目隠しの迷路
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ホグワーツに着くとすぐに新入生の組分けが行われた。ジェームズとシリウスは新入生歓迎だと称して組分けが行われる前に組分け帽子の下にヒキガエルを仕込んだ。2人がそんなことを実行できたのにはわけがある。休暇中ジェームズが実家の書庫に隠すように置いてあった魔法の道具“透明マント”を見つけ出し、両親に内緒で持ち出してきたのだ。それは見た目薄いビロードのマントだったが、ジェームズが被ると彼の姿が視覚的に消えてしまうという代物だった。シリウスは大喜びして、2人でマントに隠れると組分け帽子にヒキガエルを仕掛け、そ知らぬ顔でグリフィンドールの席に戻って組分けを待っていた。そして最初に帽子を持ち上げたマグゴナガル女史の顔を今年も去年同様真っ赤に仕立て上げた。黙っていれば2人がやったという証拠は何もないのに、2人はイタズラが成功すると立ち上がって歓声を上げた。互いの口を塞ぎあったが既に遅く、新学期早々2人はフェルチの監督でトロフィー磨きの罰を仰せつかった。去年笑いをこらえていたダンブルドア校長は今年も身を折って腹を抑えながら笑いをこらえていたし、加えて今年は闇魔法に対する防衛術の教師、リオン・グリスも緩む口元を抑えていた。
新入生に早くも顔を売った彼らは、本当に満足そうに2年生初めての日を終えた。シリウスとジェームズの部屋に集まって新しい教科書をベッドの上で広げながら、シリウスが来年はダイアゴン横丁にも皆で待ち合わせて教科書を買いに行こうと言った。気が早いとジェームズもピーターも笑ったが、リーマスは何となく上手く笑えなかった。そして就寝の時間が近づいたのでピーターとリーマスは自分たちの部屋に戻った。部屋替えは行われなかったので2人は今年もサディとライアンと同じ部屋だった。明日からはすぐに授業が始まる。眠りにつく前に、リーマスは空を見上げた。見上げた先に浮かんでいる青白い月がリーマスを見返してきた。人狼になったあの日から、リーマスは月を美しいと思わなくなった。
日毎に姿を変える不実な月。
そんなものに永遠の愛を誓わないで欲しいと恋人に願った少女。
忌み嫌われ、迫害され、家を追われ、同じ場所で、同じ環境では生きられない。時毎に姿を変える月は、自分のようだとリーマスは思う。今は側にあるものも、やがては離れて行くだろう。それが当然のことなのだ。
知っているかい? 月は段々とこの地球から離れて行っている。
離れているのはきっと地球の方だ。
リーマスは思った。手を虚空に伸ばして、リーマスは指先で月の輪郭をなぞった。
僕と同じ、君は孤独だ。
大気の壁に阻まれて、地球に触れることができない。
それどころか地球に置いて行かれて、君はいつか消えるだろう。
でも、それは当然のことだよ。醜い僕。
地球に嫌われてしまっても、それは当然のこと……。
リーマスは布団にもぐって目を閉じる。不実な月はあと3日で満月だった。
ジェームズとシリウスは今日を入れて3日後が満月であることを知っていた。リーマスの顔色も段々と悪くなっていく。シリウスはあの秘密を早くリーマスに告げることを望んでいたが、ジェームズはいまいち踏み切れないでいた。リーマスがあくまで自然に、自分達と距離を置こうとしていることはすぐに分かった。慣れているのだろう。彼の挙動には何も怪しむところはない。他のクラスメイト達は、リーマスと自分たちが一緒にいる時間が去年の最後よりずっと減っていることに気づいていない。このままでは戻れなくなる。そういった思いがシリウスを焦らせていることは分かっていたし、自分だって背に覆いかぶさるような強迫観念に押し潰されそうだった。それでもジェームズは悩んでいた。彼に言うべきなのか。
2年生最初の授業もそつなくこなし、ジェームズはシリウスが早速のピーターの補習に付き合っている間に、リオン・グリスの研究室へ向かっていた。リーマスはいつもの笑顔で魔法薬学の予習をすると言って図書館に行っている。たどり着いた研究室には、木製の板切れに金文字で「Lion」とだけ書かれていた。ジェームズは戸口で少し迷ってから、ひとつ大きく息を吸うと拳で戸を2回ノックした。
「はい?」
扉越しにくぐもった声が聞こえる。ジェームズは中に聞こえるように答えた。
「グリス先生、ジェームズ・ポッターです。ご相談したいことがあって来ました」
椅子を引く音が聞こえて、しばらく待っていると戸が開いた。去年と変わらず、若い教師はやんわりとした笑顔でジェームズを迎えてくれた。
「やぁ、ジェームズ。少し背が伸びたね。2年生らしくなった」
「でもまだ小さくて。シリウスを追い越すのが目標なんです」
「シリウスは長身だからね。でも君も成長期だから。よく食べて運動すればすぐ大きくなるよ。おっと、相談事だったね。折角だから中へ入りなさい」
「失礼します」
中は少し薄暗く、机の上だけ蝋燭に照らされて明るかった。片方の壁には木製の本棚と、本棚に入りきらなかった分の分厚い本が無造作に積み上げられていた。大きな地震があったら本に潰されて圧死してしまうだろうとジェームズは思った。積み上げられた本の上には大きな鳥篭。しかし中に鳥は入っていなかった。そして反対側の壁にはなにやら不思議な模様の描かれたタペストリが下がっている。その横には小さな暖炉。そして木製の棚の上には天体模型が。太陽系の星を表している球は魔法の品のようで、それは本当にゆっくりと公転と自転をしている。太陽は発光していた。地球を表す球には小さな球が付いている。太陽の光を浴びて淡く発光している月だ。床には大きなトランクと、その上にはヒエログリフの書かれたパピルスが置かれている。物が多いせいか、部屋はとても狭く感じた。
「不思議な物が多いかな?」
リオンが椅子を奥のほうから探し出して杖で埃を消す。ジェームズにその椅子を出して、自分は机の前にあった椅子を引いて腰掛ける。ジェームズは促されて椅子に座った。
「どうやら勉強に関する相談ではなさそうだが。若輩者の私に人生相談かな?」
そう言って微笑んだリオンの笑顔は、若輩者と称する割にはとても落ち着きがあり、まるで賢者のようだった。
「人の痛みが分かる人間になるためには、如何すればいいのでしょうか」
ジェームズが抑揚のない声で問うた。リオンは少し驚いたようだった。ジェームズの落ち込み様が尋常でなかったからかもしれない。
「いきなりだね。何があった?」
俯いたジェームズの頭に、リオンの手が置かれる。去年と同じ、その手がまるで父親のような温かさを持っていて少し不自然だった。もしかしたら、リオンには子どもがいるのかもしれないとジェームズは思った。
「悩んで、動けなくなるんです」
「うん」
直ぐに返ってくる反応が素直に嬉しい。ジェームズは手元を見たまま続ける。
「大切な相手だから、傷つけたくないと思うんです。でも今のままだと、どうあっても傷つけてしまって……。だから、できるだけ傷つけないで済む方法を探して、迷って……悩んで踏み出せないんです」
膝に置いた手を握る。リオンの手が離れて、ジェームズは顔を上げた。リオンは杖を取り出して、机の上にカップを2つ取り出した。そして沸かしてあったらしいお湯を注いでそこに黄金色の蜂蜜を入れて溶かした。片方をジェームズに差し出す。ジェームズはそれを両手でそっと受け取った。
「一番良い方法を模索することは大切なことだよ、ジェームズ。でも君には分かっているね? そうして模索を続け、踏み込むのをためらうことで取り返しのつかない結果になってしまうこともあるということを」
要領を得ないジェームズの言葉にも、リオンはゆっくりと返事を返してくれた。
「本当に大切な人なんです! ……傷つけたくないけれど、離れたくない。距離を置いてしまったら、もう駄目なんです」
必死に言葉で表そうとして上手くいかない。ジェームズはカップが割れそうなほど、両手で強くカップを握った。
「君の友達だね?」
ジェームズの言いたいことは全て知っているのではないかと思ってしまうくらいリオンの言葉は短く、的確だった。一から十まで説明する必要がないと分かるとふっと緊張が解けて、ジェームズはリオンを見つめた。
「……そう、思っています。僕は。でも、友達って、簡単に呼んで良いものなのでしょうか」
気弱にそう言ったジェームズに、リオンは真剣な表情で何度も頷いた。まるでジェームズの言葉を噛み砕いて少しずつ呑み込んでいるようだった。そして少しずつ答えを返してくれる。早く答えが欲しかったはずなのに、不思議とゆっくりした反応に苛々することはなかった。
「ジェームズ。相手の気持ちを考えて行動することは大切だよ。でもね、『相手はこう思っているはずだから』と決め付けることはできない。人の心を完全に読める人間はいないよ。それは魔法使いもマグルも同じことだ。君は悩んでいる。その大切な人は自分にとっては大切な人だけれど、相手は自分を大切と思っていてくれるのか。自分はその人を友だと思っているけれど、相手はそう思っていないかもしれない。それならば、自分はその人を友と呼んではいけないのではないか」
ジェームズもリオンのように何度も頷いて、噛み砕くようにリオンの言葉を理解していった。リオンはジェームズの反応を満足そうに見て、そして続けた。
「私はこう言うだろう。『君の中の気持ち、それが真実だ』とね。周囲がどう言おうとも、君が友だと思えば君にとってその相手は友なのだよ。君は優しい子だ。相手の気持ちを考えることができる。しかし決め付けてはいけない。今は君と友でない人も、いつかは友になるかもしれない。人の心は分からないものだよ。私だって、これが最良と思って行動しても、結果は最悪であったこともある。後悔しないようにと出した結論も、その通りにはならないものだ」
その答えは、正直言ってショックだった。大人になれば、こうしたじれったい思いはしないで済むようになると思っていた。
「大人になっても、ですか?」
そんな思いを、大人のリオンは簡単に否定してしまった。
「そうだよ。どんなに知識を得ても経験を積んでも、これは変わらない。ジェームズ、君が思っているほど、君と大人の距離は遠くないよ」
早く大人になりたいと思っていた。
僕と大人の距離は、そんなに遠くない?
喜んでいいのか、しかしどこかで落胆していた。よく分からない気持ちだ。
もしかして、そんなに急がなくても良いってこと?
しかし、とジェームズは思う。
「シリウスは、踏み出せるんです。僕だけ、悩んでいる」
相棒を尊敬し、愛してもいるけれど、自分だけ置いていかれるような感覚がジェームズを焦らせる。自分だけが、いつまでも子どもでいるような。
「……君達には同じ血が流れているのだったね」
リオンの言葉に、一瞬何のことだか考える。すぐにその意味を理解して、ジェームズは答える。この教師に意地を張っても仕方がない。
「え……あ、はい。だいぶ薄い血でしょうけれど」
リオンの目が細くなる。その瞳はジェームズを超えて、知らない誰かを見ていた。
「シリウスは踏み出し、君は踏み止まる。素敵な関係じゃあないかい? 君達はお互いに足りないところを補えるのだから。君はシリウスの決断力を、シリウスは君の慎重さを。互いに学ぶことができる。今君の中にある答えを、私が採点することはできない。しかし、君が悩んで、シリウスが決断した上の同じ答えならそれ以上の答えは出ないだろう」
力強くリオンが言う。いつの間にか、リオンの視線はジェームズに戻っていた。その夜の海の色をした瞳に、ジェームズは惹きつけられる。
「不安、です」
ぽそりと本音が漏れる。リオンはくすりと笑った。
「それが大切なのだよ。ゴドリック・グリフィンドールも、アルバス・ダンブルドアも、この学校で君と同じような思いを抱きながら成長したのだ」
その声が自分たちに話しかけるときのような慈愛に満ちたものだったことに、ジェームズは小首を傾げる。まるでグリフィンドールもダンブルドアも、リオンの生徒のようだ。そんなはずないのに。しかしジェームズはそこを追及しないでおいた。
「先生も、ですか?」
「そうだね。私はこの学校出身ではないけれど、君と同じくらいの年には様々なことを経験した。そのどれもが初めてのことで、君と同じように悩んで、立ち止まって、そうして少しずつ進んできた。何の答えも出ないかもしれないけれど、こうした会話も必要だよ。君が相談に来てくれて嬉しかった、ジェームズ」
リオンの右手が差し出される。ジェームズはその手を少しの間凝視して、カップを右手に持つと、空いた左手を差し出した。リオンがその手をとって、軽く握る。ジェームズも握り返した。
「僕も、嬉しかったです。先生は、いつも真剣な答えをくれる。授業以外でも」
照れたようにリオンが笑った。残りを飲み干してからカップをリオンに返し、ジェームズは立ち上がる。リオンも立ち上がって、2つのカップを机に置いた。扉の前で立ち止まったジェームズは振り返って最後に質問をした。
「あの、先生は運命論者ですか?」
机を向いていたリオンがゆっくり振り返る。
「いや、人の生が決められたレールの上を走っているとは思っていないよ。ただ1つ、人の出会いに関してだけは、運命を認めているけれど」
ジェームズは胸の中が温かくなった。自然に笑うと応える。
「素敵ですね」
リオンもいたずらっぽく微笑んだ。
「どうしてそう思う?」
「僕も先生と同じ意見だから」
ジェームズは研究室を出た。ピーターの補習ももう終わっただろう。シリウスに言わなくてはいけない。
明日、明日リーマスに言おう。
僕らがリーマスをどう思っているのか。
そのことはリーマスを傷つけることになるだろう。しかし知って欲しかった。リーマスの頑なさに、ジェームズ達も傷ついているということを。そしてジェームズ達が傷つくその理由を。