Chapter 1-1 : 血塗られた王座
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「立ち去れ、人間。この森の奥に入る事は許さん」
呆気にとられて、少年はしばらく何も言えなかった。
「…そんな事、今言われたってな…」
そう言われて、若者は初めて少年の傷に気付いたようだった。少し考える表情を見せ、若者はふと溜息をついた。頭に巻いた布を取ると、少年の前に膝を突いた。
少年は思わず息を呑んだ。若者の耳は長く、先が鋭く尖っている。話の中だけで聞いた。
エルフ…。
少年の驚きなど気にせずに、若者は取った布で少年に目隠しを始める。
「わ!何す…」
「黙っていろ。殺しはしない」
視界が真っ暗になり、少年は少し弱気になった。
「黙っていろって…うぐっ…」
目隠しがし終わると、少年は若者の肩に担ぎ上げられた。矢傷のある脇腹と、それよりも深刻な空きっ腹に、意外に鍛えられた肩が入って、余計に気分が悪い。おまけに頭が下になって血は上るし、止血もしていない肩からは血が溢れた。
「殺しはしないって言ってるけどな、止血ぐらいさせてくれよ。ほんとに死ぬぞ」
「心配するな、お前が死ぬ前には村に着く」
つまり瀕死の状態にはなるわけだ。
少年を軽々と担ぐのだから、このエルフの若者は相当力があるのだろう。歩く度に若者の肩が腹に当たり、少年は苦痛に顔を歪めた。
「あのさぁ、俺喰っても美味くないぜ。瀕死の状態だし、やっぱり活きの良い方が良いだろ?」
どうやら少年はこのエルフが瀕死の状態の人間を喰うのだと判断したようだった。エルフの若者は無感動にそれに応える。
「俺達は肉は喰わない。人間なんてなおさらだ。まずくて喰えるか」
「それじゃあまるで、喰ったことあるみたいじゃあないか…」
俺の運命は終わったと、少年は若者の肩の上で脱力した。逃げる気さえ起きない。血の付いた服が体に張り付いて気持ちが悪い。
「例えだ。人間を村に入れるのは本来許されていないが、のたれ死にされては後味が悪い。助けてやると言っているんだ、少しおとなしくしていろ」
言われて少年は黙り込んだ。話す気力さえないらしい。げんなりとしていると、突然周りが騒がしくなったような気がする。誰かが話す声と、小さな足音が近づいてくる音が、少年の耳に入った。
「セイ!…誰?これ」
女の声だ。担がれた少年の足をつつくその女は、まだ少女のようだった。
「怪我人だ。今のうちに見ておけ、人間なんてそう見れるものじゃない」
あぁ、俺は見せ物か。
靴を引っ張る手に、やめろと少年は足をバタつかせた。少女が小さく叫び声を上げた。嬉しそうだ。
「これが人間なんだ。耳尖ってないんだね!」
「戻ったか、セライド。…それは?」
少年は精神的に瀕死の状態に陥った。
「あのなぁ!さっきからこれとかそれとか…俺は物じゃないんだぞ!村に着いたならいい加減下ろせよ」
それだけ言うと、またくたっと脱力した。面白い!とエルフの少女には好評だったようだ。
「…人間だ。けがをしていたから拾ってきた」
「セライド!」
「のたれ死にさせたら、森が騒ぐ。置いてきた方が良かったか?長老」
長老が息を呑んだのが分かった。少年はそろそろ本格的に貧血の状態に陥るかと、覚悟を決めた。話が長引きそうだったからである。だが、案外あっさりと長老が引き、それはそれで少年はまた脱力した。
「…手当をさせよう。中に…」
「あたしがやってあげるね。魔法使えるんだよ、あたしだって」
はしゃぐ少女に若者が少し微笑み、応えた。
「あぁ、分かっている。修行の成果を見せてもらうぞ」
その声を、少年は朦朧とする意識の中で聞いていた。
何処か家のような所に入ったらしい。そこでようやく少年は下ろされ、頭に昇った血が一気に下に降りてきた感じに、少年は目を回した。落ち着いてくると今度は目隠しをされた布が気になる。外して良いものか躊躇し、手をせわしなく動かしていると、それに気付いた若者が目隠しを外してくれる。
開けた視界に、しばらく目を細めているとやがてあの黒髪の青年と、先程から声だけ聞こえていた金髪のエルフの少女がこちらを見ている。
「レム、傷を治してやれ。長老、何か食わせてやってもいいか?」
「好きにしなさい。全くお前は…」
「セイ!見ててね、ちゃんと治すから!」
何をする気だと、恐る恐る見守っていると少女は少年の傷に手をかざす。片手は肩、もう片方は脇腹だ。
すっと息を吸うと、少女は目を瞑った。しばらくすると、患部が暖かくなって、次いで少女の手が淡い光を発しだした。呆気にとられてしばらく口を開けていたが、少女が手を離すと同時に、少年は自分の傷を見た。
「…治った…。ふわぁ、すごいな、お前」
「お前じゃなくて、レム!貴方の名前は?」
「レム!…食べろ」
「…ありがとう」
制止されて、少女は頬を膨らませる。少年は何か言いかけたが、空腹の方が勝り、差し出された果実を頬ばる。本当に肉類は口にしないようで、籠には木の実などしか盛られていない。腹にはたまりそうにないと思ったが、贅沢は言っていられない。
「外の騒ぎはお前のせいか?」
「あぁ、無実の罪で追われている」
「…食い終わったら、森の反対に逃がしてやる」
「助かるぜ…、ありがとな」
「少年よ、最近森の奥にまで魔術で造り出された魔獣が現れる。それはそなたのせいか?」
「それは違う。大体、俺が魔術使えるように見えるか?」
あらぬ疑いに少年は立腹するが、その態度が無表情の若者を不機嫌にさせてしまったらしい。鋭い目で睨まれ、少年は思わず身構える。
「お前達人間がやったことには変わりがないだろう。お前達は大地を荒らし、魔術・魔法を乱用し、挙げ句の果てに森にまで立ち入ろうと言うのか!」
「人間、人間って束にするな!魔術や魔法が使える奴も確かにいるが、それはあくまで一握りだ!」
言葉に詰まり、それでもまた口を開こうとした若者を、長老が止める。
「セライド!…少年、名は?」
「…ウィザーズ=カトラス=フォリンだ…」
「長―い名前。あたし覚えられない!」
拗ねていた少女がようやく上機嫌になって、話に割り込んでくる。長いと言われてもな、と少年は頭をかいた。
「ウィザーズが上の名前で、カトラスが下の名前。フォリンは姓だよ」
「何処を呼べばいいの?」
「だから!…ウィズでいいよ。それなら分かるだろ」
「うん!ウィズね」
「レム!」
「なんでセイ怒るの?ウィズはいつもセイが言っているような人間じゃないよ!あたし分かるもん!」
それだけで若者が普段何を言っているのかが、容易に想像できた。先程の怒りようにしても、どうやら人間は好かれていないようだ。
「術者に、心当たりはないのかね?」
「…あぁ…いや、でもな…」
「あるんだな?今すぐそいつにやめさせろ!」
「いや、駄目だ。俺はそいつに追われているし…。すぐには無理だ。今そいつに会うわけにはいかないんだ。殺されるのがおちだ」
「時間をおけば、何とかなるのか?」
ウィザーズは思慮深く頷いた。
確信はない。可能性はある。
その顔が告げていた。セライドが、大袈裟に溜息をついた。
「…分かった。長老、俺はこいつと一緒に村を出る」
「セライド!いかん、それだけは!」
こっちだってごめんだ、とウィザーズは長老の反応に合わせて言ってやりたかった。とりあえず長老は反対しているようだし、と長老に説得させることにした。
「こいつが本当に術者を説得する保証はない。殺されてしまっては意味もないしな。それに…外の様子が気になる。長老も最近そう言っていただろう?」
「確かに言ったが、何もお前が行くことはない」
「俺が一番安全だ。俺は強いし、心配しなくとも必ず帰ってくる」
「セイが行くならあたしも!」
「駄目だ」
「セイは駄目ばっかり!あたしもウィズと行くの!行くったら行く!」
自称『強い』の若者はとにかくこんな幼い少女を連れて行くわけにはいかなかった。長老は少女のことにはもはや匙を投げたようで、ウィザーズはやれやれと溜息をついた。半泣きの少女の頭を撫でると、妙に真面目くさった顔で、少女に言い聞かせた。
「いいか、レム。外にはレムみたいな可愛い女の子を喰べてしまう化け物がいるんだ。俺の妹も何度も喰われそうになったんだぞ。それでも、一緒に来るか?俺がいても、助けてやれないかもしれないぞ」
蒼白になって、勢い良く首を横に振る少女が、少し可哀想になったが、上手く罠にはまってくれたことに、ウィザーズは少なからず感動した。若者と長老は呆れ顔だ。
「じゃあ、仕度をしてくる。少し待っていろ」
「セライド!待ちなさい、まだ許したわけでは…」
長老の言葉を背に、若者は平然とその場を後にした。難しい顔をしている長老は、ウィザーズに向き直った。
「ウィザーズ殿、だったかの」
「あぁ」
長老は深く溜息をついた。その意味が、ウィザーズにはよく分からなかった。
「旅立つのは、当然のことなのかもしれん…」
独り言のように、そう呟くと、皺の多い大きな手で、ウィザーズの両手を包んだ。
「運命かもしれんな…。ウィザーズ殿、セライドは我らエルフにとって、失ってはならぬ存在なのです。腕は確かに立つが、…よろしくお願いできますかな?」
「あぁ、俺も自分の身を守るだけで精一杯かもしれないが、足を引っ張るような真似はしない」
「セイはね、すごく強いんだよ!魔法なんか村一番なんだから!」
「へぇ、魔法を使うのか」
それならば少しは楽だろうかと、甘い考えが頭をよぎった。兄は魔法を使っているのだから、自分は明らかに不利だった。だがエルフが仲間に加わるのだったら、何とかなるかもしれないと、ウィザーズは希望の光を見ていた。
再び姿を現した若者は、頭に布をまき直し、麻布で出来たリュックを背負っている以外は、先程となんら変わっていなかった。
「人間達がこの村に入ることはできんが、気配は森の北に向かっている。回り込まれないうちに、森を出るぞ」
「おう。ご馳走様。またな、レム」
「行ってくる。長老、レム」
「行ってらっしゃい!セイ、ウィズ」
軽く手を挙げて応えたウィザーズは、早々に立ち去るセライドの後を追いかける。連れられて来た時のことを思い出して、また目隠しだろうかと思うが、セライドはそうせず、腰をかがめて小石を拾った。
「これでいいか」
何をするのだろうと、ウィザーズはセライドの手を覗き込む。只の石だ。エルフの森にあるからといって、外の物と別段変わっているような所はない。
「大地を構成せし物。我の声と言葉を聴き、その力によって応えよ」
「!何だ?」
ウィザーズが只の石と認識したものが、セライドの言葉に合わせて光り出した。そしてセライドがその石を手放すと、光は獣の姿を形取った。白銀色の毛に、目の覚めるような蒼の瞳。その姿は大きく、背の高さは丁度人間の乗る馬と同じくらいだった。
「乗れ」
「は?これに!」
石が変化したであろう獣に、セライドはためらいなく飛び乗った。呆然とするウィザーズの腕を獣の上から掴んだセライドは、ウィザーズの腕を引っ張り半ば無理矢理獣の上に上げた。
ほぼ同時に、獣はものすごい速さで走り出した。森の中を、木々を上手く避けながら、獣は最初のスピードを維持したまま走り抜けた。
「振り落とされるなよ」
「真面目に言うな!」
スピードは少しも変わらない。このままいくとすぐに森を出てしまいそうだった。
「…これで町へ出る気か?」
「まずいか?」
ウィザーズは脱力しながら頷いた。気付いたのだ。二人とも世間の事に疎い。一人はエルフなのだから当たり前だが、自分は一国の王子だ。人間の常識が分かっても、平民の常識が分からない。
先が思いやられる…。
「とりあえず俺の格好が目立つだろうし、血が付いているから服を変えて…。馬でも買うか。その方が楽だし、早い。馬は乗れるか?」
「森の中にいたんだ。乗る必要がなかったから乗れない」
なるほど愚問だったな、とウィザーズは笑った。
「じゃあ俺の後ろに乗れよ。でも、特に行き先があるわけでもないんだよな、今は国から離れれば良いだけだし…。何処か行きたいとこあるか?」
「別に。人は少ない方がいいがな。…しかし、やむえず北に抜けたは良いが、今からの時期に北へ逃げるのはどうかと思うぞ」
確かにこれから北は雪が降る。身動きがとれなくなったら終わりだった。フォリンも雪が降らぬわけではなかったが、量が違う。兄の魔獣には雪は関係しないのだろうし、と考えると北は不利だ。しかし裏をかいて、北へということも考えても良いのではないだろうか。
どうにもならなくて、ウィザーズは頭の中で第一大陸の地図を広げた。北を治めるのはわずかに一国。その先はもう海だ。南には多くの国がある。海岸沿いに行けばフォリンからも遠い。
「南へ行くか…。地図を買った方がいいな。うろ覚えだし…」
友好国や同盟国は避けたい。なんなら他の大陸に渡ってしまっても良いのだ。
「ところで」
思案中のウィザーズに、セライドは同じ声色で尋ねた。
「いつまで逃げれば良いんだ」
胸にくる一言だった。ウィザーズは情けない顔をセライドに向けた。
「決まってないんだな」
表情をあまり変えないセライドだったが、このときは呆れているのがウィザーズにも分かるくらいだった。
「…まぁ、気長に頼む」
急に視界が開け、眩しい光が差し込む。魔獣はゆっくりとスピードを落とし、森を出て少し走ってから止まった。二人がその背からおりると、魔獣は再び石の姿に戻った。
冬は雪で閉ざされる、北端の国シーザス。国王はここ数年に王位を継承した、まだ若い王だ。国民は数が少なく、山が多いせいか、町と町との距離が遠い。フォリンとは友国、同盟国のどちらでもない。細々と貿易をしているくらいだろうか。先王も現王も戦に関する力が強く、国軍のレベルも高い。自国での戦争は滅多にないが、他国の戦争に参加し、国益をあげるようなこともある。民は王に対する忠誠心が強い。しかし、よそ者に冷たいかというと、そうでもない。旅人には宿を貸してくれたり、食べ物を差し出してくれたりと、雪の多いこの地方では、それが当たり前になっている。
ウィザーズもこの国に来るのは初めてではあるが、シーザスのこんな噂は耳にしていた。
「丁度町の近くに出たな。行こうぜ」
一瞬セライドは乗り気でなさそうな顔をしたように思うが、ウィザーズがゆるい丘を降り始めると、後からセライドもついてくる。
並んで歩いてみると、セライドの方が幾分背が高い。
「まず服と鎧、軽いのだろ?食料を買って、地図と…馬は売ってくれるようだったら考える、と…」
「薬草と、傷薬は?」
「…お前、魔法使えるんじゃないの?」
「回復の魔法を使えるのは女だけだ。俺は使えん」
「あー!やっぱりレム連れてくりゃよかった!」
「何でもかんでも魔法に頼るな!怪我をしなければ済むことだ」
町に入ったというのに騒いでいるおかげですっかり目立ってしまっている。セライドは一向に気にしている様子はないが、ウィザーズの方はそれに気付くと足を早めた。
「とにかく、薬草と傷薬もな!お前買い物できるか?」
「いや。でも薬草と傷薬は森に戻れば見つけられる」
「それを早く言え!じゃあ、俺は買い物してくるから、適当に薬草取ってきてくれよ。今日中にこの町を出たいから…」
「昼前にここでおちあうか?」
「そこの広場がわかりやすいだろ。昼前に広場で」
「分かった。…逃げるなよ」
「逃げても俺が得するようなことなはいんだよ」
微かに笑い、セライドは森へ戻った。ウィザーズもとりあえずその場を離れる。
とにかくこの血が目立つ。
隠しようにも隠せない血の痕。そしていろいろと身に着けてある装飾品類だ。装飾品を売って金にしようと、ウィザーズは質屋のありそうな市の方へ行く。
「あ、すまない。質屋はこの町にあるか?」
「市通りの武器屋の隣だよ。家出のぼっちゃまかい?」
何とも気さくな婦人に、ウィザーズは苦笑しながら答えた。
「そんなところだ」
「後で家の店にも寄ってくんな。市で果物売ってるから、おまけしとくよ」
「ありがとう。そうさせてもらう」
家にでも戻るのか、婦人は市とは反対の方向に歩いていく。ウィザーズは市の通りに入り、露店を身ながら武器屋の看板を探す。しばらくすると、露店の並ぶ向かいのこじんまりとした家が、武器屋の看板を掲げているのを見つけた。その隣が質屋。看板は出ていなかったが、店の中に入ると妙に愛想のいい老人がウィザーズに声をかけてくる。
「何か?坊ちゃん」
「これを売りたい」
ウィザーズは詰め襟に隠れていた金細工の首飾りをカウンターに置いた。
「ほう、なかなかの細工で」
そう言うと、焦らすように布を取り出し、それで首飾りを取って自分の目の前に持ってくる。レンズを近づけ、遠ざけ。その間にウィザーズは両手にはめていた対の腕輪も外す。
「二万ルイかの」
「その質なら十万は軽いぞ。下手に値切るなよ」
何せ王宮の物だ。ウィザーズには価値が分かっている。ここの王国ではないが、隣国だ。対して物価も違わない。
「それ程出してしまうとこちらの商売がなりたたんでな。…その腕輪は対かの?」
「そうだ。これ二つとそれで十万。どうだ?」
「五万」
「九万だ」
なかなか折れないぼっちゃま相手に、老人は溜息をついた。
すぐに折れると思っていたのに…。
そして腕輪と首飾りを見つめ、引き出しを開け、さらに溜息をついた。五万で引き下がってくれたら、質屋は大儲けだったのに。
金貨を八枚ほど出して、カウンターの上に乗せる。
「これが今ある金、全てだの」
「意外と少ないな」
「ぼっちゃまの持っている品が良すぎるんだ。こんな田舎ではこれが精一杯だの」
「一万はまけといてやるか…。そうだ、古着で良いから服をくれないか」
目の良くない老人は、ウィザーズの血の付いた服に、ようやく気付いた。だが、別段追い出すような仕草もしない。
「好きなの持っていきな。その服はこちらで処分しよう」
「一万ルイ分の処理費か、商売上手だな。…頼む。これをもらっていく」
適度に目立たないが清潔そうな服を選んで、ウィザーズは上着を脱ぎ、袖を通す。元の服の処理を頼んで、ウィザーズは質屋を後にし、隣の武器屋へ入った。
「いらっしゃい。何をお求めかな?」
「鎧が欲しい。出来れば軽いのが良いな」
「そうなると、革製になるかな。あんまり丈夫じゃないぜ」
「動きでカバーするさ。一番軽くて、俺の体に合いそうなやつ」
「千五百ルイ」
「じゃあそれをくれ。そうだ、何処かでシュビットの地図は手に入らないか」
この第一大陸の地図だ。これからの旅で、必ず必要になる。
主人は鎧を取り、ウィザーズに渡すと、着てみるように促す。ウィザーズは鎧を付た。
「体にも合うし、これをもらう。金だ」
「何処まで行く気だ」
主人はつりを勘定しながら、ウィザーズに問いかけた。 そして、カウンターの引き出しから一枚の地図を取り出した。この近辺の地図ではなく、シュビット、大陸全体の地図だ。細かい道は分からない。
「はいよ、釣りだ。確認してくれ。地図はこんなのだったら二件先の道具屋で売ってるけどな」
釣りを受け取り、確認するとウィザーズはカウンターに置かれた地図を眺める。紙の端が茶色くなっていて、古い物であることが分かる。
「新しい物も、取り扱っているか?」
「あぁ、多分ね」
「ありがとう、世話になった」
ひらひらと手を振る主人に自分は腕を少し上げ、それに応えると、ウィザーズは武器屋を出た。
次の町へ行くまでの食料を、多めに準備しようと考えながら、ウィザーズは教えられた道具屋に入った。
「いらっしゃい。おや、若い旅人さんとは、珍しいね」
愛想のいい中年の女性が、ウィザーズを迎えてくれた。
噂どおり、人当たりのいい人達が多いなと、ウィザーズは思った。
これで俺が、フォリンの王子だと気付かれなければ大丈夫だろうな。
忠誠心の強い彼らが、フォリンの王子がここにいると知ったら、大騒ぎをするだろう。騒ぎを聞きつけて、フォリンの兵が来るかも分からない。何処の町でも、あまり長居をするわけにはいかなそうだった。
「地図と傷薬を。あと、保存食があればそれも」
「はいよ、何処までの地図だい?」
「シュビット全体の地図でいい」
「随分と大雑把だね。何の目的だい?」
逃げるだけだ、とは言えなかった。言葉に詰まると、婦人は勝手に解釈してくれた。
「訳ありだね。…大丈夫、喋ったりしないよ。ちょっと待ってておくれよ」
訳ありと、そんな風に見えただろうかと、ウィザーズは驚愕した。鏡がないので今の自分の顔が分からない。落ち込んでいるつもりはなかったのに、他人にはそう見えるらしい。
「お節介かもしれないけどね、理由くらいこじつけてでも答えられるようにしとかないと、世の中悪い人間もいるよ。はい、これが地図」
「ありがとう、気を付ける」
「傷薬と、保存食は干し肉とパンとメアの実があるけど、数は?」
「じゃあ、傷薬はとりあえず五つ。干し肉は三つでパンは六つもらう。メアの実っていうのは?」
こんな買い物を、楽しんでいる暇さえ今のウィザーズにはないのだ。全てが珍しい、今まで体験したことのない物だというのに、物珍しげにしていると怪しまれる。
窮屈さを感じていた。
「木の実なんだけどね。殻が固くてその分日持ちするんだ。栄養も高いし。食べてみるかい?」
瓶の中から丸い木の実を取り出すと、婦人は側にあった木槌で殻を割り、中から出てきた白い部分をウィザーズに差し出す。ウィザーズは戸惑いながらそれを受け取り、口に運んだ。
「固い!でも、甘くてうまいな」
「そうだろ?栄養だけならそれで足りるのさ」
「腹はあまりふくれないけど…これ、十個くれ」
「いいけど、高いよ。それだけで五千ルイになるけど」
「大丈夫だ。全部でいくらになる」
「えっと…五六三〇ルイ。本当に大丈夫かい?」
そんなに金を持っていないように見えるのだろうかと、ウィザーズは苦笑いした。そして先程のお釣りで六千ルイを払うと、婦人は三七〇ルイを返してくれる。
「気を付けていきなよ」
「ありがとう」
用はもう済んだかと、思っていると、市の露店の一つで婦人が手を挙げてウィザーズに合図している。さっき道を聞いた婦人だ。そういえば、店に寄る約束をしていた。
「分かったかい?」
「おかげで、ありがとう。うまそうだな」
「何がいい?安くしとくよ」
「これは何だ?随分不格好だな」
「お兄さんそれも知らないのかい?ドマガって言ってね、甘くておいしいんだ。この辺りでは有名だよ」
「そうなのか?」
じゃあこれは?と通りすがりのご婦人方がウィザーズで遊び始めるがどれも知らないのでウィザーズは首を傾げるばかり。結局店に並ぶ全ての果実を紹介されてしまった。改めて感じるのは、果実の名前さえ覚えなくて良いという環境で、自分は育ってきたのだという事だ。
「じゃあ、ぜんぶ二個ずつ」
「はいよ。お一人?」
「いや、連れと待ち合わせている」
「じゃあこれも持っていきなよ」
「これも」
と、ご婦人達が好き勝手に、自分の買い物した物の中から思い思いの物を取り出し、ウィザーズに渡す。渡し終えると、散り散りになって自分の家へと戻っていった。
何か入れる物が必要になってしまったウィザーズはこのまま道具屋に戻ろうかと思った。しかし果実屋の婦人が機転を利かせて、荷物のはいる大きな皮の袋を出してくれた。
「この袋も付けとくよ。入れてきな」
「ありがとう。助かった、いくらになる?」
「全部で九百ルイだよ」
「じゃあこれで」
差し出されたのは金細工の指輪。はめ込まれたサファイアが、素人目にも高価な物であることを悟らせた。
「ちょっと待って。お兄さん!これじゃお釣りが…」
「あるだけでいい。残りは礼と、さっきのご婦人達に、何かおまけしてやってくれ」
婦人は躊躇していたが、ウィザーズは指輪を置き、ざるに置かれたこの店の金を、半分ほどもらって、婦人が何か言うのも聞かず、市を出た。どうやら一万ルイでは、町の市で買い物するには大きすぎるらしい。
空を見上げると、もう陽は高く上がっていた。城を出てから、まだ半日だ。
「…あいついるかな」
急ぎ足で歩いていくと、明るい広場に不釣り合いな格好で、面白くもなさそうに立っている男がいた。黒ずくめの服が、昼間見るとやけに目立つ。
「悪い、遅くなった」
「すぐに行くか?」
「いや、その前に地図を…。あ、昼食ってからにしようぜ。好きなの食えよ」
「…買いすぎじゃあないのか」
「色々もらったんだよ」
木製のベンチに座って、袋を置き地図を広げながら、ウィザーズはドマガなる果実を頬ばる。婦人達の言っていたとおり、甘くておいしい。セライドは普通の丸い果実に手を付けたようだ。
「あとは馬を買って、此処からだと南東に向かうか…北は、やめといたほうが良さそうだな。一番近い町は此処だけど」
ウィザーズが指差したのは、砂漠の入り口となる町だ。
「そこはやめておけ」
「どうして?」
「そこは大地の気が乱れている。人にもろくな影響を与えない」
「じゃあ、少し遠くなるぞ?馬を使っても、四日はかかる」
「俺はかまわんさ」
エルフの彼より、自分の方が心配なのだ。自分がいつ、野宿に悲鳴を上げるか。
ベッドじゃあないところで起きたのは今日が初めてだ。
最悪の寝起きであったことは、生涯忘れないだろう。
「そういえばお前、エルフだろ?黒髪のエルフもいるのか?」
「…どうして」
「いや、エルフは金髪だって聞いたから。ダークエルフってのは黒らしいけど」
「…ダークエルフに見えるか?」
「お前は、エルフだろ。ダークエルフは肌の色も黒いと聞いたぞ。お前は白いじゃん」
「俺はエルフか?」
問われてウィザーズは黙り込む。セライドの方は、真剣らしい。
セライドの父は、完璧なエルフだった。金の髪も、碧の瞳も。母の姿を、彼は見たことがなかった。物心ついたときから、彼には父親しかいなかったのだ。その黒い髪が、母の物なのか、彼は父親に聞いたことはなかった。父は母のことを一切話そうとしなかったからである。その父も死に、事情を知っている風である長老も、口を割ろうとはしなかった。
お前は、我らエルフにとって、失ってはならぬ存在。
長老の口から出るその言葉が、正直言うと、煩わしかった。
「エルフだろ。人間には見えない」
「どうして」
「耳が違うから」
悩んだ末の答えが、これらしい。
「それだけか?」
「それだけ」
「…お前に聞いた俺が馬鹿だった」
何だよ、とウィザーズがふくれるが、セライドは気にせずに二つ目の果実を取る。
結局、二人とも訳ありなのか…。
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