青嵐の神殿にて

---------------------------------------------------------------------------------

 呼び止められて振り返ると、優しい微笑を浮かべた巫女がいてトモカに向かって手招きをしていた。

「ちょっと来て、教えて欲しいことがあるの」
「はい、何でしょうか」

 柔らかい声に誘われるままに側に寄ると、トモカは改めてこの特別な巫女の美しさに圧倒された。特別な、とトモカが思うのは、彼女がいつも長巫女と一緒に行動して、他の巫女達とは一線を画した位置にいたからだった。彼女はある王国の王女なのだという話を、他の巫女達から聞いたことがある。位が違う、ということを意識しているのか、長巫女以外の年長の巫女達だって気軽に話しかけることのない女性だった。別に日常の奉仕などの仕事を免除されているという特別扱いではないのだけれど、何かが、違っていることは確かだった。トモカだって、今日初めて彼女の側に立って、こうやって話をしている。

「貴方はあのテヅカという方とお知り合い?」
「え、はい」

 声、仕草、そして単純なような気もするけれど顔の造りがやはりどこか高貴な身分であることを感じさせる巫女は、軽く首を傾げてトモカに質問した。

「貴方は青学の王宮から来たのよね?」
「はい。姫様の従女でしたけれど、しばらくお時間をいただいてこの神殿でお勉強させていただいています」

 トモカは従女として、そしてサクノ姫の親友として、その役目を十分に果たしてきていたが、それ以上に何か役立てることがあるのなら、そのための努力は惜しまない娘だった。サクノの祖母である女王も、トモカのその性格を好んでいて、トモカの両親を説得して修行に出る許可をもらってくれ、さらにこうして神殿にいる間も従女としての給金の一部を実家に送ってくれているのだ。まだ下に幼い兄弟のいるトモカの家にとっては、涙が出るほどありがたい配慮だった。

 ただ、知識としての神力については相当頑張って吸収しているものの、実際に扱うとなると、あまり修行の成果が出ているとはいえない。元々さほど強い神力を持っているわけではないようだから、おそらくそんなに高度な祭事は行えないだろう。一年の期限内はきちんと手を抜かずに学ぶつもりだが、リュウザキ陛下には申し訳ないくらいの結果しか出せないかもしれない。

「テヅカ様は、王宮の方?」

 自分の力のことを思いながら少し沈んでいたトモカの思考を、続けられた巫女の質問が引っ張り上げた。

「はい。テヅカ様は青学のサクノ姫様の教育係で、近衛騎士団の隊長です。青学で一番強いお方ですよ」

 本当は世界で一番と言ってしまってもいいのだが、テヅカ本人が青学一と呼ばれることさえ好いていないことを知っていたので自重しておいた。

「あの方の持っている刀について、貴方は何か知っている?」

「零式のことですか?」
「零式という名前があるの?」

 はい、とトモカは頷く。

「顕現武器には必ず名前があるものですから」
「貴方は物知りなのね」

 綺麗な顔でにこりと笑いかけられると、トモカはドギマギしてしまう。同じ女だからこそ、その美しさがよく分かる。おまけに彼女は自分の美しさを鼻にかけることなく、まったくの無邪気だ。その無邪気さは、青学のサクノ姫に通じるところがあって、何となく微笑ましいとトモカには思えた。

「そんなことはありません。王宮では顕現武器を持っている騎士様が多数いて、国を守っていらっしゃいますから」

 トモカが物知り、というよりは多分この巫女があまりに“箱入り”なのだろうとは思ったが、トモカはそれを指摘することなく丁寧に答えた。

「そういうものなの……。ねぇ、ではその顕現武器について教えて。顕現武器って、皆あのテヅカ様の刀のようにドラゴンに変形するものなの?」

 どうやらこの巫女様は箱入りだった反動なのか相当な“知りたがり”のようだ。それも、やけに熱心に“テヅカ”について訊きたがる。そんな反応を目にするのは、何もトモカにとって初めてのことではないのだけれど。

「いいえ……えぇっと、はい。あの、顕現武器はみな、変形できる力を秘めた武器なんです」

 トモカは幼い頃からサクノの側仕えとして働いていたおかげで、サクノの護衛であるテヅカとも自然と一緒になる時間が多かった。王宮で働く他の従女達からテヅカについて尋ねられることは多く、彼女達はやはり最初のうちはテヅカの仕事の様子や、顕現武器について訊いてくるのだ。

「ふうん? 変形できない場合があるのね?」

 脇から攻めて、中心に迫っていく。そんなやり取りは幾度も行っていたけれど、トモカは決して“またか”という顔はしなかった。そんな顔をすれば、いらぬやっかみを買うのは分かっているのだ。トモカは“運良く”サクノ姫と同い年で、彼女に気に入られて側仕えをし、テヅカの側にもいられるという幸運を手にした少女なのだから。まぁ、トモカだって自分は幸運だと思うけれど、皆が思っているほど、テヅカと親しくなれているわけではない。

「はい。そもそも顕現武器は、持ち主を選ぶ武器なんです。覚醒者と呼ばれる人が、それにふさわしい顕現武器を持つ。そういうもので、えっと、それからさらに武器とのえぇっと……同調率、を上げるとテヅカ様のように武器を顕現できるんです。そういう人を上位覚醒者と呼んでいます」
「なるほど。つまり、その上位覚醒者の人のほうが強いってことなのね?」

 単純にそう言っていいのかは分からなかったけれど、トモカはとりあえず頷いておいた。

「テヅカ様は上位覚醒者だからという点でも強いんですけど、零式自体が顕現武器の中でも格の高いものなんだそうです。青学の女王陛下が持つ玉竜もそうだという話ですけど。それと、顕現武器はそれぞれ、それにふさわしい形に変形すると聞いたことがあります。零式はドラゴンですけれど、玉竜は人魚のような女性だと聞いています」


 正直に不満そうな顔をして部屋を出て行った若い巫女を見送って、長巫女はいつまでも扉から目を離さなかった。そんな長巫女の姿は、テヅカの方から話のきっかけを作って欲しいといわれているようで、テヅカはしばらく逡巡した。

 だが元々イヌイやオオイシのように会話の上手い人間ではない。当たり障りのない話題から攻めていくような芸当は、できそうにもなかった。テヅカは長く悩むことをしないで、諦めて直球で話を繰り出した。

「巫女殿方は、身に武器を帯びることを許されていないはずですね。神殿に入るときに、装飾品や武器の類はすべて捨てるという話を聞きましたが」

 テヅカの言葉に、長巫女はようやく扉から目をそらしてテヅカの方を見た。

「はい。その通りです」
「あの方の持たれていた刀は、顕現武器だ。しかし覚醒前ならなおさら他に保管方法があったでしょう。何故神殿内に持ち込みを許可したのです?」

 顕現武器は使用者が覚醒前なら、他の“使用者でない誰か”が持ち運ぶことができる。勿論一旦覚醒してしまえば、その他の者が触れることを拒否するのだが、今回突然覚醒、しかも上位覚醒まで至ったあの巫女の飛燕は、神殿の戒律を守るという点で考えれば、本来は神殿以外の場所に保管されるべきものだった。そしておそらく、飛燕が神殿内より遠くにあれば、テヅカの零式に影響されて自分を失うような、あんな危険な覚醒の仕方をせずにすんだだろう。

 そう、自分の時のような、あんな危険な覚醒をしなくてすんだはずだ。

 ちらりと、頭を掠めた思い出を、テヅカはすぐに追い払った。そして目の前に座る長巫女の顔をしっかりと見つめる。長巫女はとても疲れた顔をしているように見えた。その疲れは、今回の襲撃だけが原因ではない。もっと根の深いもののようだった。

「あの方は……フジ様は正式な巫女ではありません」

 静かな声で長巫女が告げた言葉に、テヅカは内心で動揺した。正式な巫女ではない。それがトモカのような見習いであるという意味なら、ここでわざわざテヅカに告げたりはしないだろう。つまりあの巫女は見習いではなく、しかも風の神に“名前を呼ばれて”承認された巫女でもないということだ。

「……しかし」

 それなら何故、神殿にいるのか。さらに、だからといって顕現武器を神殿内に持ち込むことが是とされるわけでもないはずだ。テヅカの無言の問いに答えるようにして、長巫女はゆっくりと話し出した。

「私はあの方が幼少の頃に、あの方のお母上様からあの方をお預かりいたしました。この命尽きるまで、この神殿であの方をお守りすることが私の役目でした」

 神殿内では最高の権威を誇るはずの長巫女が、年若い巫女に対して、まるで敬うような言葉を選んで話すことを、テヅカは特別意外には感じなかった。あの巫女は、他の巫女とは違う。おそらく、身分の高い家柄で育ったか、それとも、そうあるように育てられたかのどちらかだろうと思っていたからだ。

「しかし、この神殿にいることがあの方を守る最上の手段ではなくなってしまっています。テヅカ様、青学一と謳われる貴方のお力と、騎士としての誠実さを見込んでお願いいたします。どうか、フジ様のお力になっていただけないでしょうか。事情はすべてお話いたします。どうか……どうか!」

 長巫女は思いつめた瞳で言うと、テヅカに向かってその頭を低く低く下げた。お互いに座ったままとはいえ、年長の女性に頭を下げられて、テヅカは慌ててしまう。

「お止め下さい、長巫女殿!」

 立ち上がって長巫女の側へ行き、片膝をついて長巫女の肩に手を置く。頭を上げてくれるように促したが、長巫女はなかなか頭を上げようとはしない。

「……まずはお話を聞かせてください。それからということにしましょう」

 それが長巫女の狙いなのだと分かっていても、そう言う以外にはなかった。テヅカがそう言って折れると、長巫女はゆっくりと頭を上げた。何を聞かされるのか分からない状況で、テヅカは長巫女に促されて再び椅子に腰を下ろした。一拍おいて、長巫女はどこか疲れたように聞こえる声で短く告げた。

「フジ様は、カオン家の血を継ぐ方です」

 その名前を聞くと、テヅカの右手は無意識のうちに腰に下げた零式に伸びた。もう条件反射のようになってしまっている行為だった。

「……では、あの災厄の日に……」

 しっかりと零式を握り締め、テヅカは少し掠れた声で言った。瞬間的に上がった鼓動を、意思の力で押さえ込む。驚愕も、動揺も、表情には何も出なかったはずだ。それを確認するまでもなく、余裕のない長巫女はテヅカのことには何も触れず、話を続けた。

「いいえ、フジ様はあの場にいらっしゃいませんでした。その頃にはすでに、私と共にこの神殿にいらしたのです」
「しかし、どうして一国の王女が神殿に……」

 王の外戚などが神殿に入り、本来なら国家権力の及ばない神殿の権利を害して治めようとする例が過去になかったわけではない。しかし、直系の王族が、という例は殆どなかったはずだ。成長の過程で、一時的に神力を伸ばす修行のためという、トモカのような例ならあったかもしれないが。

 一体どういう理由で、と尋ねたテヅカに対して、長巫女の返した言葉は返事にはなっていなかった。

「王女ではありません」

 その言葉を、テヅカはどう受け取っていいのか分からなかった。王女ではない、というのは、そんな身分ではないという意味なのか。それともまさか――。

「フジ様は、王子だったのです」

 そのまさかだった。

 テヅカは一瞬返す言葉を失ってしまう。そんな風には、まったく感じられなかった。倒れこんできた体を受け止めたときも、微笑みながら夢の中にいるような足取りで近づいて、あっという間にこの腕の中に納まったときも。

 あれが、同じ男だったと――?

 身分の高さを感じさせる、優雅な歩きと仕草。色白な肌に、ほんのりと色づいた頬。小さな唇。背に回ったあの華奢な腕の感触を思い出してみると余計に信じられない。けれど、こんな状況でそんな冗談を、長巫女が口にするはずがなかった。

「しかし、それでは跡継ぎとして余計に……」

 テヅカは冷静に考えて口を開いた。いくら自分が信じられないと言っても、それが真実なのだとすれば、カオン家の王位継承権は死んだ姉姫よりも高かったはずだ。その跡継ぎを、『女として神殿へ送り出した』カオン王家は一体何を考えていたのか。

「そうです。フジ様には姉姫様がいらっしゃいましたが、フジ様が初めての王子。そのままであれば跡継ぎとして王宮で育ち、あの災厄に巻き込まれていたでしょう。でも、王子でありながら、フジ様は風の巫女としての力を持っていらした。確かに、フジ様は風の神に“名前を呼ばれて”います」

 なにもかも驚くことばかりだ、とテヅカは内心で嘆息する。

「そんなことが……」

 本来この世界に、水、炎、土、雷、風と五つの属性を持つ神力というものは、それぞれの神に愛された女として、巫女しか操ることのできない力なのだ。だから当然、修行して得られるものではないし、男が得られる力でもないはず、だとテヅカは認識していた。そして青嵐の神殿としてもそう認識していたからこそ、風の神に“名前を呼ばれて”いながら“正式”な巫女としては扱えなかったということなのだろう。

「滅多にないことですが、ありえるのです。そして、滅多にないことだからこそ、その力は忌まれてきました。男の神力保持者が存在することによって――」

 長巫女はそこで一旦言葉を切った。その先を口に出すことを恐れているようにも見えた。けれど長巫女はしっかりとテヅカの目を見て、短くはっきりと告げた。

「王国が滅亡するほどの災厄を呼ぶ」

 馬鹿な、とテヅカは咄嗟に考えた。そんな迷信を信じているのか、と思わず問いそうになったけれど、すぐに気付いて止めた。長巫女がそれを信じていたわけではない。信じていたのは、カオン王家だ。

「そのため、フジ様は跡継ぎの王子でありながら、王女として公表され、神殿へ王家が行う奉仕の一環として、巫女になり育つ以外になかったのです」

 そんな迷信に惑わされて。しかし、両親と引き離されたことが、結果的にその王子の命を救ったのだ。

「そうやってフジ様は生まれた王国から、ご両親や姉姫様から引き離され、しかし、そうしても王国は災厄に見舞われて滅びました」

 テヅカは眼鏡の奥で目を閉じる。零式を握る手は、相変わらず柄の部分から離れない。

 “花音の災厄”。

 国ひとつを丸ごと呑み込んだ、原因不明の大火。

 王宮を中心として起こったその災厄に、王都は全滅。元々小国であった花音の土地は、その大火の影響で三分の二以上が、人の住めない焼け野原となった。国王、王妃、そして公にされていた唯一の王位継承者である第一王女、宰相などを含めた国の主要な人物はその日“偶然”王宮に集まっていたために、誰一人として助からなかった。事実上、王国としての花音はその日に崩壊した。

 かろうじて助かった人々は、難民として散り散りになり、不毛の土地となった王国を再建しようとする輩は出ていない。大火の原因がまったく分からなかったこと、そして災厄前にカオン王家に生まれていた“第一王子”が幼くして死んだことを人々は勝手に関連付け、カオン王家とあの土地は呪われているという噂が今も絶えることがない。

「花音の第二王女が神殿に入ることは、当時他国の王族には公表されていました。つまり世間的には今でも、フジ様は失われた王国の唯一の王位継承者であり、その血を有する王女なのです」

 しかしそれを擁立して王国を建てなおそうというものが出なかったことを考えると、花音という国にべったりと張り付いてしまった噂は、相当根深いものになっているということだろう。

「フジ様の力を思えば、今更王子として名乗りを上げさせるわけにはいきません。口さがない連中は、王国が滅びたのはフジ様のせいだと言うでしょう。あの方は現に、自分を十分に責めていらっしゃる。かと言って、このままこの神殿で、ろくな後ろ盾もなく過ごしてはいけないのです」
「何故です? いままで神殿で無事に暮らしていけたというのに」

 テヅカの問いに、長巫女は視線を落とし、長い溜息をついた。

「……是非フジ様にお会いしたいと、氷帝国と六角王国から内々にお話がきています。フジ様ももう十五。つまり、年頃の王女にお会いして、ゆくゆくは求婚を、ということなのでしょう。今も安定しない花音の地を正当に継承できる権利を得るために」

 なるほど、確かに考えられてもおかしくない話だった。国と、そして子どもの命を守るために第一王子を第二王女として公表し、王権とは離れた神殿へ送った弊害が、こんなところで出てしまったということか。

 都合よく、というべきか、氷帝国と六角王国は共に、ぼろぼろになった花音の地と隣接している国だし、国王もテヅカや巫女と同じく十五歳。国王としてはそろそろ婚約者を探し出してもおかしくない年齢だった。しかし六角王国はまだしも、すでに広大な領地を持つ氷帝国が本気で花音を手に入れたいと思っているかどうかは微妙だとテヅカは思った。それでも確かに――。

「……一二度会うことはできても、求婚されればすべてが明るみに出てしまう」

 そのリスクは考えなければいけなかった。

「そうです」
「貴方はそれで、何をお望みなのです、長巫女殿」

 テヅカが鋭く尋ねると、長巫女は立ち上がった。同じように立ち上がろうとするテヅカを目で制して、長巫女はテヅカの左手を取った。

「フジ様を青学付の風巫女にお迎え下さい。すべてご承知の上で、フジ様の後ろ盾となっていただきたいのです。テヅカ様、あなたに」

 はっきりと自分を指名してくる長巫女に、テヅカは戸惑いを隠すことができなかった。

「お待ち下さい。それは一介の騎士に過ぎない私が決められることではありません」

 後ろ盾として、テヅカの名が不足ということはない。テヅカ家は王家ではないが、かなりそれに近い位置にいる古い家だ。その名前を利用して、尊大に振舞うことができる歴史と実力を持っている。けれど、歴代のテヅカがそれを“許さなかった”。近衛の家系として、他の騎士達と一線を画す立場にありながら、歴代のテヅカが自分達に求めたのは『王を守るに足りる騎士であること』だけ。

 立場、実力的にはテヅカは自分だけで、若い巫女の行き先を決めることができた。さらに王宮付の巫女を迎えるというだけのことであれば、さほど権力がなくても許される範囲ではあった。長巫女はそれを知っていて言っているのだろう。一介の騎士に過ぎないと、テヅカがそう思っていたとしても、現実的には“そうではない”のだ。

「もちろん、リュウザキ女王にもすべて明かしていただいて構いません。ですが、この上覚醒者となってしまったフジ様をお任せできるのは、テヅカ様しかいないと、そう確信したのです」
「それは……」

 確かにテヅカには、テヅカ家当主としての立場以外に、顕現武器の覚醒者を導く力と使命がある。長巫女がそれまでも知って言っているとは思えなかったが、もっと単純にフジという覚醒者に出会っていれば、テヅカは何の迷いもなく“彼”を青学へと誘っていただろう。あの力を青学のために使って欲しいと、そう望む気持ちはテヅカにだってある。けれど――。

「今日初めてお会いした方にこのような願いは無茶なことと十分に承知しております。ですが、私は病に冒された身です。そう長くはフジ様をお守りできない。どうか、どうかこの老婆のためを思って、お願いいたします」

 ぎゅっと力を込めて握られた手の上に、長巫女の涙がぽとりと落ちた。その涙は何よりもテヅカの胸を突いた。こうして泣きながら女性に懇願されると、テヅカには思い出してしまう出来事がある。だが同情心に流されてはいけない、ここでできる一番冷静な判断を、とテヅカは零式の柄にかけていた手を離した。

前編 / 後編