ようこそ、青学王国へー3rd day

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「さあ、歓迎の宴を始めようじゃあないかい」

 女王が手をひとつ叩くと、その音は壁に反射して大きく響き渡った。跪いた騎士達は将軍を最初にして次々と立ち上がり、扉が開かれて給仕人達が一斉に飲み物を配り歩く。その動きひとつひとつがフジにとってはすべて目まぐるしい。とりあえず予定していた誓約と祝福は無事に済んだと考えていいのだろう。そう思うと我慢して来た緊張の波がどっと押し寄せて、もうこのまま与えられた神殿の部屋に戻って眠ってしまいたくなった。

 けれど女王が宣言した通り、まだ宴は始まったばかり。主賓のひとりであるフジがこの場を離れて先に休むことはできない。何とか笑顔を貼付けながら、その手にグラスを受け取る。赤い液体が何の飲み物か分からないまま、早々に全員の手にグラスが行き渡り、リュウザキ女王がその杯を持ち上げて声高らかに言う。

「……では、美しき青学の風巫女に!」

 女王の言葉に続いて、会場の全員が杯を上げて唱和する。

『美しき風巫女に!』

 女王はフジが男だということを知っているのだから、”美しき”なんて修飾語は入れてくれなくていいのに、と内心で恨めしく思いながらフジもそっと杯を掲げて、グラスに入った赤い液体を口にする。どうやら年齢のことも慮って、酒ではなくただの果実ジュースを用意してくれたようだ。何種類かのベリーのミックスだろう。仄かに炭酸水が混じっていて、飲みやすい。

 喉が潤って少しほっとした。それに、食べ物を前にして騎士達の視線がフジから少し離れたことも、安堵の原因だ。こっそり息をついたつもりだったのに、側にいたリュウザキ女王は聞き逃さなかったらしい。

「神殿は女性ばかりだったというからね。むさ苦しい男共の間を挨拶に回るのは苦痛だろう」
「いえ、陛下……」

 慌てて否定しようとするけれど、実際、部屋に入った瞬間から、この身に向けられる視線にフジはほとんど恐怖に近いものを感じていた。神に仕える巫女への畏敬、崇拝。そんなものに混じる、好奇心と、これまで感じたことのない、よってフジにはどういう意味なのか分からない類いの熱が視線に含まれていて落ち着かない。”ギラギラした目”と女王は言ったが、女ばかりの風神殿ではなかった視線なのは間違いない。

 なんせ男性との接触が今まで皆無だったこともあり、フジには自分が原因なのか、それとも男性の視線とは”そう感じて”普通のものなのか判断ができない。自分も男なのに、同性の視線に萎縮するというのも奇妙だし、何となく情けなくて、できるなら女王の提案にもそんなことはない、と強気に否定したいところだったのだが、やはり心は素直だ。否定の言葉は上手く口に乗らず、女王はそんなフジを見て優しく微笑んだ。

「いいんだよ。あんたは座っておきな。イヌイが顔通しの必要な奴らを適当に引っ張ってくるからね」

 気を使われてしまった。自分が仕えるべき人に。

「で、でも」

 長巫女の元を離れてひとりで立派にやっていくつもりだったのに、こんなところで挫折してしまうなんて。それに、早く慣れるためには多少の荒療治も必要ではないだろうか、と煩悶するフジに、イヌイまでもが優しく言い添える。

「失礼になるという心配は杞憂ですよ、フジ様。向こうも美しい女性とお話しする機会がない連中ばかりですから。フジ様に間を回られては、かえって落ち着かないでしょう。適宜連れて参りますので、少しお食事をなさってください」

 ”美しい女性”という言葉には引っかかりを覚えたが、新参者が間をウロウロしては確かに騎士達も落ち着かないかもしれない。イヌイは見事にフジの反論を塞いでしまい、おまけにサクノ姫が、入って来た時と同じようにフジの手にそっと触れて、柔らかく言い添えるものだから、もう今日は意地を張らずに座っていようと思えてしまうのだった。

「風巫女様はお肉を召し上がらないのですよね? 果物と野菜のお料理を用意してあるんです。同席させていただいても? フジ様」

 フジが選んだ布地をドレスに仕立ててもらって、サクノ姫は今日その服を初めて着ている。フジが早く馴染めるように、あれこれ考えてくれているのだろう。彼女の柔らかな微笑みには到底勝てそうにない。

「喜んで、サクノ様」

 そうしてサクノ姫の手に従って席に着くと、そこには確かに他のテーブルとは違ってフジが食べられる果物や野菜、そしてパンが並んでいた。こうして神殿から離れ、王宮付きの巫女となった者には肉食の禁は厳しく適用されない。主人である王が食べろと言えば食べるのだが、避けられるのであればそれに越したことはない。それにフジにはこれまで口にしてこなかった肉を、どうしても食べてみたいという欲求はなく、料理人が考え抜いて用意してくれた果物ソースのかかったサラダや、花弁の形にカットされた野菜などで十分舌と目を楽しませることができた。

 その間にイヌイがその長身をふらりと会場の方へ向けて、戻ってくると青学騎士団の将軍と副将軍を連れて来た。どちらも壮年の男性で、恐縮するフジを前にして、優しくおおらかに声をかけていった。それから入れ替わりで守備隊、騎兵隊それぞれの総隊長を。年齢的にはフジの父親くらいの世代だろうか。どの人も背が高く、がっしりとした体格。騎士としての鍛錬が築き上げた肉体を持ち、騎士団の特徴なのかそれとも青学王国の国民性なのか一様に穏やかさを感じさせる人達で、フジも少なからず安心した。

 もしかして一番穏やかでない人に、最初に出会ってしまったのかな。

 その穏やかでない人は、宣誓の時には近衛隊の先頭にいたはずなのに、いつの間にか広間から姿を消していた。今は将軍と何やら活発に話している女王の側にもいないし、勿論フジと一緒にいるサクノ姫の側にもいない。飛燕の気配を感じるから、そう遠くにはいないのだろうけれど。

 そこではたと、どうして彼の姿を探す必要があるのだろうと気づいて、フジは内心で不満に思った。大体、昨晩と今朝の仕打ちを、フジはまだ許していないのだ。いくら見知った顔とはいえ、それもこの会場にいる騎士達と二三日の差でしかない。それにあんな仏頂面を見たって安心するわけもない。眼鏡で表情はよく分からないけれど、安心するというならイヌイの方が、とフジは誰に言い訳するでもなく、葡萄を口に頬張りながら再び誰かを呼びにいったイヌイの背を探す。

 長身のせいでその姿はすぐに見つけられた。会場の一番奥の方で、イヌイの顔を数人の男が見上げている。その中で一番背の低い男が、イヌイの言葉を聞いてなのか、広間中に聞こえる声で叫んだ。

「えぇー!! マジで!?」

 幼いと言ってもいいくらいの若い声だった。遠くて分からないけれど、もしかしたらフジと同じくらいの年齢ではないだろうか。ちょっと赤みのある髪は左右に立っていて、大きな目がぱっとフジの顔を捉えて瞬く。猫のような目だ、とフジが思うと同時に、目が合ったその騎士はフジに向かって無邪気そうに破顔した。その屈託のない笑顔に、フジも自然と口が緩んで笑い返していた。だがすぐにイヌイの手がその騎士の襟首に伸びて、本当に猫を扱うようにしてフジから視線を外させる。もしかして怒られているのだろうか。遠目で見ているより、あんな風に笑いかけてくたほうが、よほど嬉しいのだけれども。

 しばらく興味を持って見ていると、最初にフジを迎えに来てくれたオオイシという物腰の柔らかな騎士も、イヌイや猫のような目をした騎士と一緒にいた。それからもうひとり、イヌイより背は低いけれど、がっしりとした体つきの騎士も。彼らは何やら手振りを加えつつ話し合っていたが、しばらくするとあの叫んだ騎士が大きく何度も頷いて、イヌイが身を翻した。こちらにくる、とフジが思った通り、彼らイヌイを含めての四人は、広間の年長の騎士達の間をつっきってフジの前にやってきたのだった。

「よろしいでしょうか、フジ様」

 先頭に立ったイヌイが尋ねるのを、フジは一も二もなく頷いて返す。するとイヌイは一歩横にずれて、後ろについてきていた三人の姿がフジに見えるようにしてから言った。

「本来なら、この場でご紹介するような者達ではありませんが、サクノ様が是非にと仰られましたので連れて参りました」
「サクノ様が?」

 隣を見ると、サクノ姫がおっとりと微笑んで、少し恥ずかしそうに手元を見ながら言った。

「巫女様は神殿でお暮らしだったから、急に男の人が多い王宮に来られて戸惑われているのではないかと思って。彼らはフジ様と同い年ですし、テヅカやイヌイとも親しいので、この機会に知り合っていただければと。見知った顔があると安心できますでしょう?」

 その気遣いに胸がいっぱいになった。神殿暮らしだったフジの、急な環境の変化にこうまで深く考察して気を回してくれるなんて。

「あ、ありがとうございます、サクノ様。こんなにお気遣いいただいて……」

 感動に声を詰まらせて答えると、サクノ姫は頬を染めて控え目に呟く。

「ご迷惑でないといいのですけど……」

 迷惑だなんて。彼女はとても謙虚な人で、フジの思い描いていた王族の像とはいい意味で少しも似ていなかった。だからだろうか、この控え目な王女に向けるフジの視線も、そして見守っているイヌイ達の視線も、自然と優しくなる。それはとても希有な性質のようにフジは思った。

「フジ様、先に紹介しているとは思いますが、右が守備隊第一小隊隊長シュウイチロウ=オオイシ。オオイシとお呼びください」

 イヌイが最初に紹介してくれたのは、テヅカの顕現武器零式が降りたバルコニーに、フジを迎えに来てくれた騎士だ。イヌイの言葉に、彼は微笑みながら頭を下げた。

「その隣がオオイシの隊の副隊長エイジ=キクマル。エイジとお呼びください」

 彼は先程フジに向かって笑いかけてくれた猫のような目をした騎士だ。イヌイと同い年というけれど、二三年下に見られてもおかしくない。彼はまた、あの人好きのする顔でぱっと笑いかけてくれた。

「そして騎兵隊第五小隊隊長タカシ=カワムラ。カワムラとお呼びください」

 最後に紹介された騎士は、四人の中で一番体ががっしりとしていて、フジのイメージの中にあった騎士らしい騎士だった。短い髪、でも瞳は意外と大きくて、照れたように笑うと目尻がきゅっと下がってとても優しそうだ。

「我々はテヅカを含めて、予備学校での同期です。普段、風巫女様の警備などは近衛隊が担当しますので、この三人がお側に上がる機会は少ないかと思いますが、見かけたらお声をかけていただければ喜ぶでしょう」

 不思議だ、とフジは思う。彼ら四人を見ていると、離れている飛燕を強く感じる。それに、他の騎士達よりも彼らの周りの風は色が濃いように見える。何かの予兆なのか、それとも単にフジ自身がこの出会いに喜び気分が高まっているだけなのか。

「私の方こそ、声をかけていただけたら嬉しいです」

 素直に気持ちを吐露すると、エイジと紹介された騎士がぱっと顔を輝かせて叫ぶ。

「ほんと!」
「こらっ! エイジ!」

 すかさずオオイシ隊長が咎めたけれど、そのやりとりにサクノ姫が遠慮なく笑い声を上げたので、フジもわざと呑み込むことなく笑う。エイジ副隊長はその明るい笑い声に気を良くしたように猫のような目を細め、照れたように頬を指で掻く仕草をした。今度はオオイシ隊長も叱らずに苦笑するだけで、カワムラ隊長も人の良さそうな顔で笑っている。会う機会が少ないのは残念だが、ゆっくりとでも仲良くなれたらいいとフジは思った。不思議と縁を感じるから。


 オオイシ隊長達が食事に戻り、それから小一時間を過ぎたあたりだろうか、騎士達の間を回って着実に杯を重ねていた女王が、まったく酔った様子もみせずにしっかりとした足取りでフジ達の元へ戻って来て、孫娘に声をかけた。

「サクノ、あんたはそろそろ寝る時間だ」
「はい、陛下」

 女王と王女というより、やはり祖母と孫娘という雰囲気ではあるが、サクノ姫は礼儀を守って従順に答える。彼女が退出するのなら、自分もそろそろ退出したいとフジは思った。同行しようと口を開きかけたのに、先にサクノ姫が側にいたイヌイへ声をかけて、タイミングを見失ってしまう。

「イヌイ、お部屋まで連れて行ってくれる?」
「喜んでお供いたします、サクノ様」

 イヌイの手にサクノ姫の小さな手が乗せられると、いつの間に戻って来ていたのか、ずっと姿の見えなかったテヅカが突然口を挟んだのでフジは驚いた。

「姫! 共なら俺が……」

 普段はそうしているのだろう。きっと時間を見て、女王と同じようにそろそろ姫を部屋まで連れて行こうと戻って来たに違いない。なのに、サクノ姫はイヌイを呼んだ。それは――。

「テヅカはフジ様を連れて行って差し上げてね」

 フジのためだったらしい。彼女の気遣いはずっと嬉しかったが、これは微妙だ。道順的には一人でも部屋に下がることはできるが、おそらく立場としてそうはいかないだろう。”風巫女”フジの立場では、近衛隊長との諍いを表には出せない。

「そうだね。フジももうお下がり。こいつらは好きなように飲み食いするから、いつまでも付き合う必要はない。テヅカ、風巫女を頼んだよ」
「…………はい、陛下」

 判断に迷う沈黙だが、おそらくテヅカの中では今朝の諍いは自分の謝罪で終わったことになっているはずだから、単にサクノ姫の微妙な気遣いに対してのものだろう。フジとしては、そうではないだろうと声を大にして言ってやりたいが。

「では、陛下、お先に休ませていただきます。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ、サクノ」

 一旦イヌイの手を離れ、屈んだ女王の頬に、サクノ姫が可愛らしく就寝の口付けをする。続いてフジの方に振り返り、軽く膝を折って言う。

「フジ様も、おやすみなさい」

 フジはそれに彼女よりも大きく膝を折り、頭を垂れて応えた。

「おやすみなさいませ、姫様。よい夢を」

 ありがとうございます、とサクノ姫が微笑んで返すと、イヌイがすっと手を姫の前に差し出す。

「では、参りましょうか、サクノ様」

 ええ、と頷いてサクノ姫はその可憐な手をイヌイの差し出した手に乗せ、イヌイに守られるようにして広間を出て行った。その後ろ姿を――主にお供を仰せつかったイヌイの長身を――多少恨みがましく見送った後で、テヅカの視線がようやくフジの方を向く。

「……フジ様、神殿までお送りします」

 黒い手袋に覆われた手を弾いて、いえ、結構ですと冷たく言える立場だったら、少しは溜飲が下がったかもしれないけれど、フジに出来たのは礼の言葉を言って差し出された手に自分の手を乗せることだけだった。溜息を呑み込んで手を預けると、広間の空気が少しざわめいた。一体何事だろう、と思ったが退席する自分に一時的に視線が集まっただけらしい。今日のために集まってくれた騎士達にせめて礼をして出て行くべきかと思ったが、隣に――それは丁度フジと騎士達の間に――立ったテヅカが問答無用で広間を出て行こうとフジを促すので、何もできずにそれに従うしかなかった。

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