悪戯小僧の恩返し
---------------------------------------------------------------------------------
「さて諸君、ここで僕は1つの重大な提案をしたいと思う」
ジェームズは自分のベッドの上に上がって仁王立ちすると、そう宣言した。その声が響いたとき、ジェームズの部屋の2人のルームメイトは図書館におり、代わりに部屋にはリーマスとピーターがいた。元から同室であったシリウスは自分のベッドに横になって大きく欠伸をしたところだった。リーマスはピーターと並んでシリウスのベッドの端に座らせてもらっていた。そしてリーマスは満月後の疲労を回復するべく、マダムにもらったカエルチョコレートを口に入れていたところだった。隣のピーターは母親の送ってくれた、贔屓のクィディッチチームについての記事が載っている雑誌を開いたところだった。
「……ごめん、ジェームズ。もう一回言って」
しばらくの沈黙の後ピーターがそう言うと、カエルチョコを飲み込みながらリーマスもこくこくと頷いた。シリウスも頷いたように見えたが、それはただ眠気に負けて船を漕いだだけだった。ジェームズはそんな3人の反応に大きく溜息をついた。
「……分かったよ。もう一回言う。だから……起きろ、そこの乙女!」
ジェームズは足元にあった自分の枕を蹴って、シリウスの顔面に当てた。そのコントロールといいスピードといい、マグルのサッカー選手になれそうな良い蹴りだった。
「ぶっ! 乙女って呼ぶな、爆弾魔!」
「五月蝿い! そこら辺の事情を素晴らしい脚色付でリーマスにバラされたくなかったら、僕の話を聞くんだ!起きて!」
その言葉は効果覿面で、シリウスはすぐにベッドに横たえていた上半身を起こした。
「何の話?」
リーマスとピーターが尋ねても、シリウスは顔を逸らしてノーコメントを貫いた。ジェームズはしばらくニヤニヤとその様子を眺めていたが、コホンと1つ咳をすると、他の3人の注意をきちんと自分に向けさせた。そして大きく息を吸うと、先程の宣言と同じことを繰り返して言った。
「イタズラのことだろ?」
ジェームズの言葉を聞いたシリウスが、あっさりさっぱりと答えた。
「……シリウス。平たく言うとそうだけど、僕はもっと盛り上げたかったんだよ。僕が懸命に作った山を、一瞬で平たくしたな、君」
ジェームズの瞳が、眼鏡の奥で光った。シリウスはその光に何か危険なものを感じて、咄嗟にベッドの上から降りようとした。しかしそれは一足遅く、ジェームズが自分のベッドから飛び込んできたのに捕まって、そのまま寝技をかけられてしまった。
「キブ、キブ! 許して、ジェームズ様!」
ジェームズの方がまだ体も小さいので、シリウスは本気で苦しかったわけではないだろう。だがベッドを叩いて叫ぶシリウスに、ジェームズは大儀そうに言ってシリウスの上から自分のベッドへ戻る。
「仕方ない、許してやる」
リーマスとピーターは顔を見合わせながら笑っていたが、シリウスが隣に座るとリーマスの方は笑顔を引っ込めてジェームズに言った。
「ねぇ、ジェームズ。少し前から言おうと思っていたんだけど、あんまりセブルスばかり狙うのは可哀想だよ。たまには違う人を……。あ……、別にイタズラを推奨しているわけじゃあないんだけどね」
リーマスの言葉にシリウスが髪の毛を逆立てた。あいつを名前で呼ぶな、ともう決まり文句になっている言葉を言おうとしたシリウスを、ジェームズは鋭い目で睨んで止めた。
「分かっているよ、リーマス。大丈夫。今回の狙いはスネイプじゃあない」
ジェームズの答えにほっとするリーマス。絶対にセブルスがターゲットだと思っていたピーターが叫んだ。
「え? じゃあ、誰なの?」
ジェームズはピーターの問いににんまりと笑うと、またベッドの上に仁王立ちになって大きく――イタズラの提案なら小さい声でしたほうが良いとリーマスは思うが――叫んだ。
「僕らが常日頃とてもお世話になっている、リオン・グリス先生だ!」
リーマスとピーターの目が丸くなる。唖然とした2人に対しシリウスはだけは何か思い出したように、小さく「あ、そうか」と納得している。リーマスはピーターより先に自分を取り戻して、ジェームズに抗議しようとして口を開きかけた。しかしその反応はジェームズの予想範囲内だったらしく、ジェームズはさっと手を伸ばして、リーマスの言葉を喉元で止めさせた。
「待て、リーマス。君の言いたいことは分かる。でも是非思い出して欲しい。僕らが初めて彼の授業を受けたときのことを……」
ジェームズが語りだしたその出来事は、ホグワーツ入学時に遡る。まだリーマスとピーターがホグワーツ名物2人組とお友達になるという栄誉に与る前のこと。彼らはグリフィンドールの生徒達にもすでに一目置かれる存在になっていた。それというのも、魔法使いとして初めての授業に誰もが緊張する中、彼らが尊敬すべき各教科担任の先生方に次々とイタズラを仕掛け、それをことごとく成功させていくという偉業を成し遂げていったからだ。変身術、呪文学、天文学も飛行術もすべて。そしてその日、グリフィンドールの1年生は、餌食となる教師に申し訳ないと思いつつも大きな期待を胸に抱いて教室へ入り、席に座って教師を待っていた。この授業で成功すれば、彼らは全教科達成という目標をクリアすることになる。彼らのイタズラを止めないということは、クラスメイト達が少なからず彼らのイタズラを楽しんでくれているということで、名物2人組みはその事実に大いに満足していた。
「ここは少し横だから分からないよ。合図してくれ」
「O.K」
こっそり杖を構えたジェームズの隣でシリウスが頷いた。彼らの視線の先には昨日捕まえて、つい1時間前に胡椒を与えておいたサラマンダー――火蜥蜴――が宙に浮いている。魔法を使っているのはジェームズの方だ。そして捕まえたサラマンダーを気絶させたのはシリウスの方だった。
彼らの計画はこうだ。教師が中へ入ってきて、教壇の方へ進む。そして教壇の前で立ち止まって、これまでの授業でそうしたように自己紹介をするだろう。そんな初めての重要なコンタクトの際に、ちょっとした演出をほどこしてやろうというのだ。ジェームズが浮遊術を解いて、サラマンダーを教壇の上に落とす。サラマンダーは教壇に叩きつけられて正気を取り戻すだろう。きっと目の前に立った教師に、口から炎をお見舞いしてくれる。もしサラマンダーが目を覚まさなかったら、シリウスが魔法で無理やりサラマンダーを起こしてやるのだ。都合のいいことに、この教室には色々な魔法がかけられているようで、ジェームズが浮遊術を使っても、教師にすぐに気付かれる可能性は低い。そしてジェームズ達はこの授業を担当するのがまだ若い新任の教師であることを知っていた。いくら他の教師から名物2人組のことを忠告されていたとしても、所詮は頭の固い――その上最初の授業で緊張しているはずの――大人の1人だ。そして授業のたびに手を変えるジェームズ達の敵ではない。
「お、来たぞ」
シリウスの呟きに、クラス全員の目が教室の入り口に注がれた。ジェームズは魔法に集中しながらも杖を構えていることに気付かれないよう気を配った。若い男性教師はニコニコしながら一度生徒達の方を向いた。シリウスもジェームズも他の生徒に合わせて緊張した表情を作った。教師は本を抱えたまま教壇の方へ歩き出した。
まだ、まだ。
クラスメイト達もわざと宙に浮かぶサラマンダーから目を逸らし、教師の姿だけを追うようにして間接的に彼らに協力した。
あと少し。
教師が教壇の横に着いた。
もう、ちょっと。
シリウスは教師が教壇の前に立つのを待った。一番いいタイミングでジェームズに合図するのだ。教師の足が動いた。
よし!
2人どころかクラス全員がこのイタズラの成功を確信した。そんな時に、教師が教壇の前に回り込もうとしていた足を止めた。
あれ?
フェイントを食らって、シリウスはジェームズに合図することを忘れた。そして教師は足を止めただけでなく、その目を教壇の上の方へと滑らせていった。イタズラの成功を思ってドキドキしていたジェームズは、教師の思わぬ行動に慌てた。
「ちょっと……」
ジェームズは集中を途切らせてしまった。教師が見詰める中、浮遊術が破られて気絶したままのサラマンダーが落ちてきた。これで教壇に叩きつけられたサラマンダーが目を覚まし、怒りの炎を教師に向けてくれれば、完璧ではないがイタズラは成功だ。それでもまぁ、我慢しようとジェームズは思った。シリウスも、サラマンダーが目を覚まさなかったときのために杖を構えた。しかし事はジェームズ達の期待したようにはいかなかった。教師は落ちてくるサラマンダーの下に腕を伸ばすと、その手でサラマンダーを受け止めたのだ。教師の何とも冷静な行動に、呆然とする生徒達。ぽすっ、と柔らかな音を立てて教師の腕に納まったサラマンダーは、まだ気持ちよく夢の中だ。教師はサラマンダーが寝ていることに満足してにっこりと微笑むと、ひょいとサラマンダーを自分の右肩に乗せた。そしてようやく教壇の前に立ったのだ。
「……ありえない。こんなところで僕らの記録達成が阻まれるなんて」
実際一番の強敵は変身術の担当教師だと思っていたジェームズは呆然と呟いた。
「何でバレたんだよ。それに、普通少しは驚くだろ……」
驚くどころか何故か上機嫌な教師を見て、シリウスが言った。2人は顔を見合わせると、ガックリと肩を落とした。そんな2人の様子に気付いていないのか、教師はサラマンダーの背を撫でながらマイペースに自己紹介を始めた。
「グリフィンドールの1年生クラスだね? 初めまして、私はリオン・グリス。君達に闇魔法に対する防衛術を教えることになっている。君達と同じ、ホグワーツは1年目だ。だから、お手柔らかに頼むよ。サラマンダーを連れてきたのはジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックだね?」
リオンの問いかけにジェームズは立ち上がって答えた。
「はい、そうです。僕がジェームズ・ポッター。こっちがシリウス・ブラックです。先生の授業でイタズラに成功したら、僕らイタズラの神様と呼ばれていたかもしれません」
反省などしてやらないぞ、といった風なジェームズとシリウスに、教師は苦笑したが怒らなかった。
「それは気の毒なことをした。まぁ、未遂に終わったから罰はなしにしよう。次を楽しみにしているよ。さて、折角彼らが連れてきてくれたから、今日はこのサラマンダーについて勉強しようか」
最後はイタズラのネタを教材に使われるという完璧な敗北に、ジェームズ達は罰掃除をさせられるよりも落ち込んだ。そして今度この教師にイタズラを仕掛ける時は、計画を練りに練って、必ず成功させてやると心の中で誓ったのだった。
「“次を楽しみにしているよ”、とそう言ったんだ! そんな彼の期待を裏切って良いのだろうか! そして僕らはリーマスの件で彼にすごーくお世話になった。そのお礼も兼ねて!」
力説するジェームズの勢いに飲まれて思わず、それは良いね、と言ってしまいそうになってリーマスは慌てて首を振った。ここでジェームズに流されてはいけない。
「……お礼なら普通にすればいいじゃあない」
隣では先生にイタズラするということに尻込みしているピーターが、リーマスの意見に頷いている。シリウスはもう黙って頭の中でイタズラの計画を練っていた。ジェームズは得意そうに腕を組んで、キザったらしく舌を鳴らして同時に人差し指を立てると左右に振った。
「駄目だよ。彼の望んでいるのは普通のお礼じゃあない。僕には分かる。彼はユーモアの大切さを理解している大人だ」
それは、リーマスだってそこら辺のことを否定する気はないのだけれど。
「だからって……」
イタズラという手段を用いなくても、ユーモアのあるお礼はできるのではないだろうか。1年前の記録達成を阻まれたジェームズは、きっとそのリベンジがしたいのだ。リーマスはそう思った。非難がましい顔をしているリーマスに、ジェームズはどこか取り繕ったような笑みを浮かべて必死に、そしてリーマスを納得させることができるように優しく言い聞かせた。
「酷いことはしないよ、リーマス。ただ少し驚かせるだけなんだ。お礼なんだから最後は微笑ましく終わらせるつもりだよ。それに、都合があって僕とシリウスしか実行犯にはなれないんだ。ピーターとリーマスにはただ黙って見守ってもらうしかない。ね、お願いだよ、リーマス。それだけ協力してくれないか」
ピーターは相手が先生でも、自分が実行犯にならないと聞いた瞬間にジェームズ支持に回った。リーマスは1人溜息をついた。止められるわけがない。ジェームズも、シリウスも、そしてピーターまでもが目を輝かせている。
「何をするつもりなの?」
ピーターが好奇心に駆られて尋ねたが、リーマスはなるべく聞かないようにしようと、努めて意識を何か別の、もっと下らないことに向けた。ジェームズの計画はいつもドキドキするようなことばかりで、聞いてしまえば好奇心が膨らんで、彼らにも、そしてリオンにも公平な態度を取れないと確信していたからだ。
「僕はリーマスの件の後すぐに計画を思いついた。これを見て」
そう言ってジェームズはベッドの裏側から、薬学用の鍋を台ごと移動させた。そこではもうすでに何かどろどろとした、見た目の悪いものがぐつぐつと音を立てていた。
「それ、何なんだよ。ずっと煎じているよな、君」
シリウスの問いに、ジェームズは片方の口の端を上げて笑った。個性的な髪の毛先が、口元に合わせてピクリと踊った。
「ポリジュース薬だ。残念ながら材料を1人分しか調達できなかった。だから僕が飲む」
聞かないようにしていたのに、薬学の授業でも習っていない薬の名前にリーマスは思わず反応してしまう。
「ポリジュース薬って、他人に変身できる薬だよね。何かで読んだけど……。材料はどこから?」
リーマスが尋ねると、ジェームズの髪の毛がまた楽しそうに弾んだ。
「それは勿論、透明マントで、ね」
聞かなければ良かった、とリーマスは思った。
「それで、誰に変身するんだ?」
当然のシリウスの問いに、ジェームズはビシッと人差し指をつきつけた。
「君だよ」
ジェームズの人差し指の先にいたのは目を丸くしたシリウスだった。
「僕?」
「そう。君が僕に変身しても良いんだけど、演技が上手くなさそうだから」
「確かに……」
ジェームズの言葉にピーターがぽそりと賛成して、シリウスに睨まれた。
「その点僕はシリウスのことをよく見て、仕草も真似できるからね」
自信たっぷりに言ったジェームズを不満そうに見ながら、それでもシリウスは反論しなかった。少しはジェームズの言葉に賛成している部分があるのだ。もっとも、シリウスの心を大きく支配していた意見は「ジェームズの真似なんかしたくない」というもので、その理由は「そのうち本当に頭が狂いそうだから」だ。
「それで? 僕に変身してどうするつもりなんだ?」
「まぁ、微笑ましいイタズラさ。いいかい……」
ここでやっと声を潜めて、ジェームズとシリウスとピーターが頭を突き合せた。リーマスだけが何も聞かないで済むように目を瞑って、苦手な薬学の授業を頭の中でシュミレーションしていた。作戦を説明するジェームズの声は段々と大きくなっていき、リーマスは頭の中でも調合を間違えて鍋を爆発させてしまった。