ようこそ、青学王国へー3rd day
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おや、確かイヌイの言うところだと、この青学ではテヅカがフジに一目惚れしたことになっているのではなかったか。そのことをフジが思い出したのは、翻るテヅカのマントにまるで視線を遮られるようにして広間を出た後だった。つまり会場に残った騎士達は、自分達の近衛隊長が思い人の手を取って出て行ったように見えているだろう。実際にはフジを連れて行くように女王に命令されたわけだし、そもそもテヅカはフジに惚れてなどいないわけだけれど。
けれど事情を知らない彼らにとっては、ますます噂を煽るようなことになっていないだろうか。もしかして隣を歩く男はそれを察したから、女王の命令にしばしの沈黙を挟んだのだろうか。やはり一人で大丈夫だと言って断るべきだったのか。いや、そもそも自説だと今日姿を見せたことで、フジが近衛隊長の気を惹くような”美女”ではないと分かってもらえるはずだったから、もはやそんなあれこれを心配する必要がないのか。
一人であれこれ悩みながら、隣を歩く男をちらりと横目で見上げる。苦々しい顔をしている、と思ったのは一瞬のことで、きちんと顔を上げて見つめれば、最初に会った時と同じ感情の読めない無表情だった。その顔を見た途端に、自分だけがあれこれ悩むのも馬鹿らしくなった。本人が困らないと言っているなら、別にフジが気にしなくてもいいではないか。そもそもフジは新しい生活に飛び込んだばかりで、もっと他に気にしなくてはならないことがあるのだから。そう、例えば。
「あの……しばらくお姿が見えませんでしたが、お食事は、よろしかったのですか?」
いや、こんなことを聞きたかったわけではない。フジは自分の頬が赤くなるのを感じた。これではまるで、広間にいないテヅカを探していたかのように聞こえるではないか。食事の心配をしているふりをして? 恥ずかしさに思わず手を握りしめそうになって、いま自分の手がテヅカの手の上に乗せられていることを思い出す。益々顔が赤くなるフジを見やることもなく、テヅカは受けた質問に淡々と答えを返した。
「近衛は陛下がお休みになられた後に、交代で食事を摂るようになっています。どうかお気遣いなされないよう」
「そうですか……」
気遣ったわけではないし、本当はそれが聞きたかったわけではないのだから、何となくそこで会話が途切れて、フジは気まずい思いをした。本当は、そう、テヅカのことではなくて顕現武器のことを聞きたかったのだ。それも、飛燕のことではなく、もっと別の。
「あの……!」
あまり響かない自分の足音と、打って変わって良く響くテヅカの足音を聞きながら、しばらく言うか言うまいか迷っていたフジだが、好奇心は抑えきれずに口を開く。自分はこの先、この好奇心の強さに痛い目を見そうだと思いつつ。
「はい」
「おかしなことを訊くようですが……先程イヌイ様が紹介してくださった、オオイシ様達はその……」
そこまで言っておきながら、はたとこの先を口にしていいのか迷う。もし、あえて伏せているようなことだったとしたら、ここで指摘することがいいことなのか。フジにはまだ、隠すべきことと明かすべきことの区別がつかないのだから、黙っていた方が良かったのかもしれない。けれど途中で止めるとなると、逆にテヅカが勘違いしてしまうのは止められない。
「オオイシ達が何か、失礼なことでも?」
「いいえ、そうではなくて……」
彼らは何も失礼なことはしていない。これから仲良くなれたらと、好意を持ったくらいなのだから、そこははっきりと言っておかなければ。けれど真実を言わずして、どうやって眉を顰めているテヅカにそれが伝えられるだろう。
「フジ様?」
無理だ。せめて他に人がいないにしても、声を落とすくらいの配慮はしてみよう、とフジは小さい声で言いかけた言葉の先を続ける。
「その…………もしかして、顕現武器をお持ちなのでは?」
それまで視線だけをフジに向けていたテヅカが、その質問を受けて初めて首を巡らせ隣を歩くフジを見下ろした。
「…………確かに、オオイシ、エイジ、カワムラは三人とも覚醒者(スピリッター)です。しかし……どうしてお分かりに?」
「どうして、と言われると私にも分かりません。ただ、ひとりずつでは感じなかったのに、皆様が集まられた時、飛燕が動いたような気がして。それに、風の色が変わりました」
「風の、色が……」
「ほんの少しですけれど」
風の色が見えるのは風の神に”名前を呼ばれた”巫女だけだ。一般の人間に言っても分かるものではない、とフジは長巫女から聞いていた。テヅカも勿論風の色など見えないだろう。けれど、風巫女がどういう能力を有しているのかは分かるらしく、そんな馬鹿な答え、とは言わなかった。けれど何か考え込むようにして唇を引き結ぶと、乗せていただけのフジの手を唐突に握りしめて立ち止まった。
「……いま、私を見て何か感じられますか?」
手を握られて引かれれば自分も立ち止まるしかなく、廊下の真ん中で足を止めてその質問をしてきた男を見上げる。黒い髪。眼鏡の奥に光る鋭い瞳は何の感情も宿さずフジを見下ろしている。何かを感じるかと問われれば、確かに感じる。だがそれは、彼が腰に下げているフジの顕現武器飛燕から感じられるような気もしたし、または彼の顕現武器零式から感じられるような気もした。あるいはその両方だ。明確に区別することができない。
「分かりません。飛燕があるので。……あの、テヅカ様? もしかして、口にしてはいけないことでしたでしょうか」
覚醒者(スピリッター)は貴重な存在だと聞いている。国の力となる存在ならば、他国には秘しておくのもひとつの策だ。黙っていろと言われれば、何も知らないふりくらいできるけれど、とフジが問うと、テヅカは必要ないと首を横に振った。
「いいえ。彼らが覚醒者(スピリッター)であることは、皆が知っていることです。確かに普段は顕現武器ではなく、騎士団の剣を帯びるようにしていますし、今日もそうしていましたが、隠しているわけではなく、他の騎士達と意識の統一を図るためにそうしています。ですから……フジ様がお気づきになるとは正直、思っていなかったというだけです」
それは普通なら気づかない、という意味で言っているのだろう。覚醒者(スピリッター)同士なら、お互いの能力に気づくこともあるのかもしれないと、漠然と考えていたのだが、そういうものではないらしい。フジの場合は”神力”があったから気づいたということだろうか。自分の顕現武器には、覚醒するまで何も感じなかったのに。フジが微かに首を傾げたのが分かったのだろう。このまま質問を受け付けると、フジの好奇心が止まらなくなるというのは、短い時間でもテヅカには分かってしまったらしい――なんせ零式の上で散々質問責めにした――。フジが疑問を口にする前に、テヅカは握っていたフジの手を離し、再びただ触れるだけの状態にするとすっと歩き出してしまう。
「顕現武器のことについては、おいおいイヌイから説明があるでしょう。何か、ご不快な思いをしたというわけでなければ……」
「不快だなんて……。サクノ様の仰られた通り、知り合えた人達がいると思えるだけで安心いたします」
慌てて言い添えたフジに、テヅカはうんともすんとも言わず、ただ小さく頷いたような、そんな動きをして見せただけだった。それも、もう神殿の近くに来ていたせいで、自分の部下の姿を認めたためだったようだ。
「ご苦労」
本宮殿に接続した神殿への入り口付近で警備を行っていた近衛二名に、テヅカが短く声をかける。彼らは自分達の隊長に敬礼をして、フジとテヅカのために両脇に下がって通路を空ける。テヅカは慣れた様子でそのまま間を通り抜けたけれど、フジは通り過ぎる時に彼らに向かって小さく頭を下げずにはいられなかった。そもそもこんな自分に、近衛騎士二名の警備というのも多すぎると思うのだけれど、それはそのうち説得して減らしてもらうしかないのだろう。
近衛の間を通り過ぎ、通路を歩いて神殿への入り口へ辿り着くと、テヅカが立ち止まる。てっきりフジの部屋の前までは付いてくるものと思っていたが。
「それでは、私はここで」
広間にいる女王の側に戻りたいのかもしれない。フジは自分から手を離し、テヅカに向かって頭を下げる。
「ありがとうございました、テヅカ様。よい夢を」
サクノ姫にも告げたその最後の言葉は、風巫女からの祝福でもある。神殿ではすべての巫女がお互いのために、毎日繰り返していた言葉なだけに、相手が誰であろうともフジの口からはするりと出る言葉だ。受け取った側のテヅカは、サクノ姫のように微笑むことはなかった。それを期待していたわけでもないので、フジも気にせず神殿の中にある自分の部屋へ向かおうと踵を返す。その背に、テヅカの声が投げられたと思い、振り返った時にはテヅカの方が黒いマントを翻してフジに背を向けていた。
昨晩の夢など覚えてはいないけれど、安眠を妨げた本人に言われるのはなんとなく釈然としない。それでも結局朝の怒りは有耶無耶のうちに治まってしまった。フジは寝室に入ると早々に立派な巫女服を脱いで普段着に戻り、眠る前に髪に櫛を入れながら空を見上げた。今日は新しい人達とたくさん出会った。少なくともこれまでの出会いの数からすれば、とても濃密な時間だったと言えるだろう。
けれど新しい出会いに胸が高鳴っても、古い知己を忘れることはない。フジは就寝の前に長巫女のために、青嵐の神殿のために祈り、そして同じように熱心に、今日出会った人々のために祈った。そして最後に、自分の運命を思って風の神に祈る。
願わくば、この出会いが悲しい別れとは遠いように。
ここ三日の劇的な環境の変化を考えると、フジの頭はすでに許容量一杯で、今日はもう何も考えずに眠れそうな気がした。柔らかい寝具に身を横たえて、フジは空にぽっかりと浮かぶ月の光を浴びながら目を閉じる。一日の最後に告げる祝福の言葉を、誰にでもなく心の中で捧げて、フジは眠りに就いた。完全に眠りに落ちるその一瞬前に、テヅカの声が蘇る。
「…………あなたも」
よい夢を。実際には聞こえなかったその祝福の言葉さえ、彼の声で――。