恋愛 課外 授業
 「それで買い物に行こうってわけ?珍しく」

待ち合わせて一緒に繁華街を歩いていた希紀が事情を聞いて呆れた声を漏らした。『いや、最初は穂の発言にむかついたからだけだったんだけどね‥‥』と、作務衣は今日ばかりはやめてTシャツにジーパンを着込んできた神無は力無く答える。心なしかいつもより重い財布と共に、気持ちまで落ち込んでいるらしい。

「でも、ごめんなさい‥‥私が穂さんを誘えばって言ったから‥‥」
「! 桃笑のせいじゃないってばっ! 穂が小夜子さんと水族館行くのは別にいいの、やっとやったな!って感じだし、応援の方が大きいかな‥‥。でもそのデートに一緒に行くかって聞く無神経さが許せないわけっ! どうせあたしの事なんか隠岐さんに任せて小夜子さん前でへらへらやってるだけに決まってるのにっ!!」
「‥‥それ、違う意味で言ったんじゃない? 神無がそんなに水族館行きたいなら、小夜子さんと一緒で悪いけどって事じゃ‥‥」
「だとしても! 好きな人とのデートに妹みたいなあたしを連れてこうって無神経さが嫌っ! そんな半端な優しさなら‥‥無い方がまし‥‥」

きゅっと唇を噛む表情が、今にも泣き出しそうだ‥‥と思って希紀は『ごめん‥‥』と謝罪を告げる。ううん、と神無は首を振って、泣きそうな顔を振り切った。神無は鬼眼を封じられていても人の心情をわりと的確に察する。まして、魂の一部を共有した穂の事ならなおさらなのだ。

「ごめんっ! しんみりさせちゃった‥‥。昨日道場であんまりストレス発散できなかったし!」
「え? どうかしたの?」
「河野が昨日はやけに燃えててさ、相手しろって煩かったからマジ投げしたの。そしたら師匠に『精神が乱れとるっ!』ぽくってやられて、反省部屋に入れられちゃったからあんまり運動してないの」
『‥‥(か、可哀相‥‥河野君)』
「後で皆に聞いたらどうもね、購買部のくじ、河野当たんなかったらしくって‥‥。あたしが当たったって聞いて八つ当たり半分だったみたい。自分のくじ運の悪さ人に当てるなって感じ? そんな動機なら河野の方を反省部屋に入れれば良いのにさ、師匠のヤツ‥‥」
「河野君何が欲しかったんだろ?」

ととぼけた桃笑の呟きに『TDLのチケットに決まってるじゃん‥‥』と神無は心の中で突っ込みを入れた。希紀も同じようにあさっての方向を見ているので考えている事は一緒だ‥‥。

「でも〜、そうすると水族館のチケットはどうするの?神無ちゃん。大人券で子供二人入れるのかな?」
「ムリ‥‥。昨日電話してみたら『お兄さんやお姉さんでもいいから保護者の方と来て下さいね♪』ってお姉さんににっこり言われた。子供券って小学生までなんだよね、だから小学生だけで来んなって事みたい。叔父貴に一応予定聞いてみたけど、今月はダメだって」
「(してみたのね‥‥?電話。しかも即?‥‥)小夜子さん、とか‥‥隠岐さんとか? うちのお母さんに頼んでみる? 弟付きになると思うけど」
「でもせっかくなんだから、穂さんとデートさせてあげたかったな〜」
「‥‥あ、そっか‥‥馨でもいいんだから、高校生でもOKなんだ‥‥。ダメ元で誘ってみよっかな‥‥。やっぱり男と行った方が当てつけになるよねっ!見せないけど」
『当てつけなのね?やっぱり‥‥』と希紀は呟いて当てつけに利用される見知らぬ人物に同情を示した。『誰々っ!?』と興味津々に尋ねる桃笑にちょっと待って、と言って神無は携帯を取り出して番号を探す。
「当てつけってーか、好きには好きだよ?ちゃんと。でもやっぱり向こうは好き?みたいな人いるし‥‥ダメならそのお兄ちゃんでも‥‥」
「ってやっぱり恋人いる人を好きになるのね?あんた‥‥。もっと健全な恋しなさいよ」
「ううん、恋人じゃない、相手も男だから。それに恋とは全然関係ない好き」
「‥‥ますますどういう人‥‥?」

電話してからね〜、と笑って神無は電話番号を選び、通話ボタンを押した‥‥。

 せっかくの休みを朝から兄の愛車を洗う手伝いに引っ張り出された弟は文句の一つも言わずに手伝う。いや、文句以外も言わずに黙々と洗う。今年買ったばかりの新車なので自動洗車機に入れるのが嫌な兄は上機嫌だ。と、その手を止めて弟が携帯電話を取った。

「親父さん? だったら仕事中だから出るなよ?」
「‥‥違う。もしもし?」

否定してすぐに弟は電話を取る。ならいい、と兄は濡れた愛車の水滴を取るため空拭きをかけ始めた。『ああ‥‥久しぶり』と弟の口から漏れる言葉から察するに、しばらく会っていない友人のようだ。ちゃんと友人がいたか‥‥とうんうん頷いていると『え?』とちょっと戸惑いの言葉を発して弟が兄を呼ぶ。

「四季」
「‥‥どうした?」
「うん、四季もいる。‥‥神無が水族館に行かないか、と」
「‥‥はっ?」

突然の電話の相手は神無、一月ほど前に、尋常ならぬ事件で出会った小学生の少女だ。どういう事だ? と兄、四季が首を傾げると弟、高佳が神無から聞いた親子券が当たったうんぬんを説明する。行くなら自腹になるけど、と付け加える高佳にそれは働いてるから別に構わないが‥‥と四季はまだ呆然とした表情で答える。

「‥‥? 俺、電話代わってもいいか?」
「神無、四季に代わってもいいか? いいそうだ」
「もしもし、ごめんな、神無。久しぶり」
『うん、久しぶり♪。四季も行く? 水族館』
「行くのは構わないけど‥‥俺が行っていいの? 太刀守君とかは?」
『馨は水族館嫌いなの〜。四季が行くなら友達連れてこうかな‥‥』

という事は今は友達と行く事は考えていないらしい。これはもしかして‥‥と四季は思わず弟の姿を探した。後は四季に任せた、という事なのかもう洗車に戻っている。けれど一応声をひそめ、四季は先ほどの『予感』を神無にぶつける。

「ひょっとして、デートの誘いだったりする?」
『あはは♪四季のお許しが出るならそのつもりだよ♪あたしは。四季が来るなら水槽の前で魚の調理方法教えてくれそうだから、それはそれでおもしろいから可』
「いやいや、それは次の機会に。そういう事なら邪魔するような野暮な真似はしないよ。ごめんな?うちの弟鈍くて。あとで良く言っとくから」
『そこが高佳の魅力じゃないの? 高佳は、四季はこんな小学生相手で良いわけ?』
「相手が何歳だろうと可愛い女の子に変わりはないさ。それに、さすが神無は目が高いね。おい、高佳、電話返す。どうせ暇なんだから行ってあげな」

返された高佳はちょっと首を傾げ、変わらずの無表情で電話を受け取り、しばらくうん、とかああ、とか返事だけを返す。完全に神無ペースらしい、まぁ多分デートとは思っていない高佳が仕切れるとも思えないが。『じゃあ明日駅で‥‥』と言って切りかけるので四季がたまらず『迎えに行くと言え!』と口を挟んで『‥‥家まで迎えに行く』と高佳は言い変える。まったく、これじゃあ苦労しそうだ‥‥と兄が脇で頭を抱えているとも知らず、高佳は別れの挨拶と共に電話を切った。

 神無が電話を切るのを待って好奇心の塊と化した桃笑が『それでそれで♪』と期待の眼差しを向ける。神無が満面の笑みで『OK!』と手で示すとやったー!と桃笑は自分の事のように喜んで飛び跳ねる。『結局誰なの?』と希紀が哀れな犠牲者の正体を問うとうん、と神無は携帯を鞄にしまいながら話し出す。

「夏休みに、馨が剣道の大会に引っ張り出されるから見に行くって言ったっしょ? その対戦校の主将だった人。向こうも助っ人だったんだけどね〜。馨より一つ下だけど背はたっかいの」
「かっこいい?」
「世間一般的に言ってもかっこいい部類だと思うよ」
「えー♪神無ちゃん的には?」
「そだね〜穂がかっこいい度十だったら向こうは百かな〜」
「ずいぶんな差ね‥‥」

怒り抜きにしてもマジで、と神無は笑って付け加える。神無の珍しい絶賛振りに桃笑が『きゃー♪見たーい♪』と期待を膨らませる。希紀は冷静に『つまり穂さんより強いって事ね』と呟く。それに神無がちょっと顔をしかめた。

「希紀、あたしのかっこいい基準は強さだと思ってない?」
「違うの?」
「いや、確かに高佳強いけど‥‥。ってか即答だし‥‥希紀。なんてゆーんだろ‥‥精神的な強さとかね、並み外れてるって言うか、ちょっと合い通じる所があるってーか。むしろ人間外‥‥」
「相手校の対戦相手となんてどうやって知り合ったの? それにしてもあんた、人間外は失礼でしょ?」

――‥‥。しまったっ! 穂抜きで(しかも馨巻き込んで)ヤバイ事件に首突っ込んでました〜♪なんて言ったら希紀に怒られるから黙ってたんだったっ! しかも自分の事はいいとして高佳が人間外なんて二人に言っちゃって良いのかなっ!?――

「? どうしたの?神無ちゃん」
「えっと‥‥試合の後に懇親会があって〜、高佳がむちゃくちゃ強かったから馨が話しかけて、意気統合したって言うか‥‥」
「‥‥へぇ〜?(疑いの眼差し)」
「神無ちゃんっ!?」

希紀に責められて神無がどう逃げようかと考えていると突然街中から神無を呼ぶ声がした。『呼んだ?』と一応ちゃん付けで呼ぶ唯一の人物である桃笑を見るとううん、と首は横に振られる。桃笑の声ではなかった、もっと大人の女性の声だ。立ち止まってきょろきょろしていると黒い車――隠岐の車に似てるな、と神無は思った――が路上に止まり、中からスーツにハイヒールの女性が飛び出してくる。

「きゃー♪やっぱり神無ちゃんだわ♪」
「‥‥知ってる人?」

知らない、と神無は機械的に首を横に振った。女性は三十を越えたくらいの、長い髪をきっちりとアップにまとめたキャリアウーマン風だ。そんな年代に知り合いはいない。と思っているこちらには構わず、女性は駆け寄って来て神無を神無の母にも負けぬ豊満な胸に力いっぱい抱きしめた。突然の事に神無が為す術なく抱きしめられていると四人の周りをざっと何処からか現れた黒服にサングラスのいかつい男達が取り囲んだ。『何々!?』と桃笑と希紀がお互い身を寄せ合うが、上機嫌に神無を抱きしめてぬいぐるみか小動物にするように頬擦りしている女性と、女性の胸で窒息しかけている神無は気付いていないようだ。

「きゃ〜♪髪の毛さらさら♪。背も思ってたよりちっちゃーい♪。写真で見るより何百倍も可愛いわ〜♪」
「!? !?‥‥」
「社長、そのくらいにして頂きませんと、急いで救急車を呼ばなければならない事態に陥ってしまいますわ」

黒服がさっと避けると、そこから神無を抱き締める女性と同じようにスーツに身を包んだ女性が静々と入って来る。こちらの女性は二十代半ばくらいで長い髪はそのまま肩に流している。あら、と呟いて女性はようやく腕の力を緩め、半ばぐったりとしてきた神無を自分の胸から解放する。

「だってだって‥‥ようやく神無ちゃんに会えたのに〜」
「ぷは〜っ! 窒息するかと思った‥‥」
「だ、大丈夫?神無ちゃん」
「あらら♪お友達? や〜ん♪お友達も可愛いわ♪さすが神無ちゃん♪」

神無に駆け寄った桃笑と希紀が思わずびくっと身構えるが社長、と呼ばれた方の女性にもう一方の女性が歩み寄って次の行動は抑えてくれた。生き返った神無は『写真で見たって何っ!』と呟きながら年下の女性に宥められている女社長を振り返ってあれ? と首を傾げた。その面差しに、良く知った人物を連想してさらにあれれ? と首を傾げる。

「‥‥ひょっとして穂ママ?」
「きゃー♪ママだなんて言われたの何年振りかしら♪」
「あー‥‥なるほど」

少女趣味のあまり三歳の息子に着物とドレスを着せ、息子可愛さに拉致監禁まがいの事をやってのける母親か、と神無は頷いた。それなら突然街中で自分を窒息させそうなくらい抱きしめるなど平気でやってのけるだろう。だとしたら、隣にいる女性はきっと秘書だ。

「穂も隠岐もなかなか連れて来てくれないんだもの‥‥。何回も神無ちゃんに会いたいから連れて来てってお願いしてたのに‥‥。ああ、でも偶然こんな所で会えるなんて♪神様のおかげかしら♪」
「‥‥(穂んちって何信仰?‥‥)」
「社長、ご歓談の所申し訳無いのですが、ポスターオーディションの時間が」
「そうだったわ、でも神無ちゃんとそのお友達は捨てがたいし‥‥。そうだ♪。神無ちゃん達はこれから何処へ行く所?」
「え? 買い物‥‥服を買おうかと」
「ますますラッキー♪。じゃあ私のお店に来ない? まだ開店前なんだけれど、お店の宣伝用ポスターを作るのにオーディションをする予定だったの♪。もし良かったら三人でポスター用の写真を撮らせてくれない? どうかしら♪」

どうって‥‥と二人を振り返って神無は小さく首を振った。うんうん、と希紀が頷き、桃笑も戸惑いつつこくん、と頷く。何の店だか分からないが神生財閥の女社長の店だ、とにかくとんでもないに違いない。それに小学生の身でポスター出演はまずいだろう。三人一致で代表の神無が断るべく穂母を振り返る。

「あのー、穂ママ? せっかくなんだけどお断わ‥‥」
「オーディションは中止しますか?社長」
「そちらは雑誌向けの広告に使うわ。芽衣花(めいか)、貴女に任せます。可愛い子をよろしくね♪。それからお店の方に大至急メイク隊と撮影隊を向かわせて」
「分かりました」
「え?‥‥待って待って!穂ママ!?」
「さ♪車に乗って♪神無ちゃん♪。お友達も♪。貴方達、車に案内して」

ささっ、と神無の肩を穂母が押し、桃笑と希紀は黒服の男達――多分ボディガードだ――に連れられて車に乗せられる。芽衣花と呼ばれた秘書は閉まるドアを見届けて深々と頭を下げる。さぁ♪行きましょう♪と穂母の号令で車が走り出した。

「ちょっと待ってってば! こういうの立派に誘拐じゃないの〜!? 拉致るのは息子だけにしてー!!」

 善戦空しく、神無達は行こうとしていたデパートから少し離れた、高級店が建ち並ぶ中心地に建つビルに連れて来られた。必死に説得しているのだがマイペースな穂母はこちらの言う事などまるで耳に入らないかのように勝手に色々決めてしまい、すでにポスターの構図やら衣装やらを考え始まっている。自己紹介すら未だにしていないのだ。しかも入って入って♪と機嫌よく迎えられた店内に並んでいる服は、全てゴスロリ‥‥。未知の世界に神無は全身の力が抜けていった。

「ごめん‥‥希紀、桃笑‥‥あたし負けそう‥‥」
「そんな弱音吐かずに頑張りなさい!神無。私達は穂さんの事も知らないんだからね!」
「でも、一回着てみたいかも〜♪」
「これ値札見たらきっとあたし倒れる‥‥」
「さぁさぁ、こっちまで入って♪。ジュース持って来させましょうね♪。何がいい?」

何がいい?と力なく振り返るとそんな事いいから断りなさい! と無情にも希紀に押し出され、神無は仕方なく穂母に歩み寄って――元々背は高い方なのだろうが、ハイヒールのせいで見上げてしまう――『あのね、穂ママ』と声をかけるとなぁに?と嬉しそうに穂母は腰を屈めた。やっと聞く態勢になってくれたらしい。

「あたし達小学生だし、そういうバイト?みたいな事は良くないと思うの。ちゃんとそういうの目指してオーディションに来てる人もいるんだから、そういう人達にお願いした方がね?」
「‥‥神無ちゃんは此処の服気に入らなかった‥‥?」
「いや、そういう問題じゃなく‥‥。泣かないで〜穂ママ‥‥(誰か助けて〜‥‥)ほら、そう、保護者に相談しないとさ‥‥」
「あ、そっか!そうだわね。ちょっと待ってて‥‥」

『待っててって‥‥うちの保護者知ってるんかい‥‥』と心の中で突っ込むと穂母はつかつかと店の奥にあるカウンターに歩み寄り、レジ脇にある白い電話を手に取った。そして迷う事無くボタンを押し、しばらく待った後に『もしもし?』と声を出す。

「草梳(かやと)君? 貴公の可愛い神無ちゃんは預かったわ、返して欲しかったら私の店のポスターのために神無ちゃんの写真を撮らせなさい!」
『○×△□!!!?』

『マジで!?』『なにごと!?』『私達やっぱり誘拐されてたの!?』とそれぞれ声にならない声で突っ込んでいるが、穂母は自信たっぷりに上体を逸らして電話ごしに神無の保護者、太刀守 草梳を脅している。神無達には聞こえないが、その時草梳はこんな返事を返していた。

『‥‥。壬姫(みき)女史?‥‥』
「‥‥壬姫女史?じゃあなーいっ!! もう!相変わらずつれないんだから!貴公って人はっ! 可愛い娘を誘拐したって言ってるのよ!? もっと驚いたリアクションはないわけ!?」

ちなみに草梳としてはこれでも驚いていたのだが、穂母には伝わらなかったようでご不満そうに頬を膨らませて電話口に向かって怒っている。そこから少し離れた所では『誰が誰の娘?』と神無が首を傾げている。

『‥‥。まぁ、いいか‥‥。どうしてうちの神無が壬姫女史の所に?』
「何も良くないわ!! いえ?良く聞いてくれたわ‥‥? あー、もうつまんない、草梳君‥‥。全然変わってなーい。子供ができたらもうちょっと柔軟になるかと思ってたのに」
『それは期待に添えなくて申し訳ないな。それで?壬姫女史。ちなみにこれは社内でも一部の人間しか知らない直通電話(ホットライン)なんだが‥‥』
「私にかかれば草梳君に秘密はないも同然って事よ♪。だからね〜、店に向かう途中で神無ちゃんを見かけたから招待したの〜。で、まだ開店前なんだけど、宣伝用のポスターが撮りたかったのよ。だけど神無ちゃんが保護者の許可がないとダメだって言うからこうしてお願いしてるんじゃない。良いわよね?良いと言って!」
『脅迫ではなく‥‥? 神無に代わってもらえるか?』
「神無ちゃーん、お父さんが代わってって♪」

『もしかして叔父貴の事を言ってる?』と首を傾げながら神無は歩み寄って電話を受け取った。代わりに穂母は桃笑と希紀に歩み寄った。二人がようやく自己紹介をしているのを見ながらもしもし、と神無は草梳に向かって声をかけた。

「ごめん、仕事中に‥‥」
『いや、相手が壬姫女史だ、仕方ない。しかし、何故壬姫女史がお前の事を?』
「息子の穂と馨が知り合いなんだよ。あたしも穂とは知り合い。穂から写真を貰って、あたしの顔は知ってたみたい。街中でいきなり抱きしめられてそのまま車乗せられて連れて来られた。叔父貴こそ知ってるの?穂ママの事」
『大学の同級生だ。一ヶ月ほど付き合ってた事もある』
「‥‥はい?」

さらりと出た爆弾発言に神無は思わず穂母を振り返った。ぎゅーっと抱きつかれ、今度は桃笑が窒息の危機に陥っている。良く考えれば息子の穂が二十歳だ、三十そこそこのはずがない。けれど草梳と同じ年という事は‥‥四十四歳‥‥? しかも、下手をしたら馨の母親があれだったと言う事か? 『嘘ー!?』と草梳に限ってそんな冗談を言うとは思えないが、堪らず叫んでいた。

『本当だ。付き合おうと言って来たのは向こうだが、私には手に負えない、と思って一月で別れた。だから彼女の性格は良く知っている。悪い事は言わない、逆らわずにとりあえず写真だけ気のすむだけ撮らせてあげなさい』
「でも、ポスターだよ? しかも神生財閥社長の店の‥‥。あたしだけじゃなくて桃笑と希紀もいるのに、そんなのそこら中に貼り出されたら‥‥」
『歩く天災、鉄砲水が迫る清流』
「‥‥何それ?」
『大学時代の壬姫女史に付けられた名前だ。流れが穏やかなうちに妥協しておかないとあとで鉄砲水のように無茶な要求が来る、と言う事だ。朝渡そうとした金額は彼女にとっては子供の一日の小遣いにもならない。ポスターを見ても気付かれなければ良いんだな? アルバイト料を出すと言い出したら半端じゃない金額になるだろうから、気に入った服をそれぞれに一着ずつ貰う、という所で妥協しておかないか? それで良ければ壬姫女史に代わってくれ、説得しよう』

まぁ、百歩譲ってそれが妥当な線だろう。倒れそうな金額を目の前に置かれて子供の自分達に断り切れるか、まるで自信がない‥‥。叔父に電話してくれて良かったかも‥‥と神無は不幸中の幸い、と思いながら今度は希紀の窒息を企んでいる穂母を呼んだ。

「穂ママ、代わって」
「はーい♪。草梳君納得してくれた?」

うん、まぁと言って神無は電話を渡し、解放された希紀と安否を心配している桃笑に歩み寄った。どちらかと言うと説得されたのは自分だ、と思いながら二人を呼び寄せ、穂母に気付かれないように顔を寄せる。

「ごめん、二人共写真だけは撮られて! 叔父貴が本人だって分からないように撮ってくれって説得してくれるから」
「でも‥‥どうやって?」
「メイクとかで何とかなるっ! 向こうはプロだ! それから、叔父貴からなるべく穂ママには逆らうなって。適度に妥協しとかないとどんどんエスカレートするからって」
「エスカレートって?どういう風に?」
「大金積むって事じゃん‥‥? バイト料はそれぞれ気に入った服を貰う。お金渡されるより気が楽でしょ? OK?」

希紀と桃笑は思わず顔を見合わせ、希紀は『仕方ないわね‥‥』と、桃笑は『うん、分かった』と頷いた。それにしても、ただ買い物に行くだけだったのに‥‥とんでもない事になってしまった‥‥。電話を代わった穂母はしばらく不満そうに口を尖らせていたが、『じゃあじゃあ!』と代案を出している。『叔父貴がんばって‥‥』と力無く神無が応援していると再び穂母が電話を代わるよう神無を呼ぶ。

「もしもし? OK?叔父貴」
『ああ、ポスター用は。自宅用に素顔で撮らせて欲しいと言っていたが、それはお前達に任せる。嫌なら断ればいい。今日はずっと会社にいるつもりだから、また何か無理な要求をされたら電話しなさい』
「りょーかーい、ありがと。あ、穂ママあたしの事叔父貴の娘だと思ってるみたいなんだけど‥‥ほんとの事言った方がいい?」
『そのようだな、面倒だったんで否定しなかったんだが‥‥。壬姫女史は翔哉の事も知っているから、あまり探られると面倒だろう? 後で何か言われたら反論の隙が無かったとでも言ってやればいいだろう』
「うん、分かった。じゃあ、仕事頑張って」
『ああ』

はぁ、とため息をついて電話を置くと希紀が駆け寄って来て穂母は今携帯で桃笑の家にかけているところだと教えてくれた。希紀は?と尋ねるとしっかり者の希紀は自分で電話して――多分ところどころ隠して――了解を得たらしい。

「神無の叔父さんが知ってる人だから、って言ったらすぐOKくれたわ」
「今日はほんとに叔父貴に感謝‥‥。まじで‥‥」
「桃笑ちゃんの所も了解もらったわ♪。じゃあまず‥‥本人だと分からないようにってどうすれば良いのかしら‥‥?」
「ウィッグとか〜かな? ってあたしの目やばいじゃん! 正面から撮られたら一発でばれるっ!」
「‥‥、神無ちゃんコンタクトしてる?」
「ううん、両目二点ゼロ」

そう、と呟くと穂母はまた何処かに電話を始めた。誰かの名前を呼んで――先程の秘書とは別の部下か誰かだろう――何事か色々と頼む。そして電話を切るとこれで大丈夫♪と微笑んだ。

「眼帯も考えたんだけど、やっぱり『可愛い系』で撮りたいから♪青い目のお人形さん計画♪♪。眼科を呼んだから、ちょっとカラーコンタクト入れさせてね♪」
「あ、うん‥‥(眼科医じゃなくて眼科ごと呼んだの‥‥?)」
「桃笑ちゃんと希紀ちゃんもどう? せっかくだから入れてみる?」
「わぁ‥‥おもしろそー♪。やりまーす! 希紀ちゃんもやろー♪」
「ああ‥‥もう分かったわよ〜‥‥。なんでもやって‥‥」
「後は、そうだっ! せっかくだから穂と隠岐も呼んであげましょ♪」

穂母が名案♪とばかりに手を叩くが、神無はその言葉に露骨に嫌そうな顔をした。気付いて穂母が『えっ? えっ?』とおろおろするので『すみませんっ!』と希紀と桃笑があわてて神無の前に飛び出す。

「なんか昨日穂さんと喧嘩したみたいなんです、この子‥‥」
「そう! それに今日は二人共出かけてるらしいです。だから捕まらないと思いますよ?」
「そうなの? うちの穂が何かひどい事した?神無ちゃん。ごめんなさいね?」
「‥‥(←何か企んでる顔)穂ママ♪この前穂が三歳の七五三写真持って来てくれて一緒に見たの♪。すっごい可愛かった♪」
「あら♪気付いてくれた? そうでしょ? 七歳の時は逃げられちゃって‥‥。やっぱり可愛かったでしょ?♪」
「大丈夫☆穂ならまだまだいける! 穂ママの息子だもん☆」

そうかしら♪とすっかり穂母は乗り気だ。『三歳の七五三って何‥‥?』と希紀が不審そうに聞くが、してやったり‥‥と復讐の種を蒔いた神無は意地悪な笑いを浮かべるのに忙しくて聞いていなかった。

「あ、そうだわ‥‥うちの旦那様を呼んでいいかしら? 一人占めにしたら後で怒られちゃう」
「穂パパ見たいっ♪OKっ!」
「じゃあ準備が出来た頃に来てもらうわね♪。えっと会長室の電話番号っと‥‥」

『パパの方にも種蒔いてやる‥‥』と神無が企んでいるのを察したのか希紀がため息をついて『ほどほどにしなさいね‥‥』と宥めた。でも止めはしないんだ‥‥と桃笑は思いながら、神無の落ち込みが上昇してきたようなのでま、いっか、と笑った。


 一晩ぶりに帰って来た我が家での夕飯時、テーブルについたのは一人だった。平日なら良くあるが、今日は土曜日。『神無は?』と問うと芳江が夕飯のトレイを持って来て馨の前に置く。今日はビーフシチューだ。

「お嬢様は希紀さん、桃笑さんと外で食べて来られたそうですよ」
「ふうん、めずらしー」
「ぼっちゃま、夕飯の片づけをしたらいつも通りお休みを頂きますけど、大丈夫ですか?」
「おう」

そう答えて馨は一人の食事を始める。芳江はキッチンへ戻って片付けの準備を始めた。これを食べ終えたらまず、穂どころか自分の携帯まで着信拒否した神無を絞めて、説得はそれからだ。と考えていると空けっぱなしだったダイニングの扉から、神無が廊下を歩いていくのが見える。

「! おい神無! ちょっと来い!」

気付いた神無がぱっとこちらを見る。一瞬立ち止まったので逃げるのか? と馨も身構えたが逆に走ってこちらに向かって来た。やる気か? と別の構えを取りながら馨はお小言を言うべく口を開く。

「お前な! 何で俺の携帯まで拒否‥‥」
「馨っ!!」
「!!!?」

逆に文句を言うのかと思いきや、神無は小さい体で思いっきり馨に飛び付いて来た。椅子ごと引っ繰り返りそうになって必死に踏み止まり、馨は首にしがみ付いている神無の珍しい色をした後ろ頭を見下ろす。

――おいおい‥‥新手の嫌がらせかよ‥‥――

「なんだよお前! 急に気持ちわりーな‥‥離れろっ!」
「わー!馨だ〜! 意地悪・口悪の馨だ〜! やっぱ馨はこうだよね、安心する〜‥‥」
「はぁ‥‥? 何お前‥‥変な物でも食って来たのか‥‥?」
「へたれ大王の穂みたいな馨なんてやだー! 叔父貴別れてくれてありがとー!」
「‥‥親父が、誰と別れたって‥‥?」

母との馴れ初めはおろか、恋愛結婚なのか見合いなのかすら馨は聞いた事がない。それを神無は父から聞いたというのだろうか? それとも別の誰かから? それにしたって、神無の動揺っぷりはおかしい。馨にこんな風に抱きつくなんて、最近はまるっきりなかった。まぁ、母親がドイツ人とのハーフでドイツ生まれ・育ちであったからスキンシップは前から外人並だったが。

――それにしても、なんで俺が穂みたいになってたかも‥‥なんだ?――

「わけわかんねーよ、お前。何があったんだ?」
「未知との遭遇って言うか、異世界に拉致られたって言うか‥‥。とにかくやっと現実に戻って来た実感が沸いてるとこなんだよ! 邪魔しないでっ!」
「説明になってねーし‥‥、俺で現実実感されても困るし‥‥」

憎まれ口を叩いても神無の手はぎゅっと首を抱き寄せていて離れない。珍しい事もあるもんだ‥‥と思いながら馨は仕方なくなすがまま。小さい体は震えてこそいないが、昔怖い物を見て馨に飛びついてきた頃とあまり変わらない頼りなさだ。神無をこんなに怯えさせるなど、よほど凄い目にあわされたのに違いない。

――やべぇ、怪獣が怯えた小動物に成り果ててる――

「はぁ、ちょっと落ち着いた‥‥。結構ムリして頑張ってたんだな、偉いぞあたし‥‥。馨細い、骨当たって痛いからもうちょっと筋肉付けて?」
「るせー! 勝手に飛びついて来て言う事はそれだけかっ! しかも筋肉!? んで? 何に遭遇して拉致られたんだ?」
「穂ママ」
「‥‥はぁ?」
「だから穂ママ。神生財閥の女社長だよ。希紀と桃笑と買い物行こうと思って街歩いてたら突然現れて抱きしめられて窒息しかけてそのまま開店前の店に拉致られた。しかも穂ママ趣味の店」
「ああ、あの七五三写真の主原因だな? そんなに強烈なのか?やっぱり。ってか息子以外も拉致るんだな?」
「拉致るよ! その上脅迫もするよ! いや、脅迫されたのはあたしじゃないけど。あー!そうだっ! 今日の大発見聞いて!! 叔父貴って無口なわけじゃないのね! 話題振りが苦手? それともしないだけ? とにかく叔父貴と一年分くらい話しちゃったよ!今日だけで!」

さっきのぐったりから立ち直ると神無は反動のように興奮した様子で語り始める。膝の上に乗られたままだったので『重い、うるさい』と下ろして食事を再開すると神無はすぐ隣の椅子を引き出してその上に正座した。馨と目線を近付けるためかもしれない。

「なんで親父が出て来るんだよ?」
「あたしが保護者の了解を得てくれって言ったからさ。あ、拉致られて店の広告ポスター用の写真を撮りたいって言われたの。そしたら会社の直通電話にいきなりかけてさ、なんか叔父貴の事脅し始めるし‥‥。それで電話代わって叔父貴と話したんだけど‥‥。聞いて驚け、なんと!穂ママと叔父貴、大学の同級生!」
「はっ?」
「しかも!一ヶ月だけど付き合ってた事のある間柄だったのっ!」
「はぁっ!?」

馨の驚きように神無は満足そうにうんうん頷く。それで神無がさっきから妙な事を言ってたのか‥‥と納得しながら、体の方はスプーンを手にしたまま固まっている。動揺している馨にひとしきり満足すると神無は話を続けた。

「つまり下手したらあの写真は馨になってたわけね。しかも同級生とか言っときながら穂ママ三十そこそこにしか見えない。化粧じゃなくてほんとにお肌つやつやなの。生気吸い取られてるよ、絶対‥‥。穂パパは年相応だった、五十ちょっと? でも穂ママと並ぶと会長とその令嬢って感じ。穂パパは結構普通だったな、ナイスミドルな感じ? 穂もねー、パパに似れば良かったのに‥‥。穂ママは穂に似てるよ〜」
「はぁ‥‥そりゃずいぶん大変な体験をしてきたな‥‥。って俺はその前のショックでリタイアだぜ‥‥。あっ! 穂って言えばお前! 俺の携帯まで拒否してただろ!」
「‥‥」

『あ』という口を作って止まった神無はしばらくの停止。それじゃあ、と席を立とうとするので『待て‥‥』と馨は脅し口調で神無の肩を掴んだ。『なんだよぉ』と見返す神無は開き直ったのか、ちょっと不満げだ。

「なんで拒否るんだよっ!」
「だって馨はどうせ穂の味方じゃないか。大体なんでそんな穂の肩持つの!? 穂とあたしが喧嘩しようが馨は関係ないじゃんっ!」
「穂がうるせーんだよ‥‥あの発言も無意識だし‥‥。お前もいちいち怒んなよ、穂のボケ発言は今に始まった事じゃないだろ?」
「‥‥あたしが怒ったわけ、穂は理解してるの?‥‥」
「あ? だから、どうせ隠岐も連れてくから隠岐に任せて自分は小夜と‥‥って言ったんだと思ったんだろ?」
「ぶー、五十点。それじゃあ許してあげなーい。‥‥大体、穂はなんでそんな事気にするの? たかが小学生の一人、怒って離れちゃっても関係ないじゃん‥‥。行けないなら行けない、それだけでいいよ。変な優しさ見せられると返って辛いもん‥‥。なんで、それが分かんないかな‥‥。なんでそんな精一杯誰にでも好かれたいと思うの‥‥」

そうでもないと、馨は思うが、すっと視線を逸らして呟く神無にはそう見えるらしい。確かに穂はお人好しだと思う。今まで『嫌い』と言う人間も見た事が無い。大学を中退したという事だからもう交流はないのかと思っていたらそうでもないし、妙な職業のわりに、顔は広いのではないだろうか。神生財閥御曹司という肩書きを抜きにしても、穂自身人を惹き付ける何かがあるのだろうと思う。ただ神無のその感情は‥‥自分だけを構ってくれない兄に対する不満、自分だけにできないなら、構ってくれない方がいい、という子供のわがままではないのだろうか‥‥?

「それは、困るだろ‥‥? ガソリンスタンドがねぇとあいつまた万年ガス欠じゃねぇか」
「ああ、そう言えばそうだねっ! 別に喧嘩したからって霊力(ちから)やらねぇよ! なんて言うほどあたしは外道じゃないけどねっ! ‥‥疲れたから風呂入って寝る」
「神無‥‥」
「‥‥明日、電話する。それでいいんでしょ?」

俯いて顔を逸らし神無は椅子を降りる。馨とは一切目を合わせないながら、傷ついた様子に罪悪感がひしひしと湧き上がる。神無、と声をかけると振り返りもせず何? とめんどくさそうな返事だけが返ってきた。

「明日、水族館行ってやろうか?」

自分にしては珍しい――怪獣がさらに小動物じみて見えてちょっと同情したのかもしれない――優しい言葉に、神無は少しだけ振り返った。そして、少し逡巡して神無は『いいよ』と返事を返す。

「明日、一緒に行ってくれる人いるから、さんきゅっ」
「そっか。希紀と桃笑か?」
「ううん。高佳」
「‥‥。そうか‥‥じゃあ気を付け‥‥。高佳ーっ!?」

驚いた拍子に馨は椅子ごと引っくり返った。さっきはうまく踏み止まったのに‥‥と痛む頭を押さえて馨は上半身を起こした。『大丈夫?』と見下ろす神無が少し呆れ顔なのが気に食わない‥‥。

「高佳ってあの高佳?」
「うん、それ以外ならそれ以外って言うけど?」
「‥‥四季さん同伴?」
「ううん、二人でデートすんの。弁当作ってくんだ♪四季には敵わないけどね〜」
「可哀想に高佳‥‥。無理矢理誘ったんだろ‥‥?」
「そんなこと無いっ! 高佳ちゃんといいって言ったもん! もう風呂入って寝るからな! お休み!」

怪獣ぶりを取り戻して神無は怒ったようにずかずかダイニングを出て行く。馨はまだ倒れた椅子の側に座り込んだまま、『高佳ね‥‥』と繰り返す。これは日曜日だろうと朝早く起きて見送る――高佳が不本意ならその役を代わる事も――必要がありそうだ、と馨はため息をついた。

Back / Next