Chapter 1-2 : 囚われのエルフ

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 次の日の早朝、ウィザーズは物音に目を覚ました。まだ日も昇りきらない、薄暗い空。部屋ではベッドから出たセライドが鎧を着ている。

「…セイ?」

 眠い眼をこすりながら、彼はエルフの友人の名を呼んだ。セライドはローブを羽織り、こちらを向いた。

「起こしたか、悪かったな」

 腰に長い杖を下げる。木製の杖の上部にある飾りが、シャンと音を立てた。ウィザーズはその音に完全に目が覚めたのか、布団をはねのけた。

「もう行くのか?」

 寝乱れた服を直す素振りさえ見せず、ウィザーズはセライドに詰め寄った。セライドは黙々と準備を進めている。頭に黒い布を巻き、エルフの尖った耳を隠す。

「正面から行ったらおかしいだろう。捕まっているエルフを助けようとして潜り込んだことにする。途中で上手く、誰かに捕まる。捕まっているエルフと同じところへ連れていってくれるかは分からないが、それが一番妥当な作戦だろう」

 準備が終わり、さっさと出ていこうとするセライドの腕を掴み、ウィザーズは何やら言いたげにしている。

「砦の中で魔法を使う。それが合図だ。レンヌといったな、あいつが大きな魔獣を造れるのだったらそれに乗って乗り込め。俺はすぐに逃げる」
「そんなに大きな魔獣が、あいつに造れなかったら?」
「その時は外で待っていろ。俺一人でも事足りる」

 言い終わると、今度は本当に部屋を出ていった。


 ウィザーズはまず服を着た。寝乱れていた服と、癖のついた髪を直し、革製の鎧を付けた。剣を腰に下げると丁度部屋の扉が叩かれた。

「ウィザーズ様」
「バルドか、入って良いぞ」

 遠慮がちに、壮年の男は部屋の戸を開けた。ウィザーズはその間にもせっせと着替えを進めている。マントを羽織り、金色の金具でそれを留めた。

「セイはもう出たぞ。バルド、お前の準備は大丈夫か?」
「はっ、儂は大丈夫なのですが…」

 そう応えたバルドは確かに鎧を着て、又その上からローブを羽織っていた。大剣も背負っているし、だが連れである養子がいない。

「レンヌは?まだ寝ているのか?」
「いえ、起きて…セライド殿に話があるとかで、外へ」
「セイに?」

 ひょいとウィザーズは宿屋の外を見た。窓越しに下を見ると、セライドがレンヌに引き留められていた。

 早々に砦に向かおうとしていたセライドは、大股でまだ動かぬ町を歩き出した。静かな町に、自分の足音と、後ろから走ってくる誰かの足音が響く。振り向くと、黒いローブで全身を覆った小柄の人間レンヌが彼の後を追ってきた。よく見ると足元には昨日造った魔獣がちょこちょこと付いてきている。

「…レンヌ?」

 立ち止まったセライドに駆け寄ると、レンヌは白い細い腕を持ち上げた。また布を取られるのかと、セライドは慌てて頭を押さえたが、レンヌの手はセライドの額の位置で止まった。

「手を下ろせ。すぐに済むから少し黙っていろ」

 その口調に不釣り合いなくらい美しい高い声が、有無を言わせない響きをかもし出した。言われるままに手を下ろし、黙ってローブの下に隠されたレンヌの目を伺う。

 長い爪。ほのかに桃色を帯びた手。小さな口元は引き締められたままだ。

 指先から波紋が広がり、やがてレンヌの手が全体的に光り始めた。波紋はセライドの体の方にも広がってくる。

「動くな。害になるようなことはしない」

 魔法なのは分かっているのだが、何のために行うものなのかが分からない。説明を求めたいが、答えてくれる物か怪しい。動くなと言われて、セライドは直立のまま、まだ人気のない町へ視線だけを動かしていた。

「…良いぞ。行って来い」

 手を下ろすと、レンヌはすぐさま宿へ戻ろうする。やはり何も説明する気はないらしい。セライドは溜息をついた。特に体が重いという事もなく、気にするだけ損をするような気がして、セライドは何も聞かずに砦へ向かった。


 ランブルゲン王国にも、エルフの住む森が存在した。しかし、それは国のもっとも内陸に存在しているため、海沿いのこの町に、エルフが捕らえられているというのは道理にかなっていないように思われた。しかし、現にこの砦の地下牢には金の髪と、青の瞳、そして何よりもその尖った耳がエルフであることを示している人物が捕らえられていた。なだらかな体の曲線はまた、そのエルフが女性であることも認識させた。

 牢の中で、彼女はむき出しの肩を抱き、小さく縮こまっていた。彼女確かに、ランブルゲンのエルフの森の者だった。森にいる限り、彼女は平安でいられた筈のなのだ。しかし彼女は今こうして、人間に捕まっている。

 彼女の住む森にも、人間の作り出した魔獣が幾度となく入り込んできていた。ちょうどセライドのが気にかけていたように、彼女は外の世界での人間達の動きに、不信感を募らせていたのだ。そして、若さ故の好奇心がその不信感に加わり、彼女はある夜に村を抜け出した。自ら作り出した飛行系の小さな魔獣と共に見た人間の世界は、彼女にとっては、どれも新鮮なものだった。エルフが住んでいる森の何十倍もある土地に、人間達は個々の家を持って住んでいた。無論彼女は自分の住んでいる土地が、人間の決めたランブルゲン王国という領地内に入っていることすら知らなかった。ただ空から見渡せる三百六十度の世界に、彼女は少なからず歓喜した。そして海というものを見るために彼女はこの砦のある港町へと来てしまったのである。

 優雅に空中散歩を満喫していた彼女は小さいけれど強固な建物の上まで来て、その異変に気付いた。魔獣のコントロールが効かない。しかし気付いた時には彼女の創り出した魔獣は、元の木の枝に戻っていた。あれよという間に彼女の体は宙に投げ出された。地に吸い寄せられるがままに、彼女は落ちていった。

 砦の中庭へ。石畳に体を打ち付ける前に、彼女は目を閉じた。地上すれすれの所で彼女は体が浮くのを感じた。死んでしまったのかと一瞬思ったが何の衝撃も感じぬまま死ぬものだろうかとも思う。

 もしかして直前で気絶してしまったのかしら。

彼女はしっかりと瞑った目を恐る恐る開いた。

 一人の男が、彼女の顔を覗き込んでいた。痩せた体に頬骨の出た顔。今にも飛び出しそうな瞳は大きく、暗い闇色をしていた。あまりの異形さに、彼女は思わず息を呑んだ。

「まさかエルフの女が引っかかるとは…思いも寄らぬ贈り物だ」

 喉の奥の方から、絞り出すように男は笑った。どうやらこの男が砦に結界を張ったようだ。彼女は怯え、逃げようとしたが、体が動かないでいる。宙に浮いた体は、魔法で縛られている。

「グロージェス殿。…その娘は?」

 助けて!

 目の前と同じ、人間に助けを求めることの無意味さを、彼女は重々承知していたのだが、それでも今日初めて目の当たりにした人という生き物に淡い期待を抱かずにはいられなかったのである。彼女は声までも魔法によって縛られていた。解こうとしたが、相手の気が強く、失敗に終わった。暗くよどみ、体にいつまでもまとわりつく男の気は、彼女の抵抗心をすっかり呑み込んでしまった。

 そして彼女は、あれよという間に砦の地下牢へと連れてこられたのだ。


 私を、どうするつもりなのかしら。


 長い間、エルフと人間との間に交流がないことには理由があった。元は同じく神に創られた存在であったこの二つの種は、太古の昔、同じ姿であったと伝えられる。しかし、やがて彼等の中に大罪を犯す者達が現れた。神の存在を疎ましく思い、その者は神殺しを行ったのだ。その者に賛同する者達とその行いを大罪とし、非難する者達。前者が人間、後者がエルフ。彼女は祖母に繰り返し教えられていた。


 神を裏切った人間は、いつ私達を襲うかも知れない。
 人に近付いてはいけないよ。
 森にいれば、神が助けてくださるからね。


彼女はよく、その言葉に疑問を持ったものだ。


 神は死んだのではないの?
 神が不死の存在であったなら、
 どうして人が殺したなんて言うの?


本当は、人は神を殺してはいないのではないか。考えるたびに、彼女の人に対する好奇心は高まっていく。しかし彼女は今、祖母の言い付けを破ったことを後悔していた。人は恐ろしい存在であったのだ。此処では森の庇護もおよばない。冷たいだけの地下牢の石床に、涙が落ちては染み込んでゆく。


 誰か、助けて。


そう叫び続けて、彼女はもう一週間近くこの暗闇の中にいた。その間にあの男が何度か訪れたが、何も言わずにただじっと彼女の姿を見て立ち去ることの繰り返しだった。結界の中では彼女の力もうまく働かず、逃げ出すことは出来なかった。手足に付けられた鎖が、日に日に重くなっているような気がしていた。
 その実、グロージェスが待っていたのは彼女の衰弱であった。急ぐ必要のない彼は、彼女を衰弱させた後、エルフの女に伝わった魔術と魔法を聞き出すつもりでいたのだ。


 フォリン新王の下、宰相となったグロージェスは、元王付の薬剤師であった。アゼルの腹心として働き出すと、グロージェスは他の高官達を退けた。独裁的にアゼルの元で働くグロージェスは、様々な雑用と思われることでさえ他の者の手が入ることを拒んだ。二週間前にランブルゲン国王に謁見し、フォリンとの同盟を結ばせると、この国唯一の魔法兵が駐在するこの砦へ来て、良い人材をフォリンへ引き抜こうと交渉しているのであった。そして、あわよくばと思っていたことも、実際のものとなったのだ。

「エルフを捕まえたな、返してもらおう。」

 彼が聞き知っていたエルフは少し違ったが、尖った耳はエルフ以外の何者でもなかった。黒髪の、まだ若いエルフだ。

「上等…」

 彼は不敵に笑い、身の内に宿る気を一気に高めた。エルフの青年は抵抗しようとしたが、魔法兵も加わると、簡単に捕らえられてしまった。エルフの男は攻撃性のある術や法を使うというので、彼はエルフの青年の体の周りにも結界を張った。そして砦の地下牢へ連れていく。この時点でこの青年がカトラス王子の仲間であることを、彼は知らなかった。

 同じ地下牢へ連れて行かれ、セライドは計画通りと笑った。体の周りに結界を張られたのは痛い所だが、何とかなるだろうとたかをくくっていた。


 待てよ、だとしたらレンヌが俺にかけた魔法は何だ?


レンヌの魔法が結界だったとしたら、先程の不気味な男がかけた結界と反発しあうはずなのだ。しかし何も起こらない。一体レンヌは何の魔法をセライドにかけたのだろうか。

 セライドは牢に入れられると、手錠と足枷をはめられた。これは彼の予定には無い展開だ。結界で体を覆われているからには魔法で牢を壊すわけにはいかない。セライドの力が上であれば出来ることには出来るのだが、かなりの衝撃がくる。それではエルフの少女を助け出す前に奴等に気付かれてしまうではないか。

「…おい、大丈夫か?俺の名はセライド。お前と同じエルフだ。助けに来たからな」

 壁越しに、隣にいるであろうエルフの少女に話しかける。彼女は同じエルフと聞いて、歓びに顔を輝かせた。壁に近づき、声に応える。

「私はエメス」

 応えて、彼女は考えた。セライドという名前、何処かで聞いたことがある。しかし、彼女の村にそんな名の男はいない。

「…あの、何処の村の方ですか?」
「北の森だ。怪我はないのか?」

 呆然と、彼女は一言ハイと答えた。


 北の森のセライド!


長老から耳が痛くなるほど聞かされていたエルフがすぐ隣にいるのだ。不思議に胸が高鳴る。

 あのセライド様が、私を助けに!

見ることさえ叶わぬ人と思っていた。北の森を離れているのはわざわざ彼女を助けに来たからなのか。そんなはずは無いと思いながらも、彼女は黒髪に白い肌の特殊なエルフを、早く見たいと思った。普通のエルフにはあり得ない白と黒のコントラストは、どんなに美しいことだろう。

 一方セライドは手錠と足枷に悩まされていた。縄なら良かったのだが金属製の鎖。この状態では腰に帯びている杖も抜けない。助けに来たと言っておきながら、自分が助けて欲しい状態になってしまった。

 迂闊にあいつのことを馬鹿と言えないな。

セライドは深く溜息をついた。その時、牢の前を何かが通り過ぎた。小さなそれは人ではない。隣の牢の前まで行ったらしい。


「な、なに?」

 エメスの声が聞こえる。


「どうした!」

 叫んだセライドの声が聞こえたようで、それはまたセライドの牢の前に戻って来た。

「お前…」

 呆気にとられたセライドの前にいるのは、昨日宿のスプーンを使ってレンヌが作り出した魔獣だ。何も言えないセライドを尻目に、魔獣は牢の中に入ろうとする。しかし幅があわず、体が格子にぶつかる。一度愛らしく首をひねると、後ろに下がり突進してきた。格子にぶつかる前に、兵隊の人形は元のスプーンに戻り、牢の中に落ちた。

「…一体、何がしたかったんだ?」

 セライドが呆れて呟くと、淡い光が落ちたスプーンを覆い隠した。次の瞬間にはスプーンはまたも兵隊の形を取り、何事もなかったかのようにセライドに近付いた。そして足枷の鎖に小さな槍を振り下ろす。どれ程の力であったか理解できないが、鎖は一回の攻撃で砕け散った。兵隊が促すので、セライドは手錠の方も差し出した。槍が手に当たるのではないかという心配もあったが兵隊は正確に手錠をも壊した。手足が自由になったセライドはエメスに格子側に寄るように言うと、両手に気を集めた。壁を壊そうというのだ。しかし、兵隊がそれを止めるように前へと立ちはだかった。

 身長差はゆうに一メートルを超えている。とても立ちはだかったというようなレベルではなかったが、セライドは一応手を止めた。兵隊はそれを見ると、ぺこりと頭を下げ、入って来た時と同じようにして格子の外へ出た。何をするのかと思っていると手持ちの槍で格子にはまった錠を開けようとしていいるらしい。槍の部分では大きすぎるということで、逆さに持って開けようとしている。しばらく時間がかかったが、鍵の開く音がすると、錠をはずし次に隣のエメスの所へ行って、そちらの錠も開けている。二回目で要領を掴んだらしく、次は簡単に開いた。セライドはその間ずっと、誰か来ないか見張っていたが、運良く誰も地下牢には降りてこなかった。

「ありがとう。」

 エメスは兵隊にお礼を言った。兵隊は照れているのか、頭を掻く仕草をした。

「外が騒がしい。ウィズ達か?。」

 セライドはエメスの手を取った。エメスは初めて見た黒髪のエルフにすっかり見入っている。その姿はエメスが想像していた以上のものだった。黒い髪と黒い瞳は新月の日の夜。白い肌は女のエメスよりも美しく、透き通るようだった。夢見心地のエメスには全く気付かずにセライドは慎重に暗い階段を上がっていった。


 「もう少し近づけないのか、レンヌ」

 ウィザーズが苛立たしそうに尋ねた。その姿は砦の真上である。セライドの作戦を聞いたレンヌはまず最初に鉄の兵隊を砦へ忍び込ませた。その後、何のためだ、と聞いてくるウィザーズを無視すると、馬よりも一回り大きな魔獣を創り出した。鷹の顔と翼に馬の体、そして竜の尾。三人乗るには少し窮屈かと思われたが、レンヌの体が細く小さいので、さほどのものでもなかった。兵隊がセライドの所へ辿り着くと同時に、三人は砦の上空へと向かった。砦の魔法兵が一斉に外へ飛び出してくる。しかし結界の中だと安心しているのか、ただ上を見上げているだけだった。レンヌも結界に触れないようにと高く飛んでいたのだが、先程のウィザーズの発言。どうしようかと思っていると、バルドがウィザーズを宥めにかかった。

「下へ降りる必要もございますまい。セライド殿が現れて危険なようでしたらやむを得ませんが」
「義兄の命を受けた者がいるかも知れない。逃げられる前に下へ降りる」

 我がままな王子はそう言って聞こうとしない。レンヌは何を考えたのかさらに上空へと魔獣を移動させた。

「レンヌ!」

 ウィザーズが非難の声を上げるが、レンヌは黙ったままだ。おもむろに足場の悪い魔獣の背に立つと、ローブが大きく風に揺れた。

「レンヌ!危ないぞ」

 バルドが風の音に負けぬようにレンヌを制する。これにもレンヌは反応なしだ。

「相手は魔法兵。砦の一帯には結界か…。良いだろう。ウィズ、剣を貸せ」

 釈然としないながらもウィザーズは腰に帯びた剣をレンヌに渡した。レンヌは屈み魔獣の首に掴まった。

「下りるぞ、掴まっていろ!」

 レンヌが叫ぶと、魔獣が一気に急降下した。ウィザーズとバルドは風圧に目を瞑った。その瞬間に、レンヌが魔獣の背を蹴って砦へ落ちていった。

「レンヌ!」

 これにはウィザーズもバルドも顔面蒼白であった。


 下りたいとは言ったけど、落ちろと言ってないぞ!。


レンヌはウィザーズに借りた剣に魔術で結界を張った。


「剣は盾となりて、守りの壁となる」


 素早くそう唱えると、砦の上空で剣をつきたてた。砦の結界と、剣の結界が互いにぶつかり合う。その場にいた全員がその衝撃の大きさに驚嘆した。グロージェスの結界はとても強固で隙のないものだった。だがそれはレンヌの結界との衝突で、崩れ去った。まるで翼が生えたように、ゆっくりとレンヌは砦の中へ下りていった。魔法兵の集まる中央に。勇敢な魔法兵はレンヌに攻撃しようと気を高める。レンヌは地に足を付けると素早く剣の鞘を抜き放った。流れるような動作で魔法兵を次々に斬り倒していく。

「おのれ!」

 一人の魔法兵が魔法を放った、光の固まりだったものが、炎へと変わる。結界が無くなり魔獣は砦の中へ下りてきた。ウィザーズがレンヌを庇おうとして走るが、一足遅くレンヌは炎に呑み込まれた。

 同じくセライドもエメスを連れて地下牢から出てきていた。炎にのまれるレンヌの姿。しかしすぐに炎は消え、レンヌは平然と立っていた。剣に張った結界が、炎を呑み込んでしまったのだ。

「無礼な奴等だ。雑魚を相手にするのは今回限りにして欲しいな」

 レンヌは無慈悲にも剣の柄で男の腹部を思い切り突いた。どうやら今回のお相手は、彼のお気に召さなかったらしい。

「…無礼なって…。バルド、お前何処の貴族を養子にしたんだ?」
「…さぁ…」

 さぁはなんともおかしな返事だが。分からないのだから仕方がない。

「ウィズ!」

 セライドはエメスを連れてウィザーズに駆け寄った。後ろからあの兵隊が遅れて付いてくる。レンヌは兵隊を抱え上げると、邪魔になったのか、剣をウィザーズに返した。

「セイ、怪我は無いみたいだな」

 親しげに話す人間とエルフ。エメスは信じることの出来ない光景を目の辺りにしたのだ。

 あのセライド様が人間と!。

このような光景を目にするとは思ってもいなかった。彼女を捕まえたあの人間達と目の前の三人は同族ではないか。それなのにセライドは。

「騒ぎにならぬうちに、セライド殿は此処を離れた方が良いでしょうな」
「ああ、そうする」

 何故セライドが人の言うことを聞くのか。彼女には納得出来なかった。


 セライド様に話しかけることさえ、
 普通の人間なら叶わないはずなのに。


上手く逃げられたことも忘れて、彼女は一気に不機嫌になった。

 セライドが落ちていた石を拾って魔獣を作り出した。小さな媒体で魔術を行うことは、それだけ知識が深いということだ。セライドが媒体にした石は手の平よりも小さな石。エメスでは両手ほどの大きさの石でないと同じ魔獣を作り出すことが出来ない。そこでウィザーズはふと考えた。レンヌはあの魔獣を作りだした時、何を媒体にしたのだろう。セライドのように石を拾っていた様子はない。スプーンもあの場にはなかったし、木の枝でも折ったのであろうか。いや、そんな素振りも見せなかった。セライドとエメスが魔獣で飛び去った後ウィザーズはレンヌを捕まえてそのことを問いただした。

「…お前が気付かなかっただけだろう。私は石を使ったぞ」

 言い張るレンヌ。本当のことを言ってまたセライドの耳に入ると、また怪しまれるからと、レンヌは嘘をついたのだ。


「俺達もそろそろ此処を発った方が良いだろうな」

 魔法兵は全て、殺してはいなかった。いつ起き上がるか分からないし、その際ウィザーズやバルドの顔をはっきり見られてしまっては事が大きくなる。ウィザーズの意見にバルドも同意した。ウィザーズは建物内に隠れて見ている者がいないか、辺りを見回した。ぐるりと見回し、最後にウィザーズが目にしたのは物見に使われる周りよりも少し高い塔だった。その最上階と思われる部屋の窓。ガラスも何もはめられていない飾り気のない石造りの窓は潮風に浸食されて丸みを帯びていた。そこにある長細い人影。


「…グロージェス…」


 ウィザーズはその男を知っていた。王付の薬師だった男。不気味な風貌と多くの薬剤的知識。悪魔のような男だと、幼い頃思った。ウィザーズと目が合うと、グロージェスは挑発するような嘲りの笑みを漏らした。ウィザーズは駆け出した。手にはしっかりと剣を握っている。もはや疑いようがなかった。グロージェスは義兄の配下だ。それも重要な位置にいる。義兄は知識のある者と、扱いやすい者を好む。これはウィザーズの感だったが、彼の人を見る時の感はなかなか鋭いものがある。夢中で彼はグロージェスの姿を追った。階段は二段ずつ飛ばしながら、握りしめた剣によりいっそう力を込めて。

「グロージェス!」

 彼は扉を開け放った。中は物見のための部屋らしく、簡素な物だった。屋上へ上がれる棒を縄で止めただけの梯子。急いで梯子を登った。下から響く足音は、バルドとレンヌの物だろうか。しかし、二人を待っている余裕は、ウィザーズにはなかった。胸の熱が冷めない。ウィザーズは屋上へ足を付けた。突如の激風が、体を持ち上げそうに吹き荒れる。大きな羽音に、ウィザーズは顔を庇っていた腕を降ろした。

「逃亡生活には、慣れましたかな?カトラス王子」

 まるで喉に風穴が開いているかのような声。

「お前の薬のおかげで、ひどい目に遭っているさ、グロージェス」

 そんな皮肉も、この男には通じない。彼の義兄に良く似ているのだ。

「そうですか?薬の効き目をもう少し伸ばしていたら、あの城で捕まっていたかも知れませぬが。絶妙のタイミングでようございました」

 グロージェスは土気色の魔獣に乗っていた。もはやウィザーズの手の届く位置にはいない。

「ウィザーズ様!」

 下からバルドの声がする。

「おや、それではひとまず退散と致しましょう、王子。最後に一つ、私からのプレゼントを…」

 グロージェスの声が風に乗ってウィザーズの耳に入った。


 …なんだって!


ウィザーズが塔から身を乗り出すのを、上がってきたバルドが止めた。

「待て!グロージェス!」

 飛び去るグロージェスを引き留めることは出来なかった。視線を落とすと、レンヌは下にいた。グロージェスは自分の結界を破った彼に挑戦状を叩き付けるように、魔法を放った。氷の矢が、レンヌに降り注いだ。レンヌは動かなかった。その代わりに抱えられた兵隊が、槍を前へ突き出すのが、ウィザーズの目にとまった。しかし上空のグロージェスにはその動きが確認できなかった。氷の雨は、レンヌにかすり傷一つ負わせることはなかった。兵隊の槍から波紋のように何かが広がると、氷の矢は全てその場で蒸発した。

 一体、何者だ…?。

しかしグロージェスはそれを追求することはなかった。そのまま飛び去る影はだんだんと小さくなっていった。

「…人を操るのなら、耳元で囁くのが一番だ…か」

 レンヌは塔の上でバルドに抱えられているウィザーズを見てそう呟いた。


 セライドはエメスを連れ、ランブルゲンにあるエルフの森へと向かっていた。第一大陸シュビットに存在するエルフの森はわずかに二つ。セライドの村迷いの森と、エメスの村幻惑の森である。エルフ達が互いの村を行き来することは滅多にないが、長老達の間では、魔獣を使っての情報交換が密に行われているのだという。その内容はセライド達に知らされないことが殆どである。秘密主義のエルフの長老達は、時に若者の反感をかうこともあるのだろう。

「…セライド様…」

 魔獣はかなりのスピードで飛んでいたので、エメスはセライドの腰に腕を回していた。それだけで、エメスにとっては大層なことなのだが、セライドは自分の立場を理解していないため、何の反応も示さない。

「何だ」

 優しい声に、思わずほっとする。彼女にとっては神と言葉を交わしているような心境なのだから。

「…あの人間達は何者ですか?何故あのように、親しくお話になるのです?」

 セライドは何も答えない。エメスの胸は、彼に意見することでドクンという鈍い音を繰り返していた。

「最近、人間の造り出した魔獣達が、森の中へ入ってきます。何を企んでいるのか…皆心配しています。神を殺したように、人間は私達を狙っているのかもしれません。そんな人間と、セライド様は…」
「人間という単位で、物事は測れないと、俺は思う」

 口をついて出た言葉、迷いの森でウィザーズが口にした言葉と同じだった。


 人間、人間ってひとまとめにするな!


人間もエルフも、一つの単位として考えるには、それぞれが違う考えを持ちすぎている。人間という言葉は、時に残酷だ。たった一人の人間の所業が、やがて人間全体の所業として定着してしまう。大人も子供も、若者も老人も、男も女も。すべてひとまとまりとして。


「無翼の天使だって、誰が殺したのか、本当は誰も知らない」


 エメスはその言葉を聞いたとたん、目頭が熱くなった。


 あぁ…この方も、私と同じことを考えていたんだわ。


過去の真実は、現在の闇。すべてを知ろうとするならば、その方法はもはや死者の声を聞くしかないのかもしれない。二人は沈黙の中で互いの心を理解したのか、その後は何も語らなかった。

 森の入り口で、エメスはセライドに別れを告げた。

「本当に、ありがとうございました。セライド様」

 村まで送った方が安全だと言ったのだが、エメスは大丈夫だと言って笑った。横だけ伸ばされた髪に、沈みゆく陽の光が反射した。


「いつか、エルフと人が語り合う日が、来ると思いますか?」


 エメスの問いに、セライドは意識せず頷いた。エメスにはそれはとても力強い頷きに見えた。少し涙目になりながら、魔獣に乗って人間の仲間の元へ向かうセライドを、エメスはずっと見送っていた。
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