蒼い瞳の覚醒者
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イヌイの言うとおり、賊がわき目も振らず神殿の最奥を目指しているというなら、賊の目的はその奥神殿にあるのだと考えるべきだった。テヅカは零式と共に神殿内に入り、サクノ姫の友人であるトモカと、一人の巫女がすれ違っている場面を目にした。巫女の向かう先には賊が二人いて、テヅカはそれだけで瞬時に状況を察して零式から飛び降りた。
剣の構えから、足の運びまでを見て、賊がたいした腕を持たないことがテヅカにはすぐに分かった。二人いる賊の動きもちぐはぐで、おそらく彼らは元々ひとつの組ではなく、さまざまな人間を集めて即席で作られた襲撃チームなのだろうと感じられた。テヅカは慎重にかつ素早く相手の動きを見てとって、彼らの関係をそのように推測しながら、結晶させた零式の鞘で一人の肋骨を、もうひとりの右肩を強打して骨を折った。二人は苦痛にも慣れていないようで、それだけですぐに気絶してしまう。
奇妙だ、とテヅカは思った。明らかにひとりの巫女を狙っていながら――それだけ正確な狙いがありながら――この素人具合は裏があるのではないかと勘ぐってしまいそうなほどに奇妙だった。おそらく、まだ神殿内で騒いでいる他の連中も、たいした腕ではないだろう。
まさか最初から――?
失敗することを前提としてこの襲撃が組まれていたのか。テヅカは考えかけたけれど、トモカの叫びにすぐ頭を切り替えた。いまは考えて立ち止まっている暇はない。襲撃の意味をあれこれ推察するより、後から気絶させた男達に直接問いただせばいいのだ。
テヅカは振り返って、年老いた巫女を見て話しかけた。神殿の長である巫女は、小さな体に威厳を持ってテヅカを迎えてくれた。テヅカはそんな彼女に敬意を表しつつも、まだ自分の役目を全うしていないことを意識し、トモカとイヌイにこの場を頼み、自らはまだ騒ぎの続いている南側の神殿へ向かおうと身を翻した。
だが途端に全身を激しい衝撃が突き抜けて、テヅカは立ち止まった。
なんだ? この感覚は――!
体の中で竜巻が起こっているような感覚だった。テヅカは強く吹き上げる風に突き動かされるようにして、視線を再び長巫女のいた背後へ動かす。
その先で蒼い、いままでに見たことがないほど美しい蒼の瞳と合って、瞬時に魅せられた。
テヅカの視線の先にいたのは、賊に捕まりそうになっていた巫女だった。ほっそりとした体に、ゆったりとしたラインの巫女装束。淡い蜂蜜のような髪は、巫女にしては短く肩より上のラインで切られていた。そして元々白い肌はいま、熱を持ったようにほんのりと桃色に染まっている。じっと熱の篭った視線でテヅカを見つめ、何かをいいたそうにうっすらと口を開けている。
それは官能的といっても良い表情だった。
テヅカは意識せずに一歩前に踏み出した。まるで、彼女の方に自分の体が吸い寄せられていくようだ。抗いがたい引力を、テヅカはその若い巫女に感じていた。
『テヅカ!』
だがテヅカの体が自然と前にのめるのを、イヌイの声が止めた。テヅカは間髪いれずに我を取り戻す。テヅカが巫女に感じる引力、それは同時に、零式にも感じられるものだった。テヅカはこの感覚を、良く知っている。
「覚醒者(スピリッター)だと? しかも……」
力の中心にいる巫女は、蒼い瞳をテヅカに向けたまま、嫣然とした笑みを浮かべて謳うように言った。
「”顕現せよ、飛燕”」
巫女の呼び声に応えてその場に現れたのは、真っ白な鳥。零式よりもふた周りほど小さいが、顕現武器としては十分な大きさだった。
『上位覚醒者!(ハイレベル・スピリッター)』
イヌイが確信と、感嘆の念を込めて叫んだ。結晶化しているテヅカの零式が、仲間に出会えたことを喜ぶようにして震える。これまでにも何度かそういう経験をしてきたテヅカだが、まさかこんなところで出会うとは思っていなかった。
その同じ時、テヅカと同じように上位覚醒者の出現を察知した者達がいた。
「何か感じたのか、ユキムラ」
ベッドに横たわっていた主君が、急に上半身を起こそうとするのを察して、その背に手を添え介助したサナダは、最近ますます線の細くなった主君が窓の外に鋭い視線を向けたのを追って尋ねた。
「……サナダ、新たな覚醒者が現れたよ。上位覚醒者だ」
サナダにはそれを感じる力がないけれど、ユキムラが言うのなら間違いないのだろう。
「……そうか」
サナダの手は無意識のうちに腰に下げた剣の柄にかかった。窓の外、視線が向く先は東。サナダはぎゅっと右手で自分の顕現武器を握り締めた。
「アトベ?」
いつもなら逡巡することなく次の手を打ってくるはずの主君が、クイーンに手をかけたまま静止するのを見て、オシタリは訝って声をかけた。アトベはクイーンに手を置いたまま、南の方角に目を向けている。オシタリはその視線を追ったけれど、あるのは部屋に飾ってある花瓶だけだった。アトベの気を引くようなものがあるとは思えない。もう一度オシタリが声をかけると、アトベは東に向けていた視線を手元のクイーンに戻して、口角を上げて微笑んだ。
「ふん、面白い。上玉の覚醒者だな。青学付近というのは気に食わないが……」
独り言のように呟いて、アトベは白のクイーンを動かした。それは黒のキングを斜めににらみつける位置。
「チェックメイトだ、オシタリ」
いつになく上機嫌な声でそう告げたアトベに、オシタリは小さな呻き声で答えた。
上位覚醒の現場に居合わせた経験はあっても、こんなに強い力を伴う覚醒は初めてだった。相応の準備期間を持って覚醒、上位覚醒と段階を踏むことなく一気に力を解放したせいだろう。蒼い瞳の巫女は持っている力の全てを放出しているようだった。
「くっ!」
その力に引き摺られる自分を感じて、テヅカは歯を食いしばった。左手は力に共鳴してカタカタと鳴る零式を押さえつけるように柄を握っている。しかし零式の振動は大きくなるばかりだ。
『テヅカ! 無理に抑えるな!』
イヌイがそれを察して叫ぶ。確かに、無理に抑え続けても、抑えきれないとテヅカは判断した。
「くそっ! ”顕現せよ、零式”!」
いつもなら相応の制限をかけて顕現させる零式なのだが、近くに大きな力のあるせいでうまく制御ができない。この神殿に乗ってきた大きさとは、また二回りほど大きくなった状態で零式は顕現した。零式の力が巫女の顕現武器とぶつかって、その場は力が竜巻のように渦巻いた。テヅカはそれでも何とか零式を制御しつつ、力に弾き飛ばされないように足に力を入れた。
『テ……』
「イヌイ!」
不意に鏡烏の姿がぐにゃりと歪んだ、と思うと、そのまま糸のように細くなって消えてしまった。
弾かれたか。
鏡烏はこの力の磁場に耐えられなかったらしい。テヅカのように武器の側で制御できているわけではないからなおさらだろう。イヌイ自身に影響がなければいいのだが。
「フジ様!」
「長巫女様! 危険です!」
力の中心にいる若い巫女に近づこうとする長巫女を、トモカが腕に抱きついて止めていた。長巫女は力の渦とトモカの腕によろめきながらテヅカを見て叫ぶ。
「テヅカ様! フジ様を止めてください!」
勿論、どうにかしてこの力の奔流を止めなければ、そのうち神殿まで破壊しかねない。だがテヅカが自分の零式を抑えることができたとして、もうひとつを抑えることが――。
できるか? 自分のものでもない顕現武器(スピリット)、しかもこれほど強力なものを。
しかし迷いは一瞬だった。力の中心にいる巫女は、完全に我を失ってしまっている。自力で暴走を抑えることは不可能だろう。このまま暴走を続ければ、巫女の身も危なくなってしまう。
テヅカは覚悟を決め、目を閉じて小さく息を吸った。心を落ち着けて、顕現している零式を意識する。零式はテヅカの心を感じとり、まるで上から覆いかぶさるようにして飛燕と呼ばれた顕現武器に翼を広げて見せた。零式を通して見る飛燕は、やはり目が離せなくなるほど美しい蒼の光を発している。
ただただ広がるだけの、あまりに大きな力。飛燕から感じるその力を、テヅカは零式を通して掴み取った。広がろうとするそれを押し留め、折りたたむようにして小さく、零式の広げた翼に収まるほどの大きさにしていく。とても骨の折れる作業だったが、覚醒者にしか従わないはずの飛燕の力は、掴み取ったテヅカの手に不思議と従順だった。テヅカは十分に飛燕の力を抑え込んで、それから右手を伸ばした。
「”結晶せよ、飛燕”!」
テヅカが命じると、飛燕はテヅカの右手に集まって、小太刀の形をとった。テヅカの零式とよく似た刀。鍔には藤の花の意匠が凝らしてある。
どういうことだ? この刀は……。
テヅカはもっとよく飛燕を見ようとしたが、それはできなかった。力の放出を止められた巫女が、完全に意識を失って倒れようとしている。テヅカはとっさに足を踏み出して、前に倒れてきた巫女の体を受け止めた。
「フジ様!」
長巫女がすかさず倒れた巫女に駆け寄って、テヅカの腕から巫女の体を受け取る。しかしテヅカには軽くても、意識を失った巫女の体を長巫女ひとりで支えられるはずもなく、テヅカは長巫女を手伝って、完全に力の抜けている巫女をひとまず床に座らせた。
「……長巫女殿……」
テヅカの中では様々な疑問が渦巻いていた。今すぐ全てをここで問いただしたい気持ちはあったが、長巫女はそんなテヅカの心中を察して、目を伏せて頭を下げた。
「……どうか、今は他の巫女達をお助け下さい、テヅカ様。後ほど、必ずお話いたします」
年長の巫女に頭を下げられて、テヅカは自分の中の疑問をぐっと飲み込んだ。元々、そのために派遣されているのだ。今はとにかく、この神殿内の騒ぎを沈静化しなければならない。
「……分かりました。”結晶せよ、零式”」
テヅカは左手を伸ばして零式を結晶化させ、右手に握っていた飛燕を倒れている巫女の側においた。長巫女に預けなかったのは、覚醒者である巫女以外が飛燕を持つことはできないからだ。長巫女もそれを知っていて、床に置かれた飛燕に手を伸ばそうとはしなかった。
「トモカ、お二人を頼む」
テヅカは立ち上がって零式を腰に差した。
「はい!」
気絶している賊を適当なもので縛っていたトモカが、立ち上がってテヅカの背を目で追う。その目に、やはり不安は微塵も感じられなかった。
「うっ!」
テヅカの零式と、呼び合うように覚醒した飛燕という新たな顕現武器の力に跳ね飛ばされた鏡烏は、イヌイの意識とともに一瞬で青学へ戻ってきてしまっていた。
それにしても、なんという衝撃だ。
イヌイは思わず自分の右手を見て、鏡烏が本当に無事に戻ってきているのかどうかを確かめた。右手首にはきちんと銀色のブレスレットが嵌っている。特別傷もついていないようだ。ほっと息を吐く。目がちかちかして痛い。あの美しい巫女の、印象的な蒼の瞳。そして飛燕という顕現武器の放つ白い光が今でも目に焼きついているようだった。
「イヌイ? どうしたの? 大丈夫?」
椅子に座っていたイヌイの体が、突然跳ね上がったのを見たのだろう。サクノが心配そうな顔で近づいてきていた。イヌイは何度か瞬きして蒼白い光の影を追い払うと、四角い眼鏡の奥で微笑んだ。
「あぁ……姫様、大丈夫ですよ。もう俺は必要なさそうだったので、先に戻ってきました。トモカは無事です」
咄嗟に繕って答え、それについてサクノが疑問を持つ前にトモカのことを切り出す。すると信じやすい姫はそちらに気を取られて、自分から先に戻ってきたというイヌイの言葉を疑うことはなかった。
「良かった……。テヅカは?」
「まだ賊が残っていますが、雑魚ばかりですから、心配要りませんよ。あいつもすぐに戻って参ります」
その言葉でさらにサクノは安心したようだった。その安心した顔を見ることができるのなら、多少の嘘は許されるだろう、とイヌイは思う。
「サクノ、イヌイに何か飲み物を持ってきておやり」
「はい、お祖母様」
祖母の言葉に従って、サクノは部屋を出て行った。
「……イヌイ」
ただ飲み物を運ぶだけなら、なにもサクノが動かなくても誰かを呼べばいいだけのこと。椅子に腰掛け、足を組んだ状態でリュウザキがイヌイに声をかけたのは、サクノを部屋から出て行かせるためだったことを暗に示していた。
「はい、陛下」
イヌイは椅子から立ち上がってそれに応える。
「何に弾かれたんじゃ?」
流石に陛下は誤魔化せない、とイヌイは苦笑した。
「……上位覚醒者に」
イヌイの言葉に、女王は表情を固くした。
「賊の中に?」
確かに、賊の中にいたのならサクノに聞かせた雑魚ばかりだという言葉さえも嘘になってしまうが、イヌイはすぐにその誤解を解くために口を開いた。
「いいえ。巫女の中に。テヅカの零式に引き摺られて覚醒したようです。その覚醒に、テヅカも引き摺られて……その力で弾かれました」
つまり鏡烏が弾かれたこと自体は、襲撃者とはなんら関係ないことを示すと、リュウザキは少し安堵したようだった。勿論、上位覚醒者が一人いたところで、テヅカが負けるとも思えないが、それにしても――。
「巫女の中に上位覚醒者じゃと……?」
リュウザキが不審に感じるのも当然のことだった。
「はい。何か、特別な事情があってのことと思いますが」
その事情とはどんなものなのか。イヌイがそれを予測してみせるには、今の時点ではデータがあまりにも少なすぎた。
中編 / Tennis Top