渡りの徒 再会の途

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 とはいえ、やはり奇妙なお茶会であったことには変わりなく、ポンフリーはここ2日で疲れを溜め込んでしまっていた。お茶会から一晩明けて、ポンフリーは朝から薬の調合を始めていた。いよいよ期末テストが近づいて、生徒も体調を崩して医務室へ来るより期末テストの勉強に懸命になっているのだろう。来室する者は少なく、無心に薬を調合しながら、ポンフリーは何とか自分の疲れを癒そうとしていた。

 後はじっくりと煮詰めるだけとなった小鍋を放っておいて、ポンフリーはようやく椅子に落ち着くことができた。紅茶でも淹れようか、と思ったところに訪ねてきたのは、体調を崩した生徒などではなく彼女の同僚で、ホグワーツの副校長でもある女教授だった。

「日本から取り寄せたのよ。お茶でもどうかしら」

 そう言って事務室まで入ってきたミネルバは、テスト作成の息抜きだろうか。表情に少し疲れの色を見せていた。それでなくても副校長という立場にいれば気苦労も多いだろう。ミネルバとは同年代の同僚として特に親しくしていた。それもあって校長が学校を空けることが多いこの頃、ポンフリーはミネルバの体調が心配でならないのだ。

「Green Teaね。ご相伴にあずかろうかしら」

 少なくとも彼女とのお茶だったら、昨日の奇妙なお茶会になることだけはない。自分の疲れも、他人の疲れを見ると吹き飛んでしまう。これも性分だろう。

「どうぞ。煎れてくれるのかしら?」

 立ち上がったポンフリーに、少し申し訳なさそうにミネルバが言った。ポンフリーは柔らかく微笑んでお茶を受け取ると、ミネルバを椅子に座らせた。座ってすぐに、ミネルバは小さく溜息をついた。本当に疲れているようだ。

 ポンフリーはお湯を沸かし、他にどうしようもないので紅茶用のポットを使ってミネルバの持ってきた緑茶を煎れた。ティーカップでは少ないかと思い、マグカップを2つ用意する。紅茶のような蒸らし時間は要らないだろうから、ポンフリーは1分くらい待ってすぐに茶漉しを使って緑茶をカップに注いだ。紅茶よりも渋めの、清々しい香りが事務室に広がった。それを吸ったミネルバの表情が、ようやく和らぐ。

 片方のカップをミネルバに渡し、もう片方を持ってポンフリーも椅子に座った。湯気の立つカップを両手で持って口元に近づける。緑色の飲み物なんて、薬くらいしかお目にかかったことはないけれど、主に日本で生産されるというこのお茶は普通に若葉の色をしている。ミネルバは数ヶ月前に初めて購入したこのお茶をとても気に入っているようだった。ポンフリーも嫌いではない。色を見たときはどんな味がするのかとても不安だったけれど、お茶の一種なのだ。紅茶よりも青い味がするけれど、とても落ち着く味だと思う。

 2人はしばらく黙って緑茶を口に運んだ。窓から見えるホグワーツの森は、お茶の色よりも濃い緑色をしていた。

「グリス先生のこと?」

 突然の話題に、ミネルバは明らかに戸惑いの声を上げた。ポンフリーも何故自分がそんな話題を選んだのか分からず、必要以上に慌ててしまった。

「あ、何て言ったらいいかしら。とても不思議な人だと思うのだけれど、貴女にはどう見えているのかしらと思って」

 しどろもどろになってようやく言い訳したポンフリーに、ミネルバは最初不審そうな顔をした。しかしポンフリーの疑問はミネルバにとっても考える価値のあることだったようで、しばらくミネルバは適当な言葉を探すために沈黙した。ようやくミネルバはポンフリーの方を見て、若い同僚教師を表してこう言った。

「風のような人ね」
「風?」

 それはとてもミネルバらしくない発言だった。彼女はロマンチストではないし、人を評するときはとても真剣に、的確に、比喩など用いずに表現する人だったからだ。ミネルバは自分でも“らしくない”と思ったのか、頬を赤く染めると咳払いをして続けた。今度は彼女らしく、もっと具体的に、批判もきちんと混ぜた答えだった。

「生徒には慕われているし、それはまぁ、甘すぎるところも見受けられるけれど、同僚としても気持ちの良い人だと思いますよ。でも、これからまた後任の先生を探さなくては」

 ミネルバはほう、と溜息をついた。ポンフリーは口に含んでいた緑茶をごくりと飲み下した。お茶と一緒にミネルバの言葉も飲み下す。するとお茶は熱を持ったまま食道を伝って下っていき、反対に言葉は喉元から脳へ上っていくような気がした。胃へ達したお茶。脳へ達した言葉。ポンフリーはぼんやりと開けた口から驚きの言葉が漏れるのを止めることができなかった。

「え? ……退職されるの?」
「えぇ、元々2年だけという契約だったそうよ。アルバスも、最初から言ってくれれば慌てずにすんだのに……」

 またほう、と溜息をついたミネルバを見るでもなく、ポンフリーは呆然と呟いた。

「……残念ね」

 その言葉にミネルバが興味深そうにポンフリーを見詰めた。ポンフリーは何となく意気消沈していた。

「え、あの……ほら、リーマスがよく懐いていたから。きっと、寂しがるわ……」

 都合よく引っ張り出してきた言い訳に過ぎないと心のどこかで皮肉しながらも、ポンフリーは何故こうまで自分が落ち込むのか分からなかった。

「そうね……。私からも来年以降も勤めてくれないかと打診したのだけれど、一ヶ所に長くいられない性質だからとかわされてしまったわ」

 そう、としかポンフリーは言えなかった。そのつもりだったのか、と。昨日リオンが漏らした言葉はそういうつもりだったからなのだ。

 まぁ、思い出作り、ですかね。

マグカップの底に残った一番渋いお茶を飲み干し、お茶の味そのままに、ポンフリーは渋い顔をした。


 それからもう一杯緑茶を飲んで、ミネルバは次の授業があるからと席を立った。ポンフリーは丁度職員室へ行く用事があったので、煮込んでいた鍋の火を落とし、ミネルバと一緒に医務室を出た。落ち込む心を疲れのせいにしてミネルバと歩いていると、職員室の前でリオンと占い学のトレローニー教授が話しているのを見ることができた。普段は塔から出てこないトレローニーが職員室の前にいることに正直に驚きを示したポンフリーだが、その隣で音がしそうなくらい青筋を浮き立たせているミネルバに怯んで、ミネルバに話しかけることだけは避けた。やがてトレローニーはすうっとリオンから離れて塔へ戻っていった。ミネルバはトレローニーの姿が見えなくなるまで立ち止まり、姿が見えなくなると大股でリオンに近づいていった。リオンは凄い形相のミネルバと、隣を小走りで付いてくるポンフリーを見止めると、2人に向かって少しだけ頭を下げた。

「トレローニー先生と何を?」

 そのまま首を締め上げかねない様子のミネルバを見ても、リオンはいつもの穏やかな雰囲気を失わなかった。

「占いをしていただいたのですよ。結婚運を」

 もう2年も付き合いのある同僚なのに、その言葉でようやくミネルバもポンフリーも、リオンが妙齢の男性であることを実感した。ミネルバは少し落ち着きを取り戻した様子だが、それでもトレローニーとの確執は最早どうあっても解けないようで、鼻で笑うように皮肉った。

「良い結果が出ましたか? まぁ、出たとしても当たるとは思えませんが」

 2人の仲の悪さというか、相性の悪さはリオンも知っているようで、ミネルバの皮肉にも苦笑で応じた。

「私はトレローニー先生の能力は侮れないと思うのですが……。私の運命の相手は1500年前にいたそうですよ。次が巡るのは300年後だとか」

 それみたことか、と言わんばかりにミネルバが鼻を鳴らした。ポンフリーもその占い結果はあんまりな気がしたが、当のリオンはどうやら気に入っているようだ。

「そんなに待たなくても、良いご相手は見つかりますよ。なんなら校長先生にご相談して紹介していただいたら良いのです」

 そこまで真剣に考えてはいませんので、とリオンは逃げるように言った。ポンフリーはそんなリオンの困ったような笑顔を見ながら、来年はこうして笑う人はいないのだな、とぼんやりと考えていた。


 疲れも溜まり、そして何故か昨日はリオンの退職を聞いてやけに落ち込んでしまったポンフリーは、その日学校ふくろうから一通の手紙を受け取った。それは彼女が2日前に魔法省で働く夫に宛てた手紙の返事だった。ポンフリーは自分に気合を入れなおし、夫の手紙を開いた。

 その手紙には魔法がかけられていたので、ポンフリーは杖を取り出して手紙に向けると、自分の名前を呪文として唱えた。ポンフリーが送った手紙には夫の名前と声で内容が読めるようになる魔法がかけてあった。今度はそれと逆だ。ポンフリーの名前と声で読めるようになった手紙には、夫自身の近況と、ポンフリーが相談した内容に関することが書かれていた。

 夫自身周囲に訊いたり、文献を探ってくれたようだった。ひとつの文献に行き当たったが、混ぜる材料が1つだけ特定できなかったと書いてあった。引き続き探してみるよ、と優しく書かれた文面に、ポンフリーは少しだけ疲れと落ち込みが解消された。

 午前中は夫の手紙のおかげでほんわりとした温かさのまま過ごすことができた。夫の記してくれた薬の材料をメモに書き記して、ポンフリーもその薬について図書館で調べた。午後になって、ポンフリーは疲れと落ち込みの原因であるとも言える――またはそうとは言えない――男の訪問を受けた。闇魔法に対する防衛術のリオン・グリス教授は、何と教材として飼っていたグリンデローに咬み付かれたと言って医務室へやってきて、ポンフリーに右の手を差し出した。

「どうも試験でこき使われそうなのが分かったようで。反抗されてしまいました」

 そう深い傷ではなかったので、ポンフリーはさっと手際よく治療を終えた。

「退職なさるそうですね」

 ポンフリーは知らないと思っていたのだろう、リオンは目を丸くして驚いた。しかしすぐに納得したように頷いた。

「あぁ……、マクゴナガル先生からですか」

 ミネルバに訊かなければ新学期になるまでリオンが退職したことに気付かなかっただろうことに思い当たり、ポンフリーは憮然とした。そして何も告げずにいなくなるつもりだったのだろう人を睨むと、言った。

「貴方は、教師という立場を好いていらっしゃると思っていました。生徒達をずっと指導していくことはできないのですか?」
「マクゴナガル先生にも言われました。しかし、これはずっと決めていたことですから」

 リオンはあっさりとそう言うと、ちらりとポンフリーの机へ視線を走らせた。ポンフリーもつられて机を見たが、机の上にあるのは薬の材料名をメモした紙だけだった。ポンフリーが机に何か? という視線を向けると、リオンはニッコリと笑って誤魔化した。

「それに、私が彼らにしてやらなければならないことは、ここを離れても行えることばかりです。ここにはダンブルドアは勿論、マクゴナガル先生も、フィリットウィック先生もいます。マダム、貴女も」

 そう言って見詰められて、ポンフリーはリオンの目を見返した。頭の中でハレイションが起こる。するとリオンの背後に広がる空が、見慣れたホグワーツの空とは違って見えた。もっと目の眩むような、太陽の光溢れる地中海の空。遠く波音が聞こえる。

「……昔、何処かで会ったことが?」

 そう尋ねると、リオンは眩しそうに目を細めた。

「ありますよ。貴女は人を癒す仕事がしたいと言ってはりきっていた。とても眩しいMademoiselleだった」

 細められた優しい瞳。夜に闇を映す海に良く似た輝きを、ポンフリーは確かに目にしたことがあった。そして頭を撫でる大きな手の暖かな感触を確かに知っている。

「今、充実した生活だと思っているかい?」

 そう問われて、ポンフリーの頭には生まれてから今までのことが走馬灯のように浮かんでは消えた。そしてつい最近、夫に手紙を送ったこと、そしてその返事が返ってきたことを思い出し、胸が熱くなった。

「えぇ……、とても」

 少し瞳を潤ませて微笑んだポンフリーに、リオンは自分も微笑んだ。それは慈愛に満ちた父のような、兄のような微笑みだった。

「あぁ、それは良かった」

 安心したような呟き、それから後のことは、ポンフリーはよく覚えていない。ただ気付いた時には傷の手当てをしたことに礼を言って、リオンは研究室へ戻ってしまっていた。ポンフリーがリオンと2人きりで話をしたのは、それが最後だった。

 期末試験が終わり、生徒を家へ送り出す忙しさの中で、リオン・グリスという若い教師は風のようにその姿を消していた。生徒には今年1年間の授業評価を、そして医務室にあるポンフリーの机には見慣れぬ薬の材料名をひとつ残して。

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