Chapter 2-3 : 攻防と奪還
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ウィザーズ達がミディクを離れ、バイオスに向かってから三日が経った。海を渡ってくる魔獣の気が段々と近づいてくる。レンヌはそれをじっと待っていた。窓の外では、雨が延々と降り続けている。
「雨、止みませんね…」
リフェルが雨期だもの、と軽く言葉を返す。でも、と相手が呟くのが、部屋を片づけていたリフェルの耳に入る。
「でも?」
「夜は晴れるのですね。時々、月が見えます」
「えぇ、そうなのよね。それが不思議で。でもラベアが何か言っていた気がするわ。忘れちゃったけど」
リフェルの声が微かにうわずるのを察して、レンヌが尋ねた。
「ラベアというのは?」
「あ、私の婚約者。ラベア=ルクオードって言うの」
微かに頬が染まる。留学した婚約者が帰ってくるのはあと一年先のことだ。
「婚約者…ですか。あら、王女様…馬が…。こんな雨の中、サフォム様と私のようですね」
レンヌの方に歩み寄り、リフェルは同じ様に窓を覗いた。確かに、門に向かって人を一人乗せた馬が走ってくる。後からも数人追いかけて来ているようだ。雨よけのマントと、距離が遠いせいで顔などは分からない。レンヌの結界が作動しないということは敵ではないようだ。
「何処かの国の使者でしょうか」
「…そうかもしれないわ。出迎えに行きましょう」
父が気付いたということはよほどのことがない限りないだろう。あの人が大人しく窓の外を眺めている訳がないとリフェルは心の中で断言した。アトレが敵が来るようなことを言っていたので、うきうきしながら剣やら鎧やら兵士やらを用意しているに決まっている。外交は得意なのだがその前の過程、つまり出迎え、もてなしをするのはいつもリフェルだ。
「随分と騒がしいようですね」
「そうね、一体誰が来たのかしら」
階段を降りると広間に出る。
レンヌは誰かに気付いて立ち止まった。国王だ。
リフェルはそれを知らずに広間を進む。開かれた扉から飛び込んできた人物に、リフェルは思い切り抱きしめられた。少し濡れた服に、体が押しつけられる。
「リフェル、会いたかった」
「なっ、な…ラベア!貴公、どうして…」
「何だか、嫌な予感がしたから…。僕の気のせいだったかな」
黒髪に黒茶色の瞳をした青年の姿がやけに頼もしく見えた。リフェルも彼の背に腕を回す。
「…いいえ。流石ね、ラベア。フォリンと戦になりそうなの。貴公の邪魔をしないようにと思って、連絡はしなかったわ」
「部下も全員連れて帰ってきたよ。間に合って良かった」
再会を喜び合う恋人達を嬉しげに、しかし複雑さを隠せぬような顔で、父親が見ていた。レンヌの姿は隣にはない。ラベアはそっとリフェルを離し、国王の前で膝をついた。
「申し訳ありません、陛下。陛下のご許可を頂く前に帰郷いたしまして…」
「かわまん。むしろ、丁度良かったな。来なさい、レンヌ殿が儂に話があると言っている」
国王は跪くラベアの脇を通り抜け、つかつかと歩いていってしまう。ラベアはすぐに立ち上がり国王の後を追った。するとリフェルが彼を追い抜いて、国王の腕を掴んで引き止める。
「お父様、お話ってラベアも聞くのですか?」
「儂の後を継ぐのであれば当然のことだろう」
「私も同席させてください」
ちらりと横目でラベアの顔を窺う娘に、父は渋い顔をした。
浮気を心配するような仲ではあるまい…。
だが、リフェルは怖いほど心配だったのだ。果たして男という生き物が、あの美貌に何の感情も抱かずにいられるものなのか。
「…儂が決めることではないからな…」
溜息混じりにそう言うと、また執務室へ向かうべく、国王は歩き出した。背を向け、そして歩く速度を全くおとさず、国王は一言付け足した。
「彼女に聞いてみなさい」
父親の許可が取れたことに、リフェルはひとまず安堵した。
「…リフェル、何か心配なことがあるのかい?」
「え?別に…」
鋭いところもある婚約者に、リフェルは内心冷や汗ものだった。
もう、普段は鈍いくせに…。
嫉妬だなどと口にしたら、ラベアはどんな顔をするだろうと、今の自分の顔を棚に上げて、リフェルは考えていた。
執務室では、レンヌが白いローブを羽織ったまま、椅子に座っていた。
「お待たせしたかな?」
国王はレンヌの向かいの、いつもはあまり長居のしたくない執務席に座った。豪奢な椅子に、赤いマントが少し窮屈そうだった。
「いいえ。こちらの我がままを通していただいて、感謝しております」
「しとやかなことだ。リフェルにも見習って欲しいものだな」
皮肉を言った父親をすかさず無視して、リフェルはレンヌに自分も同席させて欲しいと頼んだ。
「…そちらの男の方もですか?」
「彼は儂の跡継ぎで、同席させるのが当然と思って連れてきたのだ。貴女が話したいと言ったのはこの国の国王だ。儂がいつ死んでも良いようにとな」
ローブの下から、レンヌの瞳がラベアを凝視しているのに、リフェルは心穏やかではいられなかった。そんな彼女に気付いたのか、レンヌが苦笑した。
綺麗な唇…。
思って、リフェルは赤面した。恋人よりも自分が彼女の魅力にあてられそうだった。
「ラベア=ルクオードと申します。同席の許可をいただけますか?」
「貴公は、術師ですね」
「えぇ、この国の魔法兵を率いております」
ミディクの魔法兵は第四大陸サー・ルディアでは一番の人数を誇っていたが、それでも二十数名しかいない。戦いに参加することはまれで、負傷者の治癒や狂暴化した野生の魔獣の撃退が主な役目である。
「結界ははれますか?」
「…えぇ。大きなものは作れませんが…。城全体を覆う結界は貴女がはったものですか」
「あの結界に気付いたのでしたら、大丈夫でしょう。ご同席ください、ラベア様。王女様もどうぞ。いずれはお話することでしたから」
同席を認められた二人は国王の両脇に控えた。
「話を聞く前に、一つよろしいかな?レンヌ殿」
「何なりと…陛下」
「これから貴女が話されること、ウィザーズ達は無論、知っている事かな?」
「…いいえ、彼等は知りません」
国王は渋い顔を作ってみせた。
「さような事を、何故我等に?」
「…順番が逆になってしまっただけです。今早急に伝えるべきなのは、彼等ではなくて此処にいる方達ですわ」
国王は頷いて見せたが、まだ納得しきってはいないようだった。
「それでは…、貴女とアゼルとの間には何かあったのか?貴女はバルド殿の養女で、バルド殿はカトラスに仕えてはいるが、それだけで女の貴女が戦いに身を投じるのか?」
艶のある唇が、笑った。ローブの留め金に手をかけると、レンヌは白いローブを取り払った。
リフェルの耳に、国王とラベアが息を飲む音が聞こえた。恐る恐る、彼女は恋人の顔を覗き見た。
リフェルは戸惑った。
恋人の顔は、彼女の心配していたような熱を帯びてはいなかったが、全く逆に、冷えきって凍えそうなくらいに青ざめていたのだ。
「…魔性だ…。貴女は…、信じられない」
ラベアはそう、喉の奥から縛り出すと、レンヌから顔を反らした。
「人が、そんな魔性を身に宿せるはずがない」
「…どういうこと、ラベア…」
苦しそうに胸をおさえ、大きく息を吸っては吐いている恋人に、リフェルは駆け寄って背を撫でた。
「…人では、ない…と?」
国王も、我慢できずに顔を反らした。レンヌは苦笑し、その紫色の瞳を隠すようにローブを被った。
「えぇ、ラベア様のおっしゃる通り、私は人ではありません。人は、その身に魔性を宿すことはできない。すぐに狂気にとらわれてしまいますから」
事も無げに、レンヌが言ってみせた。
「じゃあ、貴女は何だというの?」
「古代神族の話を、ご存じですか?王女様」
「えぇ、お母様がよくお話になっていたから…。―彼等は―」
昔聞かされたお伽話を、リフェルは思いだそうとした。だが彼女が思い出す前に、父親が彼女の言葉を引き継ぎ、今は亡き妻の口癖のようになっていた神話を語り始めた。
「彼等は我等を造り、ある時我等の前に降った。その姿は神の名に相応しく、我等は彼等の前にひれ伏した。彼等神の一族は、木々や花、獣と言葉を交わし、時に紺碧の空を舞い、渡りをする鳥達と挨拶も交わした。完全なる知と、あがらいようのない力。彼等は彼等よりも遥か彼方、天上に住まう一族だった」
もはや人間の間では信仰を集めることのない、古代の神々。お伽話としてでさえ、語られることは少なくなってしまった。
「…その、一族だというのか?貴女が」
レンヌはにこりと笑って、国王からラベアへ視線を移した。
「そうだとすれば、魔性の説明はつきますか?ラベア様」
「えぇ…。しかし古代神族は滅んだ。もうずっと、人の前には姿を現さなかった。何故今頃になって姿を現し、我々に何を話そうと言うのです?…貴女方が滅んだのは、人かエルフの所業だという、あのことですか?」
レンヌは椅子に座り直した。そして笑い出す。
「そのような話があるのですか?人かエルフが私達を殺したと?」
そのような伝説はたいがい曖昧なもので、人に伝わる場合はエルフの所業に、エルフに伝わる場合は人の所業として伝わることが多く、人とエルフの不和は、このことが元になっているようだった。
「面白い」
愛らしい笑い声が響いた。よほどおかしかったのか、なかなかその笑い声はおさまらない。そう思った途端、ピタリと笑い声が消えて無くなった。レンヌは足を組み、再び瞳を覆うローブを取り払った。
「そのような馬鹿げたことで、今も人とエルフは交流がないというのだな。全く、下らない。
勘違いしてもらっては困るのですよ、我等が人やエルフに教えた法や術は、我等の持つ力のごく一部のものに過ぎない。お三方、良く覚
えておくと良い。もし、この地上に存在する人やエルフがすべて術を扱えたとしても、そのすべての力を集結したところで、一族の中で一番弱い者にもかなわない。一族の長である陽王が、貴方方すべてを滅するのに一日とかかるまい」
その瞳が鋭い輝きを放った。淑やかに両手を膝の上に置いていた先程とはうって変わって、肘掛けに肘を置き、頬杖をつく。純白のドレスを着たまま、王のようにゆったりとくつろぐその姿は、一見して異様だった。ただその美しく結ばれた唇と、白磁の肌は変わらずそこにあった。
「レ…ンヌさん?」
初めて会った時もこの口調であったが、今はとてつもない違和感がある。優しく、慈愛に満ちた顔は消え、力強く、圧倒される。前者が女神であるなら、後者は覇王。
古代神族。男でもなく、女でもない。つまりその存在自体が曖昧で、その力と見目の美しさ―魔力と魔性―が神としての条件。
「私は一族最後の生き残り。先代陽王と月姫の力を受け継ぐ者だ。私には貴公等の祖先と我等祖先の交わした盟約が、きちんと守られるか、それを見届ける義務がある」
「盟約…って?」
鋭い棘のついた薔薇のような雰囲気のレンヌに、リフェルは恐る恐る訊いた。
「王女、私が恐ろしいか?」
リフェルは肩を跳ね上げた。
「…いいえ。そんなこと…」
「警戒しておいた方が良いぞ。今から言う盟約を貴女の婚約者が破れば、私はすぐにでも彼を殺すだろうからな」
その言葉を、レンヌはあっさりと言ってのけた。リフェルはなんと返して良いのか分からず、戸惑うだけだった。
「貴方は誰の味方でもないと…。その盟約の内容ですが術を学んできた私でさえ、耳にしたことがありません。過去に交わした盟約を、我等も守らなければなりませんか」
話のネタにされたラベアは、特にそのことを気にしている様子はない。動揺したのは自分だけだったと分かると、リフェルはこの場にいる者達の無神経さに呆れた。
「伝えなかった貴方達の祖先をまず恨むべきだな。だが、安心して良い。今まで盟約を破った者はいない。つまり、伝えなくとも破られることのない、そういう盟約なのだよ」
しかしレンヌは気付いていた。人やエルフに歯止めを利かせていたのが、いつの時代も神という自分達の存在だったということに。
薄れていく信仰の中で我等は確かに「生きて」いた。
だが、本当に忘れられてからではもう遅いのだ。
その点で心配なのは、エルフよりも人間だった。今だ一族を信仰し、崇拝しているエルフは、対外森を出ない。人は今や古代神族と呼んでいた者達のことを忘れつつある。お伽話の中でも語られている間はまだ安心なのだ。
それが、お伽話としてでさえ、語られることが無くなってしまったら?
生まれてきた意味さえ、無くなってしまう。魔術や魔法だけが残り、その本来の意味が失われてしまっては何のために、神と呼ばれた一族が存在したのだろう。歯止めが利かなくなってしまえば、それで終わりだ。なにもかも。
「盟約の内容を聞かせていただけますか?」
「…本来、神の声は万人に等しく告げられるものだ…。アゼルの魔獣が近づいてくる。海へ出よう」
レンヌはローブを被り、立ち上がった。
「盟約は?」
ラベアが訊くとレンヌは薄く笑った。
「聞かせるさ、万人に等しく、一言で終わるようにな。私も手間を省きたい」
その時廊下を騒がしく走ってくる音がした。その音は部屋の前で止まると、ノックも無く扉が開かれた。
「何事だ」
「ご無礼を陛下。ご報告でございます」
兵士らしき男は敬礼をした。
「申せ」
「はっ!パルサス国とジェロン国の両国が軍を率いて我が国境付近に迫っております」
「至急四つの部隊を編成して準備を整えよ。城の警備には百人を置く。人選は将軍に任せる。下がれ」
「承知致しました!」
慌しく城内が動き出した。国王もうずく体を止めることが出来ず、部屋を飛び出して戦いの準備に入った。
「お父様ったら、どうして戦いになるとあんなに楽しそうなのかしら」
呆れるリフェルの前で、レンヌが苦笑した。
「分からないでもないな。…王女、城下の民を城に避難させていただきたい。アゼルの魔獣がここに着くまで約半日と見た。陸に入る前に私がすべて蹴散らしてやるが、万一のことを考えて結界の張ってある城へ避難させておくのが良いだろう」
「あ、はい」
リフェルが去り、ラベアも魔法兵団を二つの部隊に分け、一つの部隊を国王と共に行かせるともう一つの部隊を率いてレンヌの所へ戻ってきた。レンヌはラベアとその他の魔法兵を見ると、訝しげに眉をひそめた。
「海の方は私一人で十分だぞ」
入ってくるとほぼ同時に言われて、ラベアは苦笑した。
「お邪魔はしません。ですがどれだけの数が攻めてくるか分かりませんから」
「どれだけ攻めてきても変わらないがな。私の予想が当たっていれば、すぐカタがつく」
不敵な笑みをもらし、レンヌはラベアの脇をすり抜けて行った。
「ラベア様、どうなさいますか?」
「私だけ残ろう。向こうの指揮はお前に託す。国王を援護するように、良いな」
部下達は少々戸惑いながらもラベアの、珍しく強い口調に畏まり、全員敬礼した。ラベアは満足そうに頷き、レンヌの後を追っていった。
ミディク国軍は、国の一大事とあってか、それとも国王が急かしたせいか、すべての準備が整うまでに恐ろしく時間をかけなかった。手抜きをせず、素早い。まさに理想の国軍であった。王女に城を任せると、国王は意気揚々と王都を後にしていった。レンヌとラベアは、国民が王城へ避難する中、二人だけ逆の方向へと向かっていた。高く上には王城がそびえる。浜まで歩いた所で、レンヌはうっとおしそうにローブを脱いだ。手にはいつの間にか一つの剣が握られている。白銀の髪が靡いた。ラベアは王城を見上げた。青い国旗が大きくはためいているその脇に、白い旗が掲げられた。国民の避難が完了した合図だ。
「国民は王城へ避難したようです」
上を見上げながら、ラベアはレンヌに伝えた。
「…陽が出てきたな」
呟くと、レンヌは剣を空へと突き上げた。しばらくすると、風の流れが変わった。剣を中心にして、風が集まってくる。
これが、古代神族の力!
神と呼ばれていたのも頷ける。こんな芸当、どんな知識を持っていようとも出来るはずがない。現にレンヌは何の呪文も唱えていない。風が従っているとしか思えないではないか。やがて竜巻のような風が空に向かって伸びていった。それは空に漂っていた雲を押しやり、瞬く間に陽の光に照らされ、快晴となってしまった。
「伝えてやろう、我等と交わした盟約。聞くが良い、地に足をつけ暮らす者達よ。汝等が神と崇めた者からの最後の警告を!」
その声は風に舞った。この世界の民はすべてこの言葉を聞いていた。
「我等は術と法を伝えた時、同時に忠告した。
『魔法を用いて自然を破壊してはならぬ。自然は魔法に対する抵抗力がない。自然は人やエルフの気で破壊してよいものではない。また魔術や他者を殺してはならない。自然はそれを覚えている。罪悪感に駆られるのは汝等でなく自然である。かようなことがあってはならぬ。あくまでも汝等は自然と共存してこそあるのだ。禁忌を犯した者は最後の王が審判を下す。一人の者のために全員が死ぬこともある』
盟約の民達よ、我等の命に逆らうな」
ありとあらゆる民がこの言葉を聞いた。跪くエルフ。幻聴かと騒ぐ人間。言葉の意味を理解できたのはほとんどが術を学び、法を学ぶ者であった。しかし、その声は等しく、万人に降る。遠いシュビットの地で、塔に囚われたウィザーズの母マジェンダも、その付き人イルシーも。そしてメロサ島へ旅だったレグシェスも。義妹達を他国へ嫁がせ、着々とシュビット支配を強めるアゼルも。アゼルはこの言葉によって古代神の生き残りがいたという事実を知った。
「…これが、過去の盟約…」
放心していたラベアは、水平線に現れた無数の黒い物体を見た。
「魔獣が来たわ」
リフェルは祈りの形に手を組んだ。魔獣の数は二百以上。対するはレンヌとラベアのみ。
大丈夫なの?ラベア!
レンヌは空を見上げた。先程の風が雲をすべて払ってくれた。陽王の力の源となる陽の光を、レンヌは目一杯浴びていた。白銀のはずの髪が、金色に輝いて見える。
「白銀の光よ、我が名をたたえよ。名づけの親、汝の王、汝の神の名をたたえ、我に従え。白竜」
巨大な魔獣がレンヌの前に現れた。白い陽の光と同じ体の色。しかしレンヌの髪と同じく金色に見える。大きく翼を広げ、その魔獣は宙に浮いていた。その魔獣はラベアの方に目を向けたが、興味無し、とすぐにレンヌに向き直った。
『陽王…ご命令を。あの出来損ないどもを蹴散らしましょうか?』
ラベアにはただの獣の鳴き声にしか聞こえない。
「いや、あれは私が相手をする。お前はバイオスへ行け。あそこには先程の私の声は届いてはいない。お前が代わりに伝えて来い」
『…それだけでよろしいのですか』
「ウィズ達が手間取っているようなら助けてやれ。お前には向いていない仕事だがな」
白竜がごもっとも、と頷いた。段々と大きくなっていく海上の魔獣達の姿を見て、陽王は楽しそうに笑った。白竜はそれを見ると自らも大きく笑い、バイオスへ飛び立って行った。海上の魔獣達が、浜に立つレンヌとラベアの姿に気付いた。大きな魔獣二体が、群れから外れて速度を上げ、二人に向かって進んできた。
「一匹は防げ!」
ラベアは素早く術を唱えた。浜辺の砂がラベアの呪文に反応して、淡く発光した。魔獣がその鋭い爪をラベアに突き立てようと迫りくる。呪文を唱え終わったラベアの足元から、砂が盛り上がり、襲ってきた魔獣を呑み込んでしまった。魔獣は一つ大きく叫び声を上げると、砂に埋もれ、媒体であるエメラルドに戻った。レンヌも残りの一匹を剣で媒体ごと切り捨てた。
「触るな。再生するぞ」
倒した魔獣の媒体となっていたエメラルドを拾い上げようとしていたラベアは、レンヌの言葉に慌てて手を引き戻した。自分で忠告したにもかかわらず、レンヌはエメラルドを手に取った。すると黒い煙のようなものがエメラルドを取り巻いていく。渦巻く煙はレンヌの手も侵していく。形を段々と取り戻して行く様を、レンヌは黙って見ていた。獣の顔に光る赤い双眸が、レンヌを睨みつける。レンヌはその紫の瞳でそれを受けた。手に置いたエメラルドが濃い黒い煙で見えなくなっていく。不意に、レンヌはエメラルドを握った。すると、もうほとんど元の形に戻りかけていた魔獣が苦しそうに呻き声をあげた。助けを呼ぶようなその声に、遅れて飛んでいた魔獣達が加速する。
「ラベア殿、大量の魔獣を造り出す場合、同じ媒体を使って造り出すのは余り賢いことではない。何故か…それは」
黒い魔獣の内から、藤色の光が漏れ出した。
「こういうことが出来るからさ」
二人に向かって加速していた魔獣達が突如として止まり、ラベアは訝しげに顔をしかめた。レンヌの手に握られた魔獣が大きくもがいた。藤色の光が漆黒の魔獣の体を切り裂いていく。それと同時に、海上の二百体あまりの魔獣達の体からも、同じ藤色の光が溢れた。内部からの破壊に、魔獣達は狂ったように暴れた。最後の抵抗と、レンヌに向かってくる魔獣がいた。しかしその爪がレンヌを切り裂くよりも早く、二百体あまりの魔獣は媒体だけを残して一斉に消え去った。
「宝石の類は確かにそれ自体が強い力を持っているが、だからといって同じ波動を持つ石を使って大量の魔獣を造り上げると失敗する」
「何故?」
圧倒的な力を見せつけられて、ラベアは自分よりも小さい体をした目の前の人物をまじまじと見つめてしまう。もしかしたら、これは仮の姿なのではないかと思ってみる。
「一体倒してしまえば、媒体となった物体を使って共鳴させることが出来る。どんなに離れていても、どれだけ多くいたとしても波が届くのさ。共鳴を利用して魔力を波に乗せる。しかし、これは魔獣を造り出した者の魔力よりも自らが強くなくては出来ないがな。媒体には術者の力が入っているから、それを押しのける力がないといけない」
放ったローブを拾い上げ、砂を払うと、レンヌは浜辺を後にした。ラベアは浜辺に残ったエメラルドを拾い、海に投げた。そしてレンヌの後を追って城へ戻り、城へ避難していた民達を、リフェルと協力して町へ帰した。一段落してから、先程のことを反芻する。
魔獣を造り出す行為自体は特に疲れる作業ではない。媒体が持っている力を引き出すのが主で、消費される力は呪文を唱える時に少し放出される魔力だけだ。魔術と魔法と区別はしているものの、実を言うと相互関係が全くないわけではない。レンヌの行ったものは、石の波動を利用とする点では魔術であり、力を送り込んで媒体をのっとり、更に力を放出させるという点では魔法なのだ。良く考えてみると魔獣を二百体あまり造り出したアゼルよりも、それを先程のような方法で全滅させたレンヌとでは、明らかにレンヌの魔力消耗度が高い。
人やエルフが行えば、自殺行為になる。
魔力というものは少なからず誰にでもあるもので、術者というのはその扱いを心得ているだけに過ぎない。術者によっては魔力が著しく消耗された時に、体力を魔力に変換するようなことが出来る者もいる。しかしそれはとても危険なことで、体力をすべて失えば人もエルフも死んでしまう。レンヌは魔力だけで先程のようなことをやってのけた。それは、やはり神であるからだろうか。二百体近くの魔獣を、この国の魔法兵だけで倒せということになっていたら、果たして勝つことが出来ただろうかと考えると、背筋が凍りつく。
「…ラベア?」
身震いしたラベアを、心配そうにリフェルが見ていた。反射的に大丈夫だと微笑む。
「ウィズ達は大丈夫かしら」
「レンヌさんが魔獣を送ってくれたようだから、大丈夫だよ」
それでも心配そうに、リフェルは再び雲の戻ってきた空を見上げ、何かを祈るようにただ一点を見つめていた。