Chapter 1-1 : 血塗られた王座
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「ウィザーズは逃げたか」
古びた書物を開き、男は無感動にそう言った。
「えぇ、アゼル様の…いえ、陛下の意図したとおりに」
暗幕の張られた部屋では、蝋燭の光とフォリン王国、第一王子アゼル=ウィルス=フォリンの顔。そして妖しげな女の肌が、浮き上がっていた。
赤い唇に、白い肌。赤黒いドレスは、両脇の腿の辺りまで、スリットが入っている。なだらかな曲線が、女の妖艶さを、より強調している。
「意図したとおりに…か」
アゼルは口元をひきつらせ、薄く笑った。
全て計画したとおり、事が運んでいた。父王を殺し、その罪を義弟になすりつけ、国を追い出す。後は自分が王位を継承すればよいだけだった。もう一人の王位継承者がいなくなれば、自分が王位につくのは道理。
もとより義弟であるウィザーズを捕まえる気はなかった。捕まえて国に戻れば裁判が必要になるし、義弟を支持する者がいるのも確かだ。
泳がせておいて、後々殺せばいい。
開いた古書を、指で軽く撫でた。ありとあらゆる知識を、幼少の頃から頭に詰め込み、アゼルはそれを消化して吸収してきた。詰め込む知識が無くなった頃に、この古書に出会った。学べど学べど、終わりの見えない知識。それを理解し得るだけの、自分の優秀さに感動した。
まだ足りない。
この知識のすべてを、私のものに。
そして、これで得た知識の全てで、義弟を殺し、世界を我がものにする。彼にとって、国取りや、義弟を殺すことは自分の知識を披露する場でしかないのだ。一番の野望は、知識を得ること。
「失礼いたします。陛下」
扉を叩く音と共に、痩せこけた男が部屋に入ってきた。目だけがぎらぎらと、暗幕の張られた部屋で光っている。
「グロージェス、何用だ」
「準備が整いましてございます。亡き国王陛下の葬儀及び、陛下の王位継承の準備。そして、元王妃マジェンダの処刑の準備が」
「お声が大きいのではございませんこと?グロージェス殿」
女の声に、グロージェスはその大きな瞳をギョロつかせた。舐めるように視線を動かし、女の体を下から上へと眺める。
気色の悪い男…!
女は自分の腕で守るように体を抱きしめた。
「カミーラ」
「はい、アゼル様」
「チェルットへ行くのだ。少々手荒な真似をしてもかまわん。同盟国として抑えろ」
「承知いたしました」
カミーラは一礼して部屋を出ていった。グロージェスの視線を避けるようにして。
「真、陛下は良い部下を持っておられる」
溜息をつくように、グロージェスは声を漏らした。アゼルは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「欲しければくれてやる。…処刑の手順は分かっているな」
「承知しております」
「下がれ、私の準備が整い次第、王位継承を行う」
深々と一礼して、グロージェスも部屋を出ていった。
そして、アゼルの王位継承が行われた。ウィザーズ王子が捕まって、事の顛末がはっきりとするまで待つべきだという意見を無視し、アゼルを推していた者たちの手によって式は早々に済まされた。妹たちは複雑そうな面持ちで、式の間ずっと長兄の姿を見ていた。そして、王家で唯一出席しなかったのが、亡き国王の妻、ウィザーズの母のマジェンダ=フォース=フォリンだった。
アゼルの母が早くに亡くなり、その後正妻として迎えられたマジェンダは三十五の若さで未亡人となってしまった。そして息子は追われ、国王殺しの子を産んだ者として、城の塔に隔離されてしまったのだ。
「マジェンダ様、お加減は大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫ですよ、イルシー」
黒い喪服を着たマジェンダには、たった一人だけの従女がいた。美しい金色の髪に似合わぬ質素な服を着た若い娘だった。結婚して五年が経っているイルシーは、マジェンダと同じように、この塔から出ることはなかった。献身的にマジェンダの世話をしてくれている。
「…イルシー。私は一人でも大丈夫です。夫と離れてまで私に仕える必要はありませんよ」
狭い塔の中で、一国の王妃が一人で暮らせるわけもない。嫁ぐ前も、嫁いだ後も何不自由なく過ごしてきたのだ。苦労したのは子育てくらいであったろう。マジェンダはウィザーズを乳母には渡さず、自分で育ててきたのだ。手の掛かる子供であった。しかし、国王を殺すなどということは絶対にないと分かっていた。自分は王弟として軍人になるのだと、自分で言っていたのだから。
「…私はカトラス王子を信じております。カトラス王子がお戻りになるまで、王妃様をお守りするのが私の役目と思っております」
イルシーは毅然とした態度で、マジェンダに向かい合った。
「…イルシー。でも貴女の夫は…」
「あの人はウィルス王子に付くといっております。でも私が信じてお仕えする方はカトラス王子しかございません。男が仕える人を選び、女は男に付いていくというのは嫌でございます。私は私自身で、仕える方を選びます」
「貴女は…強いのね、イルシー」
「マジェンダ様がいて下さるからですわ、きっと…。私あの人とは離婚します」
晴れやかに笑う彼女は、マジェンダの心の支えになっていた。
無事でいるかしら、ウィザーズ。
祈るように、格子がはめられた窓から外を眺める。決して広くない部屋に、塔の階段を昇る音が響く。
鍵を開ける音がすると、扉が開かれた。
「ご機嫌は、いかがかな。マジェンダ殿」
一番に入ってきたのは、正装したアゼルだった。その後にグロージェスと、イルシーの夫、そして何人かの兵士が続いている。
「王位継承とともに貴女の処刑を宣告しましたら、ロジス殿が反対しましてな」
イルシーはその時、兵士の一人が持つ、布にくるまれたものに気付いた。
「マジェンダ様!見てはなりません!」
後ろを向かせようと、イルシーはマジェンダに飛びついたが、遅かった。
「貴女の代わりに、死んで頂いた」
布がはらりと落ちた。
「っ!」
口元を抑え、マジェンダは硬直した。首だけになった、老人の変わり果てた姿。まだ血が滴り落ちている。その血が、部屋の絨毯を濡らした。
王子の汚名はこのロジスが必ず返上いたします。
それまでの間、しばらくご辛抱下さい。
「ロ…ジス!」
マジェンダは気を失った。イルシーは倒れるマジェンダを支えて床に膝をついた。
アゼルの笑い声が、こだました。部屋を笑いながら後にするアゼルの姿に、イルシーは涙ながらに罵声を浴びせた。
「人でなし!悪魔!」
一人残ったのは、自分の夫だった。
「イルシー。お前も来るんだ。此処にいては、お前もいつ殺されるか…」
「心配してもいないくせに、そんなこと言わないで!出ていってちょうだい!私はもう貴女の妻じゃないわ!」
「イルシー!」
「あの男に仕えるのなら、好きにすればいいわ。でも、私に押しつけないでちょうだい。私は人間よ。悪魔に仕えはしないわ!」
ロジスの血の付いた布を、イルシーは夫に投げつけた。端麗な顔の男は、それ以上何も言わずに、部屋を出て、鍵を掛けていった。階段を降りる音と共に、イルシーは声をひそめて泣いていた。
食糧と一ヶ月分の生活雑貨を買い込むと、男は市を去ろうと身を翻した。すると彼に声をかける者がある。振り返ると、行きつけの店の主人が彼を追ってきた。
「これを入れ忘れていたよ。すまんすまん」
「わざわざ済まないな」
森に住んでいるという大柄な男が、市へ買い物に来るようになってから、三年が経っていた。娘と一緒に暮らしていると、最近では嬉しそうに話すようになった。入ると必ず迷って戻ってこれないと恐れられている森に住んでいるという事で最初は気味悪がられていたが、話してみると気さくで優しいことから、なかなかの人気者になっていた。
「そうだ、バルドさん」
名前がフォリンの有名な騎士と同じであるということも、親しみやすかったのかもしれない。
「確か元は騎士だったよな。じゃあ亡き陛下の側近だったロジス老を知っているかい?」
「亡き陛下!」
「あぁ、陛下が亡くなったこともご存じないのか。第二王子のカトラス様が暗殺なさったのだと、城では発表しているが」
「馬鹿な!ウィザーズ様に限ってそのような事を…」
立ち尽くす男の呆然としたままの脳裏に、元気な少年の姿が浮かぶ。第二王子という王位を継げる立場にありながら、それに執着するような事のなかった少年。異母の産んだ妹たちの面倒をよく見て、笑って遊んでいた少年。自分が城を出なければならないと告げたとき、勝ち気な瞳で涙を見せまいとしながら、それでも嫌だと言ってきかなかった少年。その彼が、父王を殺したなどと。
「それで…ウィザーズ様は」
「逃げてるって話だ。それとな、ロジス老が、王妃様を庇って処刑された」
「なんと…」
「むごい話だぜ…。国王殺しの子を産んだ罪だとか勝手な理由付けて殺されそうになった王妃様を庇ったロジス老を、身代わりに…。それで表向きは病死だ!城に上がっている甥の話だ、確かだぜ。おそらく王妃様を処刑して、カトラス様をおびき出す気だったんだろう。あ!バルドさん!忘れ物だって!言ってるのに…さ」
片腕を失ったとはいえ、無我夢中で走り去るバルドに主人は追いつけず、腐るものでもないから、と引き返す。そのままバルドは森の入り口まで走る。流石に息が切れ、森の手前で膝を付き、荷物を草の上に投げ出した。
「くそ!どうしてこんな時に儂の片腕はないのだ!こんなに老いては、ウィザーズ様をお守りすることも…」
片腕で体を支えては、地面に八つ当たりすることもままならない。悔しくて、バルドは草を掴んだ。
その様子を見ていた、娘が道案内に付けてくれた魔獣が、彼に歩み寄ってくる。
「…悪い。帰ろうか」
あれから三年経ったのだ。夢見心地で過ごしてきた日々はあっという間に過ぎてしまった。現実に引き戻された時には、自分の体は三年分老いていた。自分の覚えている少年も、どれ程背が伸び、立派になっているだろうか。世間知らずの王子が、たった一人で見知らぬ町を、国を、追っ手に追われながら逃げ回っていることを思うと、何故自分は国を空けたのか、そればかりが悔やまれる。それと同時に腕を失い、老いた自分に何が出来るのかと、三年前この森に来たときと同じ思いが、重くのしかかる。
ここで終われるのだと、幸せにおぼれ、忘れていた声が頭の中に響く。自分の名を呼び、覚えている限りの表情を示す少年は、どれも幼い。城を去った時は確か、十三・四だったはずだ。それでも一番印象に残っているのは、自分が剣を教え始めた頃の姿だ。
「…ウィザーズ様…」
『俺はいつか、バルドを越えるんだ。バルドより強い男になるぞ』
「…」
『どうしてだ、バルド!俺はまだお前に一勝もしていないんだぞ!右手がないのなら左手で俺と戦え!』
右手がないのなら左手で。しかし騎兵が馬に乗っても戦えず、片手だけでどうしろと言うのか。戦場で暴れ回った若い男は、槍の名手はもういないのだ。
『何処にも行くな!バルドー!』
バルドは思わず耳を塞いだ。頭の中に響く声が、本当に聞こえるような錯覚に襲われた。
「…お父様?」
はっとなって顔を上げると、薄い菫色の瞳が、自分の顔を覗き込んでいた。
「どうしたのですか?帰ってきてからずっと、湖を見たまま。町で何かあったのですか?」
「レンヌ…」
何もないと、バルドは首を振った。
「嘘…。何でもない顔ではありません!元気がありませんわ」
「…ウィザーズ様、王子が王を殺した罪で追われているらしい。お助けしたいが、この腕では…」
レンヌはしばらくの間無言で、風の音を聞いていた。森が騒いでいる。何かを語りかけるように。
「…行きましょう。お父様」
「しかし…」
渋るバルドの左手を、レンヌは手に取った。不思議そうにバルドが見返すと、レンヌは微笑みを返す。
「お父様がいつも左手だけで剣の鍛錬をしていたの、知っていましたわ。行きたいのでしょう?力になれないとしても、王子の元に。私も…行きます。お父様と一緒に」
「しかしレンヌ。儂一人ではともかく、若い娘が一緒だと危険では…」
「…」
黙り込んだレンヌは、うっとおしそうに髪を払った。
「大丈夫だ。もう一種類服がある」
そう言ってレンヌは身を翻して石造りの古い建物に入って行く。しばらくすると少し大きめの男物の服を着て、黒いローブを手に持って戻ってきた。訊かなくとも、多分本当の父親の物だろうと察しはつく。
「レンヌ、…本当に?」
「一人で何処へ行くつもりだ?王子が逃げたところも分からないのに。私が魔獣に捜させる。何か王子が身につけていた物はないか?」
「王子が別れるときに、護身刀を…」
それを受け取ると、レンヌは呪文を唱え始めた。
「陽の光を受けし物。それによりてその漆黒の躰を造りし物よ。風の精霊が双つの翼を与えよう。我が力と伴に」
大きな鳥のような、漆黒の魔獣が造られた。レンヌはその魔獣に短剣を差し出した。しばらくしげしげと魔獣はその短剣を眺め、顔をすり寄せていたが、それが済むと翼を広げて飛び立った。それを見送ると、レンヌはローブをかぶった。大きなローブは、レンヌの細い体を、しっかりと覆った。
「取り合えず、南へ向かおう」
「何故?」
「私の勘だ。北だったら戻ればいい」
「…!。レンヌ、髪がローブから出るな」
「…じゃあ、少し切るか」
バルドの持っていた短剣を引き抜いて、レンヌはローブをまくった。地に付きそうな程長い、白銀の髪を膝までバッサリと切る。残った髪を下の方でまとめ、切り落とした髪も一つにまとめる。
「この髪、売れるか?」
「まぁ…珍しいからな」
「準備をしたら、すぐに出よう」
今は迷いもなく、バルドはレンヌの言葉に頷くことが出来た。
役に立たずとも、行きたいなら行けばいい。
レンヌは無言でそう言っていた。自分は、もう騎士ではない。背おる大剣に、国も上官も重みだった今までの物は何もない。鎧の重さも、以前とは全く違う。自由なのだから。その軽さを、今までなかった力に変えられるように。
仕度をするバルドは、レンヌの姿に気付かないでいた。
大きな円形のベッドに、頬を寄せ、別れを告げるレンヌ。
天井から垂れ下がる薄布が、その姿をぼんやりと霞ませる。
騒ぐ森。波打つ湖。
―姫。
行かれるのですか、姫。
「…すぐに帰ってくるから。すぐに…」
行かれるのですか?
我らが、王よ。
「行って来ます。お父様、お母様…」
その日、二人の親子は旅立った。夢の森を後にして、走る現実を追って。