Chapter 1-1 : 血塗られた王座

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 柔らかいはずのベッドは妙に固く、体の節々、特に頭が異様に重く感じられる。それでもそれに逆らって少年は体を起こし、はっきりとしない視界の中で部屋の様子を確認する。

 まだ薄暗い外。大きな硝子の窓と赤い布地に金の豪華な刺繍の入ったカーテン。それはしっかりと止められていて、動かない。部屋で一カ所だけ明るいのは、銀の燭台の上に置かれた、もう溶けきって消えそうな蝋燭だった。


 俺の部屋じゃあない。


右手に握っている冷たい物を目の高さまで上げる。彼の短剣だった。しかしそれの刀身は赤く、何かが乾いてこびりついていた。

「…これで死体なんか転がっているんだろう?」

 一人言の冗談に自分で笑い、少年ははっきりとした視界に再び首を巡らせ、部屋を見た。笑みが顔から消え失せ、視線が凍り付く。ベッドに横たわっている、もはや動かぬ物と化しているのは父王。


「はめられた…」

 体に衝撃が走り、少年は飛び起きた。二本足で立つと、頭に響く。揺れる足元に、少年は体を壁に寄せた。

「陛下、失礼いたしますよ」

 暗い青だった空が、もう黄色く輝きかけている。鍵の開く音に続いてドアノブが回るのを見て、少年は短剣を落とした。咄嗟に辺りを見回すが逃げ場はない。

「カトラス様…」

 入ってきた人物を見て、少年は思わず安堵の声を漏らした。

「爺…」

 驚いた顔をしながらもゆっくりと部屋の中を見回すと、細身の老人は反射的に部屋の扉と鍵を閉めた。

「爺!俺ではないぞ!」
「しっ!お声が大きゅうございます!」

 少年が言葉を詰まらせると、老人はベッドに近づいた。変わり果てた国王の体が血にまみれて横たわっている。胸から溢れ出たであろう血ももう固まって、国王の体は土気色をしていた。目は見開かれている。何とも言い難く、中年太りの国王の体が、不気味で仕方がなかった。

 大きく深呼吸をして、老人は少年を絨毯の上に座らせた。少年の肩に手を置き、その瞳を覗き込んだ。何の曇りもない、まだ幼い子供の瞳だ。

「俺ではないぞ、爺」

 鋭く光るその瞳の輝きはこの老人が期待し、信頼し、忠誠を捧げた物だった。

「分かっております。返り血もないのに…。誰かの罠であることぐらいこの老いぼれにも分かることです。しかし…」

「状況は悪い、か?」

 不気味な会話だった。死体の、それもこの国の王の死体の横たわる部屋で、二人は朝日が昇るのを拒んでいたのだ。

 決して照らしてはいけない。

日が昇ってしまえば、全てはこの計画を立てた者の思うつぼなのだ。

「単純な罠ではあります。ですがその分、相手は証拠を残してはおりますまい」

 部屋にかかっていた鍵。その部屋で殺された国王。窓も閉まった状態で、部屋の中にはたった一人。

 
 俺しかいなかった。


少年は歯を噛みしめた。

「この短剣はあの女にやったんだ!」

 血のこびりついた短剣を指して少年は憤慨した。

「当人以外に証明できる者は?」

 細身の白髪の老人は、あくまで冷静に努めた。若いこの少年に代わって、ロジスは考えなければいけないのだ。

 少年の無実を証明することを。

 少年は再び言葉を詰まらせる。思い返すが従女や側近がいたという記憶はない。

 しらを切られたら終わりだ…。

悔しげに少年は首を振った。老人も期待していたわけではないが、つい溜息をついてしまう。

「ひとまず城をお逃げ下さい、カトラス様」

 老人の思いついた、最上の策だった。

「しかしそれでは…」

「尊公が陛下を…という事になります。ですが、必ず私がカトラス様の汚名を晴らします。どうかそれまでは…」

 辛抱なさって下さい、と老人は声を震わせた。危険であることは目に見えている。世間知らずの王子を、一人国から逃がすことは危険なのだ。

 だがそれは、国にいても同じ事。

罠を張ってきたからには、こちらには弁解の余地はない。捕まれば殺されるであろうと、ロジスは確信していた。罠を張った人物を見つけ、小さな歪みの部分を探すのは王子ではない。自分なのだ。

「分かった…」

 ロジスの忠誠心を信じて、承知してくれた王子に、老人は応えなくてはいけない。

「これは少ないですが路銀です。足りなくなれば…」

 早朝の出来事に、ロジスも十分な金を持っていなかった。城の中で暮らしてきた王子にとっては本当にはした金ではあったが、少年はすぐさま頷いた。

「分かっている。俺もそこまで馬鹿ではない。お前も、疑われないように俺がやったと言えよ。このことは急ぐ必要はない。俺は絶対に死なない」

 少年はしっかりとロジスの手を握りしめた。

「母上の事、くれぐれも頼むぞ。爺」

 老人が頷き、しかしまだ心配そうに少年を見る。大丈夫だ、と笑いながら応え、少年は扉を開いた。まだ誰もいない。


 明るくなってきた蜜柑色の陽が、絨毯敷きの廊下を照らし出す。少年はもう一度ロジスを振り返った。

「俺の姿が見えなくなったら呼べよ。お前の演技力に期待する」
「しかし…」

 あまり遅れては不審なことは老人にも分かっていた。だか心配なのは我が身よりもこの幼い主人のこと。

「それまでには馬を捕まえられる。良いな?」

 ロジスは膝を折った。片手を胸の前に置き、一礼してから顔を上げた。

「どうかご無事で、カトラス様」

「…ありがとう!」

 応えたときには少年は走り出していた。父の死を素直に悲しむ余裕はない。案外心の中で、こうなってもおかしくないと思っていたのかもしれない。

 父王は普通の、といってはおかしいが、対して民から疎まれていたわけでもなく、それでいて国の王として敬われていたわけでもない。彼だとて、父を国王として尊敬していたわけでもなかった。隣国との戦争は幾度か行ったが、大陸を支配してやろうだとかいうような野心も全く持っていなかった。

 平凡な国王。

対して戦に関する才があるわけでもなし、民からの絶対的な信頼があるわけでもなく、それでも幸せな国だったはずだ。殺したのは誰か。国王を殺し、第二王子である少年を陥れて、得をする人物。


 だが本当に、得をしたのか?
 わざわざ俺を陥れなくとも、
 王位を継ぐのは決まっていたはずだ。
 何故こんな手間をかけて、王位を血で汚したのだ?


 早朝から馬屋で馬の世話をしている者がいる。毛並みを揃え、餌をやり機嫌を取っておく。これから鞍を付けようとしているところに、少年が割り込んできた。

「その馬貸せ!」

「は?しかしまだ鞍も…」

「かまわん!はっ!」

 馬に飛び乗り手綱を取ると、少年は制止を振り切って駆け出す。城門はもう開いている。

「カトラス様!お待ち下さい!何処へ!」

「長い散歩だ。かまうな!」

 門番も振り払い、少年は馬を北へ走らせた。そのまま道なりに東へ向かっては町へ出てしまうからだ。とりあえず北の森、迷いの森といわれている危険な森ではあったが人外の危険よりも今は人。追っ手の方が恐ろしい。

「カトラス様、お待ちを!」

 後ろから数十名の騎馬兵が追ってくる。

「ちっ!意外に早かったな」

 当然のことだ。彼を罠にはめた人物なら、逃げることも計算済み。国王が死んだことに一応の動揺を示しておきながら、すぐに指示し、彼を追わせることは簡単なことだ。

「我々とて手荒な真似はいたしとうございませぬ!どうかお戻りを!」

「戻る気があるなら逃げるわけがないだろう!」

 もうすぐそこに森が見える。馬の腹を蹴って速度を速めると同時に左脇腹に痛みがはしった。続いて右肩にも勢い良く矢が突き刺さる。

「本当に手荒な真似したくないのかよ」

 脇腹と肩に刺さった矢が、馬の振動で揺れる。少年は森に入った。木々の間を上手く通り抜けるが、馬の振動が増す。血も痛みも増し、少年は後ろを確認した。森の中を馬で駆けるのは容易ではなく、追っ手は隊列を乱されている。しかし容易でないのは少年も同じ事だった。

 後ろが見えなくなると、少年は馬を下りた。馬だけを森の中を走らせて、自分は木陰に隠れる。最初に脇腹の矢を抜いた。こちらは幸い深く刺さってはいなかったようだ。続いて肩の矢だった。力任せに抜くと、血が溢れる。彼は痛みに力無く座り込んだ。

「ってぇ…。っていうか、腹減った…」

 悲惨な惨劇のせいで、朝食を取っている暇もなかった。時間があったとしても、あの国王の土気色の体を見た後では、肉は喉を通らなかっただろうかと少年は思った。

 そんな繊細な神経してないか。

自嘲気味に笑った。静かな足音が近づいてくるのを、力無く聞いていた。

 悪いな、爺。
 傷はまだしも、俺は空腹には耐えられないんだ。

足音が止まった。少年はまずそのブーツを履いた足を、それから黒いローブを辿って視線を上げる。整った顔。肌の色は割と白く、黒い髪に黒い瞳。頭には何故か黒い布を巻いている。少年より少し年上の若者だが、視界がぼやけていて、よく分からない。追っ手ではないようだった。


「立ち去れ、人間。この森の奥に入る事は許さん」

Force of the Midy Top / Next