青嵐の神殿にて
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トモカが披露した知識はみな、サクノから得たものであって、テヅカから直接聞いたことではない。トモカはサクノの側仕えで、テヅカはサクノの護衛だ。つまり、サクノがいなければ、トモカはテヅカと関わることなどない。サクノがいれば、テヅカの意識は常にそちらへ向かっているのだから、トモカのことなどは頭の隅に引っかかっていればいい方だろう。
それが分かっているから、トモカはテヅカを強くて、顔も良くて、頭も切れて、それはそれは素晴らしい男性だと思ってはいるけれど、他の女の子のようにテヅカの“特別”になりたいと思ったことはなかった。何より側にいればいるほど分かる。自分では、テヅカには到底釣り合わない。自分なら、と幻想を抱いている少女達だって、側に立ってみれば絶対に分かるはずだ。
そういう意味で、テヅカはとても残酷な男だった。まるで磨きたてられた鏡のように、彼の側に立てば自分の姿、心、すべてについて考えさせられ、彼の鏡像というには自分が余りに小さい人間であることを知らなくてはならなくなる。近づけば近づくほど、その鏡の清さに気づいて足が竦む。彼は自身がそう意識していなくても、自分の側に立つ人間に対してとても厳しい目を向けているのだ。自分に向けるのと同じ厳しさで。トモカだったらそんな目には耐えられない。だがこの巫女ならどうだろうか、とトモカは下から見上げてみる。
「あの、フジ様?」
「何?」
相応の身分――おそらく――と、容姿を持つこの巫女は、テヅカの隣に立っても決して見劣りするような女性ではない。かえって、あの黒ずくめのテヅカの横に立てば、その輝くような美しさがますます際立って見えるだろう。その人間性までは理解できないが、容姿の点だけ考えればトモカよりもずっとふさわしいと思えたし、実際王宮にいてテヅカを遠巻きに見ている女性の中でもフジは抜きん出て美しく見える。
もし本人にその気があるのなら、と思ってトモカは思わず赤面した。その気があるならも何も、巫女はとても嬉しそうな顔でテヅカに抱きついたではないか。しかもこうやって、トモカを呼び止めてテヅカのことを知ろうとしている。
「そんなにテヅカ様のことを熱心にお聞きになるって、もしかして、その……」
「もしかして、何?」
もしかしてというか、確実にテヅカに一目惚れを――? トモカがドキドキしながらそれを尋ねようとした時だった。
「トモカ!」
「ひゃあ!」
鋭い怒鳴り声にトモカはまた飛び上がった。まさか、なんて考えるだけ無駄だ。この怒鳴り声は、一度聞いたら全身で覚えてしまう。
「こんなところでなに油を売っている! このような大変な状況で、何もすることがないとは言わせんぞ!」
「も、申し訳ありません、テヅカ様!」
反論するなんてとんでもない、と思わせるような声に、トモカはとにかく謝った。問答無用で怒られるなんて理不尽だと考えることができるのは、いつもしばらく経ってからのことだ。
「怒らないで、彼女を呼び止めたのは私です」
今日は巫女がすかさず庇ってくれたのだけれど、テヅカはそちらにも厳しい視線を向けた。
「フジ様、貴方も。お休みになられた方が良いと、長巫女殿に言われていましたね? こんなところで何をなさっているのです」
流石はあのテヅカ様だ、とトモカはちょっとした諦めを持って、並び立つ二人を見上げた。あんな綺麗な笑顔で抱きついてきたその相手に、この態度。言葉はいつも通り説教じみているし、表情はこれまたいつもの眉間に皺、だ。これで何人の女性を泣かせてきたことか。この美しい巫女も泣かせるつもりだろうか。
そんなトモカの心配をよそに、当の巫女は泣くような様子も見せずに、今までトモカに向けていた好奇心丸出しの瞳をテヅカに向けて言った。
「その長巫女とのお話は終わったのですか?」
「……えぇ、終わりました」
「ではこちらへ。一緒に来て下さい」
そう言って、巫女は躊躇うこともなく自然にテヅカの手をとった。これはすごい、面白い展開になってきた、とトモカは目を皿のようにしてその光景を見つめた。世間知らずの巫女様は同時に恐れ知らずのようだ。今まであのテヅカに真正面から怒られて、逃げ出さなかった女性を、トモカは一人しか知らない。この巫女は貴重な二人目ということだ。
「……トモカ。また怒鳴られたいか?」
興味津々で今後の展開を見守ろうと目を丸くしているトモカに気づいて、テヅカの鋭い視線が投げかけられる。巫女にとられた手は、礼儀正しい騎士として無下に振り払うこともできないのかそのままだ。
「いいえ! 失礼いたします」
残念、最後まで成り行きを見守りたかったけれど、当然テヅカがそんなことを許すはずがないのだ。トモカは逃げるようにその場を走り去りながら、それでもつい後を振り返ってしまう。見目のいい騎士と巫女は、それぞれ向かい合ったまま、じっと互いの顔を見つめていた。
あぁ! もう、気になるぅ!
しかしそれ以上注視していたら、再度の叱責にあうのは確実だった。イヌイの鏡烏のように、離れていてもその場のことが見える能力でもあればいいのに、とトモカは嘆きながらその場を立ち去った。
「そんなに怖がらせちゃ、可哀想だと思うよ」
トモカが十分遠くへ走り去ったことを確認してから、テヅカの前に立った巫女はそう声をかけてきた。男だ、と聞いた後であれば、確かにそのように思えなくもなかった。声だって女性にしては低めだし、体つきも――胸には控えめに詰め物を入れているようだが――よく見れば肩のラインなどが細身の男性のようだった。
ただ成長しきっていない体はどれもそう言われてみれば、という程度のもので、年齢的には声変わりもしているはずの相手でも、ちょっと声の低い女性だと言われればまったくそれを疑うこともないだろうとテヅカは思った。多分、何も知らない状態で男か女かと問われれば、十人に十人が女と答える。少なくとも、今の時点では確実に。
「……フジ様」
「聞いたんでしょう? 僕が男だって」
残念ながら口調をいくら男らしくしていても、そう言って見上げてくる仕草は、少年というよりはずっと少女めいている。女ばかりの神殿で女として暮らしてきたのだから、当然なのかもしれないが。
「……えぇ」
まじまじと観察して返したテヅカに対して、同じ年の巫女は少しの居心地の悪さも感じていないようで、無邪気な様子で首を少し右に傾げた。
「トモカに顕現武器について聞いていたんだ。ねぇ、零式を見せて」
テヅカはその要求に眉を寄せた。無邪気にとんでもないことを言う、と内心で呆れ、そして口では厳しく言い渡す。
「できません。貴方は今日の顕現で力を使い果たしている。また影響されたら、今度は気を失うだけでは済みません」
指摘すると、巫女は意外だという風に目を見開いた。テヅカにしてみれば、それで隠しているつもりなのか、というところなのだが。
「分かるの?」
「分かります。さぁ、お休み下さい」
おそらく、立っているのもやっとなほどに消耗しているだろうに、それでも素直に従おうとしないのは、単に意地っ張りなのだろうか。
「まだ聞きたいことがある」
子どものように口を尖らせて抗議してくるが、テヅカは容赦なく突き放す。
「きっと山ほどあるでしょう。しかし、今はお答えできません」
「堅物だね、君って。そう言われない?」
おそらく挑発つもりで巫女は言ったのだろう。だが、残念なことにそれは挑発にならない。
「よく言われます」
テヅカが眉ひとつ動かさず答えると、巫女はあの印象的な蒼の瞳を大きくして、ぱちぱちと瞬きする。それから一拍おいてふふっ、と声を出して笑った。そんなつもりはなかったが、冗談だと思われたのだろうか。そうだとしても、ここで弁明することではないなと判断して、テヅカはもう一度、部屋へ行って休むようにと巫女に促そうと口を開きかけた。しかし巫女の方が先に、テヅカを見上げて言った。
「ふたつだけ」
まるで幼い子どもが親にものをねだるような、そんな無邪気さを持った言葉だった。子どもは親がそれを跳ね除けることをしないと、世の理のように無意識のうちに確信している。少なくとも親の年齢ではなく、下に兄弟もいないテヅカは、こういう甘え方に免疫がなくて正直面食らったが、表情には出さなかった。
「……こういうときはひとつだけ、というものでは?」
「でもふたつ聞きたいから」
にこにこと目を細めながら、巫女は言い張った。やはり意地っ張りなのだ。
「……ではふたつ」
無邪気で意地っ張りな巫女は、テヅカが折れてくれたことを素直に喜んだようで、その微笑を濃くしてひとつ目の質問を繰り出した。
「ひとつ、僕が覚醒? した時に、君が僕の武器を元に戻したんだよね? そういうのは、普通にできるものなの?」
何も知らないわりに、鋭いところをついてくるな、とテヅカは思わず感心してしまった。どうやら、世間は知らなくても、頭は切れる方らしい。
「……普通にはできません。顕現させるのも、結晶させるのも、本来は持ち主である覚醒者だけです。ただ、私の力に影響されて貴方が覚醒したことを考えると、飛燕――貴方の顕現武器です――と私の零式はそういう影響を受けやすい関係にあるのかもしれません」
テヅカとしてはそれを確認するために、是非もう一度飛燕をこの目で見てみたいのだが、早く休めと言ってしまっている手前、ここで見せてもらうわけにもいかないだろう。
「……そう。じゃあ、もうひとつ。聞きたいことは山ほどあるんだけど、君、僕が部屋で休んだら青学に帰ってしまう?」
あぁ、そうか、とテヅカは遅ればせながら察した。この巫女はそれが不安で、疲れ果てているはずなのにこんなに意地を張ってテヅカを待っていたのだ。このまま謎だけを多く残してテヅカが王宮へ帰ってしまえば、長巫女はその謎に答えてくれないだろうと。だから、もしテヅカがもう二度とこの神殿を訪れることがないのなら、今この場で全ての謎に答えて欲しいということなのだろう。
テヅカは自分より背の低い巫女を見下ろし、逆にテヅカを上目遣いに見上げている巫女と視線を合わせた。やはりその澄んだ蒼い瞳は印象的で、テヅカの遠慮ない視線にもたじろぐことがない。そんな反応はテヅカにとって、ちょっと驚くほどに新鮮だった。よく知っている仲間達や、幼い頃から一緒にいたサクノ姫と違って、大概の人間はテヅカの視線を居心地の悪いものと感じるようで、見つめると咄嗟に目を逸らす人間の方が圧倒的に多いからだ。単純に、意地っ張りな性分が目を逸らすという行為をよしとしないからなのかもしれないが、そういう意地の張り方は嫌いではなかった。
「……それに関しては私もひとつお聞きしたい」
「なに?」
テヅカは左手に長巫女の涙の感触を思い出しながら、若い巫女に問いかけた。
「貴方はこの神殿を離れて、自分の力を見つめることを、お望みになるか?」
「自分の……この力を?」
それが神力ではなく、顕現武器の覚醒者としての力だということを、巫女はすぐに理解したようだった。ずっとテヅカから目を逸らさなかった巫女は、その問いを投げかけられて初めてテヅカから目を逸らし、視線を床に落とした。
「……神殿は、いつか離れなくてはと思っていたんだ。だって、ずっと偽っては暮らせない」
そうなのだろう。求婚の話がなくとも、いつまでも女として神殿で暮らすことは不可能だ。唯一の保護者である長巫女の命が長くないのならなおさら。それこそ、神殿の女性全員に事情を話し、彼女達が理解して匿ってくれ、外にも極力出ないようにしない限りは。
いや、それでも難しい。
いくら国家権力とは隔絶された場所と言われていても、これだけの規模の神殿を維持していくには、頼らなくてはならない世俗の力もある。それを考えると、六角王国はまだしも、氷帝国の強大な権力に逆らってたった一人の巫女を匿い続けることなど不可能だった。
「だから、この力が使えれば、ひとりでも生きていけるのかもって……」
落ちてしまった視線と声に、テヅカは何となく物足りなさを感じた。沈んだ姿を見るよりは、先程までの多少扱いづらさを感じる意地っ張りな態度の方が良かったように思う。それに、他者に頼りきった生き方は感心できないが、最初から他者を排除したたったひとりの生き方を想定するというのも気に入らない。
「……別にひとりで生きることを目指さなくてもいいと思いますが」
それを努力して一番ソフトな言葉でテヅカが伝えると、巫女はちょっと皮肉げに口の端を持ち上げた。
「僕が災厄を呼ぶって話は聞かなかったの?」
そうきたか、とテヅカは溜息をついた。どうやら、長巫女は信じていなくても、本人はそれを信じてしまっているようだった。
「生憎、私はそんな迷信を信じないので」
きっぱりと言い切ったテヅカに、巫女は事情も知らない男が何を言うのか、という顔をして食いかかってきた。
「迷信じゃあないよ。だって……」
だっても何もない、とテヅカはそれ以上の言葉を遮った。そして同時に決意した。
「分かりました。二つ目の質問にお答えしましょう。貴方が休んでいる間に、私は一旦青学に戻ります」
急に話を切り替えてしまったテヅカの態度は、巫女の高まりかけた怒りをさっと崩してしまったようだった。
「一旦?」
何となく肩の力が抜けてしまった様子の巫女は、再びテヅカを見上げて不思議そうに首を傾げた。
「陛下にしかるべきご報告をして、それからもう一度この神殿に戻ります。山ほどの質問はそれから処理しましょう」
とりあえずは、これでご満足いただけますね? と尋ねるというより態度で押してくるテヅカに、巫女は呆然とするだけだ。
「さぁ、質問にお答えしました。約束どおり、お休み下さい」
一瞬だけ、巫女はテヅカの言葉に逆らおうと口を開きかけたが、自分の体の疲れをどうしようもなく意識したのだろう。意地っ張りもここまでのようだった。テヅカは先程まで長巫女といた部屋に引き返し、そこに残っていた長巫女を呼んで、足取りの覚束ない巫女を部屋まで連れて行ってくれるように頼んだ。
奥神殿で長巫女と話しているというテヅカを待って、モモシロは中央神殿の入り口でうろうろとしていた。報告したいことがあるといっても、奥神殿までずかずかと入っていく勇気はない。しかも、本当に報告したいのかといわれれば。
できれば報告したくねぇっていうか……。
いや、確かに報告はしなければいけないのだ。しっかり尋問するように命令を受けたのだから。しかしどんな顔して報告すればいいのだろうか。
顔の問題じゃあねぇよな、ねーよ。
顔はどうでもいいが、問題は報告するに適当な言葉が浮かばないことだ。起こっている出来事を正確に把握しろ、と予備学校時代教官達には散々絞られたが、目の前で起こったことが、脳でうまく処理できないような突飛な事態だった場合、冷静になれと自分に言い聞かせるにも限界というものがあった。
「うあぁ! くそっ! しっかりしろ! オレ!!」
壁に頭を打ち付ける勢いで叫んでみると、少し気持ちが落ち着いた。すると、ちょうどいいところにテヅカが奥神殿から出てきた。
「尋問は終わったのか、モモシロ」
テヅカは決して暴君というわけではない。ただその身に纏うオーラが、周りの人間に緊張感を与えてしまうのだ。モモシロはテヅカの声を聞いた瞬間に体を硬直させ、とにかく最初に、と頭を下げた。
「テヅカ隊長……申し訳ありません!」
突然頭を下げられたテヅカは、しかしそういった後輩達の反応に慣れてしまった感があって、何故突然謝ったりするのか、とは問わなかった。モモシロに謝らせるような、何かがあったのだということを察して眉間の皺を濃くしただけだ。
「あの……一緒に来ていただきたいのですが。まずは、見ていただいた方がいいと思います」
言葉でうまく説明できないのなら、現状を維持しているその場所を見てもらった方が報告しやすい、とモモシロは判断した。そしてその判断に、テヅカは口を挟まない。
「……分かった。案内しろ」
テヅカが先に王宮へ帰ってしまわなかったことを、モモシロは感謝した。もしテヅカが帰ってしまっていてここにいなかった場合、それこそ、この事態をどう報告していいか悩んで、頭を抱えることになっていただろう。
捕らえていた襲撃者達が、手当てを受けているその途中で、尋問もしていないうちに全員死んでしまったなんて――。
中編 / Tennis Top