何も見えない
 道さえも分からない
 片手を壁に当てて歩き続ければ
 いつかは出口へ辿り着けるのか
 
 目隠しをして迷路の中央へ置かれた僕
 隣に君がいるのかさえ分からない

目隠しの迷路

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 夏休みの間に、約束通りシリウスはジェームズの家に来た。半分喧嘩腰になりながら家を出てきたらしいシリウスは、最初のうち本当に機嫌が悪かった。

 2人はシリウスが滞在を許可された1週間の間、ポッター家の書庫に閉じ篭っていた。この様子にポッター夫人はとても喜んだ。ホグワーツでの友人が訪ねてきて、いつも鉄砲玉のように飛び回っている息子が余計酷くなるのではないかと心配したが、予想に反して2人は書庫で何やら必死に勉強している様子だ。家の中はここ数年なかったくらいに静かだった。声を荒げずに数日過ごす事ができるなんて、本当に何年ぶりだろう。食事に降りてくる息子の友人はとても礼儀正しいし、息子とも本当に仲が良いようだ。彼女の顔が喜びに緩んだのはしかし、最初の数日だけだった。

 数日すると、彼女はかえって心配になってきた。

 何か酷いしっぺ返しがくるような気がするわ……。

 怯えた彼女は何かと書庫に顔を出しては、お茶やお菓子を出すふりをして2人の様子を確認するようになったのだ。

「……君、普段よっぽど酷いんだな」

 本を捲りながらシリウスが言う。前にはポッター夫人が置いて行ってくれた紅茶とケーキがある。彼女は青ざめた顔で笑いながら、息子の様子を確かめて行った。もう息子がイタズラをして、それを声を荒げて叱る生活が身についてしまっているのだ。

「こうやって日に何度もおやつをいただけるのなら、たまには大人しくしているのも良いものだね」

 ジェームズは生クリーム付きのシフォンケーキを口に運びながら言った。

「そのうち倒れるぜ、君の母さん」
「仕方ない。君が帰ったらすぐにでもママの心配を取り去ってあげないとね。僕は家族思いの素敵な息子だから」
「自分で言うなよ」

 シリウスもケーキを口に運んだ。生クリームはつけずに。ジェームズがそれを見て、シリウスの皿に残っている生クリームを指で掬って舐めた。

「こら、下品だぞ」

 すかさず咎められて、ジェームズは肩をすくめた。

「君がお上品に『お世話になります、叔母様』なんて言った時にはどうしようかと思ったけどね。完璧なBritish Englishだったよ。あんな物言いができるなんて思わなかった。流石ブラック家の坊ちゃまだ」

 一気に言い放ってから、ジェームズは気まずそうに顔を伏せた。シリウスがそう言われる事を良く思っていないことは知っている。それは自分だって同じことで。互いの立場を分かっているからこそ、言ってはいけない言葉だった。

「……ごめん。すごくイライラしている」

 無性に泣きたくなった。震えている声は怒りのせいだと、シリウスが思ってくれれば良いと思った。今度はシリウスが肩をすくめる。気付いて、しかし気付かないふりをしてくれた。

「……いいよ。寛大だから許す」
「自分で言うなよ」

 先程したやり取りを反転させて、ジェームズは笑った。シリウスも口の端を上げて笑う。その笑いも消えた2人の間に残ったのは重い沈黙。机に積み上げられた本を眺め、ジェームズが重い息を吐いた。

「なんか……予想以上だった」

 椅子の背にもたれ、ジェームズは脱力した。背もたれに寄りかかっていたはずの体はずるずると滑り落ちて、とうとうジェームズの視界に暗い天井が映った。その様子を眺めていたシリウスはすっと視線を窓の外に遊ばせた。薄暗い書庫とは反対に、外は快晴だった。いつもの2人なら外に繰り出して箒を乗りまわしていただろうに、今日は晴れ渡った空を恨めしく眺めるだけだ。視界の隅に入る、昼間の白い月。

「……うん。ずっと、酷かったな」

 下弦の月を睨みつけて、シリウスの手が手元の本を撫でた。

「傷、あるのかな、リーマス」

 2人は人狼について書かれた様々な本を読んだ。中には写真を載せているものもあった。変身中人は危険で近づけないはずだから、魔法で遠くから撮ったのだろう。閉じ込められた牢屋のような場所で、噛みつく対象が他にいなくて自らを傷つける姿は自分を抑えているリーマスと重なって、辛かった。

「あったとしても、マダム・ポンフリーが治しているさ。風呂に入った時だって気付かなかった」

 気付かなかったことが悔しくてたまらなかった。その間も、リーマスは1人で苦しんでいたのに。

 僕らは友達なのに。

「黙っていた方が良いんだろうか。認めたくないけれど、もしヘタに他に知られてしまったら、いくらダンブルドアだって非難は避けられない。そんなことになったら、リーマスは退学だ」

「せめて僕らが気付いてしまったことくらい、リーマスには伝えた方が良いと思う。今のままじゃあ、僕は嫌だ。友達なのに酷く離れてしまっている気がする」

 ジェームズも頷いた。しかし彼には分からない。

 本当に? 本当に言った方が良いのだろうか。
 彼が隠している事を、無理に吐き出させる必要が…そんな権利が僕らにあるのか?
 ただ……そう、だた、友達だ、とそんな理由で。

それが大切な理由であることも分かっている。しかし、そもそも友達とはどこまで知っている相手のことをそう呼ぶのだろう。自分達はその言葉を軽く使いすぎているのではないだろうか。ジェームズの頭の中は、いつものようにぐるぐると回り始めた。答えの出ない疑問に、ジェームズはいつも振り回されている。

「僕らが他に漏れないようにしてやれば良いんじゃあないか? ヘタに嗅ぎ回る奴がいるかもしれない。そんな時に、リーマスを守ってやるんだ」

 この時、ジェームズはシリウスが酷く眩しかった。何故彼はジェームズがぐるぐると考えていることをこうも簡単に口にできるのだろう。素敵な理想を、何故躊躇いもなく。

「そう……できたら良いね」

 呆然とジェームズは答えた。するとシリウスはニヤリと笑って応える。

「できるさ」

 あぁ、そうなのだ。

 何の躊躇いもなく言えるのは、それができると思っているから。彼にとってそれは夢物語などではなく、実現できる未来だからなのだ。

「……うん」

 君と友で良かった。

 もう幾度もそう思ったけれど、もう一度ジェームズは心の中でその思いを噛み締めた。


 魔法の庭から出て、リーマスは本当に自分が魔法をかけられていたことを知った。ホームでジェームズ達と別れて、リーマスは両親と家へ帰るためにアイルランド島へ渡った。列車に揺られて、1年ぶりの我が家へ帰る。駅に着いたので、リーマスは荷物をとってコンパートメントを出ようとした。しかし両親は動かない。

「どうして降りないの?」

 無邪気に尋ねてしまったことを、後でリーマスは酷く悔やんだ。

「引っ越したんだ。もう少し、山の方へ」

 どうして、とは聞けなかった。

リーマスは立ち上がった体を再び座席に戻すと、何も言わずに黙っていた。列車が動き出し、駅が遠ざかる。

 何故気付く人間がいるのだろう。

いくら必死になって隠しても。黙り込んだリーマスに、母が慌てて弁解する。

「違うのよ、リーマス。貴方のせいじゃあないの。お母さんがちょっと、近所の人達と合わなくなって、お父さんにお願いしたのよ。だから、貴方のせいじゃあないわ。新しいお家はとても良い所なの。そうだわ、家に着くまで学校の話しをしてちょうだい。どんな勉強をしたの?」

 あそこは魔法の学校だったのだ。様々な意味で。あれは、あの時はきっと夢だったのだ。

 これが現実。
 僕は人狼だ。

そう、月に一度、あの屋敷で過ごす一晩が、それだけがあの学校での現実だった。

 分かっていたのに。

それでもジェームズやシリウス、ピーターの顔が浮かんでくる。甘い罪を犯し、楽園を追放されたアダムとイヴ。だから人はその後も甘さを求めて罪を犯す。

 愚かなことだと分かっているのに。

体が覚えている。手を繋いでくれる、マダムの温かさを。


 泣きたかった。


声を上げて泣きたかったその日の夜は、金色の満月だった。

 新学期が始まった。去年と違うのは自分達が新入生ではないということ。今年新しく入った1年生がホームで不安げに、しかし何かしらの期待を持って立っていたのを見たとき、ジェームズもシリウスも何だかくすぐったい気持ちになった。ホームでピーターを見つけて、ジェームズが手を振る。ピーターは荷物の乗ったカートを押しながら嬉しそうにこちらに向かってきた。そしてもう1人の友人の姿を探してキョロキョロと首を動かす。

「リーマスは? 一緒じゃあないの?」
「リーマスはまだ見つけていないんだ。でもふくろう便でコンパートメントを指定しておいたから、先に入っているのかもしれない。僕らもそろそろ乗ろう」
「うん」


 ねぇ、どうして夜になると狼の声が聞こえるの?



 あれは幼い頃の僕。まだ人狼になる前の。残酷なまでに無邪気な子ども。


 あれは人間の子どもを呼んでいるのよ、リーマス。
 呼んでいるの? 僕、会いに行かなくちゃいけない?

 違うのよ、リーマス。狼さんはああして子どもを呼んで、そうして食べてしまうの。
 だから、だから近づいてはいけないわ。

 
 でも僕はその言い付けを破った。狼の声が、哀しげに聞こえたから。
 僕は森に入って、そして……。

 
 人狼だ! 人狼がこの村に!
 出て行け。一体誰を襲うつもりだ!
 出て行け!


 デテイケ!

 
 ヤメテ!
 止めて。父さんも母さんも悪くない。悪いのは、言い付けを破った僕だ。
 神様、罰するなら僕だけを。どうか――。



 狼が夜鳴くのは、哀しんでいるからなのだよ。


 ……ダレ?


 狼は、月に恋をしているのだ。
 知っているかい? 月は段々とこの地球から離れて行っている。
 離れれば壊れてしまうことを知っていても、月は地球から離れ続ける。
 狼は、そんな月を引き止めたくて、そうして泣いているのだよ。



 でも僕は、月が早く地球から離れて、壊れてしまえば良いと思っている。
 そうすれば、人狼なんてこの世にはいなくなるのに。


 消えて欲しいのは、月かい? それとも、人狼?


 ……一番消えて欲しいのは、自分だ。


「……マス。おい、リーマス」

 気付くとシリウスが自分の肩を揺すっていた。その大きな温かい手の感触に、思わず身が竦む。身を固くしたリーマスに気付いたシリウスはすぐに手を離した。しかし何もなかったようにまた呼びかけてくる。

「そろそろ起きろよ。まったく、ずっと寝ているんだものな」

 また流れる景色を見る事ができなかった。リーマスは曖昧に笑って身を起こした。前に座っているジェームズがにやりと笑う。

「僕ら爆発ゲームまでしたのに。君ったら全然起きないんだから。もうホグワーツに着いてしまうよ」

 座席にも下にもお菓子の袋がぶちまけられていた。シリウスがそれを拾い上げて1つにまとめる。ジェームズの隣に座っていたピーターが心配そうに問いかけてくる。優しい少年だ。

「リーマス、大丈夫? 疲れているの? 夏休み遊び過ぎたとか?」
「うん。まぁね。途中で起こしてくれても良かったのに」

 上手く笑えているだろうか。また僕はこの夢世界で生活するのだ。

 だが忘れてはいけない。あれが現実だ。

「何度か呼んだぜ。君、身じろぎもしなかった」

 肩を竦めたシリウス。楽しそうに笑うジェームズ。まだ心配そうにこちらを見ているピーター。全てが夢のフィルターに遮られてぼやけている。

「見えたよ、ホグワーツが」

 そして夢の城。現実から切り離された箱庭。ジェームズの言葉にピーターとシリウスが窓から顔を出して前方を見る。今年も1年ここで過ごす。

 一番消えて欲しいのは……。

 リーマスは身震いした。死を受けいれるというのは、なんと甘美なことだろう。甘い誘惑に、いつまで抗っていられるのか。

 だって僕は、イヴの子どもだもの。

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