青学の風巫女
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翌朝すぐに出立、というわけにはいかなかった。長巫女以外の巫女達にも一応の説明を行い、しばらく別れの時間を欲しいと言われて、テヅカ自身は生き残った護衛官達に昨日の襲撃について再度その様子を説明してもらう時間に当てた。しかし内容的にはモモシロから受けた報告と大きく違うことがなく、何か思い出したことがないかと問いただしても、これまでなかった襲撃に動揺していて殆ど何も覚えていないのだと言われてしまえばそれ以上問い詰めることもできなかった。
今回の襲撃の謎は、そう簡単には晴れないだろうとテヅカは予感した。イヌイの情報収集力をもっても、真相らしい真相は手に入らない。それならそれ、と顕現武器の所有者であるフジを保護できただけで由とするべきなのかもしれない。けれどそう、最初から失敗することを前提で組まれた襲撃であれば、もしかして襲撃の本当の目的は、顕現武器の所有者である巫女を、この神殿から出すことにあったのではないか――と。
「テヅカ様!」
護衛官達の宿舎を出て、門前神殿の外でフジの準備が整うのを待っていたテヅカは、近づいてきた見習い巫女の姿を認めて小さく頷いた。トモカはそれを合図にテヅカの側に駆け足で近づいてきた。そして胸元に抱えていた小さな包みをテヅカに差し出す。
「これ、サクノ姫に渡していただけませんか? なんだか、お使いを頼んでしまっているようで申し訳ないのですけれど……」
小さな手が本当に申し訳なさそうに差し出す包みを、テヅカは拒むことなく受け取った。
「構わん。何か言付けることはあるか?」
テヅカが尋ねると、トモカは大きな瞳を丸くした。テヅカからそんなことを尋ねられるなんて、考えてもいなかったという顔だ。だがすぐに何か納得したような顔で微笑むと、首を振ってまた笑った。
「いいえ、大丈夫です」
親友からの言付けがあればサクノは喜ぶだろうが、おそらくサクノがそうしなかったように、トモカもそう答えるだろうとテヅカは思っていたから、トモカの答えにそうか、と頷いただけだった。
トモカが「よろしくお願いします」と頭を下げて神殿の中へ帰っていくと、それと入れ違いになるようにしてやや年長の巫女が二人顔を出して言った。
「テヅカ様、フジ様のご用意が整いました」
「分かりました」
声をかけられて迎えに行った門前神殿の広間には、ぽつんと一人、フジだけが立っていた。最低限の巫女服、祭具などの持ち物は後から城へ送ってもらうことになっていたし、唯一の個人の持ち物である飛燕をテヅカが預かっているため、フジ自身は何も持ち物がない。そして、神殿の奥から見送る巫女達の中に、長巫女の姿はなかった。
「……長巫女殿とは?」
テヅカが尋ねると、フジは小さく首を横に振った。
「いいのです。別れはもう済ませました」
その瞳に固い決意を読み取って、テヅカはそれ以上のことを言わなかった。それでは、とフジを伴って門前神殿を出る。
「”顕現せよ、零式”!」
十分な広さが確保できるとこまで歩みを進めると、テヅカは腰に差していた零式だけを抜いて顕現させる。一瞬、その力に飛燕が反応を示したのでフジが動揺したように肩を震わせたが、テヅカが力を加えると、飛燕はすぐにそれに従った。段々、飛燕の方がテヅカの力に慣れてきているようだ。
「……さ、触れる? 触ってもいい?」
顕現した零式を前に、フジが硬い表情でテヅカを見上げて小さい声で言った。黒竜の大きさと迫力に、そして零式の力に少し怯えているようだった。それでも触ってみたいというのだから、昨夜の訪問劇といい、好奇心が旺盛で抑えられないタイプらしい。
触るどころか、これから上に乗って飛ばなくてはいけないのだが。
だがとりあえずそれは言わずにフジの好きにさせてやろうと、テヅカは頷いた。感触だけでも少しは慣れておいた方がいい。後ろからテヅカが支えるとはいえ、馬のように鞍を乗せてあるわけでもないし、なにより零式は体温がない。顕現武器の特徴のひとつだから、ここで知っておくのもいいだろう。
そう思ってテヅカが見守る中、フジは真剣な表情で零式に近づいて行って、すこし遠いところから手を伸ばした。近づいてきたフジに、零式が首をめぐらせて頭を向けたが、基本的にテヅカにその意思がなければ零式が人を襲うことはない。驚いて一歩下がったフジに、零式はそっと頭を下げた。
フジが問うようにこちらを振り向いたので、テヅカは頷いた。するとフジの細い手が零式の頭に触れた。最初はそっと置くだけだったが、零式が動かないでいると、やがて手が動いて何度か零式の頭を撫でた。顕現した武器には基本的に誰でも触れることができるのだが、覚醒者が何も感じないわけではない。零式と繋がっているせいだろうか。まるでテヅカもフジの手に触れているような気分だった。
しばらくして満足したのか、フジが零式から手を離したのでテヅカは自分のマントを取った。そして昨夜そうしたように、フジの体にマントを巻きつける。今朝は昨晩のように拒まれることはなかった。
「上空を飛ぶので寒くなります。大丈夫ですか?」
「はい」
そしてテヅカは最初に自分が零式に跨り、それから手を伸ばしてフジの体を持ち上げた。自分の前に横乗りになったフジを、テヅカが両腕で挟む形で支える。零式が飛び立つときに周囲には強い風が吹くので、誰も外まで見送りに来ないように伝えてあった。
フジの腕を自分の腰に回させて、テヅカは零式に飛び上がるように伝えた。大きな羽ばたき。巻き起こった強い風に、腰に回ったフジの腕に力が入った。テヅカはしっかりとフジの体を挟み込む腕に力を込めた。風に巻上げられたフジの柔らかな髪がテヅカの頬を撫でる。
いつものように、地面がぐんぐんと遠ざかっていく。上昇している間は下を見る余裕がなかったフジに、テヅカは十分高度を上げると上空でぐるりと円を描き、眼下の神殿を見せてやった。おそらく、もう二度と巫女としては戻ることのない場所を。
「……さようなら」
か細いその声が震えていたことは、あまりに小さかったので聞こえなかった、ということにしておこうとテヅカは思った。