Miniature garden

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Lemon

 色とりどりの花。
 甘酸っぱく香る果実。
 澄んだ水をたたえる池と、心地よい風。


 暖かく、柔らかに降り注ぐ陽の中に、私達は並んでベンチに腰掛けていた。穏やかとしか言いようのない時がゆるりと流れていくのを、私は耳をかすめる風の音を聞くことで感じていた。私の止まった時と同じと言ってしまっていいほど、ここを流れる時はゆっくりだ。

 隣に座る彼は私に向かってホグワーツでの日々を語っている。授業のこと、先生のこと。そして何より大切な友人達と過ごす時間のことを、彼は常にはにかむようにして微笑みながら話している。それはとても美しい光景だった。

「先生?」

 急に相槌さえ打たなくなった私を不審に思った彼から、どうかしたのかと問われて、私は何でもないのだよと首を振る。これまでに私は彼に幾度か、「私はもう君の先生ではないから名前で呼んでもらえないだろうか」と問うたことがある。そう言うと彼は困ったように笑って「先生はずっと僕の先生で、それは変わらないから」と答えるのだ。私もそれ以上彼に無理強いすることはできなかった。これまでの彼の人生は、あまりに過酷すぎた。ようやく彼が子どものように落ち着ける時がやってきたのだ。私が彼を甘やかしてやっても、誰も咎める者はいないのだろう。

 彼はホグワーツで起きたことを話し続けた。屈託なく楽しそうに笑う。その顔を見て、私は彼が苦しみの多かった過去から解放されたことを知って嬉しくなった。そして同時に、彼が他の一切から自由になってしまったことに、少しだけ悲しみも覚えた。

 私達は並んで座っている。木製のベンチの後ろには、丁度良い日陰を作り出してくれている檸檬の木が、まるで黄金のように輝く実をつけていた。風の音はしても、鳥の声はしない。この庭に鳥はいないのだ。囀るのは楽しそうにこの庭での出来事を語る彼の声だけ。

「それから、彼が……」

 耳に心地よい彼の囀りをあえて止めて、私は彼に尋ねる。

「訊いてもいいかい?」

 いつもはじっと彼の話を聞いているだけの私が珍しく話しの途中で口を挟んだことに、彼は機嫌を損ねるようなことはなかったけれど、素直に不思議そうな顔をした。

「はい」

 頭上に実る檸檬の香りが、私の鼻を掠めた。つんと鼻の奥に突き刺さるような檸檬の香りは寂しさに似た感慨を私の胸に突きつける。彼に気付かれない程度に、私の声は震えていたと思う。例えどんなに長く生きたとしても、声を震わせることなくこの言葉を告げられるとは、私には思えなかった。

「君はいま、幸せかな」

 思ったよりもずっと小さく紡ぎだされた言葉。ふと思った。私はこの問いを、これから何度彼に問うことになるだろう。

「はい。とても幸せです。大切な友達がいて、先生も一緒にいてくださる」

 彼は迷いなく答えた。これから先、何度同じことを尋ねても、彼は同じ答えを返すのだろう。僅かでも迷うことなく。この輝くような微笑がこれから一層深まることはあっても、少しでも翳ることはありえないのだ。本来、幸せとはそういうものなのだろう。

「大切な友達……か。そうだね、君はそれを守るために戦ったのだ。そして君は勝った。だから彼らはいまも君の側にいる」

 私は知っている。本来の幸福がそういう形のものであろうとも、人には悲しみや、苦悩、そういった闇が必要なのだ。光だけでは世界を構成することができない。彼の光は、間違いなく周囲に闇を与えた。責めるべきなのかもしれない。私にはそれが許されるだろう、私だけには。けれど、私は溜息とともに自分の彼に対する甘さを自覚する。

「先生?」

 何の話をしているのか分からない、という顔を彼は正直に見せた。私はそんな彼を追い詰めることはせず、ただ曖昧に笑って見せた。

「君が幸せだと言ってくれるのなら、それが私の幸せだよ」

 私がそう言うと、彼は一瞬だけ呆けたような顔をして、それから私の言葉をしっかりと噛み締めてから本当に幸せそうに微笑んだ。その微笑みは何にも代えがたいと私は素直に思った。心からの言葉。彼の幸せが、私の幸せだ。これが私のエゴであると分かっていても、なお私は彼の創り出した世界を大切にしたいと思った。


 ここは庭だ。


 彼の幸福のためだけに用意された、緑溢れる“Miniature garden”。


 花も木も、風も太陽も彼のために存在している。時間は彼のために歩みを遅め、一日、一月、一年という概念は意味を成さなくなる。彼の望んだ永遠だけがこの庭を支配する。そしてそこを訪れることができる人間もまた、彼が選ぶ。選ばれた人間しかこの庭には足を踏み入れることができない。私は幸福に思うべきだろう。彼が私をこの庭に入れてくれたことを。彼の閉じられた記憶の中に、私がいることを。

「私は幸せだよ、リーマス」

 彼が植えた色とりどりの花。そして彼が迎えた友人達が微笑みながら採る甘酸っぱい果実の香り。濁ることのない池と、止むことのないそよ風。そして枯れることのない花々の中で眠る人――。まるで母の腕に抱かれて眠る赤子のように、安心しきった顔で目を閉じる彼。彼が選んだ楽園の姿がこれなのだ。

 この庭よりも美しい場所を、私は知らない。
 だから私は、この箱庭を壊すことはしない。
 彼が少しずつ作り上げて、ようやく完成したこの楽園を。


「お休み、リーマス。良い夢を」


もう誰も、眠っている君を起こさない。それが正しいか、正しくないのかなんて、いくら生きても私には分からないだろう。ただ唯一分かるのは、これが彼の望んだ結果だったということ。彼にとっては、この箱庭が楽園なのだということだけが分かっていれば、それだけで――。


「本当に、幸せだ」

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