Chapter 4-2 : 終りへの道

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 それからしばらくの間、レグシェスにとっても、アゼルにとっても穏やかで、幸福な沈黙の時間が訪れた。

 だがそれは嵐の前の静けさ。そのことは嵐を引き起こした当人であるアゼルが、一番良く知っていた。ぎゅっとレグシェスのかけてくれたマントを握り、体に引き寄せながらアゼルは思っていた。

 もうこの嵐は止められない。
 やがてはこの身も風に引き裂かれる運命だ。

そしてそれは、誰よりもアゼル自身が望んでいたことだった。誰の手でもない。始まりが自分ならば、終わりも自分の手で。誰の力も借りずに。いや、借りる必要などないと思っていた。けれど、何故か肩にかけられたマントが手放せないでいる。

「陛下、そろそろ寒くなって参りました。どうか中に……」

 そう促す言葉に、構うなと怒ることができない。アゼルはそんな自分に唇をかみ締めつつ、それでも温かいレグシェスの手に小さく頷いた。

 自分の中に、誰かを側に置きたいという気持ちがあることはずっと以前から気付いていた。いや、側に置きたいというよりも、アゼル自身が誰かの側にいたいと思っていたというべきかもしれない。正直に言えば、死んだ母親の側にいたかった。そんな気持ちがあることは、もうずっと前から自覚していたのだ。しかし同時にアゼルは一人でも生きていけると、そう思っていた。誰からも愛されず、自分も誰も愛さずに生きていけると。

 だがこのざまだ。

レグシェスのマントを纏いながら、レグシェスの足音を背後に聞いて、アゼルは心の中で自分を罵った。結局自分一人では立つことさえできなかった。一人で悪に染まり、そして死ぬことができれば良かったのに。

 このマントを、投げ捨てることができれば。

だがそう思えば思うほど、心に反してマントを掴む手はきつくなる。

 アゼルは黙って、寒々としている城の廊下を歩いた。すでに腹違いの妹たちは全員他国に嫁がせている。そして不要と思われる王達の肖像画や、装飾品の類は処分してしまった。廊下を歩く召使も見えず、冬の時期に王宮を賑わせているはずの旅芸人たちの姿もなかった。今、フォリンの王城はまるで廃城のように寒々と、そしてひっそりとしていた。

 王城が望むのは、私と破滅を共にすることか。
 それとも新しく、ふさわしい王を迎え入れることか。

答えはもう分かっている。ようやく自室へ辿り着いて、扉の前に立つとアゼルはひっそりと笑った。

 答えはもう分かっている。

王城だけではなく、民の答えもまた。


 そして扉の前に立ったアゼルの後ろから、レグシェスがさっと前に出て扉を開けた。アゼルはレグシェスの開けた扉から、暗い自分の部屋へと入っていった。真っ直ぐに机へ近づき、あの本を手に取る。古く、神聖な知識のつまった本を手に取り、皮の表紙を痩せた手でなぞる。すると自然と息が漏れた。体に溜まった冷気が一瞬で温まり、アゼルの全身が緊張から開放された。そしてずり落ちるマントと共に、アゼルは椅子に座ろうとした。

 その時だ。背後でカーテンが揺れ、アゼルは側に控えていたレグシェスの顔が引きつったのを見た。

「いけない! アゼル様!」

 レグシェスのマントが床に落ちた。まだ蝋燭も灯していない暗い部屋の中で、アゼルはレグシェスの手に腕を掴まれ、痛いくらいに強い力で引き寄せられた。

「カトラス陛下の御世に栄光あれ!」

 ぼんやりとそんな声が響いて、アゼルは暗い部屋に一瞬だけ外の光が差し込むのを目にした。思わず眩しさに目を瞑り、アゼルはただレグシェスの腕だけを感じていた。

「…………レグシェス……?」

 アゼルのすぐ側で、剣を抜く音がした。レグシェスがアゼルを自分の背後に押しやりながら、腰にさしていた剣を抜いたのだ。暗幕を引いた部屋の中で、アゼルはレグシェスの肩越しに光る長剣を目にした。

「この国の王はウィルス陛下だ。アンデレ卿、反逆者の名を讃える者は私が許さない」

 レグシェスは剣を構えてはっきりとそう言った。暗闇に浮かぶ横顔は、つい先日の自信なさげな、萎縮しきったレグシェスの顔ではなかった。

「お前こそ反逆者だぞ、レグシェス! そこをどけ!」

 アンデレがそう答えた。彼は逃げたふりをして城内に留まり、アゼルを暗殺するつもりだったのだ。カトラスを正統な王として城内に迎えるために。

 アゼルは喉元を焼くような怒りがこみ上げてきて、レグシェスを押しやって前に出ようとした。アンデレ卿は前王の時代も王に隠れて国の金を着服していた男だ。そして、前王とウィザーズがいた時には、公然とアゼルを時期国王に推していたのだ。それが、今ではアゼルを殺そうとしている。

 膿だ。

アゼルは思った。自分を重用しないアゼルを用なしとみなして、今度は追放されたウィザーズを迎え入れて、また影で国を腐らせようとしているのだ。そんな男を許すわけにはいかない。アゼルは前に出ようとレグシェスを押すが、レグシェスはそんなアゼルの倍の力で彼を押し返した。

「どくものか。私の命は陛下のものだ」

 その声を聞いた途端、アゼルは犯してはならない罪を犯してしまったと思った。手を振り払わなければいけないその時を、逃してしまったのだと、そう感じたのだ。

 レグシェスは剣を構えたまま、アンデレへ向かって一直線に突っ込んでいった。アンデレは避ける間もなく、蛙のような潰れた声を上げて、しばらく後にどさりと床に崩れ落ちた。アゼルは暗い部屋で、レグシェスの足元に倒れたアンデレを無感動に見つめた。絨毯の色が濃くなる。アンデレの流した血が絨毯を濡らしているのだ。それを見て、アゼルは前王、つまり自分の父親の死に様を思い出した。血は黒く、垂れた頬肉が醜かった。それに比べて、アンデレを殺したレグシェスの横顔は、何と美しいことだろう。

「陛下、ご無事……で?」

 レグシェスは振り返るとすぐに顔を歪めて、アンデレを刺し殺した剣を落とした。そして反対の手が脇腹にかかる。暗くてよく見えない。

「レグシェス、お前……」

 アゼルが一歩だけ近づくと、レグシェスは身を右に捻って脇腹を隠そうとした。しかしアゼルには見えていた。レグシェスの脇腹に深々と刺さった幅広の短い剣の柄。剣先はしっかりとレグシェスの体に食い込んでいた。

「アンデレ……!」

 アゼルは怒りに燃えた体で、すでに絶命しているアンデレに襲い掛かろうとした。よく見れば、絨毯を濡らしているのはアンデレの血だけではない。レグシェスの血も混じっている。

「陛下、陛下お止め下さい……」

 レグシェスは脇腹に刺した剣をそのままにして、アンデレに襲い掛かろうとするアゼルを抱きとめた。

「離せ……レグシェス」
「陛下……放っておかれませ。尊公のお手を汚す価値のない男です」

 そして自分はレグシェスに血を流させるような価値のない人間だった。アゼルはそう思った。

「今、治療を……」

 アゼルは震える声でそう言った。しかしアゼル自身は治療の魔法を使えない。医者を呼んでこなくてはならないが、アンデレが倒れた拍子に抉られたレグシェスの傷は深かった。あらゆる家臣を遠ざけたアゼルは、医者を呼ぶにも時間がかかることを知っていた。そしてそれはレグシェスもよく理解していたのだ。

「必要ありません。陛下……アゼル様、最後までお側にいられない私をお許し下さい」

 ぐっと、レグシェスの体が力を失くし、その体重がアゼルにかかった。

「逝くな、レグシェス。私の臣下ならば、私の言うことを聞け」

 これが最初で、最後の命令となって構わないからそうして欲しいとアゼルは思った。死ぬのは一人で十分だった。誰の道連れも望まない。まして自分に心から膝を折ってくれたただひとりの人を道連れにして良いわけがなかった。

「アゼル様……ご命令通りに……」

 そう言うと、レグシェスは再びアゼルの前で膝を折った。

「……レグシェス?」

 アゼルの呼びかけには答えず、レグシェスはそのまま絨毯の上に倒れこんだ。


 抱きしめて額に口付けると、レンヌはすぐにウィザーズの腕から抜けて何も言わずに部屋を出て行ってしまった。ウィザーズがそれを追うべきか、追わぬべきか悩んでいると、後ろから胸を押されるような感覚があって思わず胸元を押さえた。

 風が何かを言ったのだと、最初は思った。しかし耳をすませても、いくら風の音に集中しても、風の声は聞こえなかった。それどころか、やけに静かだ。

「王子、お話があります」

 ウィザーズが自然の音に耳を傾けているうちに、いつの間にかレンヌと入れ替わりにサフォムが入ってきていた。

「サフォム。あぁ……そうだな。行くよ、皆どこに集まっている?」

 ウィザーズはやけに静かな世界を不審に思いつつも、外からサフォムの方へと視線を移してそう答えた。そろそろ全員で集まって再びフォリンを攻める作戦を練らなくてはいけない。サフォムもそれで自分を呼びに来たのだと思ったのだ。

 しかしサフォムは厳しい顔をして、何故か肩で息をしながらウィザーズに近づいた。もしかして、先程レンヌに口付けた様子を見られていたのでは、とウィザーズは心配した。サフォムにははっきりと恋敵宣言を受けているのだ。抜け駆けだと言われて、こんなところで言い争いたくない。サフォムの登場に関して妙に勘ぐったウィザーズが誤魔化しの言葉を上手く紡ぎだそうとした瞬間、ウィザーズは両肩をサフォムの手に掴まれた。


「王子、よく聞いてください。レンヌちゃんは死ぬ気です」


 頭半分背の高いサフォムと目が合った。しかしその瞳の苛烈さにウィザーズは頭が真っ白になった。よく聞いて下さい、とサフォムは言った。そして噛み締めるように次の言葉を口にした。それが、かえってウィザーズの頭を掻き回した。

「……何だって? 何を言い出すんだ、サフォム!」

 理解できなくて叫んだウィザーズに、サフォムは一度目を瞑った。そして目を開くと、今度はウィザーズを圧倒するような瞳の輝きを抑えてゆっくりとウィザーズに言い聞かせた。

「彼女の言った盟約をよく思い出して下さい。魔術で人を殺すことは許されない」
「それは……だから、魔術を使わなければ良いんだろう?」

 ウィザーズは何とかそう答えた。サフォムの手が肩にかかったまま、ぎりぎりとその力を強くする。

「そうです。でももうひとつ、思い出していただかなければなりません」

 まるで教師が物分りの悪い生徒に教えるように、サフォムはウィザーズの目をしっかり見てひとつひとつ言葉を継いだ。

「『魔法を用いて自然を破壊してはならぬ。自然は魔法に対する抵抗力がない。自然は人やエルフの気で破壊してよいものではない。また魔術で他者を殺してはならない。自然はそれを覚えている。罪悪感に駆られるのは汝等でなく自然である。かようなことがあってはならぬ。あくまでも汝等は自然と共存してこそあるのだ。禁忌を犯した者は最後の王が審判を下す。一人の者のために全員が死ぬこともある』」

 ウィザーズはそれほどはっきりとレンヌの言った命約を覚えていたわけではない。実際に自分の口を通して語られた言葉だと言うのに、まるで今初めて耳にしたような気分だった。

「それが? 一体なんだって言うんだ?」

 サフォムは根気強かった。その命約が最初にサフォムの口にした言葉とどう関係するのか分からず苛立つだけのウィザーズが自分で理解できるように説明を続けた。

「王子。魔術とは自然の力。魔法とは人の力です。レンヌちゃんはフォリン王に言いましたね? 彼女は神ではない。そして人でもない。彼女は自然から生まれた者です。つまり、魔術と同じなんです」
「魔術と同じ……? レンヌも、レンヌの力も魔法と同じ……。じゃあ……」
「彼女自身も命約に縛られているんです。分かりますか?」

 分かりますか、と訊かれてウィザーズは人形のように首を折った。

「わ、かる。レンヌは、人を殺せない」
「そうです。殺せば命約に従って、彼女も死ななくてはならない。最後の王として、自身に審判を下さなくてはいけないのです」

 分かると首を折ったものの、ウィザーズはつい先程部屋を出て行ったレンヌの細い後姿が忘れられない。ウィザーズの腕から、俯いたまま出て行ったレンヌの姿が。

「そんなこと、レンヌは何も言わなかった……」

 言わなくても察してやるべきだったのかもしれない。レンヌを好きだというのなら、もっとレンヌのことを考えるべきだった。ウィザーズは何も言わなかったレンヌを責める気持ちと、自分のことだけを考えていた自身を責める気持ちとで心が乱れた。

「王子。彼女は自分が最後の王だと言っていたでしょう?」

 そんなウィザーズに、サフォムはやはり根気強く呼びかけた。

「好きだって、俺はレンヌが好きだって言ったんだ! 返事はすべてが終わった後でも良いと。なのに! レンヌは何も言ってくれなかった。それでは遅いのだと、教えてくれなかった!」

 怒りと悲しみに叫んだウィザーズに対して、サフォムはその肩をしっかりと掴んだまま静かにこう言った。

「私には、その場で答えを返してくれましたよ、王子。私の気持ちは受けられない、と。でも貴方には言わなかった。その意味が分からないのですか?」
「レンヌは、俺に同情して……」

 ウィザーズはこう返して、そしてようやくサフォムはこの打ちのめされた王子は宥めるだけでは立ち直れないことを悟った。

「何を言っているんです! 時間がないんだ。こんなところで立ち止まる男を、我が王と呼ぶことはできませんよ!」

 サフォムはそう言って、ウィザーズの肩を掴んだ手に力を入れ、ウィザーズの体を揺さぶった。

「サフォム……」
「しっかりなさい! 恋敵を励ます役目なんて金輪際御免です! 良く考えて。黙っていたら貴方を傷つけることなんて、レンヌちゃんには分かっていたんです。私を傷つけまいと、答えを返したようにすれば良かった。でもできなかったんです」

 何故、とウィザーズは口を動かした。何故レンヌはサフォムには答え、ウィザーズには答えてくれなかったのだろう。サフォムがそれに答えた。

「レンヌちゃんは貴方の気持ちが嬉しかったんですよ。拒否することを戸惑うくらいに!」

 ウィザーズはその言葉にひとつの光明を見出したようだった。じっと見つめるサフォムを初めてまともに見返して、ウィザーズは恋敵に尋ねた。

「……俺は、どうすればいい?」
「言ったでしょう。それは貴方が考えることです。貴方が決断しなければいけない」

 ウィザーズは考えた。ウィザーズはレンヌが好きだ。レンヌにもそう告げた。レンヌの答えはこの戦いが終わってから、戦いが終わったら返して欲しいと告げた。そしてレンヌは、それを否とは言わなかった。

 戦いはアゼルを殺さなければ終わらない。もしウィザーズがアゼルを許すことができたとしても、レンヌは命約を破ったアゼルを生かしておくことはできないのだ。そしてレンヌがアゼルを殺せば、レンヌも死ぬ。

「俺は…………俺がアゼルを殺す。レンヌには殺させない。……レンヌを死なせたりしない!」

 ウィザーズが言うと、サフォムはじっとウィザーズの瞳を見つめ返して目を細めた。

「……きっと、それができるのは貴方だけです」

 サフォムはそう言うと微かに笑ってウィザーズの両肩から手を離した。

「貴方がレンヌちゃんの手をとってこの戦いを終わらせたら、私は一生貴方に忠誠を誓いますよ」

 サフォムの手が強く握っていた肩は痛みに熱くなって、それはしばらく引かなかった。

「……それで良いのか? お前は」

 離れたサフォムにウィザーズがそう問うと、伊達男は苦笑に顔を歪めた。

「……困ったことにね。私はレンヌちゃんを愛していますが、貴方のことも嫌いではないんですよ」

 ウィザーズはその言葉に思わず笑ってしまった。そして同時にウィザーズは、雪の大地の向こう側から響く悲鳴を聞いたのだった。

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