ネジネジ

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 菊丸が見つけてくれたという小さな部品を、筆箱の中に入れているプラスの精密ドライバーでねじ込んだ俺は、少し部室で具合を確認した後、これなら大丈夫だろうと思って練習を再開するべくコートへ戻ってきた。

 戻ったコートは、先程と違って騒がしくなっていた。中心にいるのは、どうやら菊丸のようだ。彼に巻き込まれる形で、一年達が何やら喚いている。とりあえず今のところ、部長を含めた三年生達はそれを止める気がなさそうだった。だから俺も、とりあえずは叱るのを止めて騒ぎの外にいる不二と乾の側へ行った。

「何の騒ぎだ?」

 近づいて尋ねると、不二はそれに答えるような素振りをみせつつ、全く違うことを尋ね返してきた。

「あ、手塚。眼鏡直った?」

 答えになっていないと言い返そうとしたけれど、部活が始まる前になくしたネジを一緒にあちこち探してくれたことを考えると、とりあえずその問いに答えておいた方がいいだろうと思い直した。

「あぁ」

 そこで一緒に探してくれたことに対する礼を繋げて言えれば良かったのだが、一呼吸置いただけで常に俺は言葉を継ぐタイミングを失う。こういうところが無口だとか、会話下手だと言われる要因なのだろう。俺と話していると間が持たない、という風に思っている奴はたくさんいるだろうと思う。それを知っていながら、俺はそれを改善する策を持たない。おそらく、本気で改善する気がないからだろう。

「良かったね。でも、いつも予備を持ち歩いているんだ?」

 不二のように、俺との会話で生じる間を気にしない奴がいるせいだ。というのは責任転嫁だろうか。

「スポーツをやっているからには、不測の事態も起こりうるからな。以前使っていたものを部室に置いている」

 だがやはり予備の眼鏡では少し度が合わないから、部活中はいつも使っている方の眼鏡を使いたかった。菊丸のおかげでネジを留めなおすことはできたが、一応部活の後に眼鏡屋に寄って具合を確かめてもらうことにしようと思っている。

 それを口に出して言ったりはしなかったが、不二はまるでそれが聞こえていたかのように首を傾けて微笑んだ。

「ふうん。乾も?」

 不二が問いかけると、乾は段々と拡大しているように思える騒ぎを見ながら大学ノートに何かを書きつけていた手を止め、不二の方を見て頷いた。

「あぁ。俺の場合は教室にもひとつ置いているけどね」

 それと同じ逆光眼鏡を? と疑問に思ったが、確認してみてそうだと言われても、違うと言われても反応に困るような気がしたので俺は黙っていた。不二は俺とはまた別のことを疑問に感じたようで、首を小さく右に傾けたまま言った。

「二人ともコンタクトにはしないわけ?」

 コンタクトか。確かにスポーツをするなら眼鏡よりコンタクトの方がいいのだろう。眼鏡は汗でずれることがあるし、レンズも濡れる。そうは言っても、何となく目の中にレンズを入れるということに抵抗を感じて、俺はいまいち手が出せずにいる。

 乾はどうなのだろう。黙って不二と二人で視線を向けると、乾は開いていたノートをパタンと閉じた。

「俺達はそれでもいいけどね、不二」

 俺達、という言葉に内心で首を傾げる。不二に言葉をかけているということは、この場で会話している残りは俺と乾だけ。ちょっと待て、もしかしなくてもその括りには俺が含まれているのか。そもそも俺は今のところコンタクトにするつもりはない、と口を挟もうとした時。

 キラーン。

 乾の眼鏡が光った。いや、乾の眼鏡は常に逆光だから、今更光ってみたところで不思議ではないのだが、気持ちは悪い。何でこいつはこんなに気持ち悪いのだろう。

「きっと皆、直視できないよ?」

 何故だ。常に逆光のお前の眼鏡の奥は分からないが、俺の眼鏡はノンフレームで、外したところで大して差があるとは思えんぞ。

「あ、やっぱりそうなんだ」

 おい、そっちも何故納得する、と咄嗟に思ったがいつもの通り口からは出なかった。そのうちどちらかが冗談だと言って話を切り上げるだろうとしばらく沈黙していたら、予想に反して乾と不二は向き合ってただにこにことお互いに笑っているだけだった。これはまずい。

 この面子で話している時には、第三者がストッパーにならない限り――俺はストッパーになるには会話のタイミングが遅すぎるらしい――乾も不二も自覚しつつ呆け通すことを、知り合って二年目にしてようやく俺は理解していた。そして生憎、今はストッパー役となる第三者がいない。

「お前と一緒にするな、乾。そしてそんな出鱈目に納得するな、不二」

 俺は溜息とともに、慣れないストッパー役を買って出た。すると乾の眉が面白そうに上下した。

「珍しいな。手塚が突っ込んでくるとは」

 話題的に問題がなければ黙って放っておくところだが、何事にも信じやすいというか、騙されやすい人間がいるので、騒ぎが大きくならないうちに止めておくことにしただけだ。勿論俺はこの時点で、すでにその騙されやすい人間がとんでもない勘違いをして騒いでいることを知らない。

「出鱈目だったの? 結構信憑性があるかと思ったけど」

 ただ時々、自覚して呆けているのか、素で騙されているのか分からない人間もいる。不二の場合は特に、自覚しているのだろうと判断したら、素だった時が何回かあるからな。本当に読めない奴だ。それで、今回は一体どちらなのだ。

「今の話のどこに信憑性がある?」

 探るように言った俺を見上げて、不二は言った。

「だって、さっき眼鏡のネジがなくなったって、君が眼鏡を外して言った時。僕、直視できなかったもの。皆もそうかなぁと思って」

 どこか綿飴を連想させる笑みを残して、不二はいまだに後輩を巻き込みながら騒いでいる菊丸の方へ、軽い足取りで駆けていった。残された俺は、今の不二の言葉をどう取ればいいのか分からず固まっていた。

 眼鏡を取った俺の顔は、そんなに酷い顔だったのか? 不二が直視できないほど?

 眼鏡がないと見え辛くて、元々良いとはいえない目つきが余計厳しくなるというのは、母親などから指摘されて知っているが、それが恐ろしかったということだろうか。だが、不二はそんなことに腰が引ける奴じゃあないはずだ。

 そもそも乾が直視できないと言ったのは、おそらく良い意味でそう言ったはずで。それを受けての不二の言葉なら――。

「副部長」

 まだ側に残っていた乾に声をかけられて、俺は視線だけをそちらに向ける。

「何だ」

 横目に捕らえた乾の顔は、ますます大騒ぎになっている菊丸達の方へ向いている。そちらに向かって走っていったはずの不二は、どうやら菊丸の元ではなく、練習中の河村の方へ行って何かを話しかけているようだ。そのままの首の角度で、中指で四角い眼鏡を押し上げながら乾は言った。口元が微かに笑っているようだ。

「ジャッジに困っているなら教えてやろうか」

 キラーン、ってだからいちいち無駄に光るな。

「……いらん。練習に戻れ」

 自分に向けられた言葉の意味くらい、自分で判断してみせる。そう俺が切って捨てると、乾は気分を害した様子もなく、ただいつまでも面白そうに口元を緩めたままで頷いた。

「はいはい。あっちもそろそろ練習させた方がいいんじゃない?」

 乾がノートの先で示した先は、自力では練習を再開する様子のない菊丸達だった。それなら言われるまでもない。いい加減叱ってやろうと思っていたところだ。

「そこっ! いつまで騒いでいる! グラウンド二十周だ!」

 眼鏡の小さなネジを見つけてもらったことには感謝するが、そんなことで情けはかけられない。俺は声を張り上げて、騒ぎの中心にいた菊丸と一年の何人かを走らせた。

 それから数日、俺は不二の言った言葉のジャッジに悩んでいたせいで、菊丸が俺をいつも以上に避けていることに全く気づかなかった。ちなみに、数日後に菊丸は事の真相を不二に説明され、俺はというと、勝手に自分で判決を下すのが馬鹿らしくなって、ジャッジを投げ出した。読めない奴の言葉の意味を、いつまでも考えるなんて馬鹿げている。言われた言葉さえ覚えておけば、そのうちふと理解できることもあるだろう。


 そんなことを繰り返して、心の中に溜まっていく判決保留の言葉の多くは、不二が発したものだということに俺はまだ気づかない。

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