雨宿り

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「はい、どうぞ」

 無事に神との対面を終えた私と子犬は、雨宿りと称して海王の家に上がりこんでしまっていた。

「どうもありがとうございます」

 ここまでお世話になるつもりはなかったのだけれど、家に帰りたいと思う気持ちが薄いから結局こうしてお茶まで出してもらってしまっている。丁度先ほど神と会った庭の見える居間に通された私は、双葉さんの出してくれたお茶とお菓子を前に正座している。私の膝にはタオルで綺麗に拭かれた子犬と、隣には制服から普段着に着替えた海王が座っている。

「か、海王がこんな可愛いお嬢さんを連れてくるとは……! ひ、瞳さん達に連絡をしなくてはいかん」
「お祖父さん、落ち着いてください」

 向かいには法衣を脱いで着物姿になったお坊様と、その人の前にもお茶を置いている双葉さんが。

「海王、お前実は光源氏を目指していたのか? いやぁ、やっぱり男の憧れだよなぁ、アレって」

 そしてお坊様と同じ着物姿だけれど思い切り着崩しているチンピラが双葉さんの横に陣取っていた。

「変なこと言っているけど、こっちが社木 永治(えいじ)。俺のじいちゃんで、一応この寺の住職。こっちは兄の一葉。見てわかるだろうけど、双葉ちゃんとは双子。長男がいないけど、両親と一緒に仕事でロンドンに行っているから」

 海王の話によると、チンピラこと一葉さんは永治さんの後を継いで将来はこの寺の住職になるべく修行中の身だとか。見た目にはやはりチンピラにしか見えないのだけれど、着ていた似合わない法衣はそういう意味なのねと納得。

「廿楽 乙花(つづら きのか)と申します。突然お邪魔して申し訳ありません」
「社木 双葉です。雨はもうすぐ止むようですから、それまでゆっくりしていって下さいね、乙花さん」

 そう優しい言葉をかけてくれる双葉さんはSF小説作家だという。マイナーだから、と恥ずかしそうに笑う双葉さんに隠れて、私は今度彼の本を探してみようと思った。ペン・ネームは後で海王から聞きだすとして。

 そうして私が双葉さんのペン・ネームについてひそかに画策していると、海王が名前だ、と言い出した。心の中を見られたのかしらと驚いた私に、海王は再度言った。

「犬の名前。何が良い?」

 あぁ、何だ犬の名前か。確かに名前は必要だけれど、話題ふりがいちいち唐突ね。

「え? でも……結局あなたが飼ってくれるんだし、名前は……」

 そりゃあ、自分でつけた名前でこの子を呼んであげられたらと思う気持ちは大きかったけれど。結局私はこの子のために何もできなかったし、これからも何もできないのだから。

「あぁ! 可愛いなぁ! 乙花ちゃん! でもね、遠慮せずに自分でつけちゃった方が良いよ。海王はネーミングセンスないから、本当に」

 本当に、というところに力を込めて一葉さんが言った。すると、海王が珍しく年相応に幼さの混じる顔で不満を表す。

「心外だ」
「馬鹿、神の時だって最初小さいからチビにするなんて典型的過ちを犯そうとしたくせに! 結局双葉ちゃんに任せて正解だっただろうが!」

 確かにそれは典型的な間違い。しかも今の神を見た限りでは、取り返しのつかない過ちになるところだったみたいね。

「予想以上に大きくなったからの、神は」

 永治さんがお茶をすすりながらしみじみとそう言った。

「この子も足が太いから中型くらいにはなりそうだね」

 そう、当然だけれど今以上にこの子は大きくなるのね。私よりもずっと早く成長するのだわ。私の見ていないところで、あっという間に。そう思うと、胸が疼いた。

「本当に、私がつけても良い?」

 私が見上げると、海王は微笑みもせずに頷いた。

「じゃあ、ジャレット。ジャレットにするわ」

 本当は拾った時から私だけが心の中で決めていた名前なのだけれど、それは恥ずかしくて言えなかった。今までだって、飼ってあげられるという確信がなくて勝手につけた名前で呼ぶことができなかったのだ。それを、ようやく呼ぶことができた。

「おぉ〜。うちのメンバーじゃあ絶対に出てこない格好いい名前だな」
「良かったね、格好いい名前もらえて」

 名づける、という行為はできれば育てるという行為と一緒にしてあげたかったのだけれど、こうして大切にしてくれそうな家を見つけることができただけでも、私はこの子のために何かしてあげられたということになるのだろう。少し、ほっとした。

「神!」

 海王が庭に向かっている障子と窓ガラスをあけて、また金木犀の木の下に戻っていた神を呼んだ。彼女は海王の声にすぐに反応して、身を起こすと大きな体を静かに動かして縁側に顎を乗せた。

「こいつ、ジャレットっていう名前になったから」
「よろしくね、神」

 神は答えるようにして尻尾を振った。


 長い雨宿りをしてようやく雨が上がり、早々に雲が引いたと思ったら沈みゆく夕日がお寺の屋根の下に消えていった。雨宿りという理由付けをなくして、私はそろそろ自宅に帰らなくては、と海王に告げた。

「送ってく」

 私が立ち上がると、海王も立ち上がってそう言った。その申し出は確かに私の胸を躍らせたけれど、この家の心地よさに慣れてしまうことが、私はなんとなく怖かった。だって、私が名前しか名乗らなくてもこうして温かく迎えてくれた。子犬を飼えない事情とか、わざわざ迎えに来た香坂のこととか。海王は私がお嬢様、なんて普通ではない呼ばれ方をしたことだって知っているのに、それについて何も聞こうとしない。まさかさっきのことを忘れているってことはないわよね。いくらぼんやり変人男でも。

「いいわ、迎えを呼ぶから」

 自分の事情はしっかりと諦めることにして私はそう言って断ったのだけれど、海王は譲らなかった。

「送ってく。どうせこの時間はいつも走っているから。自転車でよければ」

 そりゃあ、高校生に車で送れなんて無体なことは言わないわよ。でもジャレットを引き取ってもらった上に見送りなんて気を使わなくても良いのに、と私が思っている隙に海王はすでに荷台のついた自転車を引っ張ってきている。気を使われているのか、私が気を使っているのか分からなくなるわ。

「じゃあね、ジャレット。可愛がってもらうのよ」

 仕方ないから送られてあげよう、と私は苦笑して、一葉さんの腕に抱かれているジャレットの頭を撫でた。小麦色の毛は少し湿っている。私がほぼ一日中抱いていた温かい命はこの家で優しく見守られつつ育つのだろう。寂しい。こういうのを寂しいと言うのだと私は初めて知った。

「どうせ会いに来るだろう?」

 海王がどこか不思議そうに首を傾げて私に言った。この男は分かっているのかしら。その言葉がどれだけ私の心の中の寂しさを消して別の感情にしてくれるか。

「……良いの?」

 自分でもすごく期待している目をしているのだろう、ということが分かった。まるで、捨てられた子犬が立ち止まった私を見ていた時と同じような目。

「うん。香坂さんっていう人が許してくれるのなら、うちはいつでも」

 私の浅ましいほどに期待している目を、海王が見抜いたのかどうかは分からない。この男が私にとって難解でなくなる日は絶対に来ないだろう。けれど、そんなことは今どうでもいい。海王の答えと、それに続けて一葉さんのかけてくれた言葉だけで、今は十分だ。

「そうそう、俺か祖父さんはいつも寺の方にいるしさ。双葉ちゃんも仕事で缶詰にならない限りはいるよ。だからいつでもおいで、乙花ちゃん」

 ジャレットを抱えて見送りに来てくれていた一葉さんが人好きのする笑顔でそう言ってくれた。となりで永治さんも頷いている。こんな風に構えることなく優しく接してくれる人達にまた会いに来ても良いのだといわれると、もう来られないなんて言えなくなってしまう。むしろ、どんなことをしてもまた来たいと思ってしまうではないか。

「香坂の許しなんていらないわ! 絶対に来ます! いい子にしているのよ、ジャレット。この子をよろしくお願いします」

 主にこれからも頼りになりそうな双葉さんに向かって私が頭を下げると、双葉さんは礼儀正しく頭を下げて返してくれた。

「はい。こちらこそ、海王君をよろしくお願いします」

 えっ? 

「じゃあ、送ってくるから」

 今のは一体どういう意味? と、私は何やら弁解をする暇もなく自転車の荷台に乗せられた。合図もなしに走り出す自転車に驚いて、私は慌てて海王の腰にしがみつく。後ろを振り返ると、社木家の三人がそろって私に向かって手を振っていた。丁度双葉さんの足元には大きな神の姿が。そして一葉さんの腕の中にジャレットの姿が見える。私は自転車から落ちないように片手だけ上げて、手を振り返した。

 考えてみれば、自転車の荷台に乗って走るなんて、初めての経験だった。何だか私は初めてばかり、今日のうちに経験しているみたい。雨上がりの風が肌寒いけれど、嫌な気分ではない。それどころか、正直ちょっと昂揚している。

「な、何だかお家の方に誤解されているような気がするんだけど!」

 風に乱れる髪を押さえながら、大きくて温かい背に向かって叫ぶと、危なげなく自転車を漕ぎながら彼の視線がちらりと私を見て微笑んだ。そうして表情らしいものを浮かべると、ぼんやりした顔が急に引き締まって、そう、格好よく、見えるのだ。そして、やはり私よりはうんと年上に見える。

「まぁ、好きに言わせておけば? まんざらでもなくなったら嫁に来ればいいよ」

 その言葉に苛々させられることはなかったから、それは海王の冗談ではなかったのだろう。

「……そうね、まんざらでもなくなったら」

 もしかしたら、と私は呟いた。それが風を切って走っている海王に聞こえていたのかどうかは、私には分からない。ただその日から、ジャレットを挟んで私と海王は周囲に色々と好きに言わせながらも、友人とも恋人ともつかない奇妙な関係を続けることになる。

■この小説はリクエストをくれた我が姉えあに捧げます.

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