白雲かき消す新風の
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約一年間。それまで家族三人で暮らしていた、母の生まれ育った中央海の小さな島から出発して、北の氷帝国の端をかすめ、雪に覆われた山脈を乗り越え、父と子は旅を続けてきた。何のための旅かと問うたら、言葉も剣ものらりくらりとかわしてしまう父親は
「そりゃ、男二人で刀持って旅してりゃ、夜逃げかはたまた武者修行か……。世間体ってもんも少しは考えて、武者修行ってことにしとこうぜ。実際おめぇ、まだまだ弱ぇしな」
そう言って誤魔化すだけだった。母もこの旅に関しては、旅の理由を含め、何故一人島に残るのかということも説明してはくれなかった。ただ家を出るときにそっと抱きしめて、体に気をつけて、と言って諦めたように笑っただけだった。
武者修行という父の言葉は、とりあえずこの旅に一番相応しいものだったのだろう。ただ修行といっても、父はどんな山賊や傭兵相手にも、笑いながら息も乱さず勝ってしまえる力を持っていたから、もっぱら修行しているのは子どもの方だけだった。
ナンジロウ=エチゼン。
父がかつて、ある王宮で近衛兵を勤めていたことを、息子であるリョーマは母から聞いて知っていた。ただ父の過去について、リョーマが知っているのはそれだけだ。何故王宮から離れたのか。母の実家へ戻ってきて数年暮らし、こうして再び島を出て旅をしているその理由を、リョーマは知らない。だがそれを探ろうと思ったのは、最初の一週間程度のことだった。
旅の生活は、狭くて退屈な島での生活に比べて、リョーマの性に合っていた。野宿も楽しんでしまえる年頃だし、島の閉塞感の漂う雰囲気と違って、多くの人々に出会い、様々なものを見て触れることのできる広い世界。そして何だかんだと言ってもやはりナンジロウが一緒にいることで、多少の安心感が得られる。島に残った母がどうしているか気になることは確かにあるけれど、母恋しと泣くような年齢ではもうなかった。
山を越え、谷を越えて、父はリョーマを連れてあちこちを放浪したが、目的地がないわけではなさそうだった。リョーマがそう感じたのは、北の港町から船に乗り、北の大陸と陸続きの東の大陸へと渡って、大河沿いに南下している途中のことだった。それまでひとつの所に二週間と逗留しなかったナンジロウの足が、段々と鈍ってきていることを察したからだった。
目的地はあるけれど、何故かそこには近づきたくないと、ナンジロウは感じているようだった。リョーマはそれを敏感に察したけれど、父親にその理由を尋ねてみることはしなかった。何故なら、ナンジロウの目的地がそのままリョーマの目的地になるとは限らないからだ。
やがて辿り着いたその国は、深い森に囲まれていた。豊かな緑と、背後に構える山からもたらされる豊富な水。東の大国と呼ばれ、長い歴史を持つ国は、それにふさわしい土地を確保し、そしてその土地とそこに暮らす民を守り、育てる王家に恵まれていた。
青学王国。
この国がおそらく、ナンジロウの目的地だ。今まで貧しい国も、氷帝国のように繁栄を謳歌する国も、小さな国も大きな国も見てきたけれど、青学は氷帝とはまた違った雰囲気の、豊かで穏やかな国、という印象を受けた。
国の入り口で、海からの物資を運ぶ商人達と出会い、ナンジロウとリョーマは護衛という形での同行を申し出たが、王都へ向かう大街道を行く商人達は、同行は歓迎するが護衛は必要ないと言って笑った。隣国山吹との国境となる山岳地域にはならず者も出るが、海へ向かう大街道沿いでは滅多に襲われることはないのだという。
「青学の騎士団はどこの国の騎士団よりも優秀だよ」
自分で確認してもいないことを、もちろんリョーマは鵜呑みにしたりはしなかった。氷帝国だって、出入りしている商人は騎士団を誇っていたのだから、身内自慢のようなものなのだろう。しかし話を聞いていると、自慢話にもそれなりの根拠がありそうだった。同行した商人は、リョーマが初めて青学に入ることを知ると、親切にも国のことを色々と教えてくれたのだ。本当の自慢話と興味のない政治的な部分を適当に聞き流しつつ、リョーマは商人の話からこれから向かう王都の情報を手に入れた。一番興味をそそられたのは、やはり騎士団の話だった。
ヤマト大将軍を筆頭に、近衛隊、騎兵隊、守備隊に大きく分かれている青学の騎士団は、八歳から十三歳までを王立の予備学校で学んだ男子の中から選ばれた者達で構成されているらしい。その予備学校を経ることで一定レベルの人材を得ているということだろう。基本的に、外部の傭兵は雇わないというのが氷帝国との違いだ。おそらく、大国とはいえ、氷帝国ほど広大な領土を持たないからできることなのだろう。自国の民で管理できる程度の領土にとどめている、という言い方もできるかもしれない。
王立予備学校で得られた基礎力を基盤とし、代々王家に仕えているという貴族階級の古い家系が統率力を発揮し、それに加えてどうやら最近では若い騎士に顕現武器を扱える覚醒者が多く現れたのだという。覚醒者一人増えたところで、実際大きな戦いになれば一般の武器使用者と働きはほとんど変わらないだろう。けれど覚醒者として顕現武器を扱えるということは、武器との相性以外に本人の力量が大きく関係してくる。いくらその顕現武器を扱えるといっても、相応の力がなければ武器に認めてもらえないからだ。つまり顕現武器を持てるということは、精神的、肉体的に一定レベル以上の力を有しているという証でもある。優秀な人材が集まっている。そう判断していい材料になることだけは間違いない。
国に仕える騎士、という部分に魅力はまったく感じないが、集まった”優秀な人材”達には興味がある、とリョーマは思う。父ナンジロウが、その腕を磨いた場所。青学の騎士団には今でも、リョーマの相手になるような人材がいるのだろうか。リョーマは王都へ入る前の最後の晩に、山を背後に警備の明かりにぼんやりと浮かぶ城を眺めて考えた。
翌朝、商人達がまだ寝入っている中、ナンジロウとリョーマは起きだした。彼らにとっては起きだすに早いという時間ではないが、まだ太陽は昇りきっていない。お互い体を軽く動かして暖めると、軽く組み手をしてから水を飲んだ。
「おい、天衣は持ったな、リョーマ」
父親の言葉に、リョーマは水で濡れた口元を拭い、無言で頷いた。確認されなくとも、寝ている間も抱きかかえるようにして持っていたのは、ナンジロウだって見ていただろうに。
顕現武器自身が認めたのだから扱えないということはないが、リョーマが己の腰に差している刀は、実はまだ少し長い。十三歳という年齢にしては年相応か、もしかしたら少し低いのかもしれない身長で扱うには、まだ早いといわざるを得ない武器だった。けれど、父はそれまで持っていたリョーマに似合いの刀を自分が引き取り、代わりに自分の持っていた刀を息子に渡した。
顕現武器“天衣”。
それはエチゼン家に代々伝わる刀で、父から手渡されたその瞬間から、リョーマはその武器とともにエチゼンの名前を受け継いだことになる。ほんの、三日ほど前の出来事だ。正直いえば、天衣はリョーマの憧れであり、そして最高の目標であったから、こうしてあっさりと自分の手に収まってしまったことには大きな抵抗がある。
父、ナンジロウの操る天衣を、リョーマは受け取るのではなく、奪い取りたかった。もっとちゃんと、ナンジロウに自分の力を認めさせて、その上で天衣を手にしたかったのだ。
けれどナンジロウは、それまで毎日繰り返してきた朝の鍛錬の時間に、疲れきったリョーマが地面に膝をついたその瞬間を見計らって、
「ほれ」
と手を差し出したと思ったら、リョーマが忌々しそうにその手を払うことを見透かして、挙げたその手に天衣を握らせてしまったのだ。
ようは、サイテーの不意打ちってやつ。
そうやってリョーマは天衣を受け継いでしまった。一番望まない形で。これで天衣がナンジロウから離れることを望まず、リョーマを覚醒者として選ばなければ問題はなかったのだ。けれど天衣はリョーマを選んだ。その時点で、ナンジロウは天衣に触れなくなってしまったのだった。つまり、天衣をその場に捨てるか、リョーマが持つか、その選択肢しかなくなってしまったのだった。
勿論貴重な顕現武器、そして憧れの対象であった天衣をその場に捨て置くことなんてできない。リョーマは不満いっぱいながら、天衣を腰に差して、ようやくその微妙な長さにも慣れてきた頃だった。
「よし、じゃあもうこれはいらねぇ」
「は? ……ちょっと、それは……」
ひょいとナンジロウが持ち上げた布袋。それにはリョーマの旅用荷物一式が収まっている。母親が、ナンジロウには決して持たせてはいけないと言った、緊急時の金も一緒だ。それがなければ、旅が続けられない。咄嗟に取り返そうと動いたリョーマから抜け目なく距離をとって、ナンジロウは言った。
「俺との旅はここで終わりだ。後のことは、ばあさんに手紙を送ってある。お前は王宮へ向かえ」
ばあさん、というのはおそらく現在の青学女王のことだ。母方の祖父母は島に残っているし、ナンジロウの両親は既に亡くなっていると母に聞いていたから。
「王宮って……あんたはどうすんの?」
「俺か? は、野暮なこと聞くなよ。折角子守から解放されて、おまけに煩い女房は遠くにいるときたら……ムフフ」
口元に手を当てても、ナンジロウの口の端が緩んでいるのは隠しきれていなかった。父親が何を想像してだらしない顔をしているのか、分からないような旅はしてきていないので、余計リョーマの顔は苦いものになる。
何が“ムフフ”だよ。
大体子守なんてされた覚えない、とリョーマは思った。島ではぐうたら寝ているばかりだったし、旅の間はナンジロウがリョーマの目を盗んで好き勝手やって、何度町を追い出されたか知れない。リョーマはいつだってそれに巻き込まれる形で、けっこう居心地の良かった場所だって長居できなかった。だからもしナンジロウと別れることになっても、解放されたのはナンジロウではなく、リョーマの方だ。
「やだよ、王宮なんて。退屈なだけじゃん。オレは一人でも旅を続ける」
せっかくナンジロウから解放されるというのに、何故もっと制約の多そうな王宮に行かなくてはならないのだ。
「馬鹿か、“俺との旅は”っつっただろうが。お前の旅は終わってねぇ。それに、金も持っていねぇくせに、どうやって生活するつもりだ。王宮へ行け、リョーマ」
母親が持たせてくれた金を、袋ごと確保している父親に言われたくない。こんなことになるなら、金はいつも自分が身につけておくようにしておくべきだった。旅の間、ナンジロウはずっとそうしていたではないか。母に金をもらっていたことを隠すために、ずっと自分の荷物の底の方に入れていた、リョーマの判断不足だ。しかし全面的に自分の非だとは思えない状況だから憎らしい。
「金くらい自分で稼げるよ。あんたよりはまともな稼ぎを得られると思うけどね」
それは別段強がりではなかった。旅の間、リョーマは自分の働きで金を得ることもあったからだ。ただ、その金の半分以上をナンジロウに使われて、自分では貯めている余裕もないほどの稼ぎではあったが。
「かーっ! 誰に似たんだかな、その生意気具合は」
「あんたには似たくないから、別の人だろ」
しれっと言い返す”生意気な”息子の言葉に、まさか思い当たることでもあるのか、ナンジロウはぴくりと片眉を上げた。
「おいこら、俺の奥様が浮気してたとでもいいてぇのか」
浮気するなら母ではなくナンジロウの方だろう、とリョーマは思ったが、この父親を凹ませる機会があるなら見逃すことはできない。
「浮気どころか、そっちが本命じゃない?」
にやりと口を歪めて言ったリョーマに、ナンジロウは明らかに動揺した。きっと身に覚えがありすぎるのだろう。まさか、いや、もしかしたら、としばらくぶつぶつと呟いていたが、口を歪ませて見ている息子に気づいたのか、ナンジロウは取り繕うように咳払いをして話を元に戻した。
「……とにかく、我がまま言ってねぇで、お前は王宮へ行け。つまんねぇとこかどうか、見てみるくらいしたっていいだろう」
勝手に行き先を決められて、それを拒否した事を我がままと捉えられるのは業腹だ。
「イヤだ。あんたも一緒なら考えてもいいけど」
「おんやぁ? 何だ、お父様がいねぇと寂しいってか?」
にやぁ、と口を歪めた父親に、リョーマは顔を反らして舌打ちした。冗談でもそんな風に言われるのは我慢できない。
「気持ち悪いこと言うな。勝ち逃げは許さないって言ってんの」
様々な土地を旅をしてきたことで、リョーマは既に知っていたのだ。武者修行といいつつも、結局この父よりも強い人間はいない。自分が越えるべき男は、一番近くにいるナンジロウなのだ。そして実際、未だリョーマはナンジロウに軽くあしらわれている程度の力量しかない。自覚しているだけに、ここで一人置いていかれると、完全にナンジロウの勝ち逃げとしか思えないのだ。
「勝ち逃げ、ね。……おい、リョーマ」
なんだよ、と顔を上げると、その先にある父親の顔は思ってもいなかったほど真剣なものだった。こんな顔は、旅の間一度だって見せたことはない。流石のリョーマも、ナンジロウのその顔には息を呑んだ。
「青学の王宮には、俺より強い男がいる」
そして放たれた言葉には心底呆れた。真剣な顔をしておいて、なんて寝ぼけたことを言うのだろうか。
「あ、その目は疑ってんな? お前ってホント、可愛くねぇガキに育ったよなぁ」
元より“可愛く育つ”気のなかったリョーマは、ナンジロウの軽口には何も答えなかった。しかし、その前の台詞には、大いに反論するべきところがある。
「あんたより強いって……あんたより爺さんてことだろ? そんな年寄り、今頃は結局あんたより弱くなってるよ」
リョーマは完全に、ナンジロウの言葉を過去のことだと勘違いしていた。つまり、ナンジロウが王宮にいた頃には、彼よりも強い男が王宮にいた、とそう言う意味でとらえていたのだ。ナンジロウは確かに、強い男がいる、と言ったのに。
「誰が俺より年寄りだって言った?」
「だって、あんたが王宮にいたのは……」
九年も前の話だ。リョーマは四つになるまで両親と共にこの青学で暮らしていた。しかしその時の記憶は殆ど残っていない。それでも“青学の近衛隊長”に同年代で相手になるような奴はいなかった。そんな噂話は、孤立した島の間でもひそひそと囁かれていたのを、リョーマは知っている。だから、上の世代なら相手になるような奴もいたのかもしれない、と考えたのだ。
けれどナンジロウはリョーマの考えを否定した。では話に上らなかっただけで、同年代で同じくらいの力を持った奴がいたのだろうか、とリョーマが間違った方向のまま考えたその時、ナンジロウは驚くべき言葉を口にした。
「俺が王宮にいた頃、そいつは七つだった」
九年前に七つ。リョーマより三つ上になるが、ナンジロウの子どもだと言っても通用するような年齢ではないか。現在青学にいるのなら、十六歳。それでもまだ十分子どもだ。
「……馬鹿にしてんの?」
「いいや、俺は真剣だぜ。リョーマ、俺の指導のおかげで、お前は強くなった。同じ年頃の人間でお前に適う奴はいないだろう。たとえ上位覚醒者でも、今のお前なら互角以上に戦えるはずだ。お前には才能がある。何せ俺の息子だし?」
自分では関係ない、と思いたかった。けれど血の繋がりはともかくとして、ナンジロウが父親であり指導者でもあるという環境は、リョーマが年齢以上の技術を身につけている一因であることに間違いはないだろう。
「だから、あんた以外に……」
追い抜きたい相手などいないのだ。正直に口にしたくもないくらい、リョーマはナンジロウを目標にしている。そんなこと、天の邪鬼な息子に言われなくても分かっているナンジロウは、困ったように微笑んだ。
「いいから、聞けよ。今はまだ、天衣を持たなくても俺がお前より強い。だが父親ってのは、結局息子に抜かれるもんだ。それに比べれば、王宮にいるその男は、お前には決して抜けないほど強い」
大きすぎる親を超えられずに潰れる子どもだっているはずだ。リョーマは自分がそうなるとは決して思っていなかったが、結局“同年代のライバルとして”成立する親子関係はないのだ。超えるか、超えられないか。ある意味では一生超えられないという存在を父親というのではないだろうか。そんな、赤の他人ではなくて。
だから、逃げんなよな。
もっとちゃんと向かい合って欲しかった。多分、ずっとそう思ってきた。ナンジロウの自分を軽く見せようとする態度を見るにつけ、適当に流すだけの組み手を行うにつけ、リョーマは歯痒くて仕方がなかったのに。
「あんたは七つの頃のそいつしか知らないんだろう?」
何もかも誤魔化して、すべてをそんな子どもに押し付けようとするなんて卑怯だ。だが、リョーマが思っていた以上にナンジロウはその子どもに対して強い信を置いていたのだ。誰も信じないような、そんな軽さばかり見せてきた男がここにきて初めて。
「あぁ、そうだ。だが、七つの頃の奴の方が、今のお前よりずっと強かった。もし俺が天衣を持っていたとしても、今ならきっと奴には敵わないだろう」
きっと、なんてそんな話をされたって、ナンジロウにだって勝てたことのないリョーマには遠すぎる。
「……そんな仮定の話、信じる気にはなれない」
けれど仮定の話にしていても、ナンジロウの信は動かないほど強いものなのだ。九年も会っていない相手。それでもナンジロウはその九年間に、七つだった子どもが自分よりも強くなっていることを疑わない。
そんな希有な奴が、今の自分よりも強かったとこの父に言われるような奴がいるのであれば、それはリョーマにとって確かに面白くない話だった。冗談でも仮定の話でも、この父に「敵わない」なんて言われたことは、リョーマにはないのだから。
「だから、一度王宮へ行ってみろって言ってんだろうが。その目で確かめて来い。もっとも、その頃には俺も好きなところに行っているだろうがな。その後に気ままな一人旅に出ても、俺は何も言わねぇぜ?」
リョーマはいつもの軽薄そうな印象の口調に戻った父親を見上げた。視線はナンジロウに奪われた自分の荷物の上をかすめたけれど、隙を見せないナンジロウからそれを奪い返すことはできそうになかった。どうしても、ナンジロウはリョーマを青学の王宮へ行かせたいらしい。
おそらく、ナンジロウが”敵わない”と言った、その相手に、リョーマを会わせたいのだろう。
どうしても。
リョーマは黙って考え込んだ。
「……行くよ。だけど、その先はオレの好きにする」
心中はかなり複雑だが、確かにそいつに会ってみたいという気持ちがリョーマの中には生まれてしまっていて、今更その芽を摘むことはできなかった。王宮に行って女王に仕える騎士になれと強制されているわけでもなし、目的の人物を見つけて会ってみて、父の仮定が間違っていればさっさと王宮を出て旅を続ければいいだけのことだ。それこそ気まままに旅をして、いずれはナンジロウを再び捕まえて、彼を超えてみせればいい。
まだ十分に渋い顔をしながら、それでも意図していた言葉をリョーマから引き出したナンジロウは、晴れ晴れとした顔で笑い、息子の頭に手を置いてがしがしと遠慮のない仕草で髪をかき回した。
「あぁ、好きにしろよ、エチゼン」
初めて”エチゼン”と呼びかけられて、リョーマは眉をしかめた。天衣と共に継がれる”エチゼン”の名は、エチゼン家の跡取りとして認められた証。しかし不本意な形で天衣を手にしたリョーマにとっては”エチゼン”の呼び名もまた不本意なものだった。
だが天衣と同じく、返そうとして返せるものではない。リョーマはそれが気に食わなかった。この旅のどこからどこまで、父は計算していたのだろう。そして、リョーマはどこまでその計算の中で動かなくてはならないのだろうか。
リョーマは唯一の持ち物となった天衣をしっかりと握りしめ、運命の地に足を踏み入れた。