Hello, Baby

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 宇宙の不思議や魔法の神秘を考えて唸るより先に、こうして産まれる準備をしている赤ん坊について考えてみよう。彼か彼女か分からないけれど、彼、または彼女は母親である女性の胎内でいま正に自分というものを作っている真っ最中なのだ。僕だってそうやって入念な準備期間を、母親のお腹の中で過ごしてきた。

 でも殆どの人がその時のことを覚えていないし、僕も例外ではないから、その時の記憶というものはいまリリーのお腹の中にいる赤ん坊と同じくらい神秘のベールに包まれている。僕が決して思い出すことのない記憶というのを、正に今刻んでいるなんて、どう想像してみればいい?

 羊水の中は温かいのだろうか。
 耳は僕の声を聞き取っているのだろうか。
 もしかして、僕とリリーの言っていることを理解していたりもするのだろうか。

 生まれ出た途端に忘れてしまう記憶をいま刻んでいたとして、「そんなこと有り得ない」なんて既に生まれ出てしまった僕らのうち、誰が言える?

 神秘の世界。未知の存在。

 でも生まれてくれば既知の存在になって、神秘のベールは剥がれていくはず。こうして神秘な君を考えてみる喜びも確かにあるのだけれど、生まれてから一緒に過ごす時間の方が多いはずだから。

 だから、僕らの子どもが産まれてきたら、僕は最初に何を言ってあげようか。

「ようこそ、僕らの世界へ! 歓迎するよ、僕らのおチビさん」

 ふむ、悪くはないかもしれないけれど、何か違う気もするな。歓迎するよ、なんてわざわざ言わなくたって赤ん坊はそれを知っているから、産声ってやつで答えてくれているんだろうからね。もうちょっとオーソドックスにするべきかな。

「初めまして! 僕が君のパパだよ!」

 うわっ、鳥肌。残念ながら、オーソドックスってヤツは僕には合わないものなのだ。赤ん坊にとってのファースト・コンタクトっていうのはまさに未知との遭遇。そんな未知の世界で、赤ん坊が頼りにできるのは何より一番自分の両親だってことなんだ。そんな親がオーソドックスなご挨拶しかできない不甲斐ない奴だったなんて、産まれたばかりの赤ん坊を早速失望させてどうする?

 目に見えて大きくなっていくリリーのお腹。その中には僕らの子どもが膝を曲げた姿で収まっていて、時々リリーのお腹を蹴り上げる。僕には透視能力なんてないから、子どもが膝を曲げた姿で丸まっているかどうか、本当のところは良く分からない。

「不思議だなぁ。僕は下に弟妹がいなかったから、こうして君のお腹の中に子どもがいるなんて、本当に神秘的だ」

 お腹が膨らむ様を見ていたわけだから、中に何かがいるってことは本当なのだろうし、時折お腹を蹴り上げるというのも、お腹を触らせてもらって確かに感じているから現実だ。でもどうしてだろう。僕にはあまり実感が湧かないのだ。

「ママが言っていたわ。女は子どもが産まれる前から親になれる。だから強いのよって」

 なるほど、なるほど。

 子どもが産まれてすぐに僕がパパだよ、って言うパパはたくさんいるけれど、私がママよ、とわざわざ言う女性は少ない。それってつまり、女性にとっては産まれてからが初めまして、ではなくて、産まれる前から初めましての挨拶を交わしているからなのだ。何回も!

「そうか、男は想像妊娠でもしない限り、子どもが産まれてからでないと親にはなれないんだね。実際僕も、親になった気分じゃあない。弱いはずだよ」

 頭を掻き回しながら僕が告白すると、リリーはまるで僕も彼女の出来の良くない息子だと言わんばかりの顔でくしゃくしゃになった僕の頭を撫でた。悪くない。それどころかとてつもなく気持ちがいい。だって大好きな女性の手なんだから。

「でも、ジェームズ。親初心者なのは2人とも一緒だわ。私達は今まで私達の親の子どもだったんですもの。子どもが産まれてすぐに親になれる人なんているかしら。そんな完璧な親なんて、子どもが息苦しいだけよ。そうでしょう? ゆっくりこの子だけの親になっていけば良いわ。強さも弱さもいっしょくたにして」

 僕は目をぱちくりさせて考えた。けれど考えるまでもなく、すべて彼女の言う通りだった。この件に関して、彼女は僕の二歩も三歩も前を歩いているのだ、と認めざるを得ない。

「……君みたいな母親を持てて、この子は幸せだなぁ」

 しみじみ漏らした僕を見て、彼女は呆れたように目を丸くする。それからすぐに悪戯っぽく目を輝かせて――その様子は時を経てますます僕の相棒に似てきている――僕に問いかける。

「貴方は?」

 あぁ、麗しのスフィンクス。その謎かけは生憎と、僕にとっては深く悩むような謎ではないのだよ。

「僕も幸せだよ。世界中、いつの時代の人間も敵わない。君という人を得ることができた、僕が一番幸せだ」
「私もよ、ジェームズ」

 僕らの子どもが生まれたら、彼――もしくは彼女――も“Me too”と言ってくれるだろうか。早く、早く。あんまり早くても体には良くないだろうけれど、準備が出来たら早く出ておいで、僕らのBaby。

 そんな風に囁きながら、僕の父親準備期間が過ぎていく。

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