僕らのつく嘘の数

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 つくつもりのなかった嘘。
 ついたつもりのなかった嘘。
 ついていると知らなかった嘘。

 シリウスは昔から自分に正直で、しかも他人には誠実だったから嘘をつくという行為は下手だった。ジェームズはシリウスの親友で、魂の双子を主張できるくらいにシリウスのことをわかっていたので、元々嘘の下手なシリウスが嘘をつけば、それを完全に見破る自信があった。だから5年生の時、シリウスの父親が死んでから2人にとって最も重要な事実をシリウスがひた隠しにしていたなんて、ジェームズは考えもしなかった。

 いいや、2人が昔のまま、出会った時のままであればジェームズも気づいていたのかもしれない。しかし生憎彼らは昔とは違ってしまっていた。それは成長と呼ばれる類のものであったのだろう。けれど成長は正にも負にも働くものだ。ジェームズもシリウスもただ単純に正の方向にだけ成長できたのではないことは明白だった。

 1年ずつ卒業が近づくにつれて、箱庭であるホグワーツの外部はますます暗黒に染められていた。ジェームズ達の箱庭にも、綻びが生まれて無視できないくらいになっていた。寮同士の派閥的な争いが目に見えて多くなっていた。特にグリフィンドールとスリザリンはお互いを非難しあって憚らない。口論がしばしば杖を使った決闘沙汰になることさえあった。箱庭の中でもそんな状況なのだ。外ではそれこそ血で血を洗うような抗争が繰り広げられていた。ポッター家の親類にだって、命を落とした者達がいる。特に昨年の秋に亡くなったジェームズの叔父は、とても大らかでジェームズの悪戯心を理解してくれる貴重な大人の1人だった。そのたった1人の兄弟を失った父の悲しみようといったら、見ていられないほどだった。

 暗い影の支配するようになったポッター家に、ジェームズは少しでも明るい話題を届けてやりたいと思っていた。今年、ジェームズはホグワーツを卒業する。ジェームズはクリスマス休暇に、卒業後の計画を両親に打ち明けるつもりだった。悲しいことだけれど、家族には時とともに去っていく者がいる。それは事実だ。そしてまた、時とともに新たに家族に加わる者がいる。それも事実だった。

 リリーと結婚することを、ジェームズは両親に打ち明けるつもりだった。すでにリリーとの交際は話してある。彼女がマグル出身の魔法使いであることも。こんな時期に、と言われるかもしれないが、こんな時期だからこそ結婚したいのだとジェームズは訴えるつもりだった。こんな時期だからこそ、新しい家族を守って、親友の隣で未来を切り開きたいのだ。それは希望によく似た想いだった。

 しかしジェームズは帰宅した夜に思い知らされる。自分を囲む世界が、いつの間にか嘘で塗り固められていたという真実を。嘘の下手な親友でさえ、ジェームズを騙し続けていたのだということを。そして親友のついていた嘘に、これまで気づかなかったという自分の愚かさを、ジェームズは知ったのだ。

「ジェームズ、お前は生き残らなければいけない。何があっても」

 帰宅した息子と食事を共にした後、ジェームズは心臓を高鳴らせながら話があるのだ、と打ち明けた。その言葉に、両親は互いに目を見合わせて食後の小休止をしたら父親の書斎に来るようにとジェームズに言った。私達にもお前にしなければならない話があるから、と。

 7年も――いや、17年と言った方が正しいだろう――ジェームズの破天荒振りを見てきて、今更ホグワーツでの態度を叱られるとは考えがたかった。それならば多分卒業後の就職先の話だろう、とジェームズは踏んで約束どおり父親の書斎を訪れたのだ。そして両親と向かい合う形で置かれた椅子に腰掛けると、父親の口から飛び出た言葉が先ほどのものだ。ジェームズが自分の話を切り出す間もなく、父親は苦虫を噛み潰したような顔をしながら低くそう言ったのだった。

「どうして僕が……」

 どうして僕だけが? とジェームズは思った。生き残らなければいけないのは皆同じことだ。何故自分が特別扱いされなくてはいけないのだろう。シリウスでなく、何故自分なのか。その答えは、父の口からすぐに聞くことができた。

「グリフィンドールの直系は、ブラック家ではなくポッター家だからだ」

 それを告知された瞬間に、ジェームズは2年前の新聞記事を思い出していた。父親の葬儀を仕切っていたシリウスの写真。よく知っているはずなのに、まるで知らない人のようだった。気高く、決然とした青年の姿を一体誰が孤独に見せたのか。考えたこともなかった。それが自分だったなんて。

「嘘だ……そんなはずはない! グリフィンドールの直系はシリウスだ。だからこそシリウスは……」

 マスコミにまで顔をさらし、大々的にブラック家の跡取りとして行動したのだろうか。それはおかしい。もっと早く気づいてしかるべきだったのだ。仲間を鼓舞するために前面に出ることが、キングの役目だろうか。それは違う。キングはいつだって守られ、逃げる立場にあるのだ。なぜなら駒として動ける範囲が、元々攻撃には適していないのだから。攻撃を仕掛けるに一番適した駒はクイーン。偽りの王冠を被り、敵陣を動き回って戦うことのできる、“王に近い者”。

「ブラック家はポッター家の影武者だ。そうして、これまでずっと存在していた」

 王はいつだって守られ、逃げる立場にある。けれどジェームズは決して、ただの一度だってそんな立場に置かれたいと思ったことはなかった。むしろ自分こそがクイーンに、敵陣へ入り込んで駆け巡り、最後までキングを守る駒になるつもりでいたのに。

 それなのに……僕は盤上に立ってもいなかったというのか?

いや、立っていると思っていた盤の上には、とるべきキングは存在しなかったということかもしれない。ジェームズは用意周到に整えられた、ダミーの盤に立っていたのだ。そしてそれに気づくことがなかった。隣では本物の盤で親友が戦っていたというのに。ジェームズは堪らなくなって叫んだ。

「馬鹿な! そんなこと、僕は許さない! そんな……」

 反吐が出るほど忌まわしく、自分勝手なこと。ジェームズが吐き捨てると、父親は顔を歪めた。胸に杭でも打ち込まれたかのように、苦痛に耐える表情だった。そんな顔をしたいのは、ジェームズの方だというのに。

「お前がどう思っても、これは守り続けなければならない秘密なのだ。この秘密のために犠牲になった者達のためにも、お前は生き続けなければならない」

 そんな言葉は聞きたくない。ジェームズは唇を噛んだ。

「例えばシリウスの父さんとか?」

 それを指摘すると、父の顔がますます渋くなった。睨み合うようにして黙り込んだ2人の間に入るのは、この場にいるもう1人の人間の役目だ。

「ジェームズ、お父様も分かっていらっしゃるのよ。それでも、守り続けることが私達の役目なの」

 ここまでくるともうジェームズは狂ったように笑い出したい気分になった。“私達”の役目だと母は震える声で言う。その中に、知らずのうちに自分が含まれていたなんて、詐欺もいいところだ。

「下らない! そんなの、逃げているだけだ! 犠牲なんて、それを大切に思っている人間がいくらでも捧げればいい。でも僕はご免だ! シリウスを犠牲にして生き残ることなんて望まない!」

 そう言うことで、1人だけ高潔さを保とうとしたのだろうか。欺瞞、偽善、嘘で塗り固められた世界を壊そうとしたら、そんなものがぼろぼろと落ちてきてジェームズをすっぽり埋めてしまった。


「シリウス自身が、それを認めていてもか?」


 そうして、ジェームズは口を噤んだ。何も言わずに貝のように口を閉ざし、家を飛び出して無言のままホグワーツにとんぼ返りしたのだ。最後の父の言葉が頭から離れなかった。シリウスは自分の認めないものには絶対に従わない。そういう男だ。けれどそんな彼が自分を殺す唯一の道がある。最小限に、深く愛した人達のためになら、彼は自分を殺すことを厭わないだろう。

 味方が大勢いるよりは、ずっと安心できる環境だと思うけど?

優しく微笑みながら言った幼い顔が、泣きそうなくらい辛い思い出になってしまうなんて。いっそすべてが敵だったほうが、シリウスは自由でいられたのだ。

 分かっている。シリウスはそういう男だ。そしてジェームズがもしもシリウスの立場であれば、やはり親友には黙っているだろう。傷つきながら戦うのは、自分だけで良いと思うだろう。それは下らない英雄心や犠牲心などではなくて、愛する人を守れる人間でありたいという強い望みだ。自分が守る立場なら、リリーとシリウス、親友と恋人、その関係は何の負担にもならなかったはずだ。しかし守られる立場となると話は違ってくる。シリウスがそれを負担に思うことがないと分かっていても、ジェームズはそう思えないのだ。だかこそ――。

「シリウス! どうして言わなかった? 何故、言ってくれなかったんだ!」

 そう言わずにはいられなかった。黙っていた、その気持ちが理解できていても、言わずにはいられなかったのだ。ジェームズはホグワーツに着いてすぐに荷物を引っ掴み、グリフィンドール寮へ向かって駆けた。シリウスは入学当時から長期休暇に帰宅することを毛嫌いしていたが、特に父親が死んでからはホグワーツから離れようとはしなくなった。その代わり特別に、長期休暇でない日にホグワーツから抜け出してブラック家の当主として働くことが多くなっていたのだ。

 だからもちろんシリウスはグリフィンドール寮の4人部屋にいた。彼は窓際で本を片手に、物憂げな表情で窓の外を見ているところだった。何か、予感でもあったのだろうか。ジェームズが休暇を一日で切り上げただけでなく、けたたましい音を立てて部屋に乗り込み、荷物を放り投げてシリウスの胸倉をつかんでも、シリウスには手にしていた本に栞を挟んで閉じるだけの冷静さがあった。

「……聞いたのか」

 ぼそりとシリウスが言った。ジェームズが胸倉を掴み上げても、シリウスはその手を払おうとはしなかった。

「あぁ、聞いたよ! どうして黙っていたんだ!」

 いきり立つジェームズの熱い手に、シリウスの手がそっと添えられた。冷たい。それは驚くほど冷たい手だった。ジェームズがはっとなって顔を上げると、シリウスの金色の瞳にぶつかった。月の光に似た瞳。手の冷たさに反して、その眼差しは温かさに満ちていた。

「言う必要なんてなかっただろう?」

 静かにシリウスは言った。シリウスが冷静であればあるほど、ジェームズは熱くならざるをえなかった。やるせなさが積もってきて、ジェームズは胸から喉元までを塞がれているような気分だった。

「何で! そのために君の父さんが死んだのに!」
「それは違う。親父が死んだのは親父に落ち度があっただけだし、親父を殺した奴がいるからだ。君達の……君のせいじゃあない」

 嘘だ。ジェームズは思った。シリウスは嘘をついている。ジェームズのために、ジェームズに分かるような嘘を。それが悲しくてたまらなかった。

「シリウス……お願いだ。あんなに家に縛られることを嫌っていた君じゃあないか。ポッター家の盾になるなんて止めてくれ。……お願いだよ。こんな忌まわしい行為は終わりにしてくれ」

 ジェームズはシリウスの胸倉を掴んだまま俯いた。シリウスの手は、熱いジェームズの手に触れていても嘘のように冷たいままだった。それどころか、ジェームズの手が熱くなるのと引き換えに、益々冷たくなっていくようだった。

「ジェームズ、君はリリーと結婚するんだ。そうだろう?」

 上に置かれるだけだったシリウスの手が、ジェームズの手を握り締めた。ジェームズははっとなって顔を上げた。シリウスの眼差しはやはり喉が締め付けられるほどに温かい。

「シリウス、それはもう……」

 できない。リリーを愛しているけれど、こんな嘘ばかりの世界に彼女を引き込んで、なおかつシリウスの負担を増やすような真似はできなかった。そこまでジェームズは厚顔ではない。けれどシリウスはジェームズの心を知っていて、なおも強く言ってみせた。

「するんだ。君達は幸せになる」
「できない。君を犠牲にして僕だけそんな……」

 ジェームズが言うと、シリウスは困ったように微笑んだ。

「リーマスみたいなことを言うなよ。ジェームズ、俺は君達を守りたい。君達に幸せになってもらえれば、それが俺の幸せなんだ。もし君が俺の立場だったら、君も俺にそう言ってくれたと思う」

 勿論だ。何の偽りなく、冗談も、からかいの意味も含まない。もうひとつの魂のためなら、ただ純粋にそう言うことができただろう。

「それは、そうだよ……。必ず、そう言うだろう。でも……」

 “もし”なんて言葉はいまこの状況で何の意味があるだろう。事実は“もし”、という仮定を許してくれるものではない。守られるのはジェームズで、シリウスだけが戦っているこの今という状況では、仮定の話をして納得することはできない。

「ジェームズ、確かにこれは忌まわしい行為だ。だからこそ、俺達で終わりにしよう。ブラック家は俺で終わりだ。そして君とリリーの子どもは、グリフィンドールの末裔ではなく、ジェームズ・ポッターの息子として生きていくんだ」

 そんな理想も意味のないものなのだ。それが分かっていながら、ジェームズは咄嗟に何も言い返すことができなかった。そうできたら、とジェームズは思った。シリウスはそれができると思っているのだろうか。昔のようになんの翳りもなく、できると信じて疑っていないのだろうか。

「だったら、君の傍で僕も戦う」

 リリーを置いてでも。そう、ジェームズは言った。それが彼女に平安を与えられる唯一の方法で、シリウスを孤独にしない最良の方法だと思ったから。

「頑固だな、君も。じゃあ、リリーに言ってみろよ。僕の側は危険だから、別れようってな。全財産賭けても良い。君、張り倒されるぜ。馬鹿にしないでちょうだいってな。本気で好き合っている相手に、いまさらそんなこと言うなんて失礼だろう? ジェームズ」

 そうしてシリウスはジェームズに頸木を打った。ジェームズ自身がシリウスの頸木となったように、シリウスはリリーをジェームズの頸木にした。それはとても巧妙で、ジェームズに抜け出すことを許してくれない、容赦のないものだった。ジェームズは他にどうしようもなく、最後まで冷たいままだったシリウスの手を払いのけて入ってきた時と同様にけたたましい音をさせて部屋を出て行った。


 人を傷つける嘘。
 やさしい嘘。
 悲しい嘘。

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