神社の階段を軽々と駆け上り――後で神無に聞いた所によると人間の煩悩と同じ、百八段あるそうだ――最上段で早く!と神無が急かす。昨日の昼間は必死だったがやはり我に返って見るとこの石段はきつい、と思っている脇をすっと隠岐が通り過ぎていった。しれっと、足が重いのですか? と問い掛ける隠岐はボディガードとしてやはり日々格闘技で鍛えている身である。
「ん〜!やっぱり体なまっちまったみたいだ‥‥。二週間も行ってねぇし連絡してねーし、師匠かんかんだろうな」
「ああ‥‥。やっとついた‥‥。連絡しとくか?」
「ううん、いい。親父に監禁された上にまだ解決してないなんて『未熟者!』のお叱り受けて反省部屋行きだよ」
「(ナニ!? その反省部屋って何ナノ!?)と、とりあえず神無が監禁されてたって場所に行ってみよっか」
「うん。あ、その前に忠告しとくけど、カノウが祓い終わるまで俺が父さんに何されても絶対俺の事庇わないでね? 親父に殴りかかるなんてもっての他だよ? カノウは良く分かってるだろうけど、馨と、特に隠岐さんね」
馨はむっとしただけのようだが隠岐は加えて眉をひそめた。何を言ってるんだこの子は‥‥という表情から察するにまだ事情を理解できていない。大人が子供を庇うのは当然だと思うが? と隠岐らしい返答に神無は真摯な表情を苦笑に変えた。
「普通の場合はね。普通なら‥‥うん、俺は隠岐さんにはかなわないはずだよ。でも、まぁ隠岐さんからすれば異界みたいな今回の状態じゃ逆転する。見える、感じるだけの馨と見えもしない、感じもしない隠岐さんはこっちの異界にしてみりゃ赤ん坊と同じ。代わりに俺は大人と同じになる」
「普段なら俺でも伸せるくたびれた親父が神無でさえ手も足もでないんだよ。お前は格闘技やってっから、ナイフ持った敵くらいには負けはしないだろ? でも拳銃やら戦車やらに攻められたらいくらなんでも無傷じゃすまねぇ。それくらい勝手の違う敵なんだ。俺達は本来付いて来るべきじゃねぇ。それでも此処にいるのは、お互い『保護者代理』だからだろ?」
「馨クン、それちょっと僕ショックなんだけど‥‥。僕は神無と同扱い?‥‥。まぁ、いつもなら僕の方にも隠岐と馨クンくらいは庇ってあげられるよゆーはあるんだけどさ、ガソリン満タンだし♪ でも、今回はそうはいかないみたいだ」
前に馨の友人を祓った時はけろっとしていた穂だが、腕まくりされていた腕には鳥肌が立っている。笑みもいつもと変わらないがそれが『繕い』である事は長い付き合いの隠岐には良く分かっていた。
「まぁ、相手は俺の器が狙いだ。でも俺が死んじゃ意味が無い。だから奴に俺は殺せないよ。いざって時は逃げてでも、生き延びてね?」
「‥‥分かりました。どうやら足手まといは私の方ですね‥‥」
「そんな事無いって♪愛してるよ♪」
「私はそこまでされたくありませんね」
「うわっひどっ!即答だし!」
「ふざけてんなよそこ! 先行くからな!」
バスガイドよろしく、神無は先頭を走り出した。それでもリーチの差で他三人は早足くらいでついていける。離れは母屋とは違い、洋風な二階建ての造りだ。と言っても普通の民家とはやはり何処か趣が違う。建物のドアに近付くとややためらいがちに神無はドアの部をひねった。
「‥‥開いてる。気を付けて、中に父さんが居るかもしれない」
「この異様な気配は、お父さんの物ではないの?」
「そうだけど、中にいるかまでは分からない。さっきまでいて、今はいないのかもしれないし」
「分かった。僕が先に行くよ。馨クンも近くにいて。神無、隠岐は任せるよ」
隠岐はまだ慣れないのか困惑顔。まぁ力配分的に妥当なので神無の方はあっさり頷いた。じゃ、と馨に切り出して穂は中へ入った。中に入ってまず玄関らしき段差が無い。土足可ということだろうか。神無も何も言わなかったのでそのまま中に入る。窓が無いのか昼間なのに真っ暗だ。手探りで電灯のスイッチをつけた穂と馨が一瞬足を止める。な、何?‥‥と背の低い神無はうろたえるが馨の頭越しに視界に入った隠岐は口元に手を持って行って嫌悪感を露にする。
「これはこれは‥‥随分趣味のいいインテリアだねぇ」
「本物か?これ」
「!穂様! いけません! そんな得体の知れぬ物の蓋などお開けにならないで下さい!」
「なんでさ? うわっ!ホルマリンくさっ!」
「ホルマリンってな‥‥。ぎゃー!何それ!? 気持ち悪っ!」
回廊になっている廊下の両側には金属製の棚がずらりと並んでいた。しかもその棚にはびっしりと大きな蓋付きのビン。黄色っぽい液体が満たされたビンの中には犬の首、兎の足、蛙やヤモリなど色々な動物の死骸やその一部が詰められている。あちらではこっちは蛇だぜ、と馨が太くて長い蛇の入ったビンを引っ張り出している。
「マムシ酒じゃねぇってのな、ははっ!」
「笑い事じゃねぇ! 俺が両生類とか爬虫類嫌いなの知ってんだろ!見せんな!」
「なんだぁ?昔良く遊んでたじゃねぇか。ほらヒキガエルだぞ♪」
「馬鹿!寄るな!触るな! お前がそうやって俺の事いぢめてたから嫌いになったんだろ!」
「まぁまぁ馨クン、余興はこのくらいにして、少なくとも昨日までは此処にこんな物はなかったんだね?神無」
「昨夜此処を通って出たけど、棚の一つもなかった」
ふむ、と顎に手を当てながら穂はぐるっと廊下中を見渡した。これだけの動物を集めるだけでも相当の手間と時間がかかるだろうが、中には明らかに解剖によって取り出された部位もある。
「どれも魔術や呪術の材料だ。この場の異様な気配は多分、これによって結界が張られているせいだろうな」
「結界、ですか?」
「‥‥。とりあえず先に進もう。行くよ、馨クン」
「OK」
隠岐の質問には答えず、穂は歩き出す。毎度の事なので気にも止めず隠岐は歩き出したが、慌てた様子で神無が駆けて来る。その視線はやや不安の色を浮かべたままだ。棚には相変わらず色々な死骸が並んでいる。隠岐はざっと周りを見渡して神無の体を自分に引き寄せ、腕と手で目隠しをした。
「隠岐さん?」
「怖いんだろう?神無君。これはどうやら君の言う『異界』方面じゃないようだからな」
「‥‥ありがと」
「すごいなぁ、この辺の棚から色々な残骸組み合わせてるよ。余計なゴミは出さないってわけだね」
「穂様‥‥実況中継はいりません‥‥。それに、こんな所でエコ精神を持ち出す時点で異常ですよ」
「あはは♪きっびしー♪ まぁ待ちなって。これは立派な合成獣だよ、外見だけはね」
キメラ?とまた隠岐が眉をひそめるが、RPGのモンスターだな?と馨が即答する。ならば隠岐が知るわけがない。RPGは穂と馨の共通の趣味なのだ。だが「それもそうだね」と穂は笑って答えた。どうやら百パーセント正解ではないらしい。
「神無、君は分かるかい?」
「‥‥二種以上の動物を繋ぎ合わせた架空上の化け物だろ? グリフォンとか‥‥。でも詳しくはない‥‥。それは西洋の化け物だろ? 俺には範囲外だ」
「それだけ分かれば上等だよ。それに、これはキメラを模したインテリアだから、魂(は入っちゃいない。けれど、何のつもりだろうな?これは。パンデモニィウムでも作る気かな‥‥」
「化け物共の住処、あらゆる悪の集う場所、万魔殿ですか」
「おう、隠岐にしては珍しく知ってるじゃん? 引用だけど。あれ?階段だ。おかしいな? この階、真ん中に部屋ないの?」
「いいんだ、そのまま上がって。俺が居たのは上だよ。下があるのかは知らないけど。もう棚ない?隠岐さん」
「あ、ああ」
じゃあもうへーき、ありがとと神無は隠岐の手をのけた。階段は狭いので隠岐と神無では並んでは歩けない。足音を立てぬよう慎重に穂は階段を登って行き、馨、神無、隠岐と続く。階段を上がると四人が二人ずつ、前後にようやく並べるくらいの隙間があり、その奥にドアが待ち構えていた。ひょいっと穂が中を覗くとこちらは窓があるのか微妙に明るい。
「薄暗いけど、誰もいないみたいだな」
「! 穂、あれ‥‥なんだ?‥‥」
「どれ? !鍵っ‥‥。かかってるか‥‥。隠岐!七つ道具!」
「緊迫した声で冗談を言わないで下さい。ライトですか?」
「そうそれ!」
上着のポケットからあっさりペンライトを取り出すと隠岐はスイッチを回して穂に差し出した。ドアの上部にはまったガラス部からライトの光を中へと差し込む。心許ない光はそれでも馨と穂が見つけた異物を白く浮かび上がらせた。
「水槽‥‥? 中のはひ‥‥。マネキン、だよな?穂」
「‥‥だとしたら随分性質の悪い悪戯だよね」
「!」
「なぁ!何? 何があんだよ! 俺にも見せろよ!」
「性質の悪い悪戯の産物。此処に君のお父さんはいないみたいだね。母屋に行ってみよう」
「隠すなよ! ‥‥死んでるんだな?」
金目の告げた直感を、確信を持って神無は口にする。穂の表情は変わらなかった。馨は『性質の悪い悪戯』を見た直後の、青冷めた顔のまま。下りよう、と穂の手が神無の肩にかかるがそれを振り払って神無はドアに駆け寄ろうとする。
「ダメだ!神無!」
「離せ! 俺は自分の父さんが何をしたのか自分の目で確かめる!」
「子供が見るもんじゃない!」
「庇うなよ! 庇うなよ‥‥俺なんか‥‥。母さんを死なせて‥‥今度はとうとう殺人犯の子供かよ‥‥。上等だよ‥‥同情なんかいらねぇ! 母さんを死なせたように今度は父さんをこの手で‥‥!」
「神無! !!」
ぱんっ、と頬を弾かれて神無は自分の熱がすっと引いていくのを感じた。馨、それに穂までが唖然としている。ひりひりとまだ頬に痛みを残させているのは、隠岐の手だ。
「落ち着いたか? まだ君は何が起こったのか知らない。父親が犯人かどうかも知らない。ただ一人で思い込んでパニックを起こしていただけだ」
「‥‥うん」
「この部屋の中に大きな水槽がある。その中に、おそらく保存液と思われる液体と供に女性の肢体のような部品がバラバラに入っている」
「隠岐!?」
「私もマネキンか人かはこの距離では分からない。だが君と穂様が死んでいると感じたなら本物の死体なのだろう。少なくとも、二人分の死体だ」
「俺‥‥間に合わなかったんだ‥‥。可哀相‥‥あの人達‥‥。こんな所で殺されて、バラバラにされて、可哀相‥‥」
泣き出す神無を抱えあげて隠岐はその頭を大きな手で撫でる。決して乱雑ではない。むしろ、慣れた仕草だ。馨が意外そうな視線を向けるが穂にとっては意外でもなんでもない、懐かしい光景だ。
「君は見ては駄目だ。けれど真実を話した。十分に、傷を負った。これ以上傷付く道理はないだろう?」
「隠岐さんて‥‥ほんと優しーね‥‥。なんか、甘えちゃ悪いくらいに‥‥。ありがと‥‥」
「神無君を連れて母屋に行っています、穂様」
「うん‥‥ありがと、隠岐」
「あ、それからこれを。これ以上手先の器用さを磨かれても困りますが、事態が事態ですので」
そう言って隠岐は適度な長さの針金と女性が使うヘアピンを穂の手に置いて去って行った。お前の世話役は何でそんな物持ってるんだ‥‥と言う馨の突っ込みを笑い流しつつ、穂は鍵穴にヘアピンを差し込んで十数秒後に開いた♪とドアノブを回して入って行く。
「‥‥。なんでお前もあっさり開けてんだよ! 神生財閥のボンボンだろ!?」
「いやぁ♪特技の開発過程で♪。このくらいの鍵なら簡単だよ♪。さすがにピッキング防止用のドアとかはきつい‥‥」
「お前が言うと嘘くせぇ‥‥。ボンボンやめて泥棒やってけるぜ‥‥」
「そぉ? じゃあ盗賊団でもしよっか?馨クン。でも、僕のほんとに欲しい物は盗みじゃ手に入らないけどね」
「小夜と霊力(か? ‥‥お前、霊力(の事隠岐に話してなかったんだな」
馨の言葉に穂は沈黙をもって答える。単に死体の入った水槽の前だったからかもしれない。が、ペンライトの光を受けたバラバラ死体を見ても、とくに穂は表情を変えなかった。馨はさすがに間近で見ると吐き気が込み上げてきて顔を逸らした。しかし輪切りにされた腕の断面が頭の中でリアルに再構築されていく。
「うぇ‥‥。良く正視してられんな、穂‥‥」
「慣れてるからねぇ‥‥」
「(慣れてる‥‥? 何故に‥‥?)」
「それより馨クン、僕の霊力(不足の事、隠岐には秘密にしててくれる? 体維持するのに霊力(消耗して、その霊力(得るためにこの家業始めたなんて聞いたら‥‥何するかわかんない奴だよ、ほんと。神無にだって‥‥」
「確かに‥‥。っても、もうちょい信用してやってもいいんじゃね? 神無の親父みたいにこんな手段にでるこたぁしねぇよ。まぁでも、谷口ん時の報酬、実は俺の首筋にキスして霊力(奪ったなんて言ったら発狂するぞ、あいつは」
「そ、それは‥‥。いいじゃん、首ならさー。挨拶も同然? 実は僕って帰国子女なんだよ?知ってた? 向こうじゃほっぺたなんて当たり前♪。そっちの方が良かった?」
いや‥‥と表情を固めつつ、でも本気でそのテのヤバイおにーさんかと思ったぜ、と出会った当時を思い出して馨は苦笑した。そんな衝撃的出会いだったというのに今では『気の合う年の離れた友人』なのだから不思議だ。
「あれは不可抗力だよ‥‥どうせなら僕も可愛い女の子が良かった‥‥。神無みたいに外側に霊力(を放出して分け与えられる人なんて希だよ? 今まで一人二人しか‥‥いや、神無で二人目か‥‥」
「たかが二十年じゃな。おい、穂、こっちにやベーもんがあるぜ」
たかが二十年なんてものではないのだが、その珍しさを馨に納得させる事は出来ない。諦めのため息をついて穂は馨の言う『やべーもん』に近付いてペンライトを向けた。それ、は手術台、というよりも生贄の祭壇と言うにふさわしい。石造りの、何処かの遺跡から盗んできたような古の文字の刻まれた台。その上に大量の血が流れた痕がどす黒くしみを作っていた。
「此処で切り刻んだんだな‥‥。にしてもすげー血‥‥」
「‥‥。この部屋、照明器具がないんだなぁ‥‥。昨夜のうちにやったならどうやって‥‥。よっ!」
「うわっ! 穂!? そんな物の上に乗んなよ!」
「大丈夫♪祟るような霊も此処には居ないから♪。見つけた♪」
へ?と馨が首を傾げるが穂は血染めの祭壇に立ってにっこりと微笑んだ。そして馨に後退するよう言うとペンライトでじっくりと祭壇の周りをなぞる。血で濡れた円陣、その中に同じく血で描かれた謎の文字や模様‥‥。
「悪魔ヴェナスの生贄の魔方陣だ‥‥」
「悪魔!? 神無の親父に取り憑いたのは、悪魔なのか?」
「‥‥証拠不十分。まだなんとも言えナイ‥‥。やばいはやばいけど‥‥悪魔ってこの程度のやばさなのかな‥‥。実物お目にかかったことないからね?」
「(やばいやばい連発するわりに全然よゆーそうなんだがな‥‥)!おい穂、降りて来い。ついでにライト。こっちに変な石版がある」
「石版? またふるめかしーな‥‥」
ぶつぶつ言いながらライトを手に覗き込むが確かに、それは石版と呼ぶにふさわしい物だ。木の壁にやけに浮いて張り付けられた石版。アルファベットのような物が並んでいるが英語ではない。
「なんだこりゃ‥‥。全然読めねー」
「『此処は魔の遣いが集う場所‥‥』」
| 此処は魔の遣いが集う場所 |
| 永遠に燃え盛る焔に神の遣いを屠り |
| 歓喜の声で回る 踊る 悪魔は踊る |
| そこは恐怖と狂気の遊ぶ場所 |
| 此処に住まうべき者を捧げよ |
| さすれば悪魔は贄を得んと |
| その手を伸ばすであろう |
「っと、こんな感じかな?」
「めっちゃやばそー。にしても何故読める‥‥大学中退者‥‥」
「ただのドイツ語だよ? それに、だてに長く生きてないからねぇ、あはは♪」
「俺とたかが三歳違いだろっつーの‥‥。これってつまり、何なんだ?」
「ん〜、何だろう?」
焦らすようにまじめさを装って穂は首を傾げた。こいつ‥‥と馨が睨んでいるが表情よりも楽観していない、鋭い目で石版を睨みつける。
――これと同じ物を何処かで見た気が‥‥。それにこの詩はヴェナスの魔方陣に向けられた物か? あの魔方陣は生贄のための物だ。あそこに生贄を捧げれば、悪魔が現れる?――
「ん〜‥‥ ん!!分かった! 馨クン!事務所に戻るよ!」
「はっ? 何でいきなり‥‥」
「僕の事務所にある魔術辞典に手がかりがあるはずだ! 敵の本質を示す真名を握る事、西洋でも東洋でも共通する祓いの基礎だよ!」
「うわっ!さっさと置いてくなよ! 気持ちわりー!」
――悪魔ヴェナスの完全なる崇拝者、生贄の魔方陣を操るパンデモニィウムの領主。読めたぞ、貴様の正体!――
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