Chapter 2-1 : それぞれの大陸

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 頬に触れる、少し冷たいとも感じられる指が、頭の中では、温かい、懐かしいと思う。それと同時に、何故?とすぐ様横やりの声が響いた。理由を述べろと言われたら、不可能だ。そもそも懐かしいという感情の根底に、確たる理由など存在し得るのか。

 その指を、自分を包み込む雰囲気を、火照るような額を冷やす冷気の気配を懐かしいと知覚した。そしてゆっくりと瞼を持ち上げる。額の上に乗る、白い物の一端が目に入る。そして女性の声。

「目が覚めた?カトラス王子」

 覗き込む女性。

「貴女は、誰…」

 まだはっきりとしていない意識を、彼は自ら手繰り寄せた。

「俺の事…。では、アゼルの!っ…!」
「起きてはいけないわ。寝ていなさい」

少し強い口調で言って、少女はウィザーズの体を倒し、頭に置いていた布を取り上げて身を翻す。水音がして、少女が再び振り返ると、ウィザーズの額に水っぽい冷気が当たる。

「脇腹と手足に傷を負っているわ。脇腹は出血がひどいし海水に浸ったから。体も濡れていたし、そのせいで熱が出ているのよ」
「だから貴女は…」

「君は危機感が足りないわ。いくら体がこんな状態だからって、剣を取り上げても気付かない。私が看病している間、何度私が君を殺せたと思う?」

 答えることが出来ずに黙り込むウィザーズに、少女はパッと破顔した。

「私が敵でなくて、そして敵より早く君に気付いて良かったわ。挨拶が遅れていたわね。お久しぶり、カトラス王子。と言っても…君はその顔じゃ覚えていないわね」

 薄いスカートの端を摘んで、彼女は少し頭を下げた。

「私はリフェル=パビュー=ミディク。リフェルで良いわ」

 ミディク?

心の中で繰り返して、ウィザーズは微笑む少女を見る。第一大陸のランブルゲンでも、ミディクの国名が気になった。この少女の顔も、どことなく見覚えがある。

 それに、姓に国名を持つのは王族だけだ。

王族なら、ウィザーズのことを知っていても、不思議ではない。何処かで会ったのかもしれない。ウィザーズが覚えていないだけで。

「ヒントはあげたつもりだけれど、分からないかしら。私は君の母君、マジェンダ様の兄の娘。この国の第一王女、そして君の従姉になるわ」

「従兄弟?じゃあ此処は母上のご実家!」

「そうなるわ。後で父に紹介するわね。まぁ、せめて熱が下がってからだけど」

「ありがとう、…リフェル。あ、俺のことはウィザーズと、ウィズでも良い。でも、どうして俺を?」

「戻ってくるはずの船の帰港が遅れて、天候も荒れそうだったから港まで出たのよ。そうしたらその船がピラゴ諸島の沖辺りで君を引き上げたそうなの。港に着いて君を介抱しているところに、私が通りかかって城まで運んでもらったのよ」

 もう一度ありがとう、と戸惑いながらも礼を言って彼女の行動を見守る。扉がノックされて、彼女は立ち上がり扉を開ける。二言三言話をすると、トレイを持って戻ってくる。湯気を立てる食事はウィザーズのために用意されたものか…。

「そのままで良いわ、食べさせてあげる」
「…美人に看病されるのも悪くないが、それくらいは自分で…」

 碧の瞳を細めながら、リフェルは楽しそうに応えた。

「あら、私は気にしないわ。君がマジェンダ様に食べさせてもらっていた頃のこと、知っているもの」
「え?」

「はい、口開けて」

 食欲に負けて、思わず口を開いてしまったが今さり気なく聞き捨てならないことを言ってくれたような気がする。いつ会ったのかという記憶は、こちらには全くない。自分と同じ年頃の少女が何故そんなことを知っているのだろう。

「あの…つかぬ事を訊くが、いつ俺と会った?」

「そうね、いつだったかしら?君が三・四歳頃かしらね。確か風邪でふせっていてマジェンダ様に看病されていたわ、君。熱が引かなくて、覚えていないでしょうけど君昔は病弱だったのよ。今は随分と丈夫になったようだけど」

「ちょっと待った。貴女がそれを覚えているのはおかしくないか?会ったことは覚えていたとしても、三・四歳じゃあ顔が分かる程記憶に残るわけ…」

「…君、私の年を自分と同じだと思っているみたいだけど私は君より年上よ。今年十九になったんだもの」

 自分と同じ茶色の髪を、一つにまとめた少女。それが自分よりも二つ年上。

「…えぇー!ようやく俺好みの美少女発見と思ったのに!あ、でもこの際年上でもいいや、若く見えるし」

「あら、君も童顔よ。年下好みとは知らなかったけど、残念ね。私、留学中の婚約者がいるの。一応一人娘だし」

 心底残念そうに、ウィザーズは落胆の溜息をついた。そんな彼をクスクスと笑いながら見て、彼女は最後の果物を彼の口に放り込む。先程のショックも忘れて、みずみずしい果物をウィザーズはしっかりと味わった。

「ミディクはフルーツがうまいんだな。シュビットの方で逃げ回りながら食べていたんだ」

「そうなの?でももうすぐ食べられなくなるわね」
「どうして?」

「ミディクは…いえ、第四大陸サー・ルディアはこれから雨期にはいるの。だからしばらく果物は採れないのよ。さ、薬を飲んで。そうしたらまた眠くなるから」

 リフェルが匙一杯分の液状の薬を差し出す。口を開けようとして、ウィザーズは海に落ちた瞬間の情景を思い浮かべた。

「待った!俺の仲間は?助けられたのは俺一人だったのか?」

 差し出した匙を引き戻し、リフェルは首を傾げた。しばらく考えるように血色のいい唇に指を当てていたがしかし、やっぱりという風に首を振った。

「君を助けた船員はそんなこと言っていなかったわ」

「でも、俺は崖から落ちた瞬間にセライドが俺を追って海に飛び込むのを見たんだ。その後気を失ってしまったけど、バルドも俺を放って置くわけがない」

「なるほど、君を追ったは良いけど途中で見失ったか、それとも何かあったか…。すぐに捜させるわ。仲間は何人?」

「三人だ。でも二人は魔術が使えるから自力で見つけてくれるかもしれない。とにかくバルドを捜してくれ。えっと、巨漢で片腕を失っていて…」

「大丈夫よ、バルド殿ならお顔を拝見している者が何人かいるわ。君は怪我を治して、熱を下げることに専念しなさい」
「…ありがとう、よろしく頼む」

 微笑して彼女は部屋を出ていく。ウィザーズは彼女が呑ませようとしていた薬を飲み、苦みに顔をしかめた。

 良薬口に苦し…か。

布団の中に腕を入れ直し、目を伏せると、すぐに眠気に襲われた。

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