ダンスレッスン
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それはホグワーツでの社交界デビューとも言えるダンスパーティに向けて、そろそろ男子生徒が意中の女子生徒にアタックを開始し始めた時のこと。
リーマスは満月日直後のパーティには出られないことが確定しているので、周囲がやや慌て始めても相変わらずのんびりといつも通りの生活を送っていた。シリウスは当日リーマスに付き合うことに決めていたから、自らアタックしてくる女生徒を――ジェームズ達にしてみれば数えるのも恐ろしいくらい多く――撃沈させていた。ピーターは3日ほど前に、今年付き合い始めたレイブンクローのマギーにダンスを申し込み、無事に彼女との約束を取り付けて万々歳だった。
残るは彼らのリーダーであり王様、ジェームズ・ポッターだけだった。しかし彼は多少の回り道をしながらも、今年無事にリリーと恋人となったのだから、改めて誘うまでもなく、ジェームズの相手はリリー・エヴァンスだと皆が思っていた。だからといって、正式な申し込みもなしにリリーがジェームズと踊るとは誰も思っていなかったし、ジェームズだってそんな思い上がりの気持ちは持っていなかっただろう。周囲がパートナーを決定しだした時期を狙って、ジェームズはリリーのところへ申し込みに行くのだろう、とシリウス達は考えるともなしに考えていた。
そしてその時期がやってきて、周囲はどんどんパートナーを決め出してきた。しかしジェームズはまだリリーに申し込んでいないようで、流石にこれ以上待たせるのは良くないとお節介ながらシリウスやリーマスが注意しようと思い出した頃のこと。
「シリウス! シリウス、どうしよう」
家からの手紙を読んで顔を青くしたジェームズが――珍しく吼えメールではない普通の手紙だ――ベッドに長い足を放り出して本を読んでいたシリウスに飛びついた。その時ピーターとリーマスは、リーマスのベッドで素人チェスをやっている途中だった。シリウスは落ち着いた様子で本を閉じると、ジェームズの肩を叩いてこう言った。
「ジェームズ、何があってどう困っているのか、順序立てて言ってくれ。助けられることだったら助けるから」
ジェームズは親友の頼もしい言葉に一瞬目を輝かせ、しかし自身に降りかかっている問題を思い出してすぐに真剣な表情に戻った。
「僕は重大なことに気が付いた」
「そうか」
どうやらそれが結論らしい。シリウスはとりあえず頷いて見せた。ジェームズはシリウスの両肩を掴むと、本当に深刻な顔をして呟いた。
「どうしよう、シリウス。僕はリリーをダンスに誘えない体なんだ」
呟いたと言っても、静かな部屋にジェームズの声はとても良く響いた。ピーターとリーマスはチェスの盤から目を離して、両者とも呆然としている。シリウスもジェームズの撒いた爆弾に一瞬意識を失いかけたが、そこは相棒、何とか持ち直して痛む頭を押さえると考えた。
「……ちょっと待ってくれ。君は表現を誇張しすぎる癖があるからな。上手く解釈しないと。リーマス、どういうことだと思う?」
もうすっかりチェスをやっている余裕のなくなったリーマスに話を振ると、リーマスは呆然としながらも自分なりの答えを返した。
「……踊り方を知らないとか?」
なるほど、と頷いてシリウスはジェームズに確認した。
「そうなのか? 家で教わらなかったのか?」
そう尋ねると、ジェームズはぶんぶんと頭を横に振り回して否定した。
「違うよ。踊り方は知っている。ワルツもルンバも、ステップはどれでも知っているよ」
「今更リリーと向かい合って踊るのが恥かしい、とでも言うつもりじゃあないだろうな」
シリウスが言うと、ジェームズは眼鏡の奥で目を丸くした。そして急に締りのない顔になったと思うと、恥ずかしそうに頭を掻いて遠くを見る目になった。
「あ、うん。確かにそれもあるね。何と言ったって彼女は……」
惚けた顔をしたジェームズにしまった、地雷を踏んだとシリウスは思った。このままジェームズに喋らせたら夜も眠らせてはくれないだろう。のろけ話に思い出し笑い。夜中に急に笑い出された時には頭を殴って昏倒させるしか奴を止める手立てはないのだ。
「ストップ! それは後回しだ。いい加減はっきり言ったらどうなんだ? ジェームズ。何が不安なんだ、一体」
シリウスが怒鳴ると、ジェームズは夢から覚めたように高揚していた頬を一気に青くした。舞い上がった分だけ落とされたようなジェームズの落ち込みぶりに、シリウスもリーマスもピーターも驚いてしまった。3人にはジェームズがリリーを誘うことに、障害となるようなものは何もないと思えたからだ。
「……僕は呪われているんだ……」
ジェームズはぼそりと呟いた。低い、とても低い声で。
「何だって?」
シリウスが聞き返す。これは声が聞こえなかったわけではなくて、単に耳に入った言葉が信じられなかったからだ。
「呪われているんだよ。そうとしか思えない!」
ジェームズは泣きそうになりながらそう訴えるが、シリウスにはジェームズが何かの呪いにかかっているようには見えなかった。リーマスとピーターの方を見るが、2人も戸惑ったように首を横に振った。
「そう思う理由を50語以内で述べよ」
だからシリウスはそう言ってジェームズに説明を促した。しかしジェームズはその言葉を聞いている余裕は全くないらしく、肩を掴んだままシリウスの体を前後に揺すった。
「シリウス! 助けてくれるだろうね。僕らは友人だ。親友だろ!」
その親友の首をへし折る気か、とシリウスは心の中で叫んだ。ジェームズがあまりに激しく体を揺さぶるものだから、脳みそがぐちゃぐちゃにミックスされてしまう。シリウスは意識を失う前に、力を振り絞って肩を握るジェームズの手を払い除けた。ジェームズの、また肩を掴もうと彷徨う手を押さえつけるとシリウスはゆっくり、はっきりと言って聞かせた。
「分かった。助けるよ。だから人の言うことを聞け。いいか! 呪われていると思う理由を! 50語以内で述べるんだ!」
「……踏むんだよ」
とても言い辛そうな顔をして、ジェームズはまたぼそりと言った。
「は?」
今度も耳に入った言葉が信じられなくて――というよりは理解できなくて――シリウスは聞き返した。するとジェームズは顔を真っ赤にして唇を噛んだ。そしてベッドから飛び降りると子どものように地団太を踏んだ。
「足を踏んでしまうんだよ! 1曲の中で5回以下だったためしはない! 先生の足を踏みすぎて、赤く腫れさせたくらいに! これでリリー相手に踊れると思うか?」
一体何を言い出すのだろう、と3人は思った。そして考えるとなるほど、先程ジェームズの読んでいた手紙にはあまりにダンスの下手なジェームズを心配した彼の母親が、踊れるようになったのかと家の様子を伝えるついでに訊いてきたものだったらしい。ジェームズはきっとダンスのことなど思い出したくもないと思っていて、手紙を読むまでは本当に思い出さなかったらしい。多分、リリーを誘う言葉だけは様々考えていたに違いない。しかし手紙を読んで現実に引き戻された。彼女を誘っても、肝心のダンスが踊れないのでは話にならないではないか。
「それは……呪いなの?」
リーマスが部屋を徘徊するジェームズに対して、慎重に尋ねた。
「もしかして単に踊りが下手だとか……」
ピーターもそれが地雷と知っていながら、訊かなければならないと思ったことを訊いた。
するとジェームズは部屋中を歩き回っていた足を止めて、駆け足でピーターとリーマスのいるベッドの上に飛び乗った。質の悪いスプリングで大きく跳ねて、ピーターとリーマスのチェス勝負はそこで強制終了となった。
「失敬だな! ステップは完璧だって言っているだろう? それに僕は運動神経の神様だ。だから呪いなんだよ、絶対に!」
と主張するジェームズに、リーマスとピーターはとりあえず頷いた。こうなったジェームズは巨人族よりも恐ろしいのだから身を守るためには仕方ない。
従順に頷いたリーマスとピーターと違って、シリウスは余裕顔だった。必死に笑いを噛み殺しながら声を絞り出す。
「……確かにそれでは踊れないなぁ。踊りの途中で相手の足を踏むなんて最低だものな」
その言葉にピクリとジェームズの肩が動いた。するとジェームズは先程の勢いを一気に失って、ふらふらとリーマスのベッドから降りると、シリウスのベッドに寄って、投げ出されたシリウスの両足を掴んだ。リーマスにはその背中からジェームズが本当に参っている様子が見て取れた。シリウスの“最低だ”という言葉に、相当傷ついたようだった。
「だから! 助けてくれよ、シリウス」
ぼろぼろに打ちひしがれて神に助けを求めるがごとく哀願するジェームズを、シリウスはしばらく楽しそうに見ていた。しかしシリウスは無慈悲な神ではない。ジェームズの親友だ。幾分この状況を楽しみながらも、ジェームズの哀願を聞き入れて答えた。
「仕方がない。リリーのためだ。ピーター。君も出るんだよな、ダンス。踊れるのか?」
シリウスに突然尋ねられて、ピーターはしばらくの間固まった。その間何を逡巡したのか分からないが、ピーターは数秒後、呆然として答えた。
「え……あ、忘れてた。僕、踊れない」
ピーターの言葉に、シリウスはがっくりと肩を落とした。
「忘れるなよ、そんなこと……。よし! 2人とも今日から特訓だ!」
ジェームズがシリウスの呼びかけに、おう、と応える。ピーターも遅れてそれに応えた。そしてはりきる3人に目を細めて、これからこの部屋は毎日仮設ダンスホールになるな、とリーマスは思ったのだった。