僕らの気持ち
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ホグワーツ特急が蒸気を噴き上げてホームに滑り込む。生徒達が次々と乗り込む中、リーマス・J・ルーピンは両親と向き合っていた。
「向こうでの事はすべてダンブルドア校長先生にお任せしているから、何も心配しなくていいよ、リーマス」
父がそう言う。リーマスは頷きつつもその言葉をそのまま、心の中で父に返す。
心配しなくて良い。
そうだよ、父さん、母さん。
僕のことは何も心配しなくて良いんだ。
「リーマス。汽車の中でゆっくりお眠りなさい。顔色が良くないわ」
母が両腕を広げようとして、止めた。2人の無理をした微笑が胸に痛い。きっと2人は無理をしているとは思ってもいないのだろう。
2人の感覚は麻痺している。
リーマスはそう思っていた。
あぁ、でも心配しないで。
しばらくの間、僕の事は忘れて良いんだよ。
それがどんなに自分勝手な思いか知っているから、言葉にせずにリーマスは微笑みだけを残して汽車に乗り込んだ。
彼の荷物は少ない。少し大きめのトランクが1つだけ。ペットもいない。荷物を押して、彼は入学許可証に記されていたコンパートメントへ向かった。
リーマスは人狼だ。
魔法の素質はあったけれども、魔法学校へ通う事は不可能だと、彼も両親も思っていた。そんな家族の元へ舞いこんだふくろう便。ホグワーツの印を見て、これを夢だと思わなかった者はいなかった。
アルバス・ダンブルドア。
偉大な魔法使いの心遣いによって、リーマスは人狼でありながらホグワーツに入学を許可された。
辞退しようかとも思った。
何かが起こってしまってからでは遅い。
その手紙には『特別な措置をとるから』としか書いていなかった。ダンブルドアを信用できなかったわけではない。しかし、もし誰かを傷つけるようなことをしてしまったら。そんなもしもばかりが頭を支配して、リーマスは入学の喜びを素直に受け止めることができなかった。それでも辞退せずにこうしてホグワーツ特急に乗り込んでいるのは、他でもない見送りに来てくれた両親のためだ。
人狼なのは僕だけで、僕だけのせいなのに。
それなのに行く先々で両親までもが不当な扱いを受けてしまう。親戚からはもうとっくに縁を切られていた。
それでも僕のせいじゃあないと、笑顔を見せてくれる2人の為に。
無理をして笑わなくてはいけない状況――つまりはリーマスが2人の顔を見ているときだ――からだけでも、逃れさせてあげたかった。
汚れているのは、僕だけだから。
リーマスは指定されたコンパートメントを見つけ、中に入る。汽車が動き出し、席に座るとすぐに眠気が彼を襲った。このコンパートメントには誰も来ない。昨日の満月で狼化したばかりなのだ。ダンブルドアはそれを知っていて、ここを用意してくれた。2人掛けの席に横になると、右耳に汽車の、レールを走る音が大きく響く。それは不快なものではなかった。ゆっくりと眠りに誘われながらリーマスは思った。母の、開こうとして止められた両腕。
最後に抱きしめられたのは、一体いつだったろう……。
リーマスは深い眠りの中へ落ちていった。夢も見ないほどの深い眠り。それが死に近くて、彼は目覚めるたびに例えようの無い気持ちになる。目覚めない方が、良かったのではないだろうかと。
大きな衝撃で、彼は座席から転がり落ちそうになって目を覚ました。通路が騒がしい。窓から外を覗くと大きな城が目に入った。ホグワーツ城だ。
彼は他の生徒達が降りた後を選んで荷物を持つと汽車を降りた。
「イッチ年生はこっちだ!」
大きな熊のような人間が手を挙げて呼んでいる。リーマスはその熊のような人の周りに集まっている集団に近づいていった。皆少し幼い顔をしている。自分と同じ1年生だった。
「さぁ、ついて来い。はぐれるんじゃあないぞ」
ざわざわと騒がしく1年生の波がホグワーツ城に向かって進んで行く。辺りは真っ暗だった。1日かけてやっと着いたのだろう。その間彼はずっと眠っていたのだ。流れていっただろう景色を見なかったことを、彼は少し後悔した。
上級生達が小船に乗り込み、松明を持って城に進んで行く。1年生は最後に、4人ずつ小船に乗り込むと、船が自動的に動いて城へ進んで行く。松明の灯りが幻想的で、リーマスは夜の帳を怖いとは思わなかった。
ホグワーツ城の中に入ると、熊のような人は正面の階段を上るように言って、それ以上中に入ってこなかった。リーマスは1人で集団の一番後を付いて歩いた。コンパートメントで出会って友達になったのだろう。殆どの生徒が隣の誰かと話をしながら歩いている。わくわくしながら歩いていた生徒達と違って、リーマスはこれからのことを思い、つい足取りが重くなる。やがて先頭が何かに気付いたように立ち止まった。リーマスもそれに合わせて立ち止まり、前を見た。
背筋をすっと伸ばした女性が立っている。緑色のマントに同じ色のちょっとひしゃげた三角帽。眼鏡の奥から覗く瞳を見て、リーマスは女性が猫に似ていると思った。
「皆さん、これから組分けの儀式が始まります」
張りのある声がそう告げた。静かにしていた生徒達も、再びざわつき始める。
「さぁ、私に付いていらっしゃい」
目の前にあった大きな扉が開かれる。中央を進むと、両側から上級生の視線を感じる。
こんな大勢の前で組分けを?
来たばかりで、リーマスはもう逃げ出したくなってしまった。他人と接する事を避けてきた彼にとって、自分の身が大衆に晒されるこの場は拷問に近かった。それでもそれを表情には出さない。
落ち着け。
自分に言い聞かせて、彼はきっと前を見据えた。すると正面にはぼろぼろの帽子が椅子に置かれていた。先導していた女性がその帽子の脇に立つ。そして気付く。仰々しく椅子に置かれた帽子の奥に、優しく威厳に満ちた瞳が輝いていた。その人はリーマスと目が合うと、白髭で飾られた頬を引っ張って笑いの形を作る。ホグワーツの校長、アルバス・ダンブルドア。彼をこの学校に招いてくれた、偉大な魔法使いだ。その微笑で、リーマスの胸が温かくなった。組分けの、この視線の只中にいる緊張感が少し和らいだように思えた。
「ねぇ、あの髭本物だと思うかい?」
リーマスは思わずその声がした方を向いた。黒髪でぼさぼさ頭の眼鏡の少年が、隣に立っている背の高い少年に話しかけている。
「なんだよ、組分けの心配は止めたのか? 別れても泣くなよ、ポッター君」
背の高い、整った顔立ちの少年はわざと話しかけてきた少年の名前を強調して返した。
「はっ! 冗談だろ? 同じになって騒ぐ事はあっても、別になって泣く事なんて有り得ないね。『泣く』以前に『別になる』ことが有り得ない。それよりあの髭だよ」
「なんだよ、本物だろ。付け髭なんてする理由が無い」
「いや、そう簡単に決め付けるもんじゃあないぞ、シリウス。だって、この学校の校長だよ? あの髭をとって鳩に変えるとか。そんな新入生歓迎をするかもしれないじゃあないか」
「君、手品師と魔法使いを区別しろよ。そんなことは、君が2年になったら新入生の前でやってやればいい」
他の生徒達とは明らかに異質だった。彼らはこの場の緊張感というものが全く意識されていない様子だった。最初はこそこそと喋り出したものの、最後は半径1メートル以内の人間が意識しなくても聞こえるくらいの音量になっていた。そのとても真面目とは言えない話題を真剣に話し合う2人に、周囲の同級生達が視線を向け、くすくすと笑い出す者もいた。その様子に気付いた壇上の女教授が咳払いをして新入生達を黙らせる。
「名前を呼ばれた者から壇上に上がってこの『組分け帽子』を被りなさい」
そしてアルファベット順に名前が読み上げられる。
それはとても奇妙な光景だった。足も届かないような高い椅子に腰掛けた新入生が全身を強張らせて汚い帽子を被る。すべての人間の視線を浴びながら、居心地悪そうに体をもじもじさせる男子生徒に、帽子は口のようなものをもぞもぞと動かしながら何か語りかけている様子だ。しかしその声は周囲の者には聞こえない。帽子が口を――それが口であるのなら――動かすのを止めると、今度は誰にも聞き取れる声で叫んだ。
「レイブンクロー!」
それを聞いた上級生のテーブルから大きな拍手と歓声が上がる。そのテーブルの並びがレイブンクローの生徒なのだろう。次々と名前が呼ばれ、寮が確定し、上級生達はいちいち拍手と歓声で新入生を迎える。段々と、彼の順番も近づいてくる。
もし、どこにも組分けされなかったら?
そんなことが有り得るのだろうか。
人狼は、ここに入る資格なんてない、ともしこの場で言われてしまったら?
リーマスは強く唇を噛んだ。震える手を必死で押さえる。
「ジェームズ・ポッター!」
名前を呼ばれて、先程漫才のような会話をしていた眼鏡の少年が手を挙げる。
「はい! はい、僕です」
嬉しそうに顔を輝かせている少年に、会場が笑った。今まで返事をした生徒はいなかった。皆自分のことだけで精一杯だったのだ。やけに余裕のある少年に、壇上の女教授が不機嫌そうに言った。
「ポッター、返事は1回で結構です。早くなさい」
「はい、もちろんです。さっさと終わりますよ」
また会場が笑った。ジェームズと呼ばれた少年は帽子の先を引っ掴んで自分は椅子に座ると、帽子を自分の頭に乗せて言った。
「いいかい? 僕の寮はもう決まっている。先生も早くしろとおっしゃっていることだし、ぐちゃぐちゃ言う必要なんて無いよ。一言叫べば良いだけさ」
帽子が何か言おうと口を動かした。少年は構わず自分で叫ぶ。
「グリフィンドール! だ。さぁ、遠慮なく叫んでくれ。グリフィンドール! ってね!」
後で校長がたまらないといった様子で噴出した。白い髭がぶわっと浮き上がる。どうやら付け髭ではなさそうだ。反対に帽子の隣に立っている女教授は怒りに顔を赤くしている。リーマスは唖然とした。きっと残りの生徒もそうに違いないと思ったが、1人だけ盛大に吹き出している生徒がいた。先程の背の高い少年だ。腹を抱えて苦しそうにしている。
「えぇい! もう勝手にしろ! グリフィンドール!」
帽子が叫ぶと、グリフィンドールの上級生達が一気に立ちあがって歓声を上げた。
「寮が決まったところで、ポッター。グリフィンドールから5点の減点です」
「えぇ! そんな、僕何もしていないのに?」
「黙りなさい! こんな組分けは初めてです!」
また会場が笑った。ジェームズは頭を掻きながらグリフィンドールの席へ歩いていった。「減点の最速記録だな」と上級生達がジェームズの肩を叩いて歓迎する。
「リーマス・J・ルーピン!」
あまりに特殊な事態に呆然となっていたところを呼ばれ、リーマスは肩が跳ねあがった。返事をしようとして声が出ないことに気付く。また会場が静かになった。
あのまま騒いでいてくれて良かったのに。
リーマスは足を踏み出した。表情は堅いが、他の生徒と同じ、ただ緊張しているだけだと思ってくれるだろう。心の中の恐怖は、彼は決して外に出さなかった。
椅子に座る。高い椅子で、やはり他の生徒と同じように、足は下につかない。
帽子を被せられる。
『ふむ、頭は良い。努力もする。しかし体はあまり強くないようだな』
その声が帽子のものだと気付くのに、少し間があった。頭の中に響くような声は、周囲には漏れていないのだろう。
あぁ、お願いだからここで帰れなんて言わないで。
リーマスはぎゅっと目を瞑って心の中で言った。
『帰れ? そんなこと言うものか。君はここでやり抜くだけの力がある』
心を読まれて心臓が跳ね上がる。
『だが――』
ドクン。
血が燃える。
『だが君は、そう――飢えているね』
何かが頭ではじけた。
ウエテイル?一体何に?
血に――?
何も聞こえなくなった。心臓が止まったようだった。
飢えている? 僕が?
あの狂ったように叫ぶ、あの汚らわしい人狼が?
あれも、僕の姿。
飢えているのは、僕?
血が欲しいと思っているのは、僕なのか?
「グリフィンドール!」
一瞬で血が凍った。リーマスはふらふらと壇上から降り、グリフィンドール生の歓声に巻き込まれた。その間、どんな表情をしていたのか分からない。何も考えられなかった。
「セブルス・スネイプ!」
「スリザリン!」
「シリウス・ブラック!」
シリウスが壇上に上がると、先にグリフィンドールの席に着いていたジェームズが叫んだ。
「組分け帽子さん! 彼もグリフィンドールだよ。もう決まっているんだ! さぁ、ひとつ盛大に叫んでくれたまえ! グリフィンドール!」
机に乗り上げて叫ぶジェームズを見て、シリウスは恥ずかしさに顔を赤くした。
「ジェームズ! 君が最速で減点されようと、全生徒の前で醜態をさらそうと僕は構わないが、僕を巻き込むのだけは止めてくれ! いいから大人しく座っているんだ!」
「何だって? 僕が大人しくなんてできない事くらい知っているくせに。君は反論した時点で負けさ、君の存在は今や全生徒に示された。そう、僕と同じくね。今日だけで僕らは英雄だ!」
「英雄だって? 名物の間違いだ! 僕らだなんて複数形にするな! 君だけで充分だ!」
会場が爆笑した。
ここでやり抜くだけの力があると言った。それなら、隠し通してみせる。
そのために自ら檻の中に閉じこもってでも。
悪いのは、穢れているのは僕だけだから――。
「グリフィンドールだ! さっさと行け!」
彼らの青春は、こうして始まる。