渡りの徒 再会の途

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 今日は朝からホームシックにかかった1年生が腹痛を起こして医務室へやってきた。期末試験とその先にある夏休みに目を向けられる時期になって、それまでがむしゃらに生活してホームシックになる余裕などなかった子が、期末試験のプレッシャーと夏休みへの期待とに挟まれて、ホームシックというこの場所で最も単純な病気にかかるのである。毎年、新入したてと、この時期になるとそういう子どもが数人出る。これは魔法で治るようなものではないので、ポンフリーは他愛もない話をして患者を落ち着けるようにしているのだ。

 お昼前にどうにかその子を仲間のところへ戻し、ポンフリー自身昼食を摂ってほっと息をしたのもつかの間、昼食後にスリザリンとハッフルパフの男子生徒が5人ほど、揃って顔や腕に痣と擦り傷を作って医務室へやってきた。傷の理由は訊かないというのがポンフリーのポリシーであったので、ポンフリーはそれに従い彼らに怪我の理由を問うことはなかった。手際よく彼らの傷を手当てする。彼らがぶつぶつと誰かに文句を言っているのを軽く聞き流して、ポンフリーは全員の傷の手当てを終えた。そして片づけを始めても医務室でぐずぐずしている少年達を一喝する。

「貴方達! その程度の怪我で医務室に居座らないでちょうだい。さぁ、授業に行きなさい!」

 子どもは元気が一番、とポンフリーは思っていた。傷を作るのも構わない。だけれど、自分で作った傷を理由に医務室に居座られてはたまらない。子どもだからといって、傷の責任は自分でとってもらわなくては。勿論、責任を取ることが妥当でない子どももいるけれど。

 ポンフリーは目立たないように事務室の壁に掛けてある月齢カレンダーを見た。次の満月は7日後。一時期のようにあまりに酷い傷を作ることはなくなっていたものの、毎月傷は必ずできる。新しい傷はポンフリーが丁寧に直すようにしているが、古い傷跡が残ったままなのが気になる。魔法での治療には限界があるようだから、薬学の教授に相談しても構わないのだけれど、彼は人狼を軽蔑しているからリーマスのためとは言えない。他に相談できる人を探そうか、とポンフリーはため息をついた。

 その時うっすらと脳裏に浮かんだ人の顔。そして突然医務室の入り口でその当人の声が聞こえて、ポンフリーは座り込んでいた椅子から飛び上がりそうになった。

「マダム、今は誰もいませんか?」

 入り口に立って中を覗き込むような仕草をしていたのは、長身で痩躯な同僚教師であった。ポンフリーは鼓動の早くなった心臓を宥めながらなるべく平静を装って答えた。何故こんなに動揺しなければいけないのか、少し理不尽に思いながらも。

「グリス先生。えぇ、今出て行きましたわ」
「良かった。……さぁ、ちゃんと手当てしてもらいなさい」

 ポンフリーの言葉に、闇魔法に対する防衛術の教授であるリオン・グリスは嬉しそうに微笑んだ。そして廊下に向かって手招きをする。すると、とても嫌そうな顔をしてグリフィンドールの生徒が1人、医務室へ入ってきた。

 同学年の生徒より頭ひとつ分は高い身長。黒髪に意思の強さを表す金の瞳。普段より一層乱れた服装の男子生徒は、グリスに背を押されてポンフリーの前にやってきた。

「シリウス・ブラック! えぇ、もう貴方しかいないと思っていましたよ。今月で何回目なの? こっちにいらっしゃい!」

 ポンフリーは先ほど片付けたばかりの医療道具を引っ張り出してきた。ローブに所々汚れをつけた男子生徒、シリウス・ブラックはしきりにポンフリーから視線を逸らせている。怒られることが分かっていたから医務室へ来るのも渋っていたのだろう。ちらちらと医務室の入り口に目を走らせているが、背後にリオンが立っているので逃げ出すこともできないらしい。その不本意そうな顔に気付いて苦笑したリオンは、シリウスの肩に手を置きながら屈んで顔を覗き込んだ。

「そんなに何回も喧嘩をしているのかい? シリウス」

 ポンフリーに聞こえないように、と声を潜めたようだったけれど、生憎リオンの言葉も、その後のシリウスの言葉もポンフリーにはしっかりと聞こえていた。

「あいつらがろくに学習しないでピーターやリーマスを馬鹿にするから……」

 ポンフリーはドン、とわざと音を立てて医療道具をテーブルに置いた。首を竦めたシリウスは、ポンフリーに怒られることを覚悟したように見えた。ポンフリーもなかなか捕まらないこの少年に、いい機会だと思って説教してやった。

「売られたら買わなくてはいけないという規則はありませんよ、ブラック。それにあなたときたら一回に何人ものお客様を医務室へ送り出してくれる割に、自分はちっとも医務室に来ないんですから。まさかいつもは無傷ですなんて言わないでしょうね、ブラック!」

 時々リーマスが満月でもないのに医務室へ来て、ポンフリーに頼み込んでは医療道具を持って行く。それは大体医務室に大量のお客様が来た後だったりするのだ。リーマスは自分が転んだから、とか色々理由をつけていくけれど、隠しても無駄というものだ。まったく、学習能力がないのはシリウスも同じことだ。

 ポンフリーに怒られたシリウスはそっぽを向いたまま黙っている。その口の端に痣を作って、手の甲にも引っかき傷ができていた。リオンはそんなシリウスに、屈んだまま少し間の抜けた言葉をかけた。

「シリウス、顔に傷が残ったら大変だろう? マダムは本当に腕が良いのだから、きちんと手当てしてもらわないと」

 それで戒めたつもりなのだろうか、とポンフリーは呆然とする。シリウスも同じように感じたようで――こちらは明らかに呆れている顔を隠さなかったが――がっくりと気が抜けた様子で答えた。

「先生、俺は別に女じゃあないんだから、顔に傷が残るくらい……」

 そう言うシリウスに、リオンは何故か驚いたようだった。目を丸くすると、次には本当に真剣な厳しい顔をして見せた。

「え? うん。だからその女生徒達にとって大きな損失になるからね……」

 厳しい顔つきで言うことだろうか、とポンフリーは額に手を当てた。シリウスもポンフリーを見上げて微苦笑している。

「そういう問題ではありません!」

 ポンフリーはこれ以上間の抜けたことを言われて自分が倒れてしまわないうちに、とリオンを止めに入った。

「はい……」

 怒鳴られると、リオンは生徒のようにしおらしく答えた。シリウスが面白そうに口を開きかけたので、また事態に収拾がつかなくなる前に、とポンフリーはリオンの背を両手でぐいと押した。

「さぁ、グリス先生は出て行ってくださいな。ブラック! あなたは動かないの!」
「それじゃ、逃げ出さないようにね、シリウス。よろしくお願いします、Madame」

 大人しく医務室の外まで押し出されると、リオンは最後に医務室を覗き込んでシリウスに声をかけ、ポンフリーに後を頼んで去って行った。

 いつもドキリとするのだけれど、リオンは“Madame”という単語を実に正確に発音する。この場合、正確に、というのはイギリス英語の発音ではなく、フランス語の発音でのことを言っている。それまでの会話は完璧なイギリス――それも上級階級の使う――英語で話すくせに、何故か“Madame”というフランス語は、あえて発音を変えているようなのだ。あまりはっきりとした顔の特徴がないせいか、外見で生まれが判断できないのだが、言葉の訛りでもそれが判断できない。はっきりとしない人だ、とポンフリーは思う。態度の問題ではなくて、その存在自体が。

 ポンフリーは医務室の扉を閉めて、シリウスのいるところへ戻った。シリウスはもう逃げる気も失せたのか、大人しく椅子に座っていた。怒られてしまえば、逃げる理由も見つからないのだろう。いつも叱り損ねている同僚の女教授を思い浮かべて、ポンフリーはこっそり笑った。

 シリウスは口の中を切っていた。よく見ると首にも引っかき傷があったし、袖を巻くって見ると肘にも擦り傷がある。血は止まっているようだが、どうも以前の傷がまた擦れてできた傷もあるようだった。リーマスの苦労が忍ばれて、ポンフリーは大きく溜息をついた。

「一対一ならこんな傷つくらないで喧嘩できるのに……」

 最初のうちはぶつぶつと言い訳していたシリウスも、傷の多さに比例して治療時間が長くなると、飽きてきたのか、ポンフリーに話しかけてきた。

「マダムってさ、結婚してるんだよな?」

 ポンフリーはその問いに一瞬手を止めたが、別に怒ることでもない、と思い直して答えた。

「えぇ、それが?」

 この年なら気になってもおかしくない話題だろう。両親のいない状態で寮生活を行っている生徒達は、教師に親を重ねることもあったし、何より一番近くにいる大人なのだから。しかしポンフリーは次にくるかもしれない問いに警戒心を抱かないではいられなかった。ミネルバだって手を焼く子どもなのだ。油断することはできない。と毛を逆立て警戒する猫のようになったポンフリーも、予想外の攻撃には弱かった。シリウスはニヤリと子どもらしくない笑顔をたたえてこう言ったのだ。

「グリス先生があんまりマダムのことを褒めるから、もしかしたら惚れてるのかなって……いてっ!」

 思わぬ言葉に、ポンフリーは手の擦り傷に当てたガーゼを止めようとして、思い切りテープを強く押し当ててしまった。痛みに跳ね上がったシリウスに、慌てて何でもないような顔すると、ポンフリーは早々にシリウスを追い出しにかかった。

「はい、終わりましたよ。馬鹿なことを言っていないで、授業に戻りなさい!」

 まだニヤニヤとしながらシリウスは椅子から降りて、飛び跳ねるように軽い足取りで医務室の扉へ向かった。扉を開けて大人しく出て行くまで見届けようと待っていたポンフリーに、案の定シリウスは振り返ってからかうように言った。

「グリスは良い男だよ。それとも……年上だってこと気にしている?」
「ブラック!」

 年上どころか人妻であるポンフリーは、悪戯好きの問題児に向かって怒鳴りつけた。シリウスはそんなポンフリーの怒りも少しも身に堪えていない様子で、笑いながらひらひらと手を振って去って行った。

「Thanks! マダム」

 わざと使っているためか、少しおかしなイギリス下町訛りの英語で捨て台詞を残し、シリウスは廊下を走って行った。廊下を走るな、という言葉さえ出てこないほどポンフリーは疲れていた。

「まったく……大人びているんだか子どもなんだか……」

 子どもであっても大人であっても、扱いにくい人間であることは確かだ。怪我をしても医務室に来ないことは遺憾だが、毎回来られても身が持たないかもしれない、とポンフリーは正直思った。怪我をしないでいてくれるのが一番なのだけれど。


 ホグワーツで教員、職員として働くことができるというのは、魔法省に勤めること以上に名誉なことである、と一般的にも言われている。特に教員を目指す者にとって、素晴らしい創設者達を持ち歴史あるこの学校は最高の職場であろう。勿論給料の面でも魅力は十分であるから、教員というよりも研究員としてもここに勤める価値はある。実際に、教師というよりも明らかに研究者肌な教員もいる。薬学教授などはそうだし、特に研究者というわけでもないけれど、教師にも向いていないように思われる人間だっている。良くも悪くも、創設者達と同じく、ここの職員は皆個性豊かだ。

 勿論付合い易い同僚もいれば、まったく気難しい同僚もいる。しかしその気になれば他の教員とコミュニケーションを図らずともやっていける職場である。それぞれは結構自由に振舞っていた。ポンフリーも同じで、校医という立場から怪我人や病人には関わるものの、あまりどの教職員とも平等に接するということはない。教員ともなれば多少の怪我や病気は自分で治す力があるので、ポンフリーが関わるのはやはり生徒ということになる。それがホグワーツでは普通の大人の姿だった。

 シリウスが来た次の日、ポンフリーは屋敷しもべ妖精数人に手伝ってもらい、医務室のベッドシーツを洗った。そして掃除は屋敷しもべ妖精に任せて、ポンフリーは事務室にある薬品棚を点検した。足りないものを補充しなければならない。薬学のノリッジ教授に頼まずとも自分で調合できるものばかりだったので、ポンフリーは必要になる薬草をメモした。その時、昨日リーマスの古傷を目立たなくする薬を考えていたことを思い出し、しばらく考え込んだ後、ポンフリーはペンと紙を取り出した。人狼のことでも理解を示してくれる人に相談するためだ。それは彼女の夫で、魔法省で医者として働いている人宛てだった。手紙を書き終えると、ポンフリーは薬草を書いたメモと手紙を持って医務室を出た。

 手紙を学校ふくろうに預けて、次にポンフリーは薬草学のグラスゴー教授に薬草をもらいに行った。研究室を訪ねてもいなかったので温室へ向かったポンフリーは、温室の側の東屋で奇妙な光景を目にした。

 そこに集まっていたのはホグワーツの教授陣で、呪文学のフリットウィック教授がベンチの上に立っていた。2人掛けのベンチの隣には魔法生物飼育のケトルバーン教授が座っており、テーブルの上座に当たる場所には天文学のシニストラ教授が座っていた。そしてケトルバーン教授の向かいに薬草学のグラスゴー教授、フリットウィック教授の前には教授と対照的に背が高いグリス教授が座っていた。

 ポンフリーはそれを目にした時“不思議の国のアリス”の一場面を思い出した。気違い帽子屋の出てくるお茶会のシーンだ。紅一点のシニストラ教授が無口なアリス役ということになるのだろうか。咄嗟に引き返そう、とポンフリーは思った。頭がクラクラして、本当にワンダーランドへ迷い込んだようだった。

「おや、マダム。グラスゴー先生に御用時ですか?」

 踵を返そうとしたポンフリーに気付いて呼び止めたのはリオンだった。すると他の教授もポンフリーの姿に気付いて次々と声をかけてくる。ポンフリーは逃げ出すわけにもいかなくなって、正直に薬草をもらいに来たことを告げた。すると田舎の年老いた農夫を思わせるグラスゴー教授は、折角だからと言ってポンフリーをシニストラ教授の向かいに座らせた。

「今、丁度話が乗ってきたところなんですよ」

 キンキンとした高い声で、嬉しそうに告げたのはフリットウィック教授だ。ポンフリーはそうですか、と曖昧に微笑んでこの奇妙なお茶会に一時間以上捉まってしまった。話題は新薬の話から古代の妖精の話。占星術の有用性の話にまで至った。話者はフリットウィック教授とグラスゴー教授の古参組みにリオンが加わった3人だった。シニストラ教授は関心がなさそうな顔をしながらもじっと耳を傾けているようで、特に占星術の有用性に話が至ったときには時折口元を引き締めて――多分笑っていたのだろうと思う――いた。そしてケトルバーン教授はひたすらお茶菓子に手を伸ばし、ポンフリーは黙ってお茶を飲んでいた。

 やがてフリットウィック教授とシニストラ教授、そしてケトルバーン教授が授業時間ということで、話はようやく終了して解散した。そしてポンフリーは手の空いたグラスゴー教授にメモを渡して、やっと薬草を受け取ることができた。

「今日のお茶会は、一体誰が主催なさったのですか?」

 ポンフリーが尋ねると、採ってきた薬草を箱に詰めていたグラスゴー教授が手を止めて答えた。

「グリス先生ですよ。たまには良いものですな、他の教授とお話しするのも。グリス先生はお話も上手ですし」

 確かに彼はとても話題が豊富だった。古参の2人組みの話――ポンフリーにはとても付いていけない話――にも易々と付いていったし。

 ポンフリーはグラスゴー教授にお礼を言って、薬草の入った箱を持って温室を出た。ふと先ほどまでお茶をしていた東屋を見ると、そこにはまだリオンが腰掛けていた。ポンフリーが温室から出てきたことに気付くと、リオンは長身に似合わない軽い動きで東屋からポンフリーの側に下りてきた。

「お持ちしましょう、Madame」

 まるでそのために待っていたと言わんばかりの言葉に戸惑っているポンフリーを尻目に、リオンは彼女の腕から薬草の入った箱を取り上げた。

「なかなかユーモラスなお茶会だったでしょう?」

 手に何もなくなったポンフリーが歩き出すのを待って、リオンがそう言った。

「何故教授達をお集めになったのです?」

 ポンフリーに歩調を合わせるリオンは自然とゆったりした歩き方になっていた。普段もあまり颯爽と歩いているイメージはないけれど、足が長いので隣にポンフリーがいなければもう少し早足だろう。

「まぁ、思い出作り、ですかね。ここの教授達は魅力的な方が多いですから。私は大人数でお喋りするのが大好きなのですよ。集まってくれたのはあの4人だけでしたが、貴女も来てくれたので本当に楽しかった」

 子どものようにそう言って笑うリオンに、ポンフリーも思わず頬が緩んだ。こういう若い教師が同僚のコミュニケーションを図ってくれるのも良いことなのかもしれない、とポンフリーは思った。それでなくても殺伐としてしまいがちな状況なのだから。

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