| 盈 | 満 | 之 | 咎 |
隠岐から送られたファックスと印刷した写真をファイルに入れ、再び車で鞍馬家へやってきた馨と神無は、玄関先で小柄な男性に迎えられた。馨と同じか、それよりも少し低いくらいの男性は、馨と神無に向かって微笑むと、食事はしてきていないなと確認した。その声は馨が先程電話口で聞いた声と同じ。ではこれが高佳の兄なのだ、と馨はまじまじと相手を見てしまう。高佳が見た目怖そうだけれど実は礼儀正しいジャーマンシェパードだとするなら、こちらは見た目通り愛想の良いアメリカン・ショートヘア。はっきり母親似であることが分かる顔は、高佳とは全くといっていいほど似ていない。そして高佳の方が兄に見えるというくらいの童顔だ。
これなら3段の弁当を作っていても違和感がないな、と思いながら促されるままに馨は神無を連れて居間へと進んだ。そこにはすでに高佳と瑞樹が四角い座卓を前に座っていた。馨と神無は並んで、開いている座布団の上に座る。高佳と瑞樹、神無はきちんと正座だが、馨は遠慮なく最初から胡坐をかいた。
そうして座ると、馨達を迎えてくれた高佳の兄が大皿を持って居間へ現れた。ごつんとか、どかりとか、とにかく凄い音を立ててその大皿が馨達の前に置かれる。皿には山盛りのパスタ。そうめんならまだ納得できる光景なのだが、この太さと色は間違いなくパスタだ。トマトとバジルの姿も見える。その豪快さに呆気にとられている馨を尻目に、アメリカン・ショートヘアの兄はにっこりと笑った。
「悪いなぁ。うち洋食器は少なくて。だからパスタは大皿から取って食べてくれ」
いや、この際食器が和風か洋風かということは問題ではないのだが。大盛りのパスタの隣に、さらに大皿にのったシーザーサラダが現れる。それから各自に小皿が配られて、さらに茶色の飲み物が馨に渡される。
「ほい、麦茶」
「あ、ども……」
反射的に受け取ったが、パスタに麦茶の組み合わせは正直どうだろうと思わずにいられない。パスタならワインが良いと馨は思ったが、小学生の神無もいるので大人しく口を噤んでいた。
「ね……誰がこんなに食べんの?」
山盛りのパスタを見つめながら、神無が馨の脇を肘で突付いた。馨は慌てて首を横に振る。
「お、俺は無理だぞ」
いくら午前中に運動したと言っても、元々あまり大食漢ではないのだ。昼間の昼食風景を見ると、高佳は十分食べるが瑞樹は小食の部類に入る。しかしいくら高佳でもこの量を消費することはできないだろう。後は兄である四季がどれほど食べるのか、ということなのだが。その四季はフォークも人数分ないから、と言って全員に箸を渡してにっこりと笑った。
「高校生男子が3人もいるんだから、これくらいぺろりと平らげると思ってさ。遠慮なく食え。足りなければまだ作ってやれるし」
つまり四季は高佳を基準にして高校生男子の消費量を量ったらしい。だから当然この量でも食べ残すことは念頭においていないのだ。
「い、いえ。これで十分です……」
いくら誘われた身分といえ、普段の馨ならこんなに食べられないと大きく叫んでいるところだ。しかし何故か四季の前では言いにくい。見た目は確かにアメリカン・ショートヘアで温和そうだが、言葉や振る舞いの端々に四季の強烈な性格が見え隠れするのだ。とりあえず今のところは逆らわずにいたほうが懸命だ、と馨の本能が叫んでいた。
「一段落したらスープ出すな。今冷やしてんだ。よし、んじゃ、いただきます」
四季が食事を前にして手を合わせた。馨はもう小学校時代からそんなことをしたことがなかったが、高佳は自然に手を合わせている。馨と神無、瑞樹が遅れて手を合わせ、それぞれ小さく呟いた。
「いただきます」
そして馨と神無は恐る恐る大皿から自分の前にある小皿にパスタを取り分けた。そうして生まれて初めて、パスタを箸で食べた。豪快な盛り方と同じく、味も豪快なのだろうと予想していたが、流石にあの弁当を作った人である。
「お?」
覚悟を決めて一口食べると、途端に馨は声を上げる。
「……おいしい」
隣で小さく神無が呟いた。
「そうか? うん、やっぱり女の子がそう言ってくれると嬉しいな。高佳の奴は食うだけ食って何にも言わないから。たくさん食べてくれよ」
神無は控えめながら四季の言葉にこくりと頷いた。その様子を四季は本当に嬉しそうに見ている。そんな和やかな雰囲気を壊したのは、携帯電話の着信音だ。洒落っ気のない単純な着信パターンに、馨は自分の携帯電話でないことを確信する。馨の携帯電話は女友達によって流行の着メロに変えられていたからだ。
「すみません」
一応客である馨と神無に向かって、高佳が小さく謝罪する。どうやら高佳の携帯電話が鳴っているようだ。ズボンのポケットから取り出された携帯電話はかなりしつこく鳴っている。急用だろうか。別に馨は気にしないので、この場で電話に出ても構わなかったのだが、そう伝えようとすると脇から四季がぴしゃりと高佳を叱った。
「高佳、行儀が悪いぞ」
「悪い」
どうやらこの家では食事中の携帯電話はご法度らしい。馨は小さく首を竦めた。自分の携帯電話も切っておいた方が身のためかもしれない。高佳は取り出した携帯電話を切ろうと、折りたたみ型の携帯電話を開いた。その間も携帯電話は鳴り続けている。開いた携帯電話の電源ボタンを押そうとして、高佳の指が動く。自分の身のためにも早く切れよ、と馨は心の中で囁いたが、高佳には通じないらしく電話を持ったまま止まっている。
「……四季」
「ん?」
高佳は何を思ったのか、鳴り続ける携帯電話をそのまま四季に向かって突き出した。馨も神無もその突き出された携帯電話の意味が分からず、無言で顔を見合わせる。ちらりと覗くと、小さな液晶画面に表示されているのは、登録されていない電話番号のようだ。
「……寄こせ」
まだ鳴り続ける携帯電話を、目を眇めて見つめていた四季が低い声でそう呟いた。そして馨の見ている前で、四季は高佳の携帯電話を奪うように引っ掴み、おもむろに通話のボタンを押したのだ。
「……もしもし。……そうです、俺です。俺が出ると何か問題ですか?」
瞬間、その場の空気が凍りついた。馨も神無も、そして瑞樹も食事どころの雰囲気ではない。一人涼しい顔をしているのは携帯電話を兄に渡した高佳で、涼しい顔どころか見た者が凍りつくような表情をしているのが四季だ。
「父さん、仕事が終わったから電話をかけてきたんでしょうね? ……沈黙して逃げようとしても無駄です。仕事中はプライベートな電話をしないように言っていますよね? 特に高佳には」
凍りつくような表情で、さらに取り付く島もないブリザードの吹き荒れる口調。無条件に電話の相手に同情したくなる雰囲気だ。馨は目の前で涼しい顔をしている高佳にこっそり尋ねた。
「……親父さん?」
「はい」
高佳にとっては四季と父親のこんなやり取りが珍しいものではないらしい。流石に食事をする手は止めているが、四季を止めようという気は全くないようだった。
「剣道? えぇ、今日ですよ。結果が聞きたかっただけだって? 高佳の剣道の試合があろうとも、学園祭があろうとも、今は仕事中ですよ。それに、今こっちはお客さんと食事中です。出先から公衆電話使ってかけたって分かるんですからね。こんな小細工使って電話するくらいなら、仕事をさっさと終わらせて帰ってきなさい。……高佳」
呼びかけると、四季は高佳に向かって携帯電話を突き出した。何だ、結局話しをさせてやるんだ、と思って馨はほっと息をついた。そして心の中で高佳の親父さんによかったな、と本気で呼びかけた。すっかり電話の向こうの相手に同情していたのだ。しかし目の前に出されたままの四季の手に気づいて、首を傾げる。まるですぐに電話を返せと言っているようではないか。
「……親父? 試合のことは仕事終わってからな」
高佳はその辺のことをしっかり分かっていたようで、さらりとそう伝えると再び電話を兄の手に戻した。おいおいお前の電話だろ、と口を挟むことは馨にはできなかった。
「分かりましたか? ……よろしい。では今後、出先から高佳の携帯に電話することはしないように。父さんの我がままを許容するために、高佳に携帯を持たせたわけじゃあないんですからね。……仕事気をつけて、おやすみなさい」
最後だけ語気を和らげて、しかし容赦なく四季は通話を終了させた。そして手にしていた携帯電話を高佳に投げる。高佳はそれを片手で受け取った。
「もう電源切っとけ」
四季の言う通り、高佳は携帯電話の電源を切ってしまった。馨は今、自分が何ともいえない顔になっていることを自覚していた。電話を切られてしまった親父さんが可哀想だと思って、しかしそれが他人の父親なのだという事実に自分でも戸惑っているのだ。自分だって、父親と友好的に電話するなんてことはしない。だから勿論四季にもう少し父親に優しくしてやれば、何て言える立場ではないのだ。家族なんて、うざったいだけのものだと思っているはずなのに。
隣を見ると、フォークを握り締めたまま、神無も何ともいえない顔をしていた。瑞樹も同じだ。そんな二人の顔を見て、馨はますます何ともいえない顔になっていった。大体、鞍馬家と自分の家を比べること自体間違っていると言えるだろう。父親が出先から電話をかけてくる、という現象が太刀守家ではまず起こらないことだからだ。複雑な気持ちで四季を見ると、馨の何ともいえない顔に対してだろうか、四季は微かに苦笑した。
「食事中に失礼。子煩悩な親父さんでね。高佳が友達連れてきて一緒に食事してるなんて言ったら、仕事放って帰ってくるか、絶対写真を撮っておけって言い出すからなぁ」
いくら子煩悩でも、それは冗談でしょうと言いたかった。高校生の男子が家で父親と仲良くしている図は、馨には思い浮かばない。まして、仕事を放って帰ってくるなんてことは。
……うちじゃ、絶対ありえねぇ。
馨が事故を起こして入院しても、父親は仕事を優先させるだろう。それで良いと思っていたし、それが良いとも馨は思っていた。
「でも、高佳は……」
隣で呟かれた言葉に、馨は息を呑んだ。咄嗟に神無の口を塞いでしまおうと手が動いた。高佳は本当の子供ではない。高校生の息子どころか、もう1500年以上も生きている鬼なのだ。そんなこと、四季や父親が一番よく知っていることだ。神無は自分の失言に気づいて、馨に口を塞がれるまでもなく口を閉じた。馨は慌てて四季や高佳の様子を伺ったが、高佳は相変わらずの涼しい顔で、四季はにこりと笑ってこう言っただけだった。
「ま、そこら辺の話は食事の後でね。そろそろスープだそうか」
「あ、手伝います」
立ち上がった四季に、瑞樹が続く。四季と瑞樹が去ってから、馨は目線で神無を叱咤した。神無も肩を竦めて馨の叱咤を受け止めた。馨は話題を変えようとして麦茶を飲んでいた高佳に問いかけた。
「なぁ、今の公衆電話からなのにどうして親父さんだって分かったんだ?」
登録されていない電話番号でかかってきたら、馨なら絶対に取らない。高佳も最初はそうしようとしたのだろう。何が高佳の気を変えさせたのか、それが馨には謎だった。だから尋ねた質問だけれど、答えは馨の隣から返された。
「あたしも電話の相手が男か女かぐらいの判断はできるよ」
「へ? そうなのか?」
うん、と神無はそれが何でもないように頷いた。
「俺もできるのは性別と、あと生死の判断だけです。親父の気は馴染み深いのでなんとなく分かりますが」
はぁ、そうですか、と馨は沈黙した。つまり電波に乗せられた相手の霊気を感じ取っているらしい。そんな芸当、馨には真似できない。
「……そう言えばさ、お前にその体に入ってくれって言ったお袋さんは?」
電話の相手は父親。そして料理を作ったのは兄。母親の姿だけが見えないことに素直な疑問を感じて、馨は高佳に問いかけた。自ら鬼だと名乗る存在に、それでもいいから息子になってくれと言った女性は余程豪気だったのか、それともすでに心の病に侵されていたのだろうか。見てみたい、と馨が思っても無理はない話しだ。
しかし馨はすぐに自分の発言を後悔した。つい先程、神無がやってしまったばかりだというのに、今度は自分が失言してしまったのだ。
「彩香は……死にました。末期癌で、13年前に」
うっ、と馨は言葉に詰まった。今度は神無が馨を叱咤する番だ。言わなくて良いことを言ってしまった。
「そ、か。悪いこと聞いたな」
「いいえ」
殊勝に謝った馨に、高佳は微笑して短く答えた。13年も前のことだから、もう気にしていないということだろう。それでも馨にしてみれば気まずいことに変わりはない。会話が切れて、自然と思い雰囲気になりかけたところで、丁度良く席を外していた四季と瑞樹が帰ってきた。馨はこっそり安堵の息を吐く。
「ほいよ。おぉ、ちゃんと食べたな。よし、よし」
いつの間にか、完全制覇は無理だと思われていたはずのパスタがなくなっていた。自覚はなかったけれど、馨も相当食べたらしい。しかし苦しくないのが不思議だ。空になった皿を下げて、四季と瑞樹がそれぞれにカボチャのスープを配った。幸いなことに、スプーンは人数分あったらしい。
冷蔵庫で冷やしてあったのか、スープは皿ごと冷たい。瑞樹と四季が腰掛けてから、馨達はスープに口をつけた。
「……これもおいし……」
馨が思ったことを神無が代弁してくれる。甘いカボチャはきちんと裏漉しされていて、舌触りも滑らかだ。そして市販のスープに比べて味がさっぱりしている。暑い夏にはとても似合いの味だった。
「そうだろ? やっぱ群馬で産直寄ったかいがあったなぁ」
神無の賞賛に、四季は目を細めて感激の声を漏らした。しかし馨達は四季の言葉にスープを飲む手を止めた。全員が思ったことを代表してくれたのは高佳だった。
「……お前、そんなところに寄ってたのか?」
自分が騙されて、呪詛の被害に遭った人間がこちらにいたというのに、四季は高佳から連絡を受けて真っ直ぐ群馬から帰ってきたわけではなかったのだ。のんきに産地直売店で野菜を買ってから帰ってきたその精神は図太いというか、逞しいというか。
そんな高佳の婉曲な非難に、四季は心外だという顔を隠さない。
「何だよ。良いだろ? 金稼いでるのは俺も父さんも同じだけど、食事作ってんのは俺一人。つまり俺が一番偉いの。ちなみにお前が一番格下。食材の仕入れから加工まで、俺に文句の付けられる奴はこの家にはいないの」
この言葉に鞍馬家のすべてが言い尽くされている、と馨は理解した。やはり主夫は強い。食事の準備どころか部屋の掃除だって自分ではしない馨に、口を挟む権利などなかった。そして兄の堂々とした最強宣言に、高佳も反論せずに沈黙を守った。寡黙なジャーマンシェパードは、口の達者なアメリカン・ショートヘアに体格以外では勝てるところがないらしい。
空気を読むのに大変苦労した夕食だったが、食べ物自体の味はかなり上質だったといえよう。全員がカボチャのスープを飲み終わると、高佳が手を合わせたのでそれに倣って馨達も手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
ばらばらと挨拶すると、四季はそれを見てにっこりと笑った。
「お粗末さまでした。さて、各自流しに皿を持っていくこと。庭が一番涼しいから、そこで話をしようか。高佳、先に行って蚊取り線香焚いておけ」
食事が終わっても四季の声で全員が動く。瑞樹が高佳の分の食器を持って流しに行くので、それを追いかけて馨と神無も食器を片付ける。高佳は居間の戸棚から蚊取り線香を取り出すと、庭に出てそれを焚いた。線香の香りなど、いつ嗅いだか分からない。馨は食器を片付けると高佳が用意してくれたつっかけで外に出る。
鞍馬家の中庭には昼間見た石造りのテーブルと椅子がある。高佳の焚いた蚊取り線香はテーブルの下に置かれた。そして円筒形の椅子に、ファイルを持った馨と神無、高佳と遅れて瑞樹が座った。鞍馬家の敷地内はとても静かだ。虫の声が微かに聞こえるが、ここは車の走る音も、酔っ払いの叫ぶ声も聞こえない。朝起きて、夜は眠る、とても健全な世界だった。
やがて四季がデザートだと言って夏みかんのシャーベットを人数分、盆に載せて持ってきた。それがまた素直においしい。デザートまで完璧なら、きっと外食の必要性なんて皆無なんだろうな、と少しのやっかみを含めて馨は高佳を見つめた。高佳は馨の視線には気づかず、そして美味いの一言も口にしないでシャーベットを食べ終えた。全員がガラス製の小皿とティースプーンを盆に返すと、四季はそれを居間の縁側に持っていった。
「それで……太刀守君、中谷と新藤の間に接点はあったのかな?」
戻ってきて椅子に座ると、四季は足を組んで馨に尋ねた。馨はその問いに答えて、持ってきたファイルを開いてテーブルに置いた。
「大学のサークルで先輩後輩だった……?」
ファイルを覗き込んでいた高佳と瑞樹、そして四季の中で、瑞樹が一番早く反応して言った。馨はそれに頷いて、ファイルの内容を先取りして説明した。
「そう。でも付き合いは大学時代だけだ。お互い銀行員と教師になってからは一度も会っていない。だから余計、二人に共通の知り合いがいて、二人を恨んでるって可能性のある奴はこのサークルのメンバーに限られてくると思う」
短絡的な気もしたが、この意見には馨の直感も混じっている。何となく、送られてきた写真を見たときからこの中に呪詛を扱った人間がいると思ったのだ。馨は警察でも、論理で犯人を追い詰める探偵でもないのだからそれで良いのだ。自分の直感を信じる。そして、神無も馨の意見に口を挟まなかった。
「よく短時間で調べられたな」
ファイルを覗いていた四季が、単なる賞賛というには悪戯めいた光の強い視線を投げてよこした。自分で調べたわけではないなと言われているようで、馨は少しだけ焦った。
「……情報ソースは明かせませんよ」
「何も餌で釣ろうとしていたわけじゃあないさ」
ただ君自身が調べたのではないということを確認したかったのだ、といいたかったのだろうか。まったく、と馨は息を吐く。四季は確かに豪快ではあるが、鈍感でも大雑把でもないらしい。
いくら童顔でも、仕事をしている大人だってことかな。
うっかり変なことは口にできない、と馨は気を引き締めた。
「で? そっちの結論は? 一体どんな呪いがかけられてたんだ?」
馨は高佳に向かって尋ねた。馨達が隠岐に中谷達を調べてもらっていた頃、高佳達はこの家で中谷を殺した呪いについて検証していたはずだ。果たしてあの時間で見当がついたのか、馨は疑問に思っていたが、高佳はまっすぐ馨の目を見て答えた。
「犬神です」
「犬神?」
そんな簡潔に答えられても馨には詳しい説明が必要だ。そう目で訴えると、高佳は兄に目配せした。どうやら馨の疑問には四季が答えてくれるらしい。馨が四季に向き直ると、それを確認してから四季が静かに説明を始めた。その口調は、今まで馨や神無に話しかけていたものと違う。
「犬神には定義が色々あるけど、今回の場合は多分動物霊を使った呪詛。犬の首から下を土に埋めて、逃げられないようにして飢えさせる。飢え死にする直前に犬の首を切って祀るのさ。殺す殺されるで一種の使役関係が生まれる。殺したのは術者の方だけど、使役関係によって犬神は殺された憎しみなどの念を術者の意図した人間にぶつける。呪われた人間は狂人になるか、病気になる。場合によっては死んだりもするな」
やり方がエグイな、馨は思った。飢えの苦しみなど馨は味わったことはないが、自分からあえて食事を抜くことはある。それも長く続けられることではないから、きっと体は飢えの苦しみを本能的に悟っているのだ。
「犬が可哀想だ……」
馨はきっと苦しいだろうな、という感想しか持たなかった。しかし犬好きの神無はかなりその犬神に同情したらしい。確かに考えてみれば犬神を造りだしたのは人間で、犬は人の恨みを晴らす道具として使われているに過ぎない。しかも使役関係というものが邪魔をして、犬神は自分を殺した本人には仕返しができないのだから。可哀想、というべきか憐れというべきか。
それとも、人の高慢さを恐れるべきなのか。
そこまでして人を呪おうと考える者の高慢さと、人にそこまでさせる何かをした者の高慢さを恐ろしいと思うべきなのだろうか。
「お嬢さん……えっと、神無? 神無は犬が好きなんだ?」
四季は犬神に同情して俯いた神無の顔を覗き込み、宥めるように微笑んで話しかけた。
「うん」
神無は四季の問いかけにこくりと頷いた。神無の素直な反応に四季は笑みを濃くして、さらに話しかけた。
「そっか……。神無は人を呪わば穴二つって言葉知ってるか?」
また神無はこくりと頷いた。人を呪わば穴二つ。つまり人を呪い殺そうとすれば、その報いが自分にはね返って来て、ついにはわが身をも滅ぼすということだ。だから相手の墓と自分の墓の穴が二つ必要になるということを表している。
「呪詛っていうのは正にその通り。相手を呪えば、その報いが術者に降りかかる。そういう風にできてるんだ。だから、犬神を使った人間も必ずその報いを受ける」
口調はさりげないが、その瞳が、そして背筋を伸ばしたその凛とした姿が、報いを受けるという言葉の重さを物語っていた。できれば関わりたくないと、人に思わせるほどの重さ。だが、馨達はもうそれに関わってしまっているのだ。
「報いを受けるまで、放っておけってことですか?」
馨はその重さを振り払うように言って、四季を睨み付けた。四季の瞳は強く輝いていたが、馨の言葉に少しだけその光を和ませた。
「いいや。報いはすぐに訪れるってわけでもないからな。連続殺人を止めるのは警察の仕事。呪いを止めるのは俺達の仕事。問題は君達だ」
四季の瞳が見るのは、馨と神無だ。その時馨は奇妙な感覚に囚われた。四季の瞳は確かに自分を見ているのだけれど、自分の外見を見ているのではないという感覚だ。そしてそう感じた馨は正しかったのだろう、四季は馨や神無の気を見ていたのだ。
「太刀守君は護法がかけられてるから自分の身は守れるけど、祓いはできない。神無は強い力を持ってるけど、別の力で抑えられてるね。下手したら自分の身さえ守れない」
確かに馨には神無の祖父がかけた護法が利いているのだが、馨がそれを意識したことは殆どない。それが自分の周りを鎧のように固めているのだと感じたことはないし、目で見たこともないのだ。だが四季には見えているというのだろうか。
自分の力を正確に言い当てられるのは正直良い気分ではない。神無も表情が憮然としているから、良い気分ではないのだろう。
「……でも、ここまで調べて引けなんて……」
まだ鞍馬の資料は読んでいなかったが、読まなくても十分な気がしていた。四季の力は強く、その瞳は経験を積んだ専門家の目だ。そうくれば、ここで引く気にはなれない。足手まといだと言われても食い下がって、どうあってもこの件を最後まで見届けてやろうではないかと思ったのは、馨が天邪鬼だからなのだろうか。
絶対にここで引かない、という意思をありありとその顔に浮かべた馨に、四季はその手をばっと突き出して見せた。馨の視界は四季のあまり大きくない手でいっぱいになる。いきなり何だ。生命線でも見ろと言うのだろうか、と馨は思った。そんな馨に、茶目っ気を含んだ口調に戻った四季が言った。
「まぁ、待った。引けとは言ってない。可愛い子には旅をさせろと言うし? ……高佳」
ちなみにその言葉は親が子供に向かっていうものなのでは、と馨は突っ込みたかったが、四季が背筋を伸ばしたまま弟に向き直った姿を見て口を噤んだ。
四季が高佳に向き合うと、高佳も四季に向き直った。寡黙なジャーマンシェパードは、そうしていると確かに四季の弟だった。しかもかなり聞き分けのいい弟と言えるだろう。男兄弟というものは、この年ならもっと反発しあうものだ、と馨は思っていたのだけれど。それも、普通の兄弟ではないからなのだろうか。そう思って、馨は胸に微かな罪悪感を覚えた。そしてその罪悪感は、その後の四季と高佳の会話を聞いて益々大きくなった。
「父さんがお前に力を使わせたくないと思っているのは知ってるな?」
四季は高佳だけを見ながら、静かにそう尋ねた。
「……知ってる」
二人だけの会話に、馨や神無は黙り込む。高佳は本当の弟ではないから、と神無が食事時にそう言いかけた。あの時四季は笑ってその話は後で、と言った。そして今、馨達の目の前でされているのがその話なのだろう。
「それは、どうしてだと思う?」
問いかける四季の声は優しい。しかしそれに向き合う高佳の目は厳しい。この会話は、このままここで聞いていていいことなのだろうか、と馨は内心焦っていた。高佳は明らかに馨達の目を気にしている。そして、今日知り合ったばかりの馨達が聞くには、ずいぶんと込み入った内容だと馨も理解した。
しかし四季の雰囲気は馨達が邪魔だと言っていない。むしろ、ここにいて欲しいと言っているようである。結局高佳が折れて、彼は俯きながら兄の問いに答えた。
「俺が高佳じゃあないと、思い知らされるから」
その言葉にびくりと肩を震わせたのは高佳の後ろにいる瑞樹だ。四季はそんな瑞樹や、俯いた高佳を見て小さく溜息をついた。その顔は、怒ってもいないし、悲しんでいる様子もない。四季はただ仕方ない、という風に笑っていた。
「……ハズレ。あのな、父さんはそういう人なんだよ。俺の時だって、父さんは俺がこの仕事をすることに反対した。俺は仮にも跡取り候補だぜ? ……でも、父さんは嫌だったんだよ。この世界がどんなに危険で、暗くて、酷いものか一番よく知ってるから。だから最後まで俺を大学に行かせようとした。お前にもそう言うだろう。普通に高校行って、大学も行ってくれって。力は使うなって。でもな、ここで大事なのはお前の意思だよ」
まるきり兄が弟に説教する、そんな姿とは少し違っていると馨は思う。四季は高佳が本当の――本来の――弟ではないということを知っている。高佳が四季を兄だと思えていないことも、知っているのだ。
「俺の……」
高佳が唇を噛んだ。高佳は自分が人ではないということを一番良く知っているのだ。普通の高校生のふりをして学校へ通っていることも、もしかしたら高佳にとっては罪悪感をかき立てる行為なのかもしれない。それでも、今の体に入ることを決意したのは高佳なのだ。
「お前は父さんと母さんの息子で、ちょっと人生経験豊富すぎるけど俺の弟なの。高佳として生きるって、母さんと約束したんだろ? だったら自分で考えろ。このまま力を使わない高佳でいるか、それとも自分の持ってる力を必要な時に使うか。俺は選んだ。自分が見ているものを、見えないように振舞うことはできないし、俺はこっちの世界を知る必要があると思ったんだ。俺の生きている世界だから。お前はもう嫌というほど知っているだろ? それを、今だけ忘れて過ごすことができるのか?」
「俺は……」
「父さんの気持ちを無視しろとは言わない。俺だって、弟を好きで危ない場所に連れて行こうとは思わない。でもな、お前に高佳でいようと無理させたいとも思わない。それは父さんも同じだよ。元々、俺達の我がままに付き合わせちまっただけなんだ。遠慮すんな」
四季は知っている。高佳が特殊な存在であること。それでも四季や彼の父親は、高佳を家族として迎え入れる決意をしていたのだ。できるだけ、自然な形で迎え入れる決意を。そしてその姿は、普通の、血の繋がりのあるだけで何の努力もしない家族よりも、余程家族らしかった。
馨は居たたまれなかった。馬鹿みたいに単純に、四季の言葉に胸を掴まれた。高佳でいようと無理させたいとも思わない。その言葉は高佳が弟であると思っているからこその言葉ではないだろうか。居たたまれない。家族なんていなくて良いと思う。
何でそんなに家族であろうとするんだよ。
あくまで自然に、そして水面下ではかなり必死に。そこまで家族にこだわる必要がどこにある、と馨は思う。そして同時に、彼らは家族でないといけないのだと思ってしまう。家族なんて言葉に、特別な意味なんてありはしないのだと、ずっと信じてきたというのに。
「俺は……この件に最後まで関わりたい」
顔を上げてそう答えた高佳の言葉に、迷いはなかった。四季は弟の答えに微笑んだ。
「太刀守君と神無を守れるな?」
「……守れる」
短く、けれど力強く高佳は答えた。
「自分で限界が分かるな?」
続けられる四季の問いに、高佳はひとつ頷く。
「父さんには後で俺が説明する。その時には、もう一度ちゃんと自分の意見が言えるな?」
「言える」
高佳が答えると、四季はまた小さく息を吐いた。
「じゃあ、良いよ。ちょっと危険な夏休みの課題だけど、最後までやれ。って、自分の弟は良いけど、人様の子供には言いにくいな。自分で危険だと判断したら、その時はちゃんと引いてくれ。そこだけは、自分に厳しくしてくれると約束してくれれば、明日からも協力してもらう」
「約束します」
「あたしも、約束する」
馨が答えると、神無もはっきりと答えた。その答えに、四季は満足したように満面に笑みを浮かべた。そうすると先程までの静かな強さを秘めた、どこか神秘的なともいえる雰囲気は一気に消し飛ぶ。豪快で、大胆で、とても包容力のある四季に戻った。
「あぁ、柄にもないことを喋りすぎた。高佳、喉乾いた」
そう言ってニッコリと笑ったアメリカン・ショートヘアは立派な女王様だった。ジャーマンシェパードは厳しい顔をしながら、無言で立ち上がる。そして大人しく居間までお茶を入れに席を立った。その後姿をニヤニヤと笑いながら見送っていた四季だが、高佳が居間の奥に消えるとそのニヤニヤ顔を苦笑に変えて言った。
「……君達から見たら、俺達のやってることは馬鹿な家族ごっこなんだろうな」
馨は少し驚いた。高佳を弟だと言って迎える四季には、何も迷いなどないように見えていたから、こんな風に弱気なことを言うとは思っていなかったのだ。でも、四季の自嘲気味の言葉に瑞樹がすぐに反応して、必死に首を横に振った。その瑞樹の姿。今この場所にはない高佳の姿と、今の四季の弱気な言葉。まだ馨の知らないことが三人の間にあるのだろう。もっと複雑な事情が。でもそれを差し引いても、馨は正直に言える。
「今のがごっこ遊びだったとしたら、レヴェル高すぎるっすよ」
らしくないと分かっていても、言わずにはいられない。馨の馬鹿正直な答えに、四季は一瞬だけ目を見張った。しかしその物珍しげな表情はすぐにくしゃりと感謝の笑いに変えられた。
「あはは、ありがと。……なぁ、瑞樹。お前も、最後まで見届けたいのか?」
また静かな声になって、四季は瑞樹に向き直って言った。見つめられた瑞樹は、きゅっと唇を噛んでから四季に頭を下げた。
「すみません、四季さん。俺が言い出したことなんです。高佳は……」
それに付き合ってくれただけ。そう言って頭を下げる瑞樹に、四季は優しくその肩に触れて言った。
「良いよ、瑞樹。結局あいつが決めたことだ。でも……お前も約束してくれ。ちゃんと限界をわきまえてくれよな」
「……はい」
何故高佳は瑞樹の言い出したことに付き合うと、何の迷いもなく決めたのだろう。そんな疑問が馨の中に浮かんだ。友達、というにはギクシャクしていて、一緒にいてお互い心地よいという相手ではなさそうなのに。それでも離れがたいというように、一緒にいる。離れがたいと思っているのは、高佳か、瑞樹か。
そんなことを考えている間に、高佳がお茶を盆に載せて戻ってきた。夜が遅くなると、夏だというのにこの庭はどこか肌寒い。温かいお茶を飲んで、そろそろ今日は帰宅しようという運びになった。瑞樹は有無を言わせず泊まっていけと四季に言われたが、多分自転車で帰るには遠い家なのだろう。瑞樹は四季の命令とも言える誘いにこくりと頷いた。後は馨と神無だ。馨が迎えを呼ぼうとして携帯電話を取り出すと、それを見た四季がこう申し出た。
「太刀守君と神無は俺が送るよ」
「いや、でも呼べばすぐ来るんで」
馨はそう断ったが、四季はさっさと居間に戻ると車の鍵らしきものを掴んで駐車場を指した。
「遠慮するなって」
その言葉は本当にこれ以上の遠慮を許さない言葉だ、と馨は思った。別に先程のように車の中で穂と話すこともない。だからお言葉に甘えさせてもらおう、と馨は神無と一緒に先を行く四季に続いた。高佳と瑞樹は玄関まで馨達を見送ってくれた。お休みなさいと丁寧に頭を下げる高佳に、馨はどう対処しようが戸惑ったが、隣にいた神無が普通に手を振って返したのでそれに習ってみた。
玄関を出ると、四季は駐車場に置いていた自分の車の電子ロックを解除した。四季の車はスバルの軽自動車。ピスタチオ・カラーのR2だ。後ろでも前でも好きな方に、と言って四季が運転席に乗り込む。馨は神無と視線を合わせると、どちらからともなく頷いて後部座席に二人で乗り込んだ。
驚いたことに鞍馬家の門は電動式で、四季が車の中からリモコンで操作すると内向きに開いた。そして車は悠々と門を出て、馨が苦労して上った坂を下っていった。四季は車を走らせながら道路に転がる事故死した幽霊を轢いたりすると小さく失礼、と呟いた。流石に慣れている。転がっているのが幽霊だと分かっている以上、もう一度轢くことにためらいはないようだ。馨はもし車を運転するようなことになったら、力の強い奴とは一緒に乗らないと決心した。幽霊でも、道路に人が転がっていたら馨は思い切り動揺してしまう。それで自分が事故を起こすような事態に陥りたくないからだ。
「あの……聞いてもいいっすか?」
運転中の四季に、馨は後部座席から尋ねた。
「ん? 何?」
四季は運転を続けながら気軽にこたえた。
「高佳と瑞樹って、友達、ですか?」
言ってから、奇妙な問いに聞こえるだろうか、と馨は思った。同じ学校で、同性で、試合を応援しに来たり、普通に家に連れてくるような関係を、普通は聞くまでもなく友達というのではないだろうか。しかしその心配は杞憂に終わった。四季は馨の問いに、当然だろうと答えることはしなかったのだ。ただ、違うよ、とも言わなかった。
「太刀守君達にはどう見える?」
と、反対に問い返してきたのだ。馨は何と表現すれば良いものか分からず、助けを求めるように神無を見た。神無はその視線に迷惑そうな顔をしたけれど、首を捻って考え、馨に代わって四季の問いに答えた。
「……何か、ちょっとギクシャクしてる、かな」
神無に言われて、馨も確かにそういう感じだと納得した。友達という気軽な付き合いではなくて、かといってそれほど親密なわけでもない。彼らはお互いにお互いの距離を測りかねているように見えるのだ。
神無の答えは四季を満足させたらしい。彼は軽快に右折車線で十字路を曲がりながら頷いた。遠心力に合わせて、馨と神無の体が左に傾く。
「うん。当たり。的確だな。瑞樹は、高佳が1500年以上執着した魂の持ち主だよ。あいつが鬼になるきっかけを作った相手だ。少なくとも、高佳はそう思ってる」
またスケールの分からない話になったぞ、と馨は眉をひそめた。
「それって、生まれ変わりとか、そういう話ですか」
「そう。輪廻転生ってやつ」
その声の調子からして、四季はそれを信じているわけではなさそうだ。ないとはっきりは言えないけれど、本当にあると妄信しているわけでもない。そんな様子が感じられた。そして馨も、立場としては四季と同じだ。ありえないとは言えないが、それを確かめるのはお互いに前世の記憶に頼るしかない。第三者がそれを生まれ変わりだ、輪廻転生だと判断できる話ではないのだ。
「高佳は瑞樹に恨みがあるの?」
そう尋ねたのは神無だ。その言葉に、そういうことになるのか、と馨は首を捻った。確かに、鬼になるほど執着したということなら、それだけ瑞樹の前世であったという人物に対する恨みが強かったと、そういうことなのだろう。だが、と馨は思う。
瑞樹に恨みがあると、そんな顔だろうか、あれは。
恨みよりも哀しみ。そう、馨には見えるのだけれど。そして、一番高佳のことを良く知っていると思われる四季は、神無の言葉に明るく笑った。
「恨みはないさ。さっき言った通り、執着だよ。そこら辺の感情は、高佳もよく分かってないらしいから」
恨みではなく、執着。本人に理解できない感情ならば、馨にそれが分かるわけもない。また首を捻った馨に、神無も同じように首を傾げている。
「俺に言わせれば……惚れてたんだと思うな」
信号待ちで止まりながら、四季がぼそりとそう言った。
「瑞樹に?」
そんな頓珍漢なことを言ったのは神無だ。しかし馨も心の中で同じような言葉を発していた。四季はそれにまた笑うと、またスケールの図りきれない話を始めた。
「今回は男に生まれちまったみたいだけど、高佳が最初に執着した相手は女だよ。だから余計複雑になっちまって……。あいつも直球でしかものを言えない奴だから、そこら辺の事情をすっぱり瑞樹に話しちまってね。高佳は良いけど、瑞樹に前世の記憶は無いんだから、混乱するだろ?」
つまり、お前の前世だった女に惚れていたと、今は同性の同じ高校生に告白してしまったというのだろうか。
「……複雑なんだ……」
「そう、複雑なんだよ」
複雑すぎるだろう、瑞樹としては。前世がどうのと言われても、自分は覚えていないのだ。それが、同級生にいきなり昔惚れていたのだと言われてしまって、そうなんだ、と終わりにはできまい。しかしその話でようやく分かったような気がする。何故瑞樹が高佳と微妙な距離を持つのか。高佳が何故瑞樹に向かってあんな寂しげな顔をして見せるのか。
瑞樹を見ると、惚れてた女を思い出すから……ってことか。
寂しげな表情も、そう考えると切なさが混じっているように思い出せる。それで納得できるところもあるが、まだ疑問も残る。瑞樹はそんなとんでもない告白をした高佳を、完全に避けているわけではない。前世は前世、現世は現世と割り切れているからなのか。しかし、割り切れている、という態度でもない。高佳だって、生まれ変わりだという瑞樹に対しても、前世の女に抱いたと同じ感情を抱いているのか分からない。
生まれ変わりでも良いから、もう一度会いたいと思って鬼になったのか?
それもはっきりとはしない。いずれにせよ、馨が高佳に抱いていた印象は、今の話を聞いても変わらない。高佳は真面目すぎるほど一途なのだろう。
「もうひとつ。瑞樹の力は、強いんですか」
今までの話にはひとつ区切りをつけて追加した馨の問いに、四季はしばらく沈黙した。
「……正直に言うと、比べようがないって答えになる」
返された答えは、四季自身も困惑したようなもの。神無がそれを受けてさらに問う。
「比べようがないほど強いってこと?」
すると四季はそれに問いで返した。
「神無にはそう見える?」
「えっ……ううん」
神無は後部座席で首を横に振って答えた。
「だろ? 普通にしてるときは全く力なんてないように見えるんだよ。あいつが持ってるのは、俺達とは違う種類の力だ。だから比べるのは無理だけど、こっちの基準に合わせたら、恐ろしく強い力を持ってるよ」
「違う種類の力って……」
それこそ霊力ではなくて超能力の類か、と馨は想像する。本物の陰陽師やら鬼やらを見たら、もう他に何が出てきても許せるような気がした。
「そこは上手く説明できない。まぁ、機会があれば瑞樹が力を使うところも見れるさ。ほら、到着」
その言葉に窓の外を見ると、確かに馨の家の前だった。馨と神無は左右のドアからそれぞれ降りて、四季のいる運転席側に回る。背には馨の家。二人が立つと、四季は運転席の窓を開けて言った。
「明日も迎えに来ようか?」
「大丈夫です。バイクでこいつ連れて行きますから」
車をいちいち呼ぶのも面倒だし、四季に朝迎えに来てもらう手間もかけさせたくない。
「そうか。じゃあ、明日。……あ、他人様の家庭事情に首突っ込むのはお節介だろうけど、遅くなる時は親御さんに連絡入れた方が良い。ごっこ遊びだって、始める人間が必要だよ」
そう言ってどこか悪戯っぽく微笑むと、四季は窓を閉めて車を発進させた。去り際にかけられた言葉に、馨も神無も沈黙した。ピスタチオ・カラーのR2はやがて闇の中に消えて、馨達はそれを見届けてから、ようやく我に返って自宅への門をくぐった。
馨は自室に戻って、ベッドに倒れこむと大の字になって天井を眺めた。そして白い天井を眺めながら確かにお節介もいいところだ、と馨は思った。太刀守の事情も知らないで、あんなことを言うなんて。遅くなることを親に電話して何になるだろう。親は常に馨より遅く帰ってくるし、帰ってこないことだってある。いちいち電話などしてくるな、あの親ならそう言うだろうと思う。馨はそれで良いと思っていた。それが楽だ、と。
しかし何故か、四季の言葉に怒る気になれない。
あの真剣な眼差し。家族であろうと、努力している姿。その姿を否定する考えもあるだろう。血の繋がりをもって家族だと言うのなら、努力などしなくても家族は家族なのだ。そういう人間にとっては、四季のしていることは家族ごっこに過ぎない。
しかし馨にはあれが陳腐なごっこ遊びには見えなかった。四季の目指している家族は、本当に何か特別な単位であるように思えた。努力して得る価値があるものだと。
あれなら欲しい、と思えた……。
眠りに落ちるその一瞬前に、馨は思った。血の繋がった家族というのは確かにそれで満たされているものなのだろう。しかしただ満ちるままでは駄目なのだ。人は成長する。やがて満ちていた器は、中身が多すぎて溢れてしまう。人は段々と器を大きく育てる努力をしていかなくてはならないのだ。それが家族。そして四季たちは、元々器に水が満ちていなかった。今はそれを満たす努力をしている。だが、きっと水が満ちても、四季たちはそれで終わったりしないだろう。彼らは家族であるために努力をし続ける。努力といってもそれは、ごく自然に。彼らが望んだことだから。家族として、真剣なごっこ遊びを始めたのだから、きっと最後までそれを続けるだろう。
それだけの価値があるものだから……。
翌朝、馨は神無に起こされてもぞもぞと起床し、コーヒーだけを飲むとバイクで神無を連れて鞍馬家へ向かった。鞍馬家に付くと、インターフォンを押して門を開けてもらう。バイクをそこから駐車場へ持ち込むと、玄関に四季が出迎えてくれた。
そして一度居間に落ち着くと、四季が今朝のノルマをそれぞれに指示した。
「太刀守君と高佳はこの写真に写ってる、中谷と新藤以外の人物の居場所を特定しといてくれ。瑞樹と神無は俺と一緒に新藤の奥さんのとこに行こう」
ついでに瑞樹は着替えて来い、とそう言ったのは、何の準備もなく昨晩ここに泊まったからだろう。そして何故新藤の奥さんに会いに行くのか、という疑問を顔に貼り付けていた神無に、こう説明した。
「一度会って信用されてるから、新藤が死んだとき身に着けていたものを借りるんだ。呪いの痕跡があれば、犬神を祀ってある場所を探せる」
本業者がそう言うのなら馨が口を挟むこともない。神無を連れて行くのは単純に残っていても役に立たないからだろう。写真に写っている人物の居場所を特定するには現在の電話に連絡をつけるのが一番だ。幼い神無の声ではまともに相手をしてくれないだろうから。最も、怪獣にそんなことを言えば彼女が憤慨するのは明らかだから言わないが。
四季が神無と瑞樹を連れて車で出かけると、残された馨と高佳は各自の携帯電話を使って手がかりである大学時代の写真に写っている人物にひとりひとり電話をかけていった。完璧に仕事をこなす隠岐のおかげで、大学当時の住所だけではなく、全員の現在の住所や電話番号まで調べてあったので、馨達のやることは少なかった。
死んだ中谷の従弟だと名乗って、それぞれの人間の無事を確かめたのだ。さりげなく黒い犬の話も持ち出して、最近周囲でおかしなことがないか尋ねることもした。写真に写っている人間は中谷と新藤を抜かすと男が3人、女が5人いた。馨が女4人に電話をかけ、高佳が男3人と最後に残った女性一人に電話をかけた。馨がかけた4人については特に問題はなさそうだった。全員隠岐の調べた住所で暮らしている。うち3人は既婚。一人は独身で、自宅でイラストレーターの仕事をしているらしい。全員新藤が死んだときに一度葬式で顔を合わせていたという話を聞いたが、黒い犬については全員一体何を聞いてくるのかという反応だった。
「こっちはこんなもんだな。高佳、どうだ?」
自分が受け持った分の電話をかけ終わると、少し離れて電話をかけていた高佳も丁度電話を切ったところだった。携帯電話を折りたたむと、馨の元まで移動してから答えた。
「最後の一人は連絡がつきませんね」
そう言って高佳が指差したのは、高瀬 史江という女性だ。中谷と同い年で、新藤のひとつ下ということになる。写真の中の女性は、水色と白のチェック柄のワンピースを着ていた。化粧っけはないが、美人だといえるだろう。大人しそうな顔と長い黒髪は、馨の好みではなかったけれど。
「仕事か、単なる買い物か……。また後で連絡とってみようぜ」
「はい」
高瀬 史江はシングルマザーというやつらしく、高校生の娘ひとりを抱えて広告代理店で働いていた。娘は夏休みの時期だろうが、母親は働きづめなのかもしれない。仕事か買い物か、どちらにせよもう一度夕方に掛けなおしたほうが賢明だろう。馨の言葉に高佳も素直に頷いた。
すると電話をかけ終えた二人にはこれといってすることがなくなった。四季達が帰ってこないと、呪いについては探りようがない。電話をかけた相手はどれも犬神について一言も漏らさなかったからだ。
男二人で縁側に座ると、馨はしばらく携帯電話へ寄せられた数人のガールフレンドのメールへ返信して時間を潰した。隣の高佳はといえば、彼は何もしないで胡坐をかいたままじっと中庭を見ているだけだった。その横顔。普通に女にモテる顔だろう、と馨は思う。背も高いし、神無に対する接し方からして女子供には優しそうだ。昨日の剣道の試合で腕っ節の強さも十分感じられた。そうなると、特にワルを好む女でなければ彼氏として隣においておきたいと思うタイプだろう。
まぁ、どこか近寄りがたいという気もするが。
強い霊気など感じられなくても、その瞳が人生を達観しているような、何か色々なものを諦めているような。とにかく同い年の男には決して出せない雰囲気を醸し出している。同い年どころか、ひとつ上の馨にだってそんな雰囲気は出せない。
惚れてたんだと思うな。
そう言って苦笑したのは、昨晩の四季だ。高佳自身は、その感情を良く分かっていないようだとも言っていた。馨は液晶画面に映るメールを眺めた。他愛ない内容。彼女達は嫌いではないけれど、死んでも追いかけたいという相手ではない。まして結婚なんて考えもしないし、付き合っているというレヴェルでさえないのだろう。遊びなのだ。馨にとっても、彼女達にとっても。
執着だよ。
人であることを捨て、千年以上探し続けた。その女のためにそこまでできたというのなら、やはり高佳はその女に惚れていたのだろう。陳腐な言いようかもしれないが、それだけ純粋に、そして狂おしくひとりの女を愛していたのだ。そんな感情を高佳は本当に理解していないのだろうか。
「……あのさ、何でお前、鬼になったの?」
中庭を眺めながら、馨は唐突に高佳に質問した。ぼんやり中庭を眺めていた高佳は、馨の質問に驚いたようにこちらを向いた。しかし馨は中庭から視線を外さなかった。
「何故……と言われても……」
口ごもって、高佳はすぐに馨と同じように視線を前に向けた。質問が曖昧すぎるだろうか、と思った馨はもう少し詳しく質問することにした。
「だってさ、もしこの世に未練があっても、幽霊っているだろ? 何でお前は単に幽霊として残るんじゃなくて、鬼になったわけ? それとも、両者は同じなのか?」
馨が尋ねると、高佳は即答する。
「違います」
「どこが違う?」
続けられた馨の問いに、高佳は庭を見ていた視線を手元に落として淡々と答えた。
「普通の霊は、時とともにその未練も薄れて消えます。だから千年以上もこの世に留まることはできない」
「ふうん? じゃあ、どうやれば鬼になれるんだ? 未練が大きければいいのか?」
こだわる馨に、高佳は少しだけ眉を顰めた。何故そんなに興味を持ったのかと訝しんだのだろうか。そう思ったとしても、高佳はそれを馨に言おうとはしなかった。別に答えるのに差し障りがあるわけでもないと、そう判断したからかもしれない。
「いえ……多分、生前の力の大きさも関係していると思います。それと……行いが」
「行い……ね。それって、瑞樹の前世だって女の人と関係ありか?」
それを口にすると、途端にその場の空気が緊張した。訊かれたくない話題だろうとは予想していたが、怒らせてしまっただろうか。何、話してくれないならそれでも良いと馨は思った。単なる野次馬根性だということは十分馨も理解しているのだから。高佳はしばらく緊張した空気を保ったまま沈黙した。やがて一言。
「……四季が?」
馨はその問いに肩を竦めた。四季のせいだと高佳に思われて、二人が喧嘩を始めるようでは馨も気まずい。
「昨日ね。お前と瑞樹って、何か微妙だからさ。俺が聞いたんだよ」
馨は正直に答えた。そうすると、高佳はずっと馨からそらしていた視線を、ようやく馨に向けた。馨は高佳の視線を受け止め、自分も高佳に視線を返した。高佳の視線にはやはりどこか寂しさが浮かぶ。しかしそれ以外にも、何と言って良いのか、多分四季の言った通り執着と、その言葉で表すのが一番ふさわしい感情が高佳の瞳を赤く染めていた。
「俺は…………食ったんです、その女を。だから鬼になった」
高佳は馨を赤い瞳で見たまま、静かにそう答えた。その声には恨みも、執着も、哀しみもこもっていない。単に事実のみを述べた、そういう口調だった。だから余計、馨は自分の耳に入った言葉が信じられなかった。女を食ったと、そう高佳は言った。聞き違いでなければ。
「食った? 食ったって……どういう意味で?」
混乱してそう尋ねた馨に、高佳は訝しげな顔をした。
「どういう? そのままの意味ですが……」
そのままの意味と真剣に答えられても困る、と馨は思った。男が女を食べる、とそういう時には二つの意味があって、高校生にもなる男ならそれを理解していて当然だろう。
「いや……女を食うって言ったら、二通り意味があるだろうが」
何でこんなことをいちいち馨が説明しなければいけないのだろうか。しかも何故こんなにうろたえなければいけないのだ。大体高佳は初心な高校生ではない。
もう1500年以上も生きているっていうなら、俺にわざわざこんな説明をさせるな!
別にその手の話題が恥ずかしいわけではないが、妙に居心地悪い。幸い、というべきか、高佳は馨が妙な居心地の悪さを感じていると見抜いてはいなかった。ただ本当に真面目に馨の言葉を吟味して、ようやく自分の言ったことがどうやら別の意味で馨にとられたのだということを理解したらしい。
「あぁ……。そういう意味ではありません。そのまま、食べたんです。肉も、内臓も」
淡々と言われるとそうか、と流してしまいそうになるが、想像するとかなりグロテスクな光景ではないだろうか。殺した、とは言っていないが人間の女の体を食べた。文字通り、肉や内臓を口に入れて咀嚼し、飲み込んだということなのだろう。
それは狂気だ。
馨はそう思わずにいられない。確かにそれは、鬼の所業だ。目の前にいる物静かな男が自分を鬼だと称する、その言葉の正しさを、馨は初めて知ったような気がしていた。
「なっ……んで? 何か、恨みでもあったのか?」
ごくりとつばを飲み込んで、ほんの一時で枯れた喉を無理矢理潤し、馨は尋ねた。
それとも、愛していたから食べたというのか?
どちらにせよ、それは狂気だとしか言いようがない。高佳とその女の恋愛は、馨が思っていたほどロマンティックでセンチメンタルなものではなかったということだろう。
「理由は……ありません。そうしたかったんです。だから、俺は鬼になりました」
高佳の口調は相変わらず淡々としていたけれど、馨にとってはとても重く響いた一言だった。
満 / 咎