Chapter 4-2 : 終りへの道
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黒竜にラベアとアトレを乗せて、白竜にレンヌとウィザーズとバルドが乗り、二匹の魔獣はシーザス城へと到着した。以前黒竜で降り立ったことがあるので、二匹の魔獣の姿を認めると、シーザス王もケネス将軍もキールも飛び出してきた。
「ラベア殿、ご無事で……」
キールが真っ先に歩み寄る。置いてきてしまったことに少なからず責任感を感じていたのだろう。
「アトレ!」
そのキールの影からヤージェが現れて、アトレに飛びついた。
「うっわ! 何だよ、ヤージェ。くっつくな!」
照れて赤くなったアトレは容赦なくヤージェを体から引き離す。するとヤージェは最初キッとアトレを睨みつけて、次にはその両目に涙を溢れさせた。
「げっ! 泣くなよ」
「馬鹿ぁ! 心配したんだから!」
泣きながら再び抱きついてきたヤージェを、アトレは周囲の目を気にしながらも今度は引き離そうとしなかった。そんな二人を微笑ましげに見詰めていたラベアは、シーザス王が近づいてくるのを認めてウィザーズを促した。ウィザーズはラベアの指示通り、彼の隣に並ぶ。ウィザーズから見たシーザス王は、長身で色白の美丈夫だった。
「シーザス王。こちらがフォリン前王の第二子、ウィザーズ=カトラス=フォリン王子です」
ラベアにそう紹介されると、シーザス王は微笑みながらウィザーズに手を差し出した。
「カトラス王子。昔お顔を拝見しましたが、覚えておられないでしょうな。貴方は幼かった」
ウィザーズは差し出されたシーザス王の手をとり、その場に片膝を付いて敬意を表した。
「陛下、尊公のお力添えを感謝いたします。母マジェンダを救うために自らフォリンへ出向いてくださったと伺っております。母ももう一度お礼が言いたかったでしょう。母の分も、私からお礼申し上げます。本当に、ありがとうございます」
言い終わっても膝を付いたままのウィザーズを、シーザス王は両手でその肩に触れて立たせた。
「いや、マジェンダ様もまだお元気なうちに助けられて良かった。少しでも母子二人の時間を過ごされたことだろう。本当に、良かった」
裏のないシーザス王の言葉に、ウィザーズの緊張していた顔も緩んだ。
「只今到着いたしました、カトラス王子」
背後からしたその声に、ウィザーズはさっと後ろを振り返る。そこにはセライドの魔獣に乗って遅れてやってきたセライドとサフォムの姿があった。セライドの表情にやや疲れが見られたが、二人とも無事合流できたようだ。
「サフォム、セイ、こっちに」
ウィザーズが呼ぶと二人はウィザーズの両脇に控えるよう歩みを進めた。
「陛下、これが私の親友。エルフのセライド。そして元バイオスの外交官サフォム=フィギイです」
そう紹介されると、セライドは頭に巻いていた布をさっと取り払った。
「エルフの……。ラベア殿からお話は伺っていたが」
流石に実際に目にすると驚いてしまう、といった様子のシーザス王に、もう慣れたのかセライドは眉一つ動かさなかった。サフォムはウィザーズの脇で優雅にお辞儀をする。
「そしてバルド、その娘のレンヌです」
さらに後ろにいた二人を紹介する。バルドは小さく頭を下げ、レンヌはドレスの裾を持ち上げて挨拶した。レンヌとはすでに面識のあったシーザス王は彼女の姿を認めると小さく微笑んだ。
「ご紹介いただけたところで、できれば早急に話を進めたいのですが?」
ウィザーズの隣でサフォムがきっぱりと切り出した。ウィザーズは早急すぎる、とサフォムを叱咤しかけたが、シーザス側の文官らしき男がサフォムの提案を受け入れたので事はすぐに動き出した。
「そうですね。陛下、いつまでも和やかに事は運べません。会議室へ。将軍、準備を」
キールが穏やかな顔を引っ込めて指示すると、将軍ケネスはヨカナーンの方へ向き直って敬礼した。
「承知」
低くそう言ってヨカナーンが頷いたのを確認すると、ケネスはさっと身を翻した。バルドほどではないもの、他と比べたら随分な巨体を無駄な動きなく操って去って行くケネスは軍人特有の立ち居振る舞いというものを心得ていた。バルドやバルドに鍛えられたウィザーズはそれだけでシーザスの軍がどれほどのレベルか分かってしまう。
「サフォム」
ウィザーズが少し困ったような響きで呼んだ。とにかくウィザーズは第二王子であったときから、難しい会議や政治の話は避けて通っていた。これから会議をしますと言われても、正直上手くシーザスを引き込むような受け答えはできそうにない。そんなウィザーズの心情を察してか、サフォムは年下の王子を安心させるように微笑んだ。
「込み入った話はお任せを。とにかく、ここでの協力が得られなければ全滅です。そうですね、ラベア殿」
サフォムはラベアに向かってそう言った。何も隠す必要はないと知っていたからだ。この仲間の間で。
「えぇ、そうなるでしょう」
ラベアは全員の視線を受けながら、はっきりとそう断言した。
暗い部屋の中で、アゼルはチェスの駒を指で弄んでいた。傍らにはレグシェスという美男子が立っていたが、カミーラには頼りのない男にしか見えず、何ら魅力的には映らなかった。いいや、そんなことを考えている余裕はなかった。アゼルは何かを頭の中に描くようにして目を閉じ、一言も喋らなかった。そしてカミーラは、ただ部屋の隅に立ってそれを見ていることしかできなかったのだ。今までこういった場面には、気色の悪い瞳でカミーラの体を眺め回すグロージェスがいたのだが、彼の姿はなかった。奴の運命に同情するつもりはカミーラにはなかったが、しかし奴の運命を自分が辿るかもしれないと分かれば、少しでも良いほうに転ぶように願わないではいられない。
しかしそんなカミーラの願いにも関わらず、ようやく薄い瞳を開けたアゼルは、弄んでいたチェスの駒を床に落とした。
「役立たずが……」
駒が床に落ちる瞬間、カミーラは思わず目を瞑った。駒は砕け散ることはなかったが、落ちても主人に拾われることさえなかった。きっとずっと床に転がっている運命なのだろう。もしかしたら、カミーラを待ち受けている運命も、床に転がっている駒のようなものになるのかもしれない。そう思うと、ぞっとした。
「カミーラ、シーザスへ宣戦布告だ。カトラスを庇うつもりなら容赦はしないと」
ぞっとすると共に、冗談じゃあないとカミーラは思った。
「……承知致しました」
しかし口から出たのは、王に対して従順そのものの家臣の言葉。カミーラは身を翻して退室しようとした。追い詰められた鼠のように、猫に噛み付きたい衝動が起こったが、相手が猫ではないことを思い出してそれを押さえ込んだ。猫なんてとんでもない。背後の男は頭の良すぎる豹だった。
「……逃げようなどとは、思うなよ」
扉を閉める寸前のところで、その言葉が氷のようにカミーラの背を伝って行った。
冗談ではない。夢でもない。この背に伝う冷や汗。背後にぴったりと張り付く死の気配。カミーラは捨て駒だったのだ。おそらく、最初から。
カミーラは大股で廊下を歩き、部屋へ向かった。そのうち足に履いている踵の高い靴に苛々し始めた。カミーラはその靴をその場に脱ぎ捨てた。素足で廊下を踏むと、カミーラは冷たい廊下を気持ちよく感じた。自分の体が燃えているように熱く、反対に廊下は冷たい。カミーラは急に自分が生きていることを意識した。気分がだいぶ軽くなる。
自分の部屋への扉を開けるころには、カミーラはその顔に笑みを浮かべていた。気分が高揚していた。何も開き直ったわけではない。ただ本来の自分の姿を見つけた喜びを素直に感じているだけだった。
「よう、どうだった、王様は」
部屋で待機していたオズリックがカミーラに呼びかけた。カミーラはオズリックには一瞥もくれないで、一直線に寝室へ向かった。
「どうもこうもないわ。狂っているのよ。用意なさい、リック。シーザスと戦うわ」
そうオズリックに投げかける。するとオズリックは喉の奥で笑って大きな呟き声を漏らした。
「俺が戦うのはバルドさ」
「勝手になさい」
カミーラは寝台の下から大きな木箱を引っ張り出した。華やかな王宮暮らしをする前の持ち物を、すべてそこにしまい込んでいたのだ。
カミーラがずるずると大きな箱を持ち出したことに興味を抱いたのか、ソファにふんぞり返っていたオズリックが立ち上がって、寝室の扉に寄りかかってカミーラが箱を開けるのを見ていた。カミーラはオズリックの視線を感じながら、箱を開けた。その中には汚いマントにくるまれた長細い何かが横たわっていた。カミーラはその長細いものを外に出した。それを包んでいるマントから微かに血の香りがする。木箱にはまだ皮のベルトやくたびれたブーツなどが入っていたが、カミーラはとにかくマントに包まれている中の物を取り出した。
「ほぉ、立派な得物だ。お前が使うのか?」
中から現れたものにオズリックが感心したような声を漏らした。カミーラはそれに対して微かに笑った。汚れたマントに包まれていたのは、ふた振りの湾曲した剣だった。カミーラは久しぶりに触れるその二本の剣に、恐る恐る手を伸ばした。
重い。懐かしい重さだった。カミーラは立ち上がってその二本の剣を鞘から抜いた。
「昔はこれで食べていたわ。意外?」
そう言うとカミーラはその感触を確かめるように両手の剣を振るった。オズリックがカミーラの問いに肩をすぼめて頷くと、カミーラは唇を歪めた。
「そうでしょうね。私も忘れかけていた。でも、魔法や魔術に頼るくらいなら、こっちの方がましよ。私は人間だもの」
カミーラは自分の口から出た言葉に驚いていた。あまりに的を射た言葉だった。いつから女を売るようになったのだろう。昔は男や女ではなく、人としてその腕を売り物にしていたはずなのに。
そう思って剣を振り、軽く空気を鳴らして鞘に収めると、昔の感覚が蘇ってカミーラは軽い興奮を覚えた。男は結局カミーラを幸せにはしてくれなかった。昔思っていた通りだ。幸せは自分の手で掴む。金も命も、自分のものだ。
「生き残れば良いのでしょう。やってやるわよ。こんなところで無様に死ぬために、あの坊やを騙したわけじゃあないんだから」
カミーラは手にした剣に向かって呟いた。その様子を見ていたオズリックが口を開いて言った。
「強い女だ。腹黒くなけりゃ、惚れていたかもな」
賞賛か卑下か判断できない声色で、オズリックが哂った。カミーラはさらにそれを鼻であしらった。
「もう男なんて必要無いわ」
カミーラは両の手に力を込める。陰湿な妖艶さは決然とした強さに変わっていた。その瞳の見つめる先は、ただすぐ前にある未来しか見ていない。カミーラはまるで女豹のようなしなやかな体を、健全な闘志によって輝かせていた。
「生き残るのは、私だけよ」
そう言い放ったカミーラの凛とした美しさに、オズリックは初めて戦慄したのだった。
会議室の準備をしている間、ウィザーズ達には旅の疲れを少しでも癒してもらおうとそれぞれ部屋があてがわれた。魔獣を使ってミディクからこのシーザスまで移動したセライドは流石に疲れきって、あてがわれた部屋で休んでいた。ウィザーズ、サフォム、ラベアとアトレはひとつの部屋に集まって何か話し合っているようだ。
レンヌはただ、自分にあてがわれた部屋のバルコニーでアゼルのいるフォリンの方向をじっと見つめていた。傍らには黙ってレンヌの横顔を見つめているバルドがいる。二人きりになるのは久しぶりのことだった。ミディクでの告白から、二人の間には気まずい雰囲気が流れていて、それを修復するきっかけもなくここまで来てしまった。
何か言わなくては、と両者は共に思っていた。しかし、言葉が思い浮かばない。その時レンヌが微かに身震いしたことをきっかけに、バルドが先に口を開いた。
「レンヌ、顔色が悪いな」
バルドが呼びかけると、レンヌはさっと俯いた。
「少し寒いの」
レンヌにとって寒さを顕著に感じるということは、あまり良い兆しではない。力の大きさに体がどんどん耐えられなくなっているのだ。バルドはそんなレンヌの事情は知らない。ただ珍しくレンヌがそんなことを漏らしたものだから、疲れているのだろうと正直に思ったのだ。
「上着を借りてこよう。ここまで来るのに疲れたのかもしれんな」
女性物の上着は持ってきていない。シーザスが寒いということは知っていたが、レンヌが必要ないと言って持ってこなかったのだ。城の誰かに言って、借りてくるしかないだろう、とバルドはバルコニーから部屋の中へ入ろうと踵を返した。
「バルド」
ありがとう、とレンヌが言った。バルドはその言葉に足を止め、ゆっくりと振り向いた。振り向いたバルドと目が合うと、レンヌはさっと下を向いてしまう。きつく握られた両手が痛々しい。バルドは心を落ち着けて、穏やかに切り出した。
「……父は他にいるから、もう呼んではもらえないか?レンヌ」
バルドの言葉にレンヌは大きな瞳を益々大きくさせて顔を上げた。
「……呼んでもいいの?」
そう問いかける言葉に覇気はない。ただそのおずおずとした問いかけに、喜びや希望といった正の反応が含まれていることだけは感じ取れた。それはバルドを勇気づけるに十分な反応だ。だからバルドは言葉を続けた。ゆっくりと、ずっと心の中で繰り返してきた言葉を。
「お前は儂の娘だ。ずっとそうだった。これからも、そうあって欲しいと思う」
一瞬倒れるかと思うほど、その言葉を受け止めたレンヌの顔が凍りついた。それが、みるみるうちに緊張が解けていき、その凍りついたものが涙となって大きな瞳から溢れてきた。それは幼い子供のような反応だったけれど、同時に子供ではありえないほど美しい光景だった。そう、初めて会ったときと何も変わらない。レンヌは常に子供のようで、同時に大人の女性のように華やかだった。
「ごめんなさい。ずっと一人で寂しかったの。騙していると分かっていたけれど、一緒にいて欲しかった」
震えながらそう言葉を搾り出すレンヌ。大きな涙が頬を伝って、ぽろぽろと落ちる。まるで夜露に濡れた葉が、その重さに耐え切れずに跳ねて、落ちる雫のようだ。
バルドは無骨な手をレンヌに伸ばした。片手しか残ってはいないが、小さなレンヌの背を抱くにはそれでも十分だった。
「騙されていたとは思っておらん。お前と暮らせて本当に幸せだった。この戦いを終えて、またあの森で過ごしていたような時を、お前と過ごしたい」
「お父様!」
伸ばされた太い腕に沿って、レンヌがバルドの腕の中に飛び込んだ。頭がバルドの胸に当たる。細い腕が、バルドの背に回されて、精一杯の力を込めてきた。バルドは力を込めず、ただ心だけは精一杯込めてレンヌの体を抱きしめた。
騙されたなど、そんな風に思うわけがない。ただ、あの森でバルドを支えてくれたレンヌを、自分は何ひとつ理解していなかったのだと、それを悔いていただけなのだ。父親らしいことは、何もしてやれなかった。苦しんでいることに気付いてやれなかった。
今だって、何かとても大きなものを背負っているレンヌに、それが何なのか訊くことができないでいる。バルドの背を撫ぜる風は、酷く冷たかった。