Promise!
退屈だな‥‥という言葉がぼんやりと頭の隅から中央へと移動してくる。つい最近まで日課となっていた師への悪戯は色々な事情で禁止――他者から、そして自ら――されてしまったし、かといってまじめに家庭教師の授業を受ける気にもならなかったのでこうして部屋を逃げ出し、ぼうっと廊下を歩いている現実にあたる。
「‥‥、ランカの様子でも見てこようかな‥‥」
ランカ、はごく最近再会できた彼の父親違いの妹だ。複雑な経緯で宮廷魔術師となるべく修行を始めている。ただ、それには彼女の家、そして彼のもう一つの家とも言えるダウド家へ行くために城を抜け出さなければならない。可愛い妹の顔を見れるならそのくらいどうということはないのだが、それには大きな障害が伴う。その障害の動向を知るべく彼はすぐ近くまできていた謁見の間の扉を開いて中を覗き込んだ。自分が成人の儀を迎えてから前々から高齢のために体調を崩していた父王はその席にいない事が多くなった。それが何を意味するのかは、彼は深く考えたくはなかったけれど。父王が不在であろうと謁見の間には多数の大臣達が集まり、国はそれによって動く。それで別に異存はないし、まだ年若い自分が父に代わってその席に就こうとは思わない。それに何より、そこには大抵彼が最も信頼する師、そして妹に会うための大きな障害になる男がいる。いつもと変わらぬ背中を見つけて彼は知らず微笑を浮かべていた。祖父ほどに年の違う父に代わって、彼はその背中に父親像を重ねていた、無意識故に彼は気付いていない。だが、一瞬の後に彼と、大臣達の様子がいつもと違う事に気付く。
――あれは‥‥――
純白の法衣を纏った二人の人間が視界に入る。片方は壮年の男性、片方は二十代後半くらいの女性。もちろんそれが見かけ通りの年齢でない事は彼には分かっていた。その二人は絶対神キルアーナ神殿の神殿長補佐と全ての星見の巫女達を総べる巫女だ。
「何かあったか?」
脱走をもくろむ囚人から一転して王太子の顔になった青年はその長身をきりっと伸ばして部屋の中に入った。歩み寄ってくる彼に大臣達が内心でトラブルメーカーの登場に頭を抱えた。緋色の軍服を纏った男性、宮廷魔術師長ジェヴルはあからさまに頭を抱えるのかと思いきや、わずかに苦笑しただけだった。
「?」
「これは殿下、お久しゅうございます」
深々と神官長補佐、それに巫女とが彼に頭を垂れる。それを片手で制し、で?と彼はほんの少し視線を上げてジェヴルを見やった。
「お二方のお供で、テュアナの神殿に行ってまいります、殿下」
「答えになってないぞ、俺は何処へ行く、ではなくどうしたのかと聞いたのだ」
「殿下、これは『神星の傍観者』の任に関わる事。お父上がご病気の今、その任を代行出来るのはこの私のみ。いかに殿下と言えど、口出しは許されませんよ?」
やんわりとした口調はこの男が怒っている時以上に強い響きを持っている。視線を向けると昔馴染みの巫女、シャルマが苦笑してかすかに頷きジェヴルの言葉を肯定する。この国でジェヴルは一介の騎士に過ぎぬが、ダウド家という魔術師の家系の長でもある。その長は神星という神に深く関わる事情に関しては、国王代理となる権利を持っているのだ。それに関しては王太子である彼でさえ格下となる。
「ふんっ、つまり‥‥お前を納得させれば俺も同行できるわけだ」
「殿下!? 勝手はなりませんぞっ! ジェヴル殿! 分かっておられるだろうが‥‥」
「納得が、いけば良いでしょう」
「ジェヴル殿!?」
「殿下が、『神星の傍観者』となるお覚悟があるのなれば、後継者としてお連れせねばなりますまい?」
同意を求められた神殿長補佐は困ったようにシャルマを見やった。これで二人の上下関係は明白だ。期待を込めた視線を向けるとシャルマはやはり苦笑を浮かべ、『ええ』と頷いた。やったっ! と心の中で拳を握るとけれど‥‥とシャルマが続ける。
「『神星の傍観者』となることはつまり、王位を継がれるという事。そのご覚悟が整っていないようにお見受け致しますが、いかがですか?ソール殿下」
「!?」
反射的に鋭い視線を向けてしまうが、臆した様子もなくシャルマは今度こそ微笑を浮かべた。こと、隠し事は得意な彼にとって、この巫女は天敵とも言える存在だった。星見の巫女は少なくない。トグリッサ王家王太子として、幾人の巫女とも会ってきたがこれほど性質の悪い巫女は存在しない。彼女は見透かしたように人の心情を察してしまうのだ。
「今、私(わたくし)の事を性質が悪いなどとお考えに‥‥」
「! 思ってない!思ってない! 確かに迷ってはいるが‥‥嫌だと言ったところでどうにかなる物でもないだろう? それに俺が王となるかどうかは、お前ならお見通しのはずだ」
「なるかならないか、ではなく、お覚悟の問題です。お父上よりも先にこの事実を知り、なおかつ秘密を守る事が出来ますか?ソール殿下。お父上、ジェヴル殿、そして神殿内でも私達一部の者しか知り得ない事実です。これが外に漏れる事があってはなりません。それでも?」
「‥‥答えは分かっているだろう?」
あえて即答はせず、ソールはずっと下にあるシャルマの目を見下ろしながら言った。精神的には頭が上がらないが、身体的差によって自然そうなる。やはり臆する事無くシャルマは幼い我が子でも見るように仕方ない、と微笑した。
「ご同行を、ソール殿下。よろしいですか?ジェヴル殿」
「‥‥仕方ありませんね、個人的には反対だったのですが、貴女のご判断では‥‥。おいで下さい、殿下」
背を向けるジェヴルの後ろでよしっ! とソールは笑みを浮かべ、隣を歩くシャルマに礼の言葉を述べた。いいえ、とふんわり笑ったシャルマは、ぽつり、と呟く。それが彼の耳に届いて『え?‥‥』と彼が首を傾げるが、ふふっと笑ってシャルマは先にジェヴルを追って行ってしまった。
――それが、尊公様の星の巡りですから‥‥――
巫女、神官二人の転移魔法によって辿り着いたのは白かったであろう壁や柱は古びて変色し、さらに緑の蔦に絡まれた神殿だった。絶対神キルアーナの神殿でない事は明らかだった。本来キルアーナ神の彫像があるべき所にあるのはおそらく純白であったであろう鳥の彫像。
「メターナ・ネウユ‥‥? おい!ジェヴル! これはどういう事だ‥‥?」
「おや、このような忘れられた神殿にようこそお越し下さいましたわ」
「ジュクス殿、お久しぶりですわ。と言っても、直接お会いするのは初めてですが‥‥」
「まぁ、シャルマ殿。お会いできてうれしゅうございます。それに、新たなダウド家ご当主殿にトグリッサの若獅子の君にも」
「!」
神殿から現れた巫女姿の女性は目が見えてないのか、ずっとその瞼を閉じたままだった。なのに正確に自分達の事を言い当てた事にソールは驚きを隠せない。その様子にくすくす、と巫女、シャルマが意地悪く笑い、呆然とする王太子に代わってジェヴルが丁寧にジュクスに礼を尽くす。
「シャルマ殿? 若獅子の君には何もお話になっておられませんの?」
「ええ、その方がずっと楽しいかと思いまして。それにこの方が呆然となさるなんて珍しい事ですわ。もうだいぶ大きくなられましたけれど、やはり可愛いですわね、ソール殿下」
「悪魔だ‥‥巫女じゃない‥‥」
「何かおっしゃいまして?ソール殿下」
「いやっ!何でもない!」
ふふふっと意地悪い笑顔を向けるシャルマから逃げるようにソールはジェヴルの脇に回り込んで盾にする。そのやりとりに気付いているのかいないのか、ジュクスは彼らを神殿の中に招き入れた。祭殿を抜け、さらに奥の部屋に入ると居住空間らしく、ソファを勧められた。シャルマがそこに腰掛け、ソールを手招きする。辞退しようとしたソールだがジェヴルに無理矢理座らされた。当のジェヴルは彼の脇に立ち、神殿長補佐もシャルマの隣に同じように立ったまま。
「何もございませんがお茶でも‥‥。おや、お二方ともお座りになりませんの?」
「ええ、結構です。どうぞ、お座り下さい、ジュクス殿」
「では‥‥」
とジュクスは向かいのソファに座り、お茶を差し出した。どうも‥‥とソールは慣れない茶色のお茶を口に運ぶ。長期の保存が利くようにしてあるのか、少し渋みが強かった。それで?とジュクスが同じようにお茶を飲んでいるシャルマに向けて小首を傾げる。
「‥‥絶対神キルアーナ様からのご伝言をお持ちしました」
「! では‥‥?」
「ええ‥‥」
「?」
どうしてキルアーナがメターナ・ネウユの巫女に伝言など‥‥? と首を傾げてジェヴルを見上げると、同じように初めて聞くらしく、ジェヴルは少し険しい顔で二人の巫女の言葉を待っている。
「『時が再び巡ってくる。心構えは整っているか?イアラ』と」
「‥‥分かりました、お伝え致します」
「よろしくお願い致します」
「ちょっと待っ‥‥どういう事だ?何故キルアーナ神がイアラに伝言を? それに、イアラは‥‥」
「イアラは滅んだのではありません、来るべき時のために眠っていたのです、若獅子の君」
「そしてキルアーナ神とイアラが交代する時が近付いている、という事ですわ、ソール殿下」
静かにジュクスが、そしてふふふっと意地の悪い笑顔でシャルマが語る。その笑みに『ああ、きっと俺はシャルマが可愛いとか言いやがる混乱した顔をしているに違いない』と心の中で自嘲しつつ、彼は必死に事実を受け止めるべく思考を巡らせる。それをまったく無視してジェヴルが二人の巫女に言葉を振る。
「神星はすでに一つが行方不明とか‥‥。忌々しき事態ですね、シャルマ殿」
「ええ、ですが互いに引き合うが神星の運命‥‥。時がくれば再び出会いましょう」
「シャテアの君ですか‥‥。イアラも危惧しておられました、恐らく凶なる者(ネメス)の手によるものだろうと」
「待て待て待てっ! いや、失礼、ジュクス殿。えーと待つのはジェヴルにシャルマだ! 俺を抜いて話を進めるな! まったく分からんっ! 説明しろ!」
「‥‥どうなされますか?シャルマ殿」
「ソール殿下にはご帰国後、たっぷりと私の講義を受けて頂くとして‥‥イアラの巫女のご様子を伺って来るように、ともおっしゃっていたのですが‥‥よろしいでしょうか?ジュクス殿」
『シャルマの講義っ!?』とソールが反論と回避を請う思いで声をあげるがまったく無視してシャルマはどうでしょう? とジュクスに笑顔で問う。よろしいですよ、とジュクスも笑顔で答え、それにはっとしてソールは会話に戻ってきた。
「イアラの巫女?」
「ええ、イアラの精神はすでに復活し、依代となる巫女の中に。そうして御体を復活すべく時を待っておられます。‥‥お会いになって行かれます?若獅子の君」
「! よろしいのか!? ジュクス殿」
「ええ、後々、尊公様のためにも、あの子のためにもなる事ですわ‥‥。そうでしょう?シャルマ殿」
答えの代わりにシャルマは含みのない笑顔を浮かべた。その無邪気な笑顔こそが何かを企んでいる‥‥とソールに思わせるのだが‥‥。それでも『美人だといいなぁ♪』とソールはご機嫌に呟いた。それに気付いたのかジェヴルだけがはぁ‥‥とため息をついて肩を落とした。
子供達の輪の中で遊んでいたところで彼女は名を呼ばれた。使いの女性は村の長老でもある祖父が呼んでいる事を告げた。なんだろう、と思いながら無意識に兄を振り返る。良く似た顔立ち、同じように遊び着である綿のシャツに膝丈までの綿のパンツ、体格や短い髪型までそっくりの兄が行こう、と手を取って彼女を引っぱる。うん、と迷いなく頷いて少女は兄と共に駆け出した。二人は何から何までそっくりな兄妹だった、その髪と瞳の色を除いて。双子とはいえ、男女の差があるというのに珍しい事だ。しかしそれもあと二、三年の間だろう。祖父の姿を探すと小さな祭殿のそばの広間に、見なれぬ人間の一団と共にいた。その中に見知った巫女の姿を認めて二人は同時に足を止め、会釈をする。にっこりと笑ってその巫女が片手を小さく振る姿に少女は嬉しくなった。彼女は優しいしとても美しい、大好きな女性(ひと)だ。さらにその隣に立っている同じような巫女服の女性も二人に笑みを向ける。その女性にもぺこり、と頭を下げ、少女は女性の隣の男性二人を見上げた。いや、一人は少年から青年への中間くらい。その長身を見上げるのに少女は一生懸命首を上げなければならなかった。日の光をあびた、見た事のない月色の髪がきらきらと綺麗だった。
――綺麗な髪‥‥目の色も、冬の空みたい‥‥――
「私の孫でイアラの巫女であるシアル、それに双子の兄のパルスナです」
祖父に紹介されると二人はもう一度ぺこり、と頭を下げる。視線を戻すとふうん、とでも言うように銀髪の少年が二人を見下ろしていた。そして祖父の方を振り返り、一言‥‥。
「で? どっちが女の子?」
「!!」
むっとしたようにパルスナが前に足を踏み出す。それよりも先にシアルは森を駆け回り、村の男の子達と喧嘩して鍛えている健脚で長身の少年の脛を蹴り上げた。『ったっ!!』と短い悲鳴を浮かべて少年の長身が簡単に折れ曲がり、痛そうに片足を抱えてうずくまる。自分よりも少し背の低くなった少年の前にふんぞり返るように立って少女、シアルは怒りを浮かべた表情で少年を見下ろす。
「私よ! 何処からどう見て私が女の子に見えないって言うのっ!」
「いや‥‥それはもうどっからどう見ても‥‥」
「なんですってっ!?」
「こら、やめなさいっ! シアル、その方は‥‥」
「いえ、お気になさらず。自業自得ですよ、殿下」
「いや、いや、俺も修行が足りないなぁ‥‥。もう少し女を見る目を鍛えないと‥‥」
『それより足を鍛えられた方がよろしいかと』と言う隣に立っていた壮年の男性の手を借りて少年は破顔したまま立ちあがる。隣の巫女がくすくす、と楽しげに笑うのを『笑うな』と少年が力無く諌めたりしているのを見ながら、ようやく『でんか?』と聞きなれない言葉を繰り返してシアルはこそこそ、とパルスナの耳に顔を寄せる。
「でんかって何? パルスナ」
「俺だって知らないよ、そんなの」
「殿下、と言うのは王族への敬称に使われる用語で、特に王太子などに使われますわ」
「はうっ!? あ、どうもありがとうござ‥‥。王族?‥‥この人がっ!?」
「おう、ソール=シクル=トグリッサだ。よろしく、そしてさっきは失礼、小さい淑女(レディ)」
慣れた仕草で小さな手の平を掬いあげ、少年はその甲に軽く唇を付けた。慣れない挨拶と少年に先ほどした不躾な行動にシアルは頬を真っ赤にする。当然、壮年の男性の呆れたため息やら兄のむっとした表情になど、まるで気付いてはいなかった。
「夢‥‥」
唇に触れた小さな、柔らかな手の感触がまだ鮮明に残っている。彼は少女の手を取った片手を、ベッドに寝そべったまま自分の視界に入るように持ち上げた‥‥。
「夢、か‥‥」
昔を取り戻した証拠。繰り返し見る過去(ゆめ)は、とうとうその時にまで遡った。幾度も捨てようと思った『昔との絆』。けれど捨てられないそれが見せる過去(ゆめ)。身を起こして陽光の差す窓を開ける。大きく手を振りかぶって窓に向ける。けれど、指を離す、その簡単な事が出来ない‥‥。捨てられずに手を戻して、その中のそれをきゅっと口元に寄せて握り締める。それはまるで、祈りを捧げる巫女の姿‥‥。
「捨てられないよ‥‥やっぱり‥‥。この思いをずっと胸に押し込んだまま、それでも思い続ける事、許してくれますか‥‥?」
でも‥‥、と窓の外を見上げる。春の近い青空は、望んだ色とは少し、違っていた。
『『会いたいな‥‥』』
「大体強情だよね〜あの子は。まぁ、誰かさんもだけどネ」
何がですか? とかけられた声に一瞬顔を上げるパルスナは神官服。神殿の一室なのでそれも違和感は無い、ただ昔の知り合いが見たら驚愕するに違いないが‥‥。一方ソファの上には行儀悪くあぐらをかいている――しかもスカートだ――少女。また顔を戻すとパルスナは緑色のお茶を注いだ後振り返ってどうぞ、と少女の前に差し出した。
「ありがとー♪」
「こんな所でのんびりくつろいでいてよろしいのですか?イアラ」
「神殿をこんな所とはなかなか言うね、キミも。おいしー♪。たまにはゆっくり休んだって世界が壊れるわけじゃないでしょ?」
「また無責任な事を‥‥。ところで、先ほどのお話、誰が強情なんです?」
「シ・ア・ル! 君の可愛い妹だよ。誰かさんは当然キミっ!」
「おや、光栄ですね」
にこっと微笑みかけるパルスナに『今のは誉めたんじゃないよ』とイアラは面白くなさそうに呟く。『私にとって尊公からのお言葉はすべて誉め言葉ですよ』と本気だか冗談だか分からないパルスナの返事にイアラは『つまんない‥‥』と再び呟いて頬を膨らませる。
「ところでイアラ‥‥どうして急にシアルが強情だとかそういうお話に?」
「え? あ、ほらなんていうか、思い出し? 急に」
「‥‥覗き見とは、趣味が悪いですよ‥‥」
「やだなぁ?覗いてなんか無いよ? ほんとほんと♪。そういえばカイラ王子とブランカちゃんの二人もどーかなー? お互いにぶにぶさんだし‥‥あそこは難しいカモ♪」
「尊公に休息を与えるとろくな事がありませんね‥‥。キルアーナの暴走で起きた歪はまだまだ世界の各所にあるんです。休息はそれらを全て修復してからにして下さいね?イアラ」
「あーん!パルスナの鬼〜! いいじゃん!? 人の恋路ほど面白いものはな‥‥。あー! 誘拐魔ー!!」
ひょいっとイアラを小脇に抱えて歩き出しながらパルスナは一つため息。それはもがいているイアラにか、それとも遠く離れた妹に対するものか‥‥。