坂上の化け物屋敷
---------------------------------------------------------------------------------
そんなある日のことだった。僕は一通の書留を届けるために、初めてあの緩い坂道を登り、何の変哲もないような木造平屋建ての家の前に立ったのだった。簡易な門を何気なく通り過ぎ、玄関の戸に手をかける。この田舎で玄関に鍵をかけているような住人はいなかったから、僕も遠慮なく戸を引いた。
からからと乾いた音をたてて玄関は開いた。中は少し薄暗くてひんやりとしている。下駄が一足、丁寧に並べて置かれていた。僕はそれを家人が在宅している証だろうと思って、中へ向かって呼びかけた。
「ごめんください。書留です」
そう声をかけて、中に一歩踏み出そうと足を上げたところで――。
ピシャリ。
と鼻先で、開けたはずの戸が閉まった。
「……え……?」
何が起きたのか分からない。分からなかったのでもう一度左手で引き戸を開けた。そしてすぐに一歩踏み出す。だがその足が敷居を跨ぐ前にまたもや。
ピシャリ。
と目の前で戸が閉められた。性質の悪い子どもの悪戯だ。咄嗟にそう判断して、かっと頭に血が上ったけれど、上ってすぐに血は急降下した。中に入らなくても、子供が隠れるような場所がないことは見て取れた。玄関に誰もいないことは確かだったし、先輩達が言っていた言葉を思い出したのだ。変わった家が一軒あるのだ、と彼らは意味深に言っていたではないか。嫌われなければ大丈夫だとも言っていた。
まさか……。
嫌われたのか。まだ何もしていないうちから嫌われてしまったのだろうか。まだ「ごめんください。書留です」しか言っていないし、その言葉自体どうということもない、郵便屋にとってはごく普通の挨拶だ。他にどう言い替えることもできない。それとも顔だろうか。容姿が気に入らなかった?
勿論冷静な頭の一部分では、この不可思議な現象を”家のせい”だと思うことがいかに突飛な発想なのか分かってはいた。子供の悪戯ではないにしろ、他にいくらでも説明できるような現象だ。だから、ここで怖じ気づいて引き返すなんて無様なことをしてはいけない。咄嗟にそう思ったけれど、その勇敢さはまったく遺憾ながら声に現れることはなかった。
「ご、ごめんください。書留です!」
つい悲鳴のように高くなった声で、情けなく呼びかける。すると家の奥から廊下を素足で歩いてくるようなぱたぱたという音がした。よかった、人がいる、と思った途端に目の前で無情にも閉じられた戸が、今度は手もかけていないのに、
パシャリ
と音をたてて開いた。間違いない、いま僕は何もしていなかった。開いた戸の先、家の中にも誰もいない。勝手に閉じて、勝手に開いた。人の仕業でもないが、では風の仕業かと言えばとてもではないがそんなこと――。
僕が目を白黒させて立ち尽くしているうちに、ぱたぱたという足音が近づいて来て、玄関に姿を現したのは着流し姿のまだ若い男だった。僕よりも四・五歳は年上に見えるが、ちらりと向けられる視線には表情がない。
「あぁ、新しい方でしたか」
だがかけられた言葉は優しく、声には少し意外さも滲ませているように聞こえた。
「あ、あの……はい」
僕が落ち着かない様子を見て取ったのか、家人は書留を受け取りながら、ちらりと家の戸へと目をやる。僕はその視線の先を感じ取って、また戸が勝手に閉まったりしないかどうか気にしてしまう。家人は受け取りの判を押すと、それを僕に返して言った。
「人見知りをする家で、申し訳ない。よく言ってきかせますので、これからもよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる家人はよく見ればなかなかの美男で、着ている着物のさばきかたも頭を下げるその仕草もどこか品の良さを感じさせるものだった。愛想はないが礼儀正しい人。なるほど同僚達の言い分は一見して当たっている。
だが言っていることはおかしい。確実におかしい。家が人見知りをする? そしてまるで悪戯な子供にそうするように、言ってきかせるだって? それこそ馬耳東風。というか家に耳はないから、吹き抜けるのは隙間風のみ、ではないのか。それにどうして、僕が”家に何かされた”と分かったのだろうか。
『まぁ、嫌がる奴は嫌がるさ』
同僚が言っていたその言葉を思い出す。背筋が凍り付くような思いだったけれども、僕は丁寧に頭を下げた家人に対して何とか自分もゆっくりと腰を折って答えた。
「……あの……は、はい……。こちらこそ、よろしくお願いします」
その後、家の門を出た瞬間に走り出して、逃げるようにその場を立ち去ったことを、僕は一生忘れないだろう。一体どれだけ情けなく、みっともない青い顔を晒して走っていたことか。そしてその慌ただしく立ち去る足音を聞いて、若いお医者は何を思ったことか。
後から聞いたことであるが、本当に気に入らない相手であれば、あの家は戸を開けさせることすらしないのだということだった。泡を食って逃げ帰って来た僕を、同僚達は気の毒そうに、だが好奇心を隠しきれない様子で慰めながら情報収集に余念がなかった。この新人はきちんと”家に入ることができた”のか。それは刺激の少ない田舎の郵便配達人達が、長年密かな賭けの対象にさえしていた恒例行事だったらしい。僕が一応”家に入ることはできた”と答えると、彼らは満面の笑みで僕の肩を叩いた。僕が質の悪い入社式のようなものと推測したのも、あながち間違いではなかったということだ。
すぐに連れ出された飲み会の席で、同僚達は相変わらずの一致団結っぷりを発揮して大いに語った。今の若いお医者の父親の時代に、確かに一度どうしても家に嫌われて入れなかった郵便配達人がいたらしい。家人が申し訳なさそうに郵便局に顔を出し、人を変えてくれるように願いに来たと同僚のひとりが思い出しながら話してくれた。
地元では有名な”坂の上の化け物屋敷”。夏は寺の墓場とともに子供達の肝試し巡礼地となるその家は、一体なんの基準で選んでいるのか、郵便配達、使い走り、出前から庭木屋まで、閉め出したり受けれたり。人見知りと家人は言ったけれど、単なる我がまま選り好みではないかと他の人間は内心で思っているに違いない。だが、過去に閉め出された郵便配達人は、その後他の地域で郵便を配達していたところを、魔が差したとでもいうのか、留守宅に押し入って金を盗み、警察に捕まったという。そういう人間だから中に入れなかったのか、と考えることもできるだろうが、そんな、人の善悪を見分けることのできる”家”とは一体なんなのだろうか。
「それで、結局あの家には何がいるんです?」
それこそ自分が小さい頃、あの家に肝試しに一度だけ入ったことがあるという同僚に「本当のところ」を尋ねてみたのだが、定かな答えは返ってこない。
「……さぁ、何だかなぁ?」
ぼんやり口にすると、相変わらず仲の良いことに、先輩方は顔を見合わせてもごもごと呼応する。
「俺は九十九神の一種じゃあねぇかと思うがな」
一人がこう言えば、おやと眉を上げてもう一人がこう言い出す。仲の良いことを証明しているのか、単に誰かに乗らないと話し出せない性分なのか、どうにもこの職場の人達は互いに呼応しやすいように思われる。
「はぁ、なるほど、九十九神か。俺は座敷童の類かと考えてたんたが」
ははぁ、なるほど、九十九神に座敷童か。と自分も彼らの会話に心の中で呼応して、早くもこののんびりとした職場に慣れつつあることに苦笑した。
「それで、本当のところどちらなんでしょうか」
その後、僕は家に入れたことを支えに何度か郵便を届け、毎回ではないけれど二回に一回は些細な悪戯をされた。僕自身の体験では追い返されるほどのことはないけれど、けんもほろろに追い返される人間を目撃することもたまにはあった。家主ともぽつぽつ会話するようになって、愛想はないが礼儀正しいという人物評が、本当に正しいことも理解するようになった。
お医者ということもあって、昼間は留守にしていることが多かったが、診療所がお休みの日には家にいて、そんな時に郵便を届けると、時にはお茶でもどうかと声をかけてくれることも穏やかな人だ。そんな時は縁側に腰掛けて、そう広くはないが整った庭をながめながら仕事の話や世間話などをするのだが、ある時思い切って疑問をぶつけてみたところ、家主は自らも縁側で正座してお茶を一口飲むとこう答えた。
「……座敷童のように人の姿を現すことはないから、九十九神という方が近いような気がするがね」
いつものようにどこか物憂げな様子で、実際のところはよく分からない、というような返答をされてはそれ以上追及しようもない。
「家の九十九神ですか……」
一番付き合いの長い家人がはっきりと分からないというのなら仕方がないような気がしたが、そんな得体の知れないものと一緒に住んでいる――いや、得体の知れないものに住んでいるというのが正しいのか――このお医者も、やはりずいぶんな変わり者だ。改めてそう思う。
九十九神というのは長く使われた物に神だか霊魂だかが宿るというものだったはずだ。人に禍いを成すものもあれば、人と和を成すものもある。禍いというほどの被害も受けていないけれど、和を成すというほどのものでもないとも思う。だが確かに代々の家人とは上手くやってきているのだろう。
出された茶請けの柿を食いながら、ふと思う。昔、入るのを拒まれたという郵便配達人にとっては、この家は禍いだったのだろうかと。それとも、その郵便配達人が禍いだったからこそ、この家は彼を拒んだのだろうか。
「神ってガラかよ、この我がまま放題が。イテッ!」
何度か玄関先で追い返されたこともある家人の知り合いだという男が、柿を頬張りながらぶつくさ言うと、それを聞いた家が怒りの一撃をお見舞いする。どこから飛んで来たのか、男の頭に直撃したのは立派な毬栗だった。彼は完璧に拒まれているというわけではなく、時には門前払い、時には家の中まで入れるが歓待はしないという、どうやら喧嘩友達のような間柄らしいというのも、ここ最近分かってきたことだ。僕自身も、別段好かれているというわけではなく、可も無く不可も無くで何となく出入りが許されている類いらしい。
「元々、神というのは我がまま放題なものだとは思うがな」
そういうものだろうか。僕は近所の八幡様に初詣に行くくらいしかないから、詳しくはないのだけれど。でも昔祖母が聞かせてくれた素戔男尊のお話では、確かに駄々っ子みたいな暴れ方をしていたっけな。ふと子供繋がりで、あの坂道を駆け下りる子供達の姿を思い出し、僕はくすりと笑いを漏らした。家人には不快な話かもしれないが、と思いつつも披露せずにはいられない。
「子供達が、この家の前を通る時には必ず走って行くんですよ。そうしないと捕まってしまうと思っているようで。僕が郵便を配達しにこの家に出入りしていると言うと、なんだか尊敬するような目で見られてしまいました」
自分はそれでくすぐったいような気分になったかもしれないが、家人にしてみれば妙な振る舞いをする家のせいで、子供達に怖がられているというので、決していい気分ではないだろう。特に子供嫌いというわけではないなら、なおさら複雑な心境かもしれない。だが自分も柿をつまんでいる家人を横目で見る限りは、特に気分を害した様子もなさそうだった。それどころか、その表情のない顔で柿の種を吐き出しながら、僕の言ったことを検討してみたようだ。そしてどうい思考過程を経てなのか、家を避けて通る子供達をどうやら懸命だと判断したようだった。
「この近所の子を捕まえるようなことはしないだろうけどね。遠くの子供を捕まえてきたことは確かにあるから、そういう話に尾ひれがついたんだろう。どのみちあまり子供好きな家ではないから、招かれない限り近づかないのは良い自衛手段だ」
家も家なら、家人も家人だ。お医者ということは頭も相当良いのだろうが、子供の頃からこんなとんでもない家に住んでいるせいで、常識的な判断を期待することはできないと僕は思う。その点は家人の知人だという物書き――ライターというらしいが僕にはその職が何をするものなのか未だに分かっていない――も同じ考えだったようで、
「おい待て。子供を捕まえてきたことがある……って、犯罪だろう! それは」
僕の代わりに家人に向かって常識を説いた。だが家人はのんびりと茶をすすり、知人の説く常識を形ばかり検討してみただけで答える。
「そうかもな」
あまりにあんまりな答えなので、僕も我慢ならずに口を挟む。
「そうかもなって……そ、その子供はどうなったんですか?」
家に捕まえてこられたというその子供は。まさかそれが自分などとは言わないだろうな、と思いつつも彼ならそんなこともあっさりと口にしそうだと心配していると、家人は茶を飲み干してから口を開く。
「どう、と言われてもね。多分、向こうでは神隠しに遭ったとでも言われているのかもしれないが。とりあえずこちらでは楽しそうにやっているよ」
楽しそうにやっている、というからには家人以外の人間のことなのだろう。今この家に子供はいないことだし、と僕ともうひとりはこっそりと視線を交わす。
「この町に住んでいるのか? 今でも?」
とりあえずこの場にはいない第三者のことなのだろうと検討をつけて問うと、家人はこくりと頷いた。
「この町から出るのはこいつが許さないだろう。とても気に入っているから」
とても気に入っているから。驚愕に目を見張りつつ、僕はその言葉を心の中で繰り返した。この家にいるのは神であろうと妖怪であろうと、結局は人外の者だから、人を”気に入る”ことはあっても、”とても気に入る”ことなどないのだと無意識に感じていた。家人でさえ、気に入っているというよりは、ただ暮らすことを許しているという関係なのだと思っていたのに。
「そ、そんな人がいるんですね」
この家に”とても気に入られる”人間がいるとは、じっくり考えてみてもやはり驚きだ。しかも遠くから捕まえてくるほど、気に入っているというのだから。
「誰だ! 誰なんだ、一体。いきさつから何から全部ひっくるめて、是非取材してみたい! アダッ! イタタ!」
どこで発表しているのかは知らないが、物を書く職業だというのだから、男が食いつくのは当然のネタだった。けれど元々あまりこの男を気に入っていない家の中で、家人曰く”とても気に入っている”人についてあれこれと聞き出そうとするのは、当然のことながら得策ではなかった。
先程は屋根の上からころんと一個落ちて来ただけの毬栗が、今度は雨のように降り注ぐ。男は縁側から立ち上がり、毬栗の雨から手で頭を庇いながら飛び上がった。そもそもこの家に、栗の木はないはずなのだけれど。
「お前はもう帰った方がいいな。しばらく出入りはできんぞ」
家人の静かな忠告を聞くまでもなく、男は罵り声を上げながら中庭を走り出て、家から立ち去って行った。残されたのは家人と僕、そして庭に落ちる大量の毬栗だけだった。
「栗ご飯でも炊けというつもりか?」
家人がぼそりと呟いたのは、毬栗を持ち来んだ家に対してのことなのだろう。毬栗と同じ要領で、子供も捕まえて連れて来たのだろうか。益々、子供達を怯えさせずにすむような、上手い言い訳が思い浮かばなくなってしまった。それともこの家は、子供が近づかないような話を、わざと広めさせようとでもしているのだろうか。
分からない。まったく分からない。
僕は首を振って溜息をつくけれども、理解しようと思う方が馬鹿を見るような気もしている。
「さて、君は良かったら金木犀でも持って帰らないか? これから匂いが強くなるところだから、枝を二・三本」
何が起きても飄々としているこの家人を見ればなおさらに。
「あ……はぁ。では、いただいて帰ります」
そう答えた僕の頭に、まるで土産とばかりにころんと一粒、栗の実が当たって手の中に落ちた。