白雲かき消す新風の
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いや、絶対計算なんてしてない。
こんなの、最初から最後まであいつの思いつきに決まっている。
リョーマが父親のちゃらんぽらんぶりを改めて実感し直したのは、青学王国の王都に入って一時もしない間のことだった。
「何が、王宮に行けだよ。全然話がついてないじゃん……クソ親父」
ようは城門の門番に文字通り門前払いされたのだ。しかも、明らかに年齢よりも下の子どもに見られてあしらわれた。門番はエチゼン家の天衣なんて見たこともないようで、リョーマがいくら天衣を示して主張しても、エチゼン家は九年前に潰れて、今は分家が残っているだけだと、当のエチゼン家当主に向かって言い聞かせようとする始末だった。リョーマも天衣を顕現してみせることができないため、具体的な根拠を示すことができなかったのだ。
坊主みたいなガキが、そんな立派な武器持ってちゃ危ないぜ。父さんに返してきな。
その父親が無理矢理息子に渡した武器だ、なんて言っても無駄だっただろう。女王に会うどころの話ではない。
一体人を何歳だと思って話しかけたんだ、あの門番。
思い返すだけで腹が立つ。見るからに筋肉隆々の、背の高い門番に上から覗き込まれるのが嫌で、すぐにその場を立ち去ってしまったが、いっそあのでかい頭――絶対に中身は小さいと主張したい――を乗り越えてでも城内に入るべきだっただろうか。一度立ち去ってしまえば、もう一度行ってみたところでさらに不愉快な思いをするだけになってしまいそうだ。
だが、ここですんなり諦めて帰るのも負けた気分がしてすっきりしない。せめて城壁を乗り越えて、あの門番の後ろに回って一泡吹かせてやりたい気分だった。リョーマは探るようにして正門からぐるりと堀の脇を歩いて城の周りを歩いていた。流石に手頃な木が生えていて、それを登れば中に入れる、なんて不用心なことにはなっていないようだ。このまま一周回るにしても、青学の王宮は山の岩肌に後ろ半分を任せる形で作られた城塞だ。山の方へ進めば当然余計に侵入する隙がなくなる。一体どうするべきか、と思案しつつ足を運んでいたリョーマは、視界の端に黒い小さな影を認めて足を止めた。
「うわっ! と……なんだ、猫?」
突然足元に飛び出してきた物体は、大きな青い瞳をくりくりとさせてリョーマを見上げていた。柔らかそうな毛をした猫だ。その大きさから言って、おそらくまだ子猫なのだろう。警戒心を見せず、リョーマの足にすり寄ってくる。
「ふうん、お前、人懐っこいな」
リョーマが身を屈めて猫に触れようとした、その時。
「カルピン!」
細い高い声が耳に飛び込んできた。
「カルピ〜ン、どこいっちゃったの?」
泣きべそをかいていそうな情けない声だった。人の名前にしては奇妙な名前だったから、リョーマは思わず下を見て呼びかけていた。
「……お前、カルピン?」
足元にまとわりつく毛の長い猫に尋ねると、自分の名前くらいは分かるのかもしれない猫はにゃーとは鳴かずに「ほらぁ〜」と表現するのが一番適当だと思える奇妙な鳴き声を発した。鳴き方はともかくとして、どうやら彼が――彼女が?――カルピンであることに間違いはないらしい。
逃げる様子もないその猫を、リョーマは両手で抱え上げた。猫の長い毛は丁寧にブラッシングされていて、触り心地が良い。左右に揺れるふさふさした尻尾が気になって触ってみても、カルピンは鷹揚にリョーマの手を受け入れた。その間にも、城壁の奥から聞こえる高い声はカルピンという猫の名前を呼び続けている。
リョーマはカルピンを肩に乗せ、片手で背を支えると、堀の側まで寄って幅を確かめた。助走をつけても飛び越えられる幅ではない。当然だ。子どもが飛び越えられるようでは、城を守る堀として役に立たない。次いでリョーマは堀の奥の塀を見た。高さ的に、やはり飛びついて上れる高さではない。ただ、特別見張りはついていないようだった。
リョーマは腰に下げていた天衣を抜いた。こんなことに使うというのは気が進まないが、ここで諦めて旅を続けるというのも癪だと思うのだから仕方ない。あんな父親が仕えていたという青学の女王に会って、多少の皮肉くらい言ってから、門番の顔を見て堂々と出て行きたい。荷物をすべてナンジロウにとられてしまっていたが、天衣と身に着けていた腰の飾り紐はある。リョーマは飾り紐を解いて、天衣の柄に撒きつけ、簡単に取れないように縛った。
そして猫を肩に乗せたまま、天衣を抜いて、括りつけた紐の反対の端を持ち投げ縄のように回すと、天衣を塀に向かって投げつけた。天衣は斜め上に向かって一直線に飛び、石の塀に滑り込むようにして突き刺さった。リョーマは紐の端をぐいと引いた。天衣は力がかかっても動かなかった。それを確認すると、リョーマは紐をできるだけ短く持って、少し助走をつけると堀を飛んだ。振り子の要領で堀を越えたリョーマは、塀に激突する前に両足を壁についた。肩口にいる猫は、何が起きたか分かっているのかいないのか、身動きせずにリョーマに掴まったままだった。
「……よっと」
リョーマは塀の上部に刺さった天衣と紐を利用して、そのまま塀を登った。天衣の刺さっている高さまでくると、もう塀の上部に手がかかる。紐を手放し、両手で一旦塀にぶら下がると、それまで動かなかった猫がリョーマの肩を使ってひょいと塀の上に上がった。リョーマはそれを追って両手に力を込め、塀の上にあがる。それから石に突き刺さったままの天衣を抜く。上るときにはリョーマの体重がかかってもびくともしなかった天衣が、あっさりと石から抜けた。確認してみても刃こぼれひとつない。普通の武器ならこうはいかない。そういう武器なのだと分かっていても、やはり少し目を見張ってしまうものがあった。
「カルピ〜ン」
より近くで響いた声に、リョーマは天衣を鞘に収めた。脇を見ると、連れてきた猫はまるでリョーマが降りるのを待っているかのように、尻尾を揺らして塀の上に留まっていた。おそらく自分を呼んでいるのだろう声に向かって、先に降りる気はないようだ。
「ねぇ、あんた」
リョーマは塀の上から、高い声で猫の名前を呼ぶ人影に向かって声をかけた。しかし聞こえなかったのか、それとも自分が呼ばれたと思っていないのか、塀の中にいる少女とおぼしき影はこちらを向かなかった。
「……そこのお下げの人」
より具体的に、と一番目についた長い髪について言及すると、ようやく相手に伝わったらしい。
「は、はい!」
慌てた様子で振り返った少女は、しかしすぐにリョーマを見つけることができなかった。リョーマが塀の上にいるせいだろう。そこで「上」ともう一度声をかけると、ようやく目が合った。
驚いているせいもあるだろうけれど、こぼれそうに大きな瞳だった。リョーマと同じ黒い瞳で、けれど印象はリョーマと違ってずいぶん優しい。リョーマのか中にある”大人しそうな女の子”というイメージそのままの少女で、服のことはよく分からないリョーマが見ても、上等なレースのついた淡いベージュのドレスを着ていた。身なりからして、王宮の召使ではなさそうだ。どこぞの貴族の令嬢、といったところだろうか。
「この猫、あんたの猫?」
塀の上、自分の隣で大きな欠伸をして背を伸ばしている猫を指差して尋ねると、少女の大きな目はリョーマからその猫へ移った。
「あっ……! カルピン!」
嬉しそうな呼び声に、ほらぁ、とのんびり猫が答えた。答えたわりに、やはり自分から降りていくつもりはないらしい。変わった猫だな、という印象を抱きつつも、リョーマはこれ幸いにと猫に手を伸ばして腹に回し、ひょいと持ち上げると塀の下の少女に一応許可を求めた。
「猫、渡すからそっち入っても良い?」
「は、はい」
おそらく自分と同じ年くらいの子どもだから警戒していないのだろうが、いくらなんでもそんな簡単に頷いてしまっていいのだろうか、と呆れ半分。けれど元々城内に入ることが目的だったリョーマはそのことについては何の指摘もせず、中の人から許可を得た、と勝手に解釈して塀を飛び降りた。
そしてリョーマは猫を抱えたまま少女の前まで歩いて行き、両腕を突き出す形で少女に猫を手渡した。
「はい、猫」
「あ、ありがとうございます」
受け取った少女は、リョーマよりもわずかに背が高いようだった。カルピンと呼ばれていた猫は、少女の腕の中で、尻尾を揺らして「ほらぁ〜」と満足そうに鳴く。
「あんた、王宮の人だよね?」
少女に尋ねると、大きな瞳がぱちぱちと二回瞬きした。間近で見るとますますこぼれ落ちそうで、何となく胸の辺りがざわざわする。落ちそうに見えるから、あんまり目を見開かない方がいいのではないか、なんて馬鹿なことは言えず、結局リョーマはその不安にも似た感情を抑え込んだのだが。
「え、えっと……はい」 答えに困るほどの質問はしていないはずだけれど、少女は明らかに戸惑い気味だった。だがいちいちそれを気にするようなリョーマではない。
「ここの女王に会わせて欲しいんだけど、ムリ?」
少女がどんな身分なのか分からないが、どんな身分であったとしてもいきなりの訪問者――しかも塀を乗り越えてきたような子ども――がそう簡単に女王に会えるはずはなかった。リョーマとしても、とりあえず聞いてみるか、という程度の質問だったので、少女がすぐに無理だと首を横に振らなかったのには内心驚いた。
「あ、あの……陛下に、何の御用事ですか?」
まるで大切な用事だと言えば会わせてもらえそうな勢いだな、とリョーマは思ったが、もっともらしい用事をでっち上げてまで会いたいわけではない。
「用事っていうか……別に会わなくてもいいんだけど」
なんだか門番にあしらわれた時の怒りも冷めて、急激に面倒くさくなってきた。せっかく王宮に入り込めたのだから、ここで粘れば女王に面会できる可能性がぐっと高くなることは分かっているのだが、本当にそこまでするほどの価値があるのか、とリョーマは今更ながらに考えてしまったのだ。どうせ会うだけあって、それでさようならと出て行くだけなら、このまま塀を再び乗り越えてさっさとここを離れてしまった方が良いのではないだろうか。
「ほぁら〜」
首を傾げてこちらを見ている少女の腕の中で、猫までもが首を傾げた。さて、どうする? とリョーマが自分に向かって問いかけたその時だった。
「姫様! サクノ様、カルピン見つかりましたかぁ」
若くて張りのある声が城壁に当たって、辺りに響き渡った。かなり大きな声だ。そしてその声に反応して、猫を抱えた少女が顔を輝かせて返事をした。
「モモ!」
サク、ノ……?
大きな男の声で呼ばれたその名前が、何となく頭の奥に引っかかる。それに、姫様と呼ばれたということは、この少女は青学の女王の孫娘だ。それなら上等な身なりも納得できる、というか未来の女王としては地味なくらいの装いだった。
まぁ、あんま派手な格好されても引くけど。
淡い色合いはこの少女の雰囲気によく似合っている。サクノ、という名前の少女には、その濃い茶の長い髪も、大きなこぼれそうな瞳も何もかもが似合いだった。というよりも、名前とそれらは元々そうでなければならない、というところに落ち着いているように思えたのだ。
何で……?
サクノ、という名前を心の中で繰り返していると、記憶の奥がくすぐったいような気分になる。何か、思い出せそうな気になるのだ。けれどのんびりとその頼りなく細い糸を手繰っているわけにもいかなかった。
「サクノ様! カルピンも。良かった、見つかったんスね……」
建物の影から飛び出し、サクノと呼ばれた少女の方へ向かって走ってきたのは、先ほどの大きな声の男だろう。サクノと、その腕の中で尻尾を振っているカルピンという猫を見つけて、人の良さそうな顔があからさまにほっとした表情を浮かべている。けれど側に立っていたリョーマと目が合った瞬間に空気が変わった。
「……サクノ様、こちらへ」
男はすっと自分の体をサクノとリョーマの間に入れ、片腕でサクノの体を庇いながら後ろに下がり、もう一方の手が背に負った大剣に伸びる。
「え?」
よく訓練された無駄のない動きだった。そう、悪くない動きだ、とリョーマは判断した。形だけではない、きちんと“戦える”動きだ。それでいて、傭兵のような我流の粗さを感じさせない。
なるほどこれが”青学騎士団の形”なわけね。
王都に来る途中で一緒になった商人が教えてくれたとおり、予備学校で徹底的に叩き込まれた形を自分のものとできた人材が、騎士として選ばれているのだろう。ただ、通常の騎士にしては、得物が大きすぎる。背に負うタイプの大剣が騎士団の標準装備だとは思えない。と、リョーマはそこで気づいた。
「あ、あのね、モモ。この人がカルピンを見つけてくれたのよ? 私が入っても良いって言ったの。だから……」
顕現武器だ。
そう思った瞬間に、思わず口元が緩んだ。ナンジロウ以外の顕現武器覚醒者に会うのは、実は初めてだ。顕現武器の覚醒者達はその大部分が各国の正規兵として抱え込まれているため、ナンジロウのようにそこら辺をウロウロ旅して歩いている者は稀なのだ。だから旅の途中でも顕現武器の覚醒者に出会ったことはなかった。こうやって、向き合えば分かるものだとさえ思っていなかったのだ。
だが、実際は分かるものなのだ。微風が吹いた程度の感覚でしかないが、確かに天衣と相手の顕現武器が反応し合っている。おそらく、向こうもそれに気づいたのだろう。視線が天衣に注がれ、それから再びリョーマの顔へと戻った。
「おい、チビ。お前、覚醒者だな。何が目的でサクノ様に近づいた」
チビ、という呼びかけは気に入らなかったが、それに拗ねて口を噤むよりも面白そうな展開に持って行けそうな気がして、リョーマは口を開いた。
「オレ、その人がどんな人かも知らなかったんだけど」
リョーマは自分のその態度と口調、言葉の内容まですべてが相手の気に障るものだということを自覚していた。そして意図した通りに相手のこめかみがぴくりと動いたのを見逃さない。
「今更そんな言葉信じられねぇな、信じられねぇよ」
「信じる信じないはあんたの勝手だけど? それにオレはここの姫じゃなくて、女王に会いたかったんだよね」
この言葉は正直言って、挑発つもりでかけた言葉ではなかったのだが、相手は先の言葉以上にリョーマの言葉が気に障ったようだった。不審な侵入者を見つけて緊張していた空気が、その上になんて無礼な奴だという怒りが混じってくる。
「女王陛下、だろ?」
すぐさま訂正されて――しかもリョーマにとってはどうでもいいところを――リョーマはつい口を噤み、そして小さく愚痴をこぼした。意図通りに挑発できていることに関しては満足しているが、礼、無礼に関しては余計なお世話だ。
「……やっぱ、王宮なんて面倒なところには来ない方が良かった」
いちいちそんな風に言葉を訂正されるようでは、やりづらくて仕方がない。窮屈なのは嫌いなのだ。不満を素直に漏らしたリョーマに、相手の若い騎士はにやりと笑った。
「安心しろ、すぐにつまみ出してやる」
「モモ!」
今にも二人の間に飛び出してきそうな少女を押さえたまま、モモと呼ばれている若い騎士は片足を一歩前にして半身になった。手が相変わらず背に負った大剣の柄にかかっていて、戦闘態勢に入ったと判断してよさそうだった。挑発の効果、だろうか。
「実力行使? そういうのは……嫌いじゃない」
嫌いじゃないどころか、大歓迎だとリョーマ笑い返した。父よりも強いということはあり得ないと知っているが、それでも”それなりに強い奴”を相手にするのは好きだった。
それに、他の顕現武器と戦ってみたいとずっと思っていた。同じ顕現武器が相手でもない限り、この天衣を抜くには相応しくない。
好意的、とはとてもではないが言えない視線を受けながら、リョーマの手は無意識のうちに天衣の柄を撫で、半身になった相手に対して腰を落としていた。