥‥。だから‥‥主犯は僕じゃないんだってば〜‥‥。じゃあ母さんを止めるのは別料金なわけ?」
「‥‥。ゴスロリ穂見たーい♪♪」

自分の身長の三分の二はあろう皇帝ペンギンのぬいぐるみを、取り返されないようしっかりと確保して神無は無邪気に言う。『ものすごくおもしろがってるわけね‥‥』と穂が半泣きで呟くとうん、と力いっぱい首が上下する。『まぁ、仕方ないですね』と見守っていた隠岐がフォローめいた言葉を漏らすので穂の期待の目は隠岐に向けられた。

「怒らせた相手とタイミングが悪かったと思って諦めて下さい、穂様」
「隠岐まで見捨てるの〜!? 母さんはやるって言ったら絶対やるよ!? あの人止められるのは父さんだけだけどよっぽどの事ないと父さんも止めないよ!?」
「まぁ、命を取られるとか一生監禁されるとかそう言うわけじゃありませんので。時には親孝行も必要かと。それに神無君に頼むと言う事は神無君を身代わりにするも同然でしょう?」
「う‥‥。だからってこの年で女装は‥‥。男としてのプライドが‥‥」
「身代わりになってあげてもいいよ〜♪」

ふかふかのペンギンに片頬を埋め、ご機嫌な様子で提案する神無を穂は不審そうに見下ろした。そのご機嫌さは単にお土産に満足している天使の笑顔にも見えるし、自分に助けを求める以外に道のない穂にとんでもない見返りを求める悪魔の笑みにも見える。

「‥‥。だからって鬼と君の交際を認めるくらいなら悪魔(=穂母?)に魂売った方がましっ!」
「強情だな、穂も。ってか、誰も付き合うなんて言ってないし‥‥。高佳の事をどう思うかは穂次第、あたしは強制しないよ。でも一回高佳とちゃんと話してみて! 鬼だから悪いヤツだって決めるのは偏見でしょ? その上でやっぱり穂が高佳は嫌いだって言うなら何も言わない!」
「でも‥‥」
「でもじゃない! 偏見じゃないなら食わず嫌い! それから!あたしの前で高佳の悪口言わないで! 高佳はあたしの友達なんだから、穂だって友達の悪口言われたら嫌でしょう?」
「‥‥正論ですね。鬼が何なのか分かりませんが、神無君の言う事の方が正しい。その条件で身代わりまで引き受けてくれるなら、お礼を言ってもお釣りが来ると思いますが?」
「むー‥‥」

二対一で責められながらも穂はまだ強情に唸っている。結論を出す前に神無が時計を見て『あっ』と声を上げ、ミルクティを急いで飲み干して立ち上がる。

「ごちそう様! 道場遅刻しちゃうからとりあえず行くね!」
「あ、神無君、ぬいぐるみは預かっておこう。帰りに取りに寄ってくれれば寮まで車で送る」
「ありがとう!隠岐さん。穂に人質に取られないように死守しといてね!!」
「そこまで卑怯な真似はしませんっ!」
「じゃあ返事も帰りにね♪。いってきまーす♪」

そう言って笑顔で手を振り、元気な小悪魔は駆け足で事務所を出て行った。むすーっとしながら椅子に座ったまま体勢を崩す主人の答えは、隠岐には当に分かっていた。だが素知らぬ顔で隠岐は神無のティーカップをトレイにのせ、代わりに紅茶のポットを置いて三階に上がって行った。

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