僕らの宴

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 男子寮の廊下から俺達の4人部屋に通じる扉を開けた瞬間、俺は思った。
 今日は何の日だっただろう、と。


 俺がそう思った原因というのが、俺達の4人部屋を開けた瞬間の印象だった。部屋には何となく浮かれた雰囲気というのが漂って、いや充満していたのだ。勿論特別な理由もなく、何となく浮かれた気分になることもあるだろうから、特に何の日、というわけでもないのかもしれない。だが、俺を除外した3人が揃って理由なく上機嫌という場面はどうにも釈然としないものがある。それも、俺がふくろう便を出すために部屋を空けたほんの数十分の間に突然上機嫌になるなんて。

 俺が部屋を出ていた数十分の間に、今日という日に特別な意味があると誰かが気付いたのかもしれない。それを伝え合ったから3人が揃って上機嫌で、当然部屋にいなかった俺はその伝達経路から外れていて上機嫌になり損ねた。ふむ、ありえない話ではない。けれどもっと蓋然性の強い考えがあるのではないだろうか。俺がすぐに思いつかないような理由で、3人が3人とも上機嫌になる日なんて、確かにありえなくはないけれど最もらしさに欠ける。もっともっと単純な理由が、と俺が考えたところにジェームズが部屋に戻ってきた俺に気付いて声を上げた。

「シリウス〜。聞いて! リーマスが……」

 いつもよりも少し裏返った安定感のない声に不自然さを感じて、俺の眉間には皴が寄る。勿論、意味深に途切れた言い方にも不信感はあった。

「リーマスがどうしたって?」

 上機嫌の理由はリーマスなのか? と俺が疑ったところに、ジェームズは一直線に飛び込んできた。俺の頭の中を非常警報が唸りを上げて音を発した。上機嫌だって? シリウス・ブラック。もっとよく観察しろ。ジェームズの上気した頬。眼鏡の奥の瞳は潤みがちで、一直線に、とは行っても全力で走ってくる足元はどこかおぼつかない。

 知っている。人がこんな状態に陥る理由を。ホグワーツでは滅多に見かけないけれど、それはやはり色々なことに興味を覚えるお年頃なのだから、たまに冒険に出かけてしまう奴だっているはずだ。俺だって、ホグワーツの外ではもうその冒険をしていた。ただ俺は彼と違って、きちんと帰ってきたけれど。

「うわっ! ジェームズ! 君、酒臭っ!」

 飲酒という冒険に出て道に迷ったジェームズからは、顔を顰めるほどアルコールの匂いが発散されていた。俺はそのあまりの臭いに体から引き離そうと肩を押すのだけれど、酔っ払いは益々力を込めて俺にしがみつく。頬を伝った涙も、鼻の下に流れ出た鼻水も俺の服に全部押し付けて!

「リーマスがね〜、僕を置いてお嫁に行っちゃうっていうんだよ! 酷いだろ!」

 うわっ、泣き上戸のジェームズ・ポッターというのは正直かなりウザイ。ジェームズの心情をよく反映する髪が揃って下向きなのも気持ちが悪い。俺は本気でジェームズの体を突き飛ばしてしまおうと力を込めたけれど、酔っ払いの馬鹿力というのは恐ろしい。ジェームズは磁石よりも強烈にくっついて、俺から離れなかった。

「ジェームズ! リーマスは男だから嫁には行けない! というか、臭いから離れ……」

 すっぽんのように俺の背に腕を回して離れないジェームズを、両手で押しやりながら俺が悲鳴を上げると、部屋いっぱいに響き渡る声で怒鳴られた。

「うるさいよ! シリウス!」

 驚いた俺がそれでもジェームズを押しやりつつ首を巡らせると、怒鳴り声が発せられた方向に立っているのはピーターだった。

「ピーター?」

 なのか? いま俺に怒鳴ったのは。

「静かにしていて! 集中できないから!」

 信じられない思いだった俺に、ピーターは事実を突きつけるようにしてまた怒鳴った。彼の顔も、ジェームズに負けず劣らず赤い。間違いなく彼も酒を飲んでいたのだ。そして疑うすきもなく酔っている。典型的な怒り上戸だ。

「集中って……何をやっているんだ? ピーター」

 ピーターは床に両膝をついていて、顔が真っ赤になるくらいに――酔いのせいもあるから本当に真っ赤だ――踏ん張っている。何だろう、これは。宴の席での一発芸か? 今からとんでもないことが起こったりするのか?

「見て分かるでしょう! 筋力トレーニングだよ」

 しなかった。

「はぁ……」

 残念ながら俺には酔っ払いが地球に挑戦しようとしているむなしい姿にしか見えない。

「僕、バナナを素手で握り潰せるくらい強くなるんだから! 邪魔しないで!」

 邪魔はしないが、今でもバナナくらいは十分握り潰せると思うぞ、ピーター君。再び地球に挑戦して赤ら顔のピーターは放っておくことにして、俺はようやくジェームズを引き離すことに成功した。一息ついて、それからもうひとりの友人を恐る恐る見やる。

「リーマス、まさか君も……?」

 リーマスは自分のベッドの縁に座っていた。一見してとても大人しい。

「お帰り、シリウス」

 そう言って出迎えてくれた彼は呂律が回っていないということもないし、普段通りのリーマスに見えた。

「良かった……君は飲んでいないんだな」

 安心できたのも束の間。彼は薄紫色の瞳をきらきらと輝かせて俺に笑いかけた。

「あのね、僕、今とっても楽しい気分なんだ」

 あぁ、眩しくて目を開けていられないほど輝いている。これがただの錯覚か、別の状況であれば俺も快く笑い返すことができたというのに。

「……やっぱり飲んでいたのか……」

 血色良く色づく頬は、明らかにアルコールがもたらしたものだ。そして右手のグラスに入っている飲み物からは確かなアルコール臭がする。

「これね、魔法の飲み物なんだよ! ジェームズが持ってきてくれたの。これを飲むと楽しくなるって。シリウスも飲もう?」
「いや、リーマス、俺は遠慮……」

 満面の笑みで琥珀の飲み物を押し付けてくるリーマス。これが酒だと分かっていれば、リーマスは断固として口にはしなかっただろう。そこら辺は付き合いの長いジェームズだ。リーマスの反応はお見通しの上で酒だということを上手く誤魔化したに違いない。

 素面に戻った時、リーマスにどんな反応をされても俺は助けないからな、ジェームズ。俺は無理やり引き剥がした泣き上戸のジェームズを睨み付けた。すると酔っ払い帝王は突然立ち上がって、リーマスの持っていたグラスを引っ手繰ると大口を開けて笑い出したのだ!

「飲め、飲め! そして僕と一緒にリーマスがお嫁に行くのを阻止するんだ!」
「あはは! 僕がお嫁に行くの? どこに? シリウスのところ?」

 おっと、リーマス、笑顔で爆弾発言。待ってくれ、酔っ払いに冗談は通じないのだから。俺が恐る恐るジェームズの表情を伺うと、彼は先ほどまで笑っていた目をすっかり怒らせて、酔いと怒りに顔を真っ赤にして怒鳴った。

「何! シリウスのところに? 許すまじ、シリウス! 君という男はいつの間に僕の大事なリーマスを誑かして……」

 結局ジェームズは泣き上戸と笑い上戸と怒り上戸の複合タイプなのか、何て迷惑なところばかりを揃えたのだろう。

「誑かしてなんていない! 落ち着け、ジェームズ。繰り返すが、リーマスは男なんだから嫁には行かない! というか、行けない!」

 俺が怒鳴るとピーターも怒鳴る。

「もう! シリウス、静かにしてってば! バナナが逃げちゃうでしょう!」

 待て、魔法でもかかっていない限りバナナは逃げない。そもそも君はバナナを追いかけていたわけではないだろう、ピーター。本来の目的を見失っているぞ。あ、待て。元々握りつぶせるバナナを握りつぶすことを目標としていたのだから、本来の目的もあってないようなものか。

 俺が混乱している間もジェームズはリーマスをとったと言ってしきりに俺を責めるし、リーマスは涙目なりながら笑っているし、ピーターは益々自分のしたいことを見失って、それでも怒っている。彼らにとっては宴かもしれないけれど、俺にとってはカオスだ。酒は飲んでも飲まれるな。その言葉を明日は全員の脳みそにしっかり刻んでやらなくてはならないだろう。

「…………あぁ、もう! いい加減にしろ! 酒宴は終わりだ! 君達3人共、さっさと寝てしまえ!」

 ぶち切れた俺が怒鳴ると、あれほど煩かった場は一気に静かになった。しまった。きつく言い過ぎてしまっただろうか。この上全員揃って泣き出したら俺の手には負えなくなってしまう。かと言って、騒ぎを聞いて駆けつけたマクゴナガルにこのすさまじい臭いを嗅がれたら、減点とトロフィー磨きだけではすまされない事態になってしまうぞ。

「あ、あのな……」

 ちょっとばかりきつく言い過ぎたよな、と俺は慌てて彼らの機嫌をとろうとした。こんな時にひとりだけ素面だと絶対に損だ。かといって今から自分も酔ってしまうには遅すぎる。

 しかしうろたえる俺のことなど関係なく、いつもよりももっとマイペースに彼らは顔を見合わせた。泣き出す様子はなく、皆一様に目をぱちくりさせている。

「もう寝ろって」

 つき物が落ちたように大人しくなったピーターが言うと、リーマスがにこりと笑って答える。

「うん、眠いものね」

 リーマスが言えば、ジェームズがそれに逆らうわけもなく。

「よし、寝よう!」

 とんとんと話は進んで、すとんと決着してしまった。カオスよ、さようなら。長居はして欲しくなかったけれど、こうもあっさり追い払ってしまうのも申し訳ない気がする俺は優しすぎるのか。

「「「シリウスと!」」」

 俺がちょっとばかり同情したものだから、カオスが再びやってきた。仲良く声を揃えて、君達は誰の名前を口にした?

「はぁ? ま、待て! 全員は無理……」
「とうっ!」

 分かっていた。分かっていたとも。普段でも待てと言って待つような男ではないのだから、分別を失った状態ではなおさら言うことをきかないだろう。だからって、とうっ! じゃあないと思う、正直本当に勘弁してくれ。


「……あの、ジェームズさん?」

 片腕を抱え込まれたまま、俺はベッドに仰向けになっていた。左にはジェームズがまだ俺の腕をしっかと抱えたまま横になり、右側にはリーマスが、そしてそのさらに右奥にピーターが寝転がった状態で並んでいる。勿論ベッドを縦に使った状態で15の俺たちが4人も寝転がれるわけがないから、ベッドの向きは横だ。

「うむ、何だね、シリウス君」

 そして横の状態だと当然、ベッドは短い。

「足がベッドから出るんですが……」

 俺の場合は完全にベッドの縁から膝より下が出ている。一番背の低いピーターだって、脛から下がベッドからはみ出ているではないか。

「曲げればいいんだよ」

 右側からニコニコ顔でリーマスが言う。えぇ、貴方の言うことは最もですが、何故そこまでして4人一緒に寝なければいけないのだ? ちゃんとこの大きくなった体でも十分くつろげる広さのベッドが各人分あるというのに。だがそんな正論、酔っ払い相手に言ったって仕方がないのだ。正論であればあるほど、酔っ払いはそれを否定したがるものなのだから。それに俺だって、いくら酒の力を借りているとはいえ、いつになく陽気なリーマス相手に、素面の正論をぶつけてニコニコ顔を台無しにしたくはない。まったく君達は、君達にめっぽう甘い俺に、酔いが醒めてから存分に感謝するべきだ。

「そう、曲げればいい! そして寝るのだ!」

 はい、はい。おっしゃるとおりにいたしましょう。でも曲げたら曲げたでベッドが狭いのだが。無駄と知りつつもそれを訴えようと左を向くと、ジェームズの顔が近くにあって。

「……って、寝るの早っ!」

 彼は眼鏡をかけたままもう目を閉じていた。慌てて右を見ると、リーマスも、その奥に横たわっているピーターも先ほどの騒がしさが嘘のように眠っている。最初から泣き上戸だの怒り上戸だのやっていないで、さっさと眠ってくれれば良かったのだ。そのあまりの呆気なさに俺が盛大な溜息をついたとしても、誰も咎めたりはしないだろう。

 俺はジェームズにがっしりと掴まれた左腕を使わずに、苦心してジェームズの顔から眼鏡を抜き取った。腰はリーマスにしがみつかれているから、本当に苦しい体勢で少しだけ上半身を起こすと、抜き取った眼鏡を隣のベッドに放り投げる。それからピーターの横に丸まっていた布団を何とか手繰り寄せて、4人の体が収まるように布団をかけた。アルコールが抜ける時には寒くなってしまうだろうけれど、こうして4人くっついている状態だったら大丈夫だろう。全く、世話を焼かせてくれる。

「シリウス……大好きだ」

 酔いと眠気で口をもにゃもにゃさせながら、ジェームズが寝言を言った。漂うアルコール臭にさえ酔ってしまうほど俺はアルコールに弱いわけではないけれど、その言葉にはちょっと頭が揺れた。

「……はいはい。俺も君達を愛している」

 でも、できればその言葉は素面の時にたくさん言って欲しい。そしてどうせ酔うなら、アルコールにではなくてもっと他のものに酔いたいと思う。例えば、4人分のこんな温もりとかに。

 俺は酔っ払いに囲まれながらもう一度布団をしっかりとかけなおして横になった。彼らの言う通り、ベッドからはみ出る足は曲げて、腕をジェームズに、腰をリーマスに掴まれつつ窮屈な姿勢で。とりあえず、宴の後始末は明日に回すことにして、お休み、酔っ払いども。明日は開口一番で言ってやる。

「俺は君達が大好きだ」

 それから冒険好きの君達にお説教だ。冒険に出るのはいいけれど、帰れるうちに止めておきなさい、と。

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