桜下人形
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男は何を聞いても返事をしない家に困り果て、とりあえず道端に放置してしまっている状態の死体の元へ戻ることにした。家の電話を使い、警察へと連絡を入れ、自分は第一発見者として染井吉野の下へ戻ったのだが、死体発見の事情と状況を説明するにも、死人が人形に姿を変えて復讐を果たし、再び死人に戻った結果として、二体の骸が桜の下に現れたのだということを説明して誰が信じるだろうか。男とて、あの人形と現れた二つの死体の因果関係を理解しているとはいえないのに。
男にとって幸いだったのは、通報して駆けつけた警官が男の幼い頃からの友人であったことだ。彼は男の家にも頻繁に出入りしていた。従って男の周りで起こる不可解な出来事にも理解がある。嘘を並べ立てるのも気疲れすることであるので、男は駆けつけた友人が二つの死体を検分して、一体どういう事情だと訊くのに対して素直にここ一週間の出来事を語って聞かせた。
語り終えると、長い付き合いとはいえ、この話にはさすがの友人も大きく息をついて苦笑いした。
「それはまた……妙なことに巻き込まれたものだね」
それでも“妙なこと”と言って片付けてしまえるだけ、やはりこの友人も慣れているのだ。そう思って男も苦笑を漏らした。
「すっかり体質になっているようだ。あの家で育てば仕方のないことなのだろうが」
「そうかもしれない。事情は分かったよ。僕も嘘を吐くのは気が進まないけれど、そのまま話して上が信じてくれるとも思えないし。何かいい言い訳を考えてみよう」
自分がつけない嘘を友人に肩代わりさせるなんて都合が良すぎると思ったけれど、そんな考えすらも見抜いてくれる友人に男は心から感謝し頭を下げた。
「手数をかけてすまない。ありがとう」
友人は気にするなという風に軽く頭を振った。
「どういたしまして。……でも、君を見ていると怪異も人を選んでいると思うよ」
呟かれた言葉に驚いて顔を上げると、友人は花を散らし続ける染井吉野を見上げていた。
「どういう意味だ?」
問い返しても、すぐには視線を桜から離さない。そうしていると、友人もあの人形と似ていると思えた。その色白な顔。そしてどこか、自分とは別の場所を見ているような目が。
「彼女はきっと、君を頼って人形に身をやつしたんだろうなって」
何故そんな風に思うのだろう。“彼女”に会ったこともないはずなのに、と考えて、自分もまた彼女に“会った”わけではないと気付いてそっと唇を噛んだ。
「……俺は何もしていない」
それこそ、拾って体を繋げてやる程度のことしかしていない。男が言うと、友人はほんのりと微笑んで、桜から男へと視線を戻した。
「彼女の想うとおり、連れ帰って桜を見せてあげたのだろう? 彼女の顔が穏やかなのは、きっと君のおかげだよ」
その黒髪に落ちる花影を見て、男は気付いた。桜だ。桜があの人形と、いま目の前に立つ友人とを似せて見せているのだ。穏やか、と友人が表現したあの死体の顔。うっすらと微笑む紅を引いた唇が、友人の顔に重なって見える。死体、友人、そしてあの人形。
目の前の友人のように柔らかく微笑むことはついぞなかった人形は、桜を見たいとだけ言った。だが、本当にそれだけで良かったのだろうか。それだけで、最後には微笑むことができたのだろうか。動かぬ口を動かして、人のように柔らかく笑うことができたのだろうか。
「君のおかげで、彼女は穏やかなんだよ」
まるで本人から聞いて知っているような口調で友人は繰り返した。それが優しい友人の単なる慰めとは、男は感じなかった。
「……そうだといいが」
と答えつつも、そうなのだろうと納得したのだ。昔から友人は、“そういうもの”の気持ちをよく理解する男であったから。
やがて染井吉野の花弁も一枚残らず落ち、変わりに緑の葉が細い枝を飾るようになってすぐのことだ。ライターというやくざな仕事をしている知人が、面白い土産話があると言って中庭から顔を出し、縁側にどっかりと腰を下ろした。手ぶらで唐突に押しかけてきて、腹の足しにもならない話を土産に持ってくるような男に出してやる茶はない。
「肝心の土産話を聞く前にそれはないだろう」
まぁ、土産話というよりも噂話なのだが。そう知人が告白するので、男は益々その話を聞く気が失せた。噂話に興味はない。すげなく追い返そうとすると、知人はもったいぶった様子で勝手にその噂話を始めた。
「この家にようやく嫁が来るという話だぞ」
知人の台詞に天井からぶら下がる電球が大きく揺れた。どうやら笑われたようだ。笑い事ではない、と正直叱ってやりたい気分だったが、妙な噂に心躍らせている知人の前では火に油を注ぐようなものだったから何とか呑み込んだ。
「根も葉もない噂だな」
そう男が切って落としたところで、喜々として噂を仕入れてきた知人にとっては大した攻撃にならない。
「そうか? 火のないところに煙はたたんというから、葉はないまでも、根くらいあるのではないか?」
ライターという職業柄なのだろうか。面白いと思ったネタには飛びつかずにいられないのだろう。どうせならもっと仕事として使えるネタを仕入れてくればいいものを。
「何ならそこら辺を掘り返してみるか?」
男は平坦な声で庭を指差して言った。掘れば何かしらの根には当たるだろう、と。するとようやく諦めたのか、知人はふてくされたように鼻を鳴らしてごろりとそのまま縁側で横になった。
「ふん。どうやら本当に噂だけらしいな。いや、まぁ、こんな家に嫁いでくれる女子がほいと湧いて出てくるはずもないが」
こんな家、と言われて怒ったように天井が鳴ったが、怒らせた本人は気付いていないようだった。後で家に報復されたとしても男はとりあえず知らぬ顔をしておこう、と思った。下らない噂話を持ち込んで居座る知人が悪いのだ。
「誰に聞いた、そんな噂」
「誰だったかな」
とぼけているのか、本気で忘れたのか。どちらにせよ、これ以上追及したところでこの調子の良い知人は何も吐かないだろう。
「預かり物をしていただけだ」
ぽろりと男の口から真実が漏れた。何も説明してやる義理はないのだが、庭の葉桜を見ていたらつい口をついて出たのだ。
「預かり物だって?」
男の言葉に真実の臭いでも嗅ぎ取ったのか、片肘を枕代わりに寝転んでいた知人が、その頭だけを持ち上げて男を見た。
「人形を一体預かっていた。とても美しい人形だったが、他人のものだったからお返しした」
幼馴染の友人がその後報告してきてくれた話を聞くと、やはり桜の下の女性はもう三年も前に殺されていたのだという。死因は頚部圧迫による窒息死。首元に残る痣と、誰かの皮膚を掻きむしった後の残る爪からして、扼殺だろうという話だった。身元も、そしてあの桜の下で死んだ訪問者との関係も、調べがつくまではしばらくかかる。詳しいことが分かったら教えよう、という友人の提案を男は断った。調べがつけば新聞の隅くらいには載ることであろうし、それ以上のことを知る必要はないと思えたのだ。男があの人形――もしくはあの死人――にしてやれることはしてやった。
あの人形がいなくなってしまったことに僅かな空虚を感じる自分がいたとしても、それは問題ではないのだ。
「ほう……。無感動なお前がそこまで賞賛するのは珍しい。とても美しい人形、か。俺も拝みたかったが、残念だな」
知人の言葉の中に幾分揶揄するような響きを感じ取ったが、男はそれを無視することにした。
「あぁ……そうだ。残念だったな」
呟くと、かたりと障子戸が一枚同意するようにして鳴った。それはまるであの人形が男に発した言葉を繰り返すようにして、男の中に響いた。
桜が見とうございます。
その桜も、今は緑の葉ばかりである。